日頃のあれこれ

日頃の思いやマンション管理について書いてみます もうすぐ禁煙も11年を迎えます。

マンションを知る。

2005年06月20日 | マンション管理
マンションの管理という問題は、マンション全体の現実を把握することから始まると思う。一部分だけを考えればいいのなら楽だけれどもそれでは意味がなくなる。いかなる場合でも、常にそのマンション全体のことをよく知っていることから始まるし、その全体像の認識があれば、法律や規約といったルール・システムが解決策を見出すための基本として機能する。その基本システムに、自分達のマンション固有の問題意識を向ければ解決策が見つかりやすくなるのかもしれない。管理会社や管理人にお任せでは、知らないまま物が決まっていくという失敗を犯す可能性が高くなっていく。

マンション自体が物理的な意味で時間の経過とともに状況が変わっていくし、住む人、家族状況にもおきてくるの価値観や意見が変わっていくのは当たり前、そういう変化に対応する経験を蓄積しながら管理組合自体も、また常に換わり続けることになる。そういう意味では理事長・理事会も変わり続けなければいけないのだろう。

そういう変化を捉えるためにもマンションに住む全員がマンション全体を観る目を持ってほしいと思う。

せめて理事になったら、理事全員で「マンションツアー」を企画し、普段見ない共有部や別の棟、屋上など、じっくり見て、それぞれが考える材料としてほしいと思う。

マンションの管理組合

2005年06月20日 | マンション管理
管理組合というものは、リーダシップがない?またはあってはならない?という話を聞いたことがある。マンションの管理組合においては、全員が上下関係なく、同一の立場で、様々な考え方が並列的に並び相対的な集約は可能であっても、絶対的な集約はできない世界。したがって、そうした場での千差万別なメンバーの考え方を一つの方向にまとめるためには、摩擦を防ぎながら、できるだけ穏やかに穏やかにと心がけながら人心を収束させていく慎重な感覚が求められるという話である。

現実に理事長をやって、そういう感覚でないとまとまらないと思う反面、それでは何一つ進まないような気もする。様は使い分け? 簡単な案件だと、リーダシップをもって進められても、重要な案件はとことん議論を尽くして、(それも穏やかに説得調で)慎重に結論を導くようにしないとしこりやわだかまりが残って、後々紛糾のタネになる。

ところが管理組合の場合、ほとんどの人間が、『無関心』であり、ちっとも主体的に動こうとはしない。まるで、『主役』のいない芝居みたいになる。たとえ関心はあっても、『誰かがやってくれるだろう』と傍観者をきめこんでいる傾向が大きく、いずれにしても、組織として活力が認められない状態になるのはなぜなのだろう。

管理組合という組織の抱える本当の問題がここにあるようにも思える。メンバー相互が同じ水準の水平的関係にあれば、「みんな同じ」になってしまうためにエネルギーが拡散して、焦点がぼやけてしまう。そういう現実から、目をそらしたまま法律の決めている意思決定システムだけを当てはめようとするに近い「管理規約」というものからでてくるひずみが、委任状本位でようやく成り立っている総会の形式化、役員を選ぶのに四苦八苦となる原因かもしれない。