netton女王さまのメモメモ日記 -2-

日常の喜怒哀楽をおもしろおかしくnetton女王さまの性格そのままに・・・

やましたひでこ【断捨離メルマガ】 より

2015-10-01 | 私が出会ったいい言葉
2015年10月1日の今日、普段は何気なく通り過ぎているやましたひでこさんのメルマガを真面目に読みました。
そこここに感じるものがあって、反省させられました。
やましたひでこさん 有難うございました。



FROM やましたひでこ

おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。

神無月一日、木曜日。

今日から十月。

書店には、すでに来年の手帖や
運勢の本が沢山並んでいて、
通りのショウウィンドウには、
あたたかそうな冬のコートのディスプレイ。

秋分が過ぎて、朝晩の空気はいくらか
冷たくなったけれど、
日中は冷房が効く場に居て、
アイスコーヒーを飲む時もある。

そうですね、いったい、今の私は、
どんな季節にいるのか、
頭でも身体でもわかりにくくなっているよう。

はてさて、夏から一気に冬になってしまうのか。

今、秋そのものを愉しむためには、
どうしたものかと、
少しばかり思いあぐねる十月の始めの日です。


◇◇◇◇◇


つくづくと思うこと。

キープとケアは、違うということ。

そして、

モノを取っておくことと、
モノを捨てることとは、
なんの違いもないということ。

そう、もしも、キープしているだけで、
なんのケアもせずに放置しているのであるならば。

まして、押入れに突っ込んだまま、
そのモノの存在を忘れてしまっているなら、
それは、もはや存在しないと言ってもいい。

そのモノが自分の意識の外に
出て行ってしまっているといこと。
イコール、そのモノが、
家の外に出て行ってしまっていること。

つまり、そのモノは、「捨てた」も同じ。

言いかえるならば、
ゴミ捨て場が、家の中、押入れに
引っ越してきたようなもの。

けれど、私たちは、「捨てられない」と悩む。
けれど、私たちは、捨てるなんて、「もったいない」と言う。

すでに、「押入れ」という
「ゴミ置場」に棄てているにもかかわらず。

ケアのないキープ、つまり、ただの保管は、放置。
そして、その放置は、放棄であるということ。

保管
放置
放棄

この違いを、私たちは、もっともっと
見極める必要がありそうですね。

だって、保管の名のもとに、
放棄されているモノたちが、
家の中のいたるところに、じっと堆積、
棲息しているのだから。

さあて、今日のあなたも、
「ほったらかしてある」モノたちを、
「見捨ててしまった」モノたちを、

断捨離で、ちゃんとレスキューしてあげて下さいね。

そして、どうぞ、素敵な十月のスタートを
きって下さいますように。