5月の古道歩きに参加されたメンバーの皆様、大変お疲れ様でした! 今回は古道歩きではなく、史跡巡りをしましたので、ちょっと変わった見学ができたと思います。その時のご報告をします。
南伊豆町は、知る人ぞ知る、石の産地です。石質は凝灰岩の軟石で、加工がしやすいので建築材として重宝されたそうです。
5月15日の土曜日。集合場所に9名のメンバーさんたちが集まりました。
挨拶を交わして車で上賀茂へ移動し、まず伊豆石を切り出した丁場を見学しました。
近くの民家には、建築材として石が豊富に使われています。
民家の裏山はたくさんの石切場の跡があります。ここからどれだけの量の石が切り出されたのか・・・、とても想像できません。
そばを流れる川には、切り出した石を平底舟に載せるために河原に下りた場所の跡が見られます。
次に青野川に沿って車で走り、石を大きな舟に積み替えた手石の湊に行きました。
この湊で、青野川を下ってきた平底舟から江戸へ向かう舟へと石を津に買えたのです。
磯には、江戸に向かう舟の舫綱を結んだ舫岩が残っています。
また、今回は見に行けませんでしたが、桟橋の柱を立てた竪穴もいくつか残っているのです。
おまけとして、太平洋戦争の末期に掘られた特殊特攻艇「震洋」の格納庫を見学しました。
さて、岬の上に登って突端近くに行きますと、この石碑があります。
江戸幕府が黒船の来襲に備えてお台場を建設する際に伊豆石を基礎に使ったのですが、その石を切り出す作業が終わったことを記録に残す記念碑です。
側面には「・・・四番 七番 及 佃島越中嶋に 文久から元治まで3年かけて石を切り出した」というような記録が刻んであります。
このような史跡が多く残る南伊豆町は、歴史豊かな町だと思いませんか?
南伊豆町は、知る人ぞ知る、石の産地です。石質は凝灰岩の軟石で、加工がしやすいので建築材として重宝されたそうです。
5月15日の土曜日。集合場所に9名のメンバーさんたちが集まりました。
挨拶を交わして車で上賀茂へ移動し、まず伊豆石を切り出した丁場を見学しました。
近くの民家には、建築材として石が豊富に使われています。
民家の裏山はたくさんの石切場の跡があります。ここからどれだけの量の石が切り出されたのか・・・、とても想像できません。
そばを流れる川には、切り出した石を平底舟に載せるために河原に下りた場所の跡が見られます。
次に青野川に沿って車で走り、石を大きな舟に積み替えた手石の湊に行きました。
この湊で、青野川を下ってきた平底舟から江戸へ向かう舟へと石を津に買えたのです。
磯には、江戸に向かう舟の舫綱を結んだ舫岩が残っています。
また、今回は見に行けませんでしたが、桟橋の柱を立てた竪穴もいくつか残っているのです。
おまけとして、太平洋戦争の末期に掘られた特殊特攻艇「震洋」の格納庫を見学しました。
さて、岬の上に登って突端近くに行きますと、この石碑があります。
江戸幕府が黒船の来襲に備えてお台場を建設する際に伊豆石を基礎に使ったのですが、その石を切り出す作業が終わったことを記録に残す記念碑です。
側面には「・・・四番 七番 及 佃島越中嶋に 文久から元治まで3年かけて石を切り出した」というような記録が刻んであります。
このような史跡が多く残る南伊豆町は、歴史豊かな町だと思いませんか?