国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代
読売新聞と朝日新聞 1996年
読売新聞における論議 1996年
1996年2月3日の社説、「沖縄の『反基地』に揺れる日米安保」
では、
アメリカ軍用地に占める割合がわずか0,2%に過ぎない1坪共有地主のために、
冷戦後も緊迫感を増す情勢の中、
日本の防衛に不可欠な日米同盟を揺るがしてはならない
と、主張している。
1996年4月2日の社説「基地問題は『公益』重視が必要だ」
では、
ごく一部の人間のため、日米同盟という公益が崩れることを懸念している。
1996年4月16日の社説「安保協力は新しい段階に入った」
では、
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の見直しを評価、
1996年5月30日の社説「安保の機能を高める『指針』に」においては、
まったく手付かずの「極東有事」を整備することを評価、
また同じく不十分な「日本有事」も整備することを求めている。
1996年5月4日の社説、「『有事』論議になぜ消極的なのか」
では、
「日米防衛協力のための指針」の見直しが続くが、
「現行法の枠内」で進められることが決められていることについて、
集団自衛権がおざなりにされていることを批判している。
1996年9月26日の社説、「『尖閣』は筋曲げず冷静な対応を」
では、
中国の理不尽な対応に、日本政府は法に従い冷静に対処するように求めている。
1996年9月8日の社説では、首相の指導力強化することで緊急事態対処や、省庁対立の解消が可能、と指摘している。
1996年10月25日の社説「憲法公布50年 緊急事態への法整備を急げ」
においては、
いままで有事法制がなかったゆえに悲喜劇がくりかえされたこと、
政治家、マス・メディアが有事法制をタブー視してきたことを指摘し、
フランス、ドイツを例に、
左派の学者が指摘するように決して、
民主主義を危うくするようなものではない
ことを主張した。
1996年の読売新聞は、日本の防衛を確実なものにするため、日米同盟の重要性、有事法制の制定の提案など、具体的な提言を実施しており、非常に意義がある。
朝日新聞における論議 1996年
1996年(平成8年)4月24日の社説「有事論議に走る前に」
において、
集団自衛権行使につながりかねないと懸念を表明している。
1996年5月28日の社説「有事研究はだれのためか」では、
「憲法を踏まえての抑制的な姿勢」
で有事を論ぜよ、と説いている。
この場合の有事とは、日米安全保障条約に関連する有事であり、
朝日新聞はもっぱら集団自衛権の行使に懸念を表明している。
1996年4月には、特集のごとく、安全保障に対する提言を続けている。
1996年4月11日の社説「日米安保を考える みずからの外交判断を」
では、
「米国の戦略に寄り添うことがすべてであっていいのか」
と、日本政府の安全保障政策を批判、
「中国を巻き込んだ地域安全保障」の構築や、
「近隣諸国との信頼醸成」の構築をすべき、
という現実味のない主張を続けている。
1996年4月16日には朝日新聞編集委員の田岡俊次氏が
「在日米軍の削減 検討を」
と題し、
そこでは
「日本周辺の脅威 総じて減少」
と主張し、
在日アメリカ軍は削減可能としている。
しかし中国、北朝鮮の状況を鑑みると、この提言には疑問が残る。
1996年4月18日の社説「日米安保を考える これは実質的な改定だ」
において、
日米安保共同宣言を批判している。
「中国封じ込めに向かうなら、日本や地域の利益とはならない。」、
「最悪の場合、日本を米国の戦争に巻き込むことにつながらないか。」
など、朝日新聞がよく使う語句が目に付く。
1996年5月3日の社説「憲法49歳の誕生日に 集団的自衛権論の迷走」
では、
日本は
「非軍事・積極活動国家」
であるべきで、
「日本は軍事的役割を広げることで生きていくことはできない。」
と主張、
そして日本の求められている役割としては
「憲法と国連の理念を掲げつつ、みずからを含む地域の軍縮を進める、といった努力だろう。」、
と述べている。
なぜ、日本は軍事的役割を広げられないのか、日本が軍縮することで中国や北朝鮮の脅威を解消できるのか、疑念を抱かざるを得ない。