描くに時あり、書くに時あり
子供の頃、「母の日」「父の日」が嫌いだった。ごく身近に、親を亡くした友がいたからだ。その日が来るたび、「あの子は今、どんな気持ちだろう?」と気をもんだ。
「はいけい、てんごくの おとうちゃん」で始まるこの絵本は、少年が亡き父に向けて手紙で語りかける、という文体をとっている。そして、父を亡くした子供の気持ち、父を亡くした子どもならではの体験が描きこまれていて、そのリアリティは一貫している。
幼い読者は、世間的にみれば「お父さんを失くした可哀そうな少年」でしかない彼が、実は何を見ていたのか、どう成長していったのか、ページをめくりながら、その日々を追体験できる。死んでしまったお父ちゃんが、不思議にも、死後もお父ちゃんであり続けているという事実を、知ることができる。
語り口はどこかあっけらかんと、ユーモラスである。だから、幼い読者は、少し安心して、主人公に自分を重ねることもできる。「万一、自分の親が死んでも、私も、この子みたいにやれるかもしれない」と、希望を抱くこともできるだろう。そこに、「悲劇の、その後」をちゃんと生きている同世代の姿を、見い出すことができる。
というわけで、すべての幼い子供たちの心に、とても役立つ絵本だと思う。
そして…。すっかり大人になってからこの絵本に出会った私は、読み終えて、静かな畏敬の念を抱きました。「伝道の書」の、あの有名な御言葉が思い出されました。
天が下の萬の事には期あり 萬の事務には時あり
生まるるに時あり死ぬるに時あり 植うるに時あり植えたるを抜くに時あり
殺すに時あり癒すに時あり(中略)
神の為し給ふところは皆その時にかなひて麗しかり
神はまた人の心に永遠を思ふの思念を授け給へばなり
旧約聖書・「伝道の書」3章1~11節(文語訳)
作品と、作者の体験を安易に結びつけることは慎まねばなりませんが、Wikipediaに公表されている作者プロフィールには、「小学生時代に実父を亡くしてから母子家庭で育ってきた」の一文があります。
作者が、この本を上梓されたのは47歳のとき。小学生が大人になって、さらに絵本作家になって、さらにこの絵本が出来上がるまでに、どのような時間と経験が必要だったことだろう…、と。
「描くに時あり、書くに時あり」
伝道の書3章に、そう付け加えて、口ずさんでみました。