壊滅的な津波被害を受けた釜石市片岸地区の被災者自らが立ちあがり、町内の瓦礫撤去、行方不明捜索を3月下旬から開始した記録を被災者自身が撮影し、それを編集しCDにまとめました。動画と写真の映像です。 そのCDを当時の片岸地区の住民が避難所としていた上栗林避難所のリーダーの柏崎龍太郎さんから頂きました。 ねおすの札幌本部事務所に戻り観ました。
映像としては限られていています。
TVで流れる編集されたニュース映像と違います。
その被災地に住む人が、その地に住む行方不明者を探し、今では「瓦礫」とは総称してしまう・・、生活の場を破壊した津波の惨状の中で・・・、自分達の生活の場(地域)を懸命にかたずけている現場を、そこに住む人がビデオを回し撮った映像です。
発災する直前まで日常生活があり、自分達が住んでいた「まち」が、あの大津波をうけ、倒壊では言い表せない・・、メタメタに破壊されて止まっている惨状、状況の中で・・・・、津波に揉まれて潰れ、砂に埋った車や家屋を引き揚げる映像が延々と映しだされます。 重機の先端の巨大なハサミが半分砂に埋まった自動車を引き上げようとする映像です。 何度も何度もつかんでは離れ落ち・・、それでも何度でも何度でも挟んで持ち上げようとする映像です。
そして、やっと地面に持ち上げらた車や家屋の周りに作業をしていた住民が集まります。行方不明者を探しています・・・・。
重機を操作しているのは片岸の住人・・・、探しているのも地域住民、自衛隊でも、機動隊でも・・、地元業者でもありません・・・。
行方不明者を探しているのも被災し自らも避難所に身を寄せている町内会住民・・・・。
釜石市片岸復地区災害復旧対策協議会。
町内会の住民による活動でした。重機を市に交渉し手配し、道具を手当てして作業をしました。あの時の状況を知っているので、全てを失くした中で動き始めた人々の驚くべき地域コミュニティ力です。 片岸町の住民の多くが上栗林の避難所にいました。
観ていて・・・涙をこらえるのが・・・事務所内だったので・・・たいへんでした。
凄いコミュニティ力!
聞き取りをしています。 3月13日に現地に入った私としては、3月下旬の片岸地区の状況を見ています。当時の状況を知っています。
片岸地区災害対策協議会のネームを貼った軽トラも観て知っています。 その燃料、ガソリンも支援しました・・・・。 ズック靴で沿岸に行っているのがわかり、ジョイと一緒に長靴も手に入れて持って行きました・・・。 ふったやせっけんのねおす第3陣、火の玉小僧と異名をとった山梨県から燃料積んで走って来た加藤大悟さん等が命をかけて運んだドラム缶燃料でした。
でも・・・、片岸地区の住民自らがこれまでの救助、復旧活動は知りません・・・わかりませんでした・・・・あの時は・・・、
あれから・・・9か月もたって・・、今日・・、知りました。
敬服・・感服・・超越・・、あたしには みつける言葉がないほどに、感動している・・ 夜です。
人間って凄い・・・・ あたしも人間だろうか・・・
たかぎ・・・。