昨年、病院に入院してから一年が経過した。
双極性障害(躁うつ病)ではよくある話であるが、当初5年間位ボクの病気は「うつ病」と診断を受け、抗うつ剤と眠剤を処方されていた。
まじめに治療を受けていたが、地元に戻りあるクリニックにかかるようになったとき、その医者発言がボクの心に引っかかりを感じるようになり、診療を拒否する様になった。いま考えるとそれは双極性障害でよくあるイライラの症状のためであるとも思うのだが、一方ではその医者とは相性が悪かったとも思う。「双極性Ⅱ型」かもしれないと受診拒否をしだしたボクにその医者は言ってきて、処方も変更してきたのだが、薬は一般的な双極性障害への処方とは異なっており、症状も改善しなかった。元九州大学の神田橋先生が指摘するように、軽躁にしろ躁転にしろ病者への眼差しにその医者は問題であったように思う。ボクにとってその医者は「顔なし」に見えた。
よく臨床心理学などで、心理士はクライアントの「鏡」になることの必要が強調されるが、一方で、単なる「鏡」であるならば、あえて心理士が対面する必要があるのかという問いも出てくる。禅をしたり自己省察でよいのではないかという話になってしまう。
人格的な「鏡」であるからこそ、そこに内省が生じてくるのではないか。
現在、ボクが診察を受けているクリニックの医者は人格丸出しである。少なくともボクにとっては人格丸出しのいまの医者の方が合っている。その医者は精神医療の世界で言えば「馬鹿な医者」であるので、徹底的にクライアントの話を聞く。始めの頃は診察が30分を越えるのは当たり前だった。診断書を書くときも、しばしば精神医療の世界では病名を書いた数行のものが多いが、うちの医者は患者を同席させて目の前で診断書を書く。しかも診断書の欄外にも書かなくてはならないほど詳細な診断書を書く。そしてその内容を患者に読み聞かせ同意を取る。これまた時間がかかる。
普通、精神科クリニックでは「5分診療」などとよく言われるが、うちの医者にはその言葉はまったく当たらない不適当な言葉である。
不思議なことに、去年の入院から次第に症状が安定してきた。あれほど強かった希死念慮もかなり減っている。30分以上毎回診察していたが、近頃では10分くらいの時間に減ってきている。
自分に合った医者、あるいは適切な治療努力というものが如何に大切かを、入院から一年経って思い知らされている。
ちょっと文句があるとすれば、多少の副作用が残っていることである。まあ、これは仕方がない。手の震えや頭が回転しないことなどあるが、躁状態やうつ状態になることを防ぐ薬を飲んでいるのだから。
一生付き合っていかなければならない病気ではあるのだが、その病気と共生していくことは不可能ではないと最近思っている。