いわきアッセンブリー教会ブログ 

恵みをシェアするブログ

キャンドルサービス

2020-12-23 | 日記
クリスマスおめでとうございます!

今年はコロナウイルスが世界中の人々に闇をもたらしたと言えるでしょう。
また、他にもそれぞれが抱えている闇もあるなかで、
教会のクリスマスは、光で照らします。

どんな高価な物でも、どんなおいしい食物でも、受けることのできない
愛と希望と喜びと感謝のときを過ごしませんか。


「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」聖書

24日キャンドルサービス 午後6:00~ 中岡町5-12-5
どなたでもお出でください。

メリー・クリスマス!!

わたしの傍らに立つ主

2020-09-25 | 日記
娘と「もし・・」という言葉遊びをしています。
もし、パパがおもちゃだったら。
もし、鳥だったら。もし、太陽だったら。

娘の返しは、私の先入観を壊し物事を多面的に見る大切さや、イメージすることの楽しさをも教えてくれます。

先入観や偏見を壊せるとそれまで見えていなかった真実を知ることがあると思います。
例えば、対人関係において自らの思い込みと偏見で相手を否定し、傷つけるようなことがあります。しかし、真実は違い、あとで
後悔するようなことがよくあります。

私は苦難の中で、それまでの主キリストに対する先入観や偏見を壊され、私を愛し、救い、養うお方であることを体験することができました。
これからもさまざまな苦難が訪れるかもしれませんが、どんなときにも共にいてくださり、わたしを生かし、祝福してくださる
お方といつも「身近に」歩んで行くことこそ、自分を守り、人生が豊かになると信じます。

世の中の人々は、幸せを追っかけ、自分で掴み取ろうと必死に歩んでいます。たとえ、幸せと思えるものを掴んだとしても
失う不安と恐れが心に満たされたりすることもあります。また苦難がすべてを取り去っていくこともあります。
それによって、生きる希望、力を失う人がなんとたくさんいることでしょう。

主キリストと共に歩む人生は、いつも失うことの不安のある幸せを掴み取ろうと追っかけ続ける人生ではなく、
心に喜びと感謝と希望と力が溢れてくる関係です。主のいつくしみと恵みが追ってくる人生なのです。


23篇
ダビデの賛歌
1 主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

いのちの輝き

2020-08-27 | 日記
軒先の「ミニミニトマト」。
妻が買って来たときは、「なぜミニミニなの?」という思いでした。
なぜなら、もっと大きいサイズのほうが味わえるからだ。

我が家に来てすぐに梅雨に入り、長雨で一時は枯れそうになりましたが、その後、梅雨も明けて
徐々に復活し、熟すことができました。水やりしたり、関わった実は、やはりとても小さかったのですが、
とても輝いて見えました。

コロナやさまざまな困難の中で、小さき者(弱者)のいのちが差別や人権侵害されない世になることを心から願います。


私たちは、社会で地域で小さな者(弱者)があちらこちらにいることを知っています。
子ども、老人のほかにも社会的弱者(貧困、少数派等)が
痛み、苦しみ、つらい思いをしている小さき者がいるのです。そういう人々に対し、まず注意深く
見ることが必要です。それは、他者ではなく、自分の心をまず注意深く見ることからです。
なぜなら、差別する可能性は誰にでもあるのです。いつも心を注意深く見張る必要があるのです。


わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。
偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。 聖書(箴言4:20-24)

小さき者のいのちに輝きを見いだせる人は幸いな人だと思います。




できることを

2020-04-30 | 日記
新型コロナウィルスの長期化で、今後、病気そのものだけではなく、
さまざまな悪影響も深刻化してきているように感じているのは皆さんも同じでしょう。

日本赤十字社は新型コロナウィルス感染症は三つの顔があると言っています。
一つは、病気そのもの、二つ目は、不安と恐れだそうです。
ウィルスは目に見えず、ワクチンも開発されていません。
今後の見通しもつかない状況等、不安と恐れが強くなってしまうようです。
その不安と恐れにつけこまれ、悪質なうわさ、フェイクに振り回されてしまう事件があちらこちらで発生しています。
不安と恐れが強くなると、気づく力、聞く力、自分を支える力が低くなるそうです。

三つ目は、不安と恐れが強くなると、差別、嫌悪、が表面化するというのです。


コロナ禍において人間にとって大事なことは何か。

この困難なときに同じ場所で共に生かされている人々。
明日は我が身かもしれないいのち。自分も、他者も、
明日私は死ぬかもしれない。そう思うと、誰かを
傷つけることより、赦し、愛し、生かすことを選ぶ歩みをしたい。


一人ひとりが不安や恐れから自由にされ、
自分らしく、最後まで生き抜くことができますように。





いのちに対するメッセージ

2019-12-28 | 日記
デニ・ムクウェゲ氏という人をご存じでしょうか?

コンゴ民主共和国(旧ザイール)の婦人科医で、長年、性暴力被害者の治療に携わってきた人で
2018年、ノーベル平和賞を受賞。これまで4万人の女性の治療が認められたとのこと。

ムクウェゲ氏は、弱者を踏みにじる行為は相手を思いやることができないからであり、平和な時に相手も自分と同じく
大切な存在であることを教えなければならないと発言していました。

どのようにすれば、相手を尊い存在と思えるのだろうか。
自分と違う価値観の人、自分より弱い存在の人を尊重し思いやる心は、結局、自分と向き合えない人は
真に人を大切に思うことはできないのです。
自分の利害や欲など、そういうものに負け、弱者を踏みにじることを何とも思わなくなってしまうところまで
してしまうのが人間です。

相手も同じ人間であり、尊いいのちと思うことができるだろうか。少なくとも私は、
神様が一人ひとりをオリジナルにかけがえのない存在として生かしているとそう信じられる時にこそ、
相手を思い、赦し、愛して行けると、心底実感しています。



もう一つ、このムクウェゲ氏の言葉で印象深く残ったのは、被害女性は治療を受けて、
家庭や社会に戻っていくのですが、そこで多くの女性が「リーダー的存在」として戻るのだということを聞き、
この言葉に常識的に「驚く」という反応をした。
なぜ、、、心にトラウマ的な深刻な被害を受けた人が、人々に影響を与えるリーダー的な存在として
回復することができるのかと。

具体的にどのようにして変えられていくかというところをもう少し聞きたかったのだが、
少なくとも、過去が消え去るということではなく、新たな力によって変わることだと言っておられた。

考えさせられることが多き人であった。

番組では、ムクウェゲ氏が最後に広島を訪れ、戦争の爪痕を見て回るなかで、原爆で地上の木は失い、
根だけが残った木であったのだが、見事に回復し、枝も葉も豊かで、立派な木を見、
どんな状況であっても「希望」があるのだとメッセージを受け取っていた。

私の根っこは何だろう。 
あなたの根っこは何か。あなたが行き詰った時、躓き倒れたとき、立ち上がることのできない状況で、あなたを回復させ、
真に希望をもたせることができるものなのだろうか。一年の終わりと、新たな一年を迎えるにあたって、
考える価値があることだと私は思う。ムクウェゲ氏のように、「沈黙ではなく、弱者と生きるために何ができるだろうか?」