いやー、日記さぼり過ぎですよね。ほんと。
時間に追われているのではないのだけど
なんとなく億劫になってしまって。
ああ、そうだ、お盆のあとから日記書いてないや。
甥っ子夫婦が大阪に来たんです、旅行で。
とか
「大学辞めて声優の勉強したい!」って言ってた別の甥っ子が
大阪に引っ越して来てたんです、彼女を追いかけて。
とか
前にここにも告知した石川隆三舞台写真展がそりゃぁもう楽しかった!
とか
ここのところの現場での新しい出会い。
とか
色々と書く事はあるんですが。
親友のお母さんが、ゴミ出しのあとに自宅前で轢かれるという
とてもショッキングな出来事がありまして。
そのメールを、届いてから数時間後にようやく気づいて彼女に電話。
気が動転して、外出先から帰る時に地下鉄の階段でこけたりして。
心臓が震えるってこういう事かと。
もう二週間、意識は戻らず。
彼女のお母さんとは、名前で呼び合う仲で
この間も会いに行って来たの。
「ぴーちゃん久しぶり!」って言うといつもの返事。
「あら、かお、元気そうね」って。
偶然なんだけど、堺のお母さんと瓜二つなの。
顔が似てるから声も似てる。
芯の強さが出てるのに、印象が柔らかい。
俳句やってるとか、自然の草木が好きだとか
洋服のセンスとか、体格とか、いつも前向きで笑ってて。
先週の日曜日、会いに行こうと思っていたら
急性腸炎になってしまい断念。
身体は心と繋がっているのだね。
毎日、祈ってる。
親友は普段はNYにいて、いま帰省中。
今月大阪に遊びに来る予定を立ててた矢先。
幸い、脳の出血は治まったので望みはある。
だから祈ってる。
病気も事故も突然だ。
よく、病気だと準備期間があるって言われるけど
それは最悪のときまでの心の準備でしかない。
病気だって発覚するのは突然。
それを受け入れるまでの時間は人それぞれなんだけど。
去年届いたぴーちゃんからのハガキを読んでたら
次の方向性を決める時がきたとの連絡。
She cannot decide.
What is dignity?
同じ立場だとしたら、わたしもきっと決断出来ない。
例えそれが本人の意思でも。
奇跡を信じる。
あきらめない。
祈るしかないけれど。
ここまでが一週間前。
書いたけど、これを現場で関わる人に読ませたらあかんよなぁって思ったので
一度アップして、やめた。
彼女は決断し、意思を伝えたそうだ。
どう声をかけたらいいのかわからず、ただ会いに行く約束をした。
それまでほんの数日だけど長い時間。
でも昨日、いい知らせが届いた。
少しだけだけど目が開いたそうだ。
親友と目が合ったそうだ。
少しだけほっとしたら、急激な眠気で打上をリタイヤ。
今朝目覚めると新幹線が止まってた。
今日も会いに行けなくなってしまった。
ぴーちゃんが、まだ来なくていいよって言ってるのかも。
ゆっくり会えるようになるまでいいよ、って。
日記って自分の為に書いてるんだけど
こういう時、開示することが必要なのかどうか悩む。
明日から三重の現場に行くので、人に開示する事で私は自分を甘やかし、
昨日までの現場とのスイッチを入れ替える為だと言い訳しておきます。