レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討 No5
5.「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」
「新しい不登校対策」の正式の名称は「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」である。そして、その対策の柱の1つが「学びの多様化学校」である。
「誰一人取り残さない」は、2015年の国連総会で採択されたSDGsの前文に記された言葉である。
「ともに持続可能な世界へ向かってこの旅をはじめるにあたり、だれひとり取り残さないことを誓います。」
これは、主体者が主語になっている。「私たちはだれひとり取り残さない」という決意の表明である。また、「新しい不登校対策」の基となった中教審答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」にも、「誰一人取り残さない」が使われている。しかし、「新しい不登校対策」では、「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」のように「誰一人取り残されない」が使われている。
「誰一人取り残されない」の主語は何か。
NPO法人「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星さんは、「ほんとうに助けが必要な、取り残されている側の目線に立った言葉であるべきだと思う。」 だから、「誰一人取り残さない」ではなく「誰一人取り残されない」を使うほうがいい主張されているように、「誰一人取り残されない」の主語は、助けが必要な、取り残されている側の人たちである。不登校対策でいえば、不登校の子どもたち自身が主語になる。
今やだれもが耳にし、よく使われている言葉であり、しかも、耳障りの言い言葉だからすっと受け入れてしまいそうである。しかし、注意深く、もう一度、「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」を言葉にして読んでみよう。この不登校対策を行う実施主体は文科省であり、教育行政である。教育行政が行うべきことは、不登校がなぜ起きるのかという不登校問題の本質を解明し、不登校問題を根本的に解消していくことである。そういう立場だったら「誰一人取り残さない」という文言を使うだろう。
しかし、「誰一人取り残されない」の主語は不登校の当事者の子どもたちである。文科省に改めて言われるまでもなく、不登校になった子どもたちの多くは、自らの力で自らの進路を切り開いてきたし、切り開いている。(野中執筆・レポート「不登校問題の真実」参照)
文科省が「誰一人取り残されない」と言っている「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」とは、「学びの保障に向けた対策」である。「学びの保障」とは何か。それは、「学びの場」であり「学びの環境」を保障するということである。それは、つまり、場所=学校や環境=ICTの保障である。「学びの場」として、不登校特例校、教育支援センターや校内教育支援センター、そして、1人1台端末やバーチャルフリースクールなどのICTを活用できる環境の整備などである。
「学べる場」や「学べる環境」は整備するから、きみたちは「誰一人取り残されないよう」ように頑張りなさい、というのが「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」なのである。
「巧言令色少なし哉仁」 かつて孔子は言った。
優しそうな言葉に惑わされてはならない。これまで、不登校の子どもたちに見向きもされなかった施策を美辞麗句で飾って装いを改めても、子どもたちの心に響くかどうか。