本当のワーク・シェア
たとえば、夜、疲れ果てて帰ってくる家人のために、夕食を整えて、待つ。
たとえば、幼な子や高齢者、あるいは障がい者に食事をさせ、お風呂に入れる。寝つくまで、見守る。たとえば、汗まみれになったユニフォームを大急ぎで洗い、明日の部活に間に合わせる―。
どれも、1円も生み出すことはないけれど、それは必ず、家の中で、誰かがやらなければならない「仕事」だ。それを請け負う、と、心に定めた誰かの「仕事」。
そんな、家の内側での「仕事」はいつも、当たり前のこと、とされる。外からはとても見えにくいし、評価もされにくい。
「働き方改革」という名の下に、雇用形態がなし崩しに崩されていく。一方で(あるいは、それ故に?)少子化に歯止めがかからず、家族システムさえ存続が脅かされている。それは「改革」が、いまだに家庭外の、賃金の発生する労働にしか目を向けていないからだと思う。
この国の賢い大人たちは、外でお金を稼ぐことに目を奪われ、家の中の労働の意味と価値をないがしろにし続けてきた。そして、たとえば「お帰り」と「ただいま」を交わすだけで、それだけでも互いの力が回復するという事実さえ、忘れてしまった。こうして、自分たちだけではなく、大切な子供たちまでも、疲弊させている。
しかしどうやら、遠いノルウェーという国では、事情が違うようだ。このお話が「昔話」*として、すなわち「知恵ある語り」として受け継がれてきたというのだから驚く。
原題はturnabout.「順番に、とりかえっこ」である。だんなさんは「仕事」を休んだのではなく、「とりかえた」のだ。外での労働と、内での労働。両者が補完し合って初めて、豊かな世界が生まれることが、ここに、いとも鮮やかに描き出されている。両者に、優劣はない。
ひるがえって、私の国。今からでは、もう手遅れだろうか?
でも、私は諦めきれない。せめて、保育園・幼稚園の本棚に必ず1冊、この絵本を置いてもらえないだろうか?
みんなが働く、みんなで働く、本当のワーク・シェア。それは、お金に換算できない仕事をも「とりかえっこ」しながら、互いの働きと存在を認めあうことだよ―。そう、教えてくれるこの絵本を1冊。
この国に、まだ子供たちがいる間に。
*「ノルウェーの昔話」(アスビョルンセンとモー編から、大塚雄三訳、福音館書店)に収録されている昔話「家の事をすることにしたごていしゅ」では、夫婦には乳児がおり、家の中の労働に育児も含まれている。また、「すんだことは すんだこと」(ワンダ ガアグ:作、佐々木 マキ:訳 福音館書店 世界傑作童話シリーズ)には、幼児と飼い犬が登場する。こちらは、夫が家事に大失敗するたびに口にする「すんだことは すんだこと」という言い回しをモチーフに、失敗に拘泥しない態度を面白おかしく描く展開になっている。