最近、病状が安定しているわけではないのだが、自分の精神状態を見ることが少しだけマシになっている気がする。
これは「コントロール」ということばより「サーフ」という言葉の方が自分の感覚に近い気がする。
「コントロール」はどちらかというと主体が自分にあり、自分の支配下に病気を置いたりねじ伏せたりすることのように感じる。
「サーフ」とは以前あそびでちょっとだけやったことのあるボディー・サーフィンの感覚である。
本当のサーフィンはもっと奥が深いのだろうけれど、ボディー・サーフィンでも波に乗れるか乗れないのか、巻かれるのか巻かれないのかという感覚はあったように思う。
相手は「波」なのだから、自分のコントロールの下に置くことなどできるはずもない。まして遊んだのは外海である。外海を見て暮らしていると、江ノ島あたりの波は本当に小さく見える。
大切なのは自然(波)に逆らわないことで、よい調子のときはよい調子なりに注意をして、悪い調子のときには悪いなりにその波に乗っていく必要がある。たぶんその見極めが悪いときなら悪いなりに過ごせるか変化してくるのだろう。
タウカンとかサーフィン系によく使われる太極図(陰陽魚)はそうした陰と陽のサーフをよく表しているのだろう。
以前から道教や太極図のことはずいぶん考えていたことだが、陰と陽の両方が存在しているのが自然なことなのだと思う。どちらか一方を強調しすぎたり(そういえば昔「根明」なんてことばがあった)、どちらかを否定的に捉えすぎたりすることに、不自然があるのだろう。そしてその二つは常に変化を繰り返している。
夜のない朝はない。朝のない夜もない。
陰も陽も自然の一部であり、人間はその自然の中に生きているし、その自然は人間の中にも存在するのだろう。
双極性障害ももともとは自然な人間の一部分が、脳の異常だったり、世の中の移り変わりでストレスが増えたり、社会に受け入れる余裕がなくなったりして起こっているのかもしれない。
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