本来の、本物の教会
2011年3月11日、東京は一時パニック状態に陥った。原発事故を知り、放射能汚染に怯えた多くの人々が、東京から、日本から逃げ出した。「外国人が帰国便を求めて殺到、空港は人であふれ…」と当時の新聞は報じている。
しかしもちろん、逃げようにも逃げられない人の方が、圧倒的に多かった。友人夫妻も、そうだった。奥さんは、初めての子どもを妊娠中だった。
震災から三日目の日曜日、逃げ場のない二人は、いつものように教会に行った。そして、いつものように韓国人宣教師が皆を迎え入れてくれたことに、強く励まされたという。まだ、東京の放射能汚染の程度は未知数だった。母国に避難することもできるのに、あえて“被災地“東京に留まり、信徒と共に礼拝をささげ続けることを選択した宣教師の姿に、ただただ、励まされたという。そしてその励ましは、今も二人の生き方を支えている。
神は私たちの避けどころ、私たちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。(詩編46編1節)
万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。(同8節)
神は私たちの避難場所、安全な砦となって下さるお方であり、それが体現される場(共同体)が教会である。それが本来の、本物の教会の姿だと思う。
さて、このヴァレンカおばさんの物語。彼女は、「ロシアの森の中」に一人で住んでいた。しかし「西のほうで戦争がおこって」、逃げて来た大勢の人たちから「一緒に逃げよう」と誘われる。そのとき彼女は、何を選択したのか。
あっさりと結論を言ってしまうと、このヴァレンカの家は、本当の、本物の教会の姿である。そしてヴァレンカは、本物のクリスチャンの姿である。彼女は「隣人を愛せ」というキリストの言葉に、危険を覚悟で従う。
果たして神様は、彼女の祈りと選択に、どう応えて下さったのか?
読み終えたあと、表紙絵の、両手広げる彼女が、十字架上で祈るキリストに重なって見えた。
壁の棚の聖母子像(イコン)。その前に置かれたキャンドルと、野の花。
日本人の私にはなじみのない、東方・ギリシャ正教会の香りをただよわせながら、静かに、ダイナミックに、神と本物の教会を語る。稀有な絵本です。