小さい頃、ずっとおかっぱでした。
眉も父親譲りの三角眉。
ほっぺ真ん丸で、お茶を運ぶからくり人形そのもの。
黒々とした三角眉は、ちょっとしたコンプレックスでした。
物心ついてから、家族ぐるみでお付き合いのあった床屋さんに行っていました。
大人用のリクライニングシートに、子供用の椅子を乗せて、きっちり、直角のおかっぱになります。
白い陶器にフサフサのブラシ、革で剃刀を研ぎ、顔を剃ってくれます。
泡がちょっと温かく、ブラシで泡を塗られると、こそばゆく。
そこで、おばちゃんは、私の眉をこれまたきっちりと三角にして産毛を剃ります。
蒸しタオルで泡を拭いたら、綺麗な水色の蓋を開けて、桃色のつまみが付いたほわほわに、とてもいい香りのパウダーを、刈り上げたばかりの首筋にポンポンと塗ってくれます。
その床屋さんの外には、白地に黒ぶちの猟犬がいて道行く人にご挨拶。
待ち合わせの革のベンチには、猫が欠伸をしています。
ベンチ横の本棚の上には、九官鳥がいました。
一度珍しがって顔を近付けたら、低い鼻を突かれ、びっくりするやら、痛いやら。
おばちゃんちの猫が子猫を産むと、その中でも一際可愛い子が、わが家の家族になりました。
お店の奥の戸を開けて家に入ると、奥の座敷のこたつにおじちゃんが座っています。
おじちゃんは、富三郎と言う名前だけど、小さい私はうまく言えなくて、
「とみぱぷろう」と呼んでいました。
大人になっても呼び捨てでとみぱぷろうです。
とみぱぷろうは、私が行くと手を止めて、にっこり笑って手招きをして、マジックを見せてくれます。
縁側にも猫がいました。
お庭には、とみぱぷろうの盆栽と小さな池があり、錦鯉が泳いでいます。
釣りが好きだった事もあって、魚を食べるのがとても綺麗でした。
とみぱぷろうとひとしきり遊んだら、二階に探険に行きます。
俊兄ちゃんは、美大を目指していて、大きくてカッコイイ人です。
白いタートルネックのセーターを来て、絵を描いています。
隣の部屋は建にいちゃん。
私の兄と大の仲良しです。
建にいちゃんは、いつもお出かけしていて会えません。
近所のゆう兄ちゃんちに、兄共々いつもたまっていました。
おばちゃんは続子(つぎこ)と言う名前だけど、やっぱりうまく言えなくて、建にいちゃんちのおばちゃんだから、けんおばちゃんと呼んでいました。
一度、母が家出をする時に私を連れて行きました。
その時も、とみぱぷろうとけんおばちゃんのお家に行きました。
数年後、床屋さんをたたんで引っ越した時は、私たち家族も引っ越していて、年に一度くらいしか会う機会がなかったけれど、たまに行くと、とみぱぷろうは取っておきのコーヒー豆を引いて、入れてくれました。
甥っ子を連れて行くと、昔見せてくれたマジックを見せてくれました。
ここ数年は実家に帰る度に寄りたかったけれど、父の事で手一杯で、全く会えませんでした。
昨年、とみぱぷろうが亡くなりました。
建にいちゃんから連絡が来ました。
仕事がどうしても休めなくてお別れが出来ませんでした。
昨日、建にいちゃんから電話が来ました。
今度はけんおばちゃんが亡くなりました。
またお別れが出来ないと諦めていたら、明日の現場が午後からになったのと、たまたま、井尻がお手伝いに来ていたから、最終電車に間に合いました。
ありがとう。
きっと、とみぱぷろうとけんおばちゃんの計らいだろうと思います。
いま、特急しなのに乗っています。
あと一時間ほどで、とみぱぷろうと、けんおばちゃんに会えます。
駅を降りたら、俊兄ちゃんと同じ名前の甥っ子が待っててくれています。
人はみんな、家族以外にもたくさんの影響を受けて、育って行きます。
私と言う人間の一部分は、とみぱぷろうとけんおばちゃんで出来ていると思うのです。
窓の外は雪景色です。
眉も父親譲りの三角眉。
ほっぺ真ん丸で、お茶を運ぶからくり人形そのもの。
黒々とした三角眉は、ちょっとしたコンプレックスでした。
物心ついてから、家族ぐるみでお付き合いのあった床屋さんに行っていました。
大人用のリクライニングシートに、子供用の椅子を乗せて、きっちり、直角のおかっぱになります。
白い陶器にフサフサのブラシ、革で剃刀を研ぎ、顔を剃ってくれます。
泡がちょっと温かく、ブラシで泡を塗られると、こそばゆく。
そこで、おばちゃんは、私の眉をこれまたきっちりと三角にして産毛を剃ります。
蒸しタオルで泡を拭いたら、綺麗な水色の蓋を開けて、桃色のつまみが付いたほわほわに、とてもいい香りのパウダーを、刈り上げたばかりの首筋にポンポンと塗ってくれます。
その床屋さんの外には、白地に黒ぶちの猟犬がいて道行く人にご挨拶。
待ち合わせの革のベンチには、猫が欠伸をしています。
ベンチ横の本棚の上には、九官鳥がいました。
一度珍しがって顔を近付けたら、低い鼻を突かれ、びっくりするやら、痛いやら。
おばちゃんちの猫が子猫を産むと、その中でも一際可愛い子が、わが家の家族になりました。
お店の奥の戸を開けて家に入ると、奥の座敷のこたつにおじちゃんが座っています。
おじちゃんは、富三郎と言う名前だけど、小さい私はうまく言えなくて、
「とみぱぷろう」と呼んでいました。
大人になっても呼び捨てでとみぱぷろうです。
とみぱぷろうは、私が行くと手を止めて、にっこり笑って手招きをして、マジックを見せてくれます。
縁側にも猫がいました。
お庭には、とみぱぷろうの盆栽と小さな池があり、錦鯉が泳いでいます。
釣りが好きだった事もあって、魚を食べるのがとても綺麗でした。
とみぱぷろうとひとしきり遊んだら、二階に探険に行きます。
俊兄ちゃんは、美大を目指していて、大きくてカッコイイ人です。
白いタートルネックのセーターを来て、絵を描いています。
隣の部屋は建にいちゃん。
私の兄と大の仲良しです。
建にいちゃんは、いつもお出かけしていて会えません。
近所のゆう兄ちゃんちに、兄共々いつもたまっていました。
おばちゃんは続子(つぎこ)と言う名前だけど、やっぱりうまく言えなくて、建にいちゃんちのおばちゃんだから、けんおばちゃんと呼んでいました。
一度、母が家出をする時に私を連れて行きました。
その時も、とみぱぷろうとけんおばちゃんのお家に行きました。
数年後、床屋さんをたたんで引っ越した時は、私たち家族も引っ越していて、年に一度くらいしか会う機会がなかったけれど、たまに行くと、とみぱぷろうは取っておきのコーヒー豆を引いて、入れてくれました。
甥っ子を連れて行くと、昔見せてくれたマジックを見せてくれました。
ここ数年は実家に帰る度に寄りたかったけれど、父の事で手一杯で、全く会えませんでした。
昨年、とみぱぷろうが亡くなりました。
建にいちゃんから連絡が来ました。
仕事がどうしても休めなくてお別れが出来ませんでした。
昨日、建にいちゃんから電話が来ました。
今度はけんおばちゃんが亡くなりました。
またお別れが出来ないと諦めていたら、明日の現場が午後からになったのと、たまたま、井尻がお手伝いに来ていたから、最終電車に間に合いました。
ありがとう。
きっと、とみぱぷろうとけんおばちゃんの計らいだろうと思います。
いま、特急しなのに乗っています。
あと一時間ほどで、とみぱぷろうと、けんおばちゃんに会えます。
駅を降りたら、俊兄ちゃんと同じ名前の甥っ子が待っててくれています。
人はみんな、家族以外にもたくさんの影響を受けて、育って行きます。
私と言う人間の一部分は、とみぱぷろうとけんおばちゃんで出来ていると思うのです。
窓の外は雪景色です。