時間

いろんな時間です。仕事の時間。休みの時間。散歩の時間。今は定年退職しています。
気ままな時間。良い出会いができる時間。

今日のコラム

2014-05-26 06:02:19 | Weblog

☆ 5月26日(月)東名高速道路全通記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月26日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

不要なものはない

 みなさんは、いろいろな立場にお立ちになっておられると思いますが、私はどんな立場でも、この立場はいけない、この仕事はまずいということはないと思います。どの仕事が必要でなくて、どの仕事が必要であるということはないのです。この世に存在するものは、すべて必要である、というように考えていただきたいと思うのです。

 そしてそうした考えに立って、要は自分には何が適しているか、何が向いているか、自分はどういうところに自分の使命を見出し、そこに打ち込むべきであるかということを、みずから考え、そしてそこに信念を持つことが大切だと思います。


【コラム】筆洗

2014年5月25日東京新聞TOKYOWeb
 
▼十八日付小欄で延命治療について書いた。過剰な延命医療を批判する医師の石飛幸三さんの考えを紹介した。「それは本当に親のためなのか」。そう書いた

▼「心の葛藤を理解できますか」。金沢の女性から手紙をいただいた。衰えていく母親が気の毒で、悩んだ末に胃ろうをつけた。延命医療を疑問視した小欄を読んで、非難された気になったという

▼名古屋のある女性もやはり義母が延命治療を受けている。「断罪されることは悲しい」と手紙に書いていらっしゃる。手紙は二通だったが、一生懸命に世話し続けている人の気持ちを傷つけた。申し訳なかった

▼親の最期。みんな悩んでいる。石飛さんの父親は延命医療を嫌がったが、約束を破って気管切開をした。その時の「心のしこり」で延命医療について考えるようになった。筆者の母親は「どんなことをしても一日でも長生きしたい」と考えていたようだった。その願いを踏みにじって、すべての延命医療を拒否した

▼親を思わぬ子はいない。その前提に立てば、延命治療をするかしないか、どっちの「決断」も非難されるべきものではない。どっちも正しいはずだ

▼書いたのは、これから決断する人へのひとつの考え方と、家族の間でこの問題について話し合っておくことの大切さである。誰かを非難する気もないし、あの時の判断に今も悩む自分にその資格はない。


昨日のカープ

カープVメール

25日マツダスタジアム、カープ3―1西武、勝ち投手バリントン6勝4敗、セーブ・一岡1勝1S、本塁打ロサリオ3号、白浜1号 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆


5月25日(日)のつぶやき

2014-05-26 02:19:17 | Weblog

今日のコラム

2014-05-25 06:15:36 | Weblog

☆ 5月25日(日)広辞苑記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月25日松下幸之助 一日一話(松下幸之助.COM)

社長は徳、副社長は賢

 人の組み合わせというのは、微妙なものだと思う。たとえば、会社の場合、非常に優秀な二人の経営者が社長と副社長になっても、相性が悪いとうまくいかないものである。

 総じて、どの会社でも、社長が積極的で、副社長は女房役といったところが多いが、原則としては最高首脳者はおだやかで、次席がバリバリやる方が望ましいようだ。つまり経営者の組み合わせとしては、社長はお人柄で、副社長は実行力に富む、といったあり方が安定感があるように思う。

 王は徳をもって立ち、その下に賢相がおれば、物事が徳望によって行なわれるという。企業の経営についても同じことが言えるだろう。



【コラム】筆洗

2014年5月24日東京新聞TOKYOWeb

▼伝説的な戦場カメラマン、ロバート・キャパは一九四三年の秋、第二次大戦のイタリア戦線にいた。激戦の末、群衆の歓喜に迎えられつつたどり着いたナポリで彼は、学校の前にのびる列を目にする。それはドイツ軍への抵抗運動に身を挺(てい)し、命を落とした少年らの葬儀だった

▼校内には二十の棺(ひつぎ)が安置されていた。粗末な棺は小さすぎて、かわいい足がはみ出していた。かつてはファシストをたたえ万歳を叫んだであろう大人たちの歓迎の声より、その小さな足こそが自分を出迎えてくれたのだと、キャパには思えた

▼脱帽してカメラを取り出した彼は、最後の棺が運び出されるまで撮り続けた。名作『ちょっとピンぼけ』にキャパは書いている。「この飾り気のない小学校の葬式でうつした写真こそ、戦いの勝利の一番の真実を示すものであった」

▼眼前で苦しむ人がいるのに、自分は記録することしかできない。そんな葛藤を抱えながら、キャパは戦争の真実に肉薄しようとした。文豪スタインベックは彼の写真をこう評している。「一人の子供の顔の中に、あの民衆全体の恐怖を示した」

▼スペイン内戦からインドシナ戦争まで五つの戦争を追ったキャパは、ちょうど六十年前の五月二十五日、地雷を踏み四十歳で逝った

▼きょうもあすも、紛争やまぬ世界のどこかで、小さな遺体が粗末な棺に納められてしまうのだろうか。
 
☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆


5月24日(土)のつぶやき

2014-05-25 02:19:29 | Weblog

今日のコラム

2014-05-24 05:41:32 | Weblog

☆ 5月24日(土)ゴルフ場記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月24日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

世間に聞く

 誰しも日々の仕事の中、生きていく中で迷いは生じるもの。いくら仕事に生きがいを感じていても、それを進めていくにつれて迷いが生じます。では、その迷いをどう解決するか。

 私は広く衆知を集めればいいと思います。広く世間にそれを求めればいい。世間は道場、人間錬成の道場です。大きくは社会に、小さくは同僚、友だちに尋ねればいい。そうしていくことによって、そこに自分の具体的な活動の形が求められてくる。尋ねて答が返ってくる場合もあるでしょうし、返ってこない場合もあるでしょう。しかし、ある程度は返ってくる。不十分ながらも返ってくる。素直な心で求めることだと思います。


【コラム】筆洗

2014年5月23日東京新聞TOKYOWeb
 
▼SFの巨匠アイザック・アシモフが、二十一世紀を舞台にした小説の中で「ロボット工学の三原則」を明示したのは、一九四〇年代のことだ

▼ロボットの人工頭脳に刻まねばならぬ三原則のうち、最も重要な第一条とは次のようなものだ。<ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない>

▼しかし時の政府は極秘裏に、この大原則の一部を変えて刻んだロボットを世に送り出す。力も知力もまさるロボットが人間に歯向かいうる事態に、どう対処するか…そんな短編も『われはロボット』(早川書房)に収められている

▼「三原則」が示されてから、七十年余。国連欧州本部では先週、自らの判断で敵を殺す「完全自律型殺人ロボット兵器」の規制について議論する初の専門家会合が開かれた。その手の兵器が、近い将来に開発されるとの危機感からだ

▼会合を前に、ノーベル平和賞の歴代受賞者らは「殺人ロボットは戦争を全面的かつ永遠に変貌させ、新たな軍拡競争を招く」との声明を出して、殺人ロボットの開発を早々に禁止するべきだと訴えた

▼そもそも自律型ロボットが罪を犯したら、誰が責任を取るのか? 管理者か、ロボットの製造業者か? この難問に答えられぬようならば、ここはやはり「ロボット工学三原則」の出番ではないだろうか。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆


5月23日(金)のつぶやき

2014-05-24 02:17:01 | Weblog

今日のコラム

2014-05-23 06:25:37 | Weblog

☆ 5月23日(金)
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆


5月23日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

社長は心配役

 社長というものは、従業員が一万人いれば一万人の心配を背負っていくものです。ですから、心配で夜も眠れないというときもあります。眠れないからつらい、苦しい。しかし、そのように心配するのが社長の仕事なのです。そのために死んでも、それは早く言えば名誉の戦死ではないか、そう考えるところに社長としての生きがいも生まれてきます。

 社長が心配しないでのんびりやれる会社などあり得ない。眠れなかったり、煩悶したりしている姿こそ社長の姿で、そこに社長としての生きがいがある。そういう考え方に立つことが、激動の時代である今日の経営者には求められているのではないでしょうか。


【コラム】筆洗

2014年5月22日東京新聞TOKYOWeb
 
▼同じ言葉でも発声する音の大きさやテンポなどによってその意味やイメージは大きく変化する。例えば「夏が来た」と口にしてみる

▼「声を抑え、低く、ゆっくり」と読んだ場合、本来、特別な感情のない「夏が来た」は悲しく聞こえる。逆にテンポを速める。声の大きさ、高さを上げて、大きく変化を付けた場合はどうなるか。同じ言葉でも「怒り」の感情が聞こえてくる。感情表現の韻律的特徴による効果。日本音響学会の「音のなんでも小事典」に教えられた

▼米軍機と自衛隊機の爆音、高い音、激しい変化を伴う音。厚木基地周辺の騒音被害に苦しむ住民が夜間に早朝に耳にしているのは「怒り」の感情である。「怒り」の音が、心と身体を休める眠りを、家族の温かい会話を奪う

▼「第四次厚木基地騒音訴訟」の横浜地裁判決は自衛隊機の夜間飛行差し止めを命じた。飛行差し止めを初めて認めたとはいえ米軍機の飛行差し止め請求は却下。騒音問題の根本に米軍艦載機の離着陸訓練がある以上、生活の大きな改善は見込めぬ

▼<體内(たいない)を抜ける爆音基地展(ひら)く>三谷昭。爆音は住民の体内を通過し続けていく。厚木基地のマッカーサー元帥の銅像。台座に「日本の民主主義の生みの親」とある

▼そこに住みたい人を政治が苦しめる。これが民主主義なら「声を抑え、低く、ゆっくり」と発声すべき「民主主義」であろう。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆


5月22日(木)のつぶやき

2014-05-23 02:16:42 | Weblog

今日のコラム

2014-05-22 06:11:22 | Weblog

☆ 5月22日(木)国際生物多様性の日
 お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月22日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

感心する

 同じように人の話を聞いても、「なかなかいいことを言うなあ」と感心する人もあれば、「なんだ、つまらない」と思う人もいる。どちらが好ましいかというと、もちろん話の内容にもよるだろうが、「いいなあ」と感じる人の方により多く、その聞いた話の内容から仕事に役立つような何かヒントを得て、新しい発想をするといったようなプラスの価値が生まれてくるだろう。ちょっとしたことだけれども、人生とか事業の成否のカギは、案外こうしたところにあるのではないかと思う。人の意見を聞いて、それに流されてはいけないが、お互いにまず誰の意見にも感心し学び合うという柔軟な心を養い高めていきたいものである。

【コラム】筆洗

2014年5月21日 東京新聞TOKYOWeb

▼幸せなら手をたたこう」の発売は一九六四(昭和三十九)年五月。半世紀である。坂本九さんが歌い、ヒットした。小学校の遠足でも、よく歌われていた。「手をたたこう」の歌声に続いて「ぱん、ぱん」と手拍子を入れるのが「決まり」である

▼この歌に関係するちょっとした事件があった。昭和四十年代の話。泥棒が家へ忍びこんだ。家人に見つからないよう隠れていたところ、テレビから九ちゃんの歌が聞こえてきた。「たたこう」の声に思わず、「ぱん、ぱん」と手をたたき、御用になったという

▼立川談志さんが『現代落語論』の中で実話として紹介している。「世知辛い世の中にこんな間が抜けた楽しい奴(やつ)はまたとない」

▼同じ、自分の「失敗」でばれてしまった話でもPC遠隔操作事件の方は笑えない。「真犯人」のメールを発信したのは無実を訴えていた片山被告。これでは言い逃れはできず「投了」となったか。スマートフォンを埋めた「穴」は文字通りの「墓穴」である

▼心にやましさを隠した人は偽装に走る。悪事が露見しないか。もっと上手にごまかす方法はないか。ところが、ごまかせば、ごまかすほど、話はいびつになる。悪事はやっぱり発覚するのである

▼偽装について母親を心配させたくなかったというが、考え違いで、母を思えば、早く真実を告白すべきだった。親孝行の「決まり」である。
 
☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆


5月21日(水)のつぶやき

2014-05-22 02:18:28 | Weblog