(ジョンレノン、自宅の前)
*今年もまた中秋の名月「ハーベストムーン」を患者さんたちと描きました。まん丸の黄色に青をまわりにぬった瞬間、月がピカーッと輝きだします。ぬらし絵なので、色が自然ににじみ合ってぼんやりとあたりに輝いているよう。
第九十六話 マジカルミステリーツアー
十代の前半に学校の前で突っ込んできた車に轢かれて不自由となった若い患者さんのアートセラピーセッションはいつも、「You say Yes, I say No, you say Why, and I say I don’t know…Oh, No… You say Good bye , and I say Hello」のビートルズソングで始まります。ここまで歌ってやっと、「Hello」といってくれるのです。
わたしのビートルズとの出会いは中学生のころ、同級生のかなり変人のもずの巣頭のユリカと、クラス中の男の子がみんな好意を寄せていた体操部のマリちゃんとの3人でハーモニーをつくってはビートルズナンバーを歌っていました。新潟大学の学園祭のビートルズフィルムコンサートにも行ったっけ。自宅の勉強部屋の障子におおきなポスターを貼っていたのも覚えています。
あれから数十年。ついに、ビートルズ発祥の地リバプールに行ってきました。
シュールレアリズムのマグリットの展覧会を見に行ったのですが、ナショナルトラストがジョンレノンとポールマッカートニーの子供時代の家を管理公開しているのを知って、ミニバスツアーに参加。
ポールが10代の頃住んだ家は、市営住宅で、イギリス式長屋。お父さんも弟もおじさんも音楽好きで、古いイギリスの歌を聴いて育ったのが、曲つくりにも影響したといわれています。壁紙も床のレノリウムもそのままに、まるで1960年代にタイムトリップしたかのよう。
15歳のジョンがいまにもキッチンのドアーから「ただいま」と入ってきそうな家は、おばさんのミミが、戦時に空襲を逃れ田舎に疎開した隣人の家に不法に住み始めた家。(その後ヨーコオノが買い取り、トラストに寄付したのだそう。)
ジョンのお母さんは、一人でジョンを育てることが出来ず、ミミが5歳のジョンを引き取ってそこでわが子のように育てたのでした。テーブルの上にはジョンとミミの古い白黒写真のアルバムもおかれていて、まるでジョンの家にほんとによばれているようでした。ミミおばさんが植えた庭のりんごの木も今もたわわに実をつけ、訪れる人たちにもおすそわけ。
(写真はジョンの家の前。イギリスではほんとにありふれたいえです。)
ジョンもポールも母を十代で亡くし、その気持ちを歌にすることで自らを慰めていたといわれていますが、BEATLESがまったく普通のリバプールの若者たちの出会いで生み出されたということが、人間のエネルギーのアルケミーの不思議をしめしてくれます。二人の家はどこにでもある住宅街のありふれた小さな家なので、なおさら人間の無限の可能性は生まれ持った才能というよりも、その後にあると確信させられました。
ジョンとミミそして15歳で再会した実母のジュリアとの関係を描いた映画「Nowhere Boy」もおすすめです。
http://www.youtube.com/watch?v=vyS2EYJngt0
http://www.youtube.com/watch?v=EvL3pwdjy4k&feature=related
(間美栄子 2011年 9月15日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)
(なずな。アルバートドックにて。ものすごい風。)
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