江戸幕府は1636年(寛永13年)に、寛永通宝の鋳造を開始し、670年ぶりに政府による貨幣が復活しました。
寛永通宝にもいくつか種類があり、まず裏面に文字のない一文銭、裏面に文の字が入っている一文銭(文銭)です。これらは小判一枚(1両)に対し4000枚(4貫文)で交換されました。
なお、文銭は、1668年(寛文8年)に鋳造が開始され、15年ほど製造されました。1673年に年号が延宝となったため、それ以降は裏の文字なしで鋳造されました。
また、1739年(元文4年)頃には、銅の不足により鉄銭も鋳造されるようになりました。
1768年(明和5年)には裏面が青海波模様の四文銭も発行されました。四文銭も21波のものと、1769年(明和6年)から発行された11波のものがあります。鋳型からの抜けを良くするために変更されたものです。