ソ連が崩壊した
平和になった
国家の時代は終わった
国連の時代
と
日本でアホが騒ぎ始めた
1990年代前半の日本。
マス・メディアに好まれる
大前研一
は
1990年代後半、
テレビ東京系列で放映された「がらがらニッポン」(司会・飯干景子)
で、
「もはや超大国の軍事的抑止力による時代は終わった」
と一部しかあてはまっていない、
超大国の軍事的抑止力は存在し続けているという現実を無視した主張を展開、
経済で世界が動く
「国境無き世界」
となり、
そこでは
「国家安全保障は神話」
になると主張する。
国境なき世界は政治面では実現しそうに無く、
国家安全保障は神話どころか国家の根幹である。
大前研一
は
尖閣諸島問題、
日中中間線付近での石油資源掘削問題で、
国家主権を無視し、
日中融和のみを説いていた。
民主党
や
社民党
など
左派政党ブレーン
で、
田中角栄の娘・田中真紀子氏のブレーンをつとめ
立憲民主党の精神的支柱
市民連合の表の顔
山口二郎
は
1995年(平成7年)4月号の雑誌「Ronza」
において、
「軍備というのは、永続的な秩序を守るためにそんなに役立つものでないという点について日本は、きちっと主張していく必要がある。」、
「安全保障とか秩序というものの構成要素がずいぶん変わったわけで、人間の存在にとっての脅威や、安全を脅かす要因として、軍事以外のものがはっきり見えてきた。」
と述べている。
軍事の脅威は今日も存在し、その脅威はさらに増している。
軍事の重要性はさらに増している。
山口二郎の主張は大きく外れているが、
山口二郎はそのあと、
何ら責任を取らず
立憲民主党
市民連合
共産党
を
繋いでいる。
外務省の王道、主流派で外務省のトップ外務事務次官にまで登り詰めた
小和田恒・外務省事務次官
は
雑誌「プレジデント」1993年6月号
で、
「日本が今後国際社会とどう関わっていくべきかという問題なのですが、第一は、終戦直後に多くの日本人が考えたように『清く貧しく美しく』生きる生き方です。国際的な貢献、あるいは国際秩序の形成に責任あるメジャープレーヤーとして行動しない、という決意をする生き方です。そういう国家としての生き方は理論的にはあり得るでしょう。しかし私は現在の日本は既にそれはあまりに大きくなってしまっているので、これは実際には無理な選択肢ではないかと思います。」
と安全保障にまったく力を入れない政策を否定しつつ、
「二つ目は日本が普通の国になるということです。普通の国という意味は、アメリカやヨーロッパの国々と同じようにいろいろな形でバランスのとれた国家をめざすということです。その場合は国連を中心とした国際社会のためならば、軍事的な貢献も含めて仲間の諸国と同じような協力と貢献をすることが当然期待されることになるでしょう。」
と普通の国、外交に軍事力を行使することにも肯定的な姿勢を示さず、
「三番目は国際秩序の形成強化に日本として関わらないというのではなく、あくまでも関わるんだという姿勢を明確に持ちつつも、ただ自分の国の行き方として、良い意味での『ハンディキャップ国家』になるという選択です。この場合、日本は過去の自己の行動や国民の信条として、日本自身が属する共同体たる国際社会の共同の利益のためであっても、“特定の行動”には参加しませんということを国家として明確にするわけです。しかし共同体の一員として責任を果たすため、他の分野でそれを補って余りある犠牲を払うことを求められるでしょう」
と軍事力を否定した外交、国際貢献によって、
日本の国際的な地位向上、国益を追求する姿勢を示している。
軍事力を否定して国益を追求できる国際環境は現在のところ存在していないので、
この「ハンディキャップ国家」
は
机上の空論、従来の小切手外交、金だけ外交、経済だけ外交と何ら変わりない。
外務省の王道、主流派で外務省のトップ外務事務次官にまで登り詰めた
斉藤邦彦・外務省事務次官
は
1993年11月12日に日本記者クラブの講演
で、
「小和田・前外務事務次官は以前、雑誌の対談で、結論を出さずに『無責任国家と普通の何でもやる国家があり、この間、ハンディキャップ外交がある』と言ったことがある。私はハンディキャップ国家が日本の進むべき道ではないかと思う」
と述べた。
小和田恒氏と同様、斉藤邦彦氏は外務省の主流派で、外務省に非常に強い影響力を与える人物である。
そのような人物が軍事力を軽視した外交、安全保障を追求している。
日本は政治家に影響力が無く外交官に力があった。
日本の外交の舵は軍事力を軽視した外交、安全保障に切られているということである。
現実的な日本の脅威に対応する意欲が無かった。
外務省の王道、主流派で外務省のナンバー2の外務省官房長にまで登り詰め
論功行賞で
核保有の超大国
国連安全保障理事会常任理事国
イギリス
駐英大使になった
藤井宏明氏
は
1998年
に
財団法人・日本国際フォーラムが主催したシンポジウム、「海洋国家イギリスの知恵から何を学ぶ」
において、
「日本の自立は、大英帝国のごとく、軍事力、経済力、外交力、の三本柱のバランスの上に築かれる必要は無いと思う。日本が経済と外交および文明的魅力に大きく頼ってゆくことは可能であろう。しかし、軍事力や関連技術を自ら規制している日本は自主自立の面でも、国際政治力の上でもさらには国際貢献の分野でも大きなハンディキャップを負っており、その対価を他の面で払う必要があることは認識されるべきだろう」
と
語った。
外務省
の
王道、
主流派
は
国連を信じる真面目エリート
だった。
外務省
で
国連を冷めた目で見る外務官僚/外交官
日本の国益を追求する外務官僚/外交官
は
面倒くさい人として扱われる
怖い人と思われる、警戒される
超大国の公使にはなれるが大使にはなれない
80人しかいない外務省情報調査局の局長など非主流の局の局長で宥められる
など
不遇だった。
外務省
の
主流派
王道
国連を信じる真面目エリート
は
ルワンダ
に
陸上自衛隊
を
派遣する
ことで
国連に貢献でき
国連信奉が成就する
と
思い込んだ。
ヨーロッパの軍隊すら撤退した
危険なルワンダ
に
陸上自衛隊
が
派遣された
が
立憲民主党の母体
社会党
が
機関銃を持っていくことに強硬に反対したため
62式機関銃を1丁のみ
ルワンダに持っていくことになった。
国際貢献、人的貢献
に
憑りつかれ
国連信奉 国連信者
が
暴れまわった
90年代前半の日本、
欧米、国連、国家否定論者
に
振り回された
90年代前半の日本。
三谷幸喜が脚本のドラマは国際貢献や国連平和維持活動PKOを理解できてないような内容である。
国際貢献、PKO、PKF、青年海外協力隊が混ざったような三谷幸喜の愛と平和の特別企画・総務課長戦場へ行く、の国際平和援助隊。
1992年後半には国際貢献や国連平和維持活動PKOへの理解が進んでいたので、
ドラマは1991年くらいの企画、1991年春くらいから脚本を書いたようである。
題材が何であろうと三谷幸喜の色に染めてくる三谷幸喜。
三谷幸喜色に染まったドラマ、出演者。
三谷幸喜ドラマとしか言いようがない愛と平和の特別企画・総務課長戦場へ行く。
三谷幸喜がまだ世間で認知されていない1992年でも三谷幸喜は容赦なく三谷幸喜カラーをぶち込んでくる。
三谷幸喜が世間一般から認知された1994年なら「ああ、三谷幸喜ドラマか。」となるが、
1992年にこのドラマが放送されていたら相当な混乱、困惑があったと予想される。
困惑、批判の一方、三谷幸喜ブームももっと早く来ていたかもしれない。
レバノンではなくビバノン。
ドリフターズにこだわりがある三谷幸喜。
加藤茶
は
「ビバノンノン」
と
歌っていた。
三谷幸喜
は
フジテレビ『古畑任三郎』第3シーズン「絶対音感殺人事件」
に
おいて
加藤茶ボーカル曲
加藤茶ギャグ
を
ぶち込んでくる。
加藤茶派っぽい三谷幸喜。
ヒルトンホテルではなくバリトンホテル。
三谷幸喜ギャグをぶち込む三谷幸喜。
やはり
戦争
軍事
の
プロである
傭兵の小森谷
に
爆撃
と言わさず
空爆
と
マスコミ用語
を
話させてしまっている。
脚本家
である
三谷幸喜のせい
というより
いつまでたっても
英語の直訳を使い続ける
反省しない
勉強しない
知識が無い
謙虚さが無い
才能が無い
正しい報道をしない
日本のマスコミの責任である。
伝説のうっかり者、赤塚真人が子だくさん地味真面目役で出演。
うっかり者でもなく特捜最前線新宿ナイトインフィーバー小心者でもない赤塚真人、目立たない。
しかし柔道二段ながら柔道が全く通用せず小森谷にやり込められた才野・赤塚真人はリベンジを誓う。
フォーリング・ダウン系真面目ストレス逆恨み暴走、特捜最前線新宿ナイトインフィーバー小心者だった赤塚真人。
トラックを運転するときは陽気になっている才野・赤塚真人。
赤塚真人らしくなる赤塚真人。
三谷幸喜軍団、伊藤俊人が若い。
若くて灰汁がなくて不完全で魅力はあるが、数年後にはもう伊藤俊人完成となる。
眼鏡をかけてないから若く見えただけかもしれない。
もうすでに太ってきている沢田研二。
若者からの人気はもう全くなく、人気勝負ではなく藤田敏八の地味秀作にっかつロッポニカ『リボルバー』、塚本晋也のしみじみくる地味SF『ヒルコ/妖怪ハンター』、珍作ドラマ、『ミュージカル ザ・近松』など自分のやりたいことで勝負してきていた時期だった。
太ってきている沢田研二、俳優として成熟、成功だった。
演技を勉強したプロの俳優で演技が得意というわけでもなく、顔だけいい俳優は数多くおり、若い頃のままの認識の沢田研二では役が限られた。
転職情報誌DODAのCMに出ていた沢田研二。
仕事が無い沢田研二が芸能界を辞めて転職しようとしていると思われた。
仕事が無いがリアルに見える沢田研二。
フジテレビ『踊る大捜査線』で有名になった斉藤尭が冒頭に30秒だけ出演。
台詞はほとんどない。
しかし斉藤尭は存在感を放っており後の仕事安定は約束されたものと感じさせる。
ハゲているが若い斉藤尭。
ハゲているので年増の役ばかりやっているが、本当は若い斉藤尭。
斉藤尭は離婚したが、離婚した妻が着ていたセーターを捨てることなく自分で着ていた。
狛江市に住んでいた斉藤尭は『踊る大捜査線』の撮影には狛江市の重鎮・小野武彦の車に同乗して撮影現場に行っていた。
いつも小野武彦の車に同乗している斉藤尭は申し訳ないので「高速代、半分出します。」と言った。
高速代の半分は電車賃より高く、斉藤尭は後悔した。
しかし、その次の撮影の時、小野武彦が「ETC付けたから高速代はいいよ。」と言ってくれた。
助かったと言う斉藤尭。
不遇時代の阿部寛。
演技ができなかったと語っている阿部寛
だが
生真面目、融通が利かない、青臭い世間知らず
傭兵・小森谷
に
阿部寛の硬さははまっている。
TBS『渡る世間は鬼ばかり』
で
再ブレイクした
前田吟
が
出演。
松竹、大映テレビ、TBS
から
離れ
のびのび演技している前田吟。
伝説の評論家
塩田丸男
が
評論家役
で出演。
評論家
塩田丸男
は
NHK朝の連続テレビ小説
橋田壽賀子脚本『春よ、来い』
主演
安田成美
の
降板
について
「安田成美さんは在日だから戦前の日本の役をやるのが嫌で降板した」
と
発言した。
塩田丸男
は
謝罪させられ
メディア
から
干された。
伝説の評論家となった
塩田丸男.
仕事が無い
塩田丸男、
深夜番組の人生相談コーナー
に出演。
相談に来たのは
風俗店勤務の若い女性。
風俗店勤務の若い女性
は
「特技はローリング・フェラ。」
「お客さんを好きになった。恥ずかしいので来てもらっても何もできない。それでも来てくれる。」
「どうしたらいいんでしょうか?」
と
語る。
伝説の評論家
塩田丸男
は
親身になって
風俗店勤務の若い女性のこと
を
考える。
勢いのあったフジテレビ
の
レギュラー評論家
から
深夜番組
の
人生相談おじいちゃん
に
転落した
塩田丸男。
ブレイク直後の撮影と思われる
中野英雄。
中野英雄
は
優しい、おもちゃ会社社員を演じるが
演じただけ
で
暴力
反社
と
密接な人生
で
息子の仲野太賀メジャー化
以降
暴力
反社
から
距離を置く。
正論を吐く
不愛想な
歯科医の楠
を
演じる
加藤善博。
34歳に見えない、
40代後半に見える。
昔の人は老けていた。
加藤善博
は
三谷幸喜脚本の『12人の優しい日本人』などに出演、
印象に残る演技で活躍したが
自殺した。
梨本謙二郎が広告代理店勤務の石川を演じる。
電通、博報堂に次ぐ万年3位の広告代理店勤務。
やる気のない役だが最後の方で見せ場がある。
タイで撮影。
タイの田舎で森、海、海岸ばかり。
関東近郊の田舎、山の中で撮影しても誤魔化せた。