運のいいことに・・・ . . . 本文を読む
太田南畝の頃のひとです。年令は南畝よりもはるかに上のひとですが、
いわば狂歌の先輩筋にあたります。
今の新宿のあたり、内藤新宿の辺で煙草業を営んでいましたが、
教養も相当あり武家の子供に学問を教えていたとか言われています。
当時の教養である漢文や和歌に長けていて平賀源内とも親交がありました。
何故この人物のことを取り上げたかというと、太田南畝のことについて
調べているとこの平秩東作という人 . . . 本文を読む
先日歌舞伎の初世団十郎が舞台で刺殺されてことを書いて、
その後ですぐ何か思い出したのですが,何だかはっきり分からず
じまいで、今日になってやっと思い出すことが出来ました。
キーワードは「初世」と「刺殺」でした。
豊後節の流れを組む浄瑠璃、清元節の創始者である初世清元延寿
太夫(1777~1825)も実は刺殺されているのです。
これが思い出せなくて。もうイライラでした。
富本節から出て清元節 . . . 本文を読む
太田南畝の随筆である「俗耳鼓吹」を読んでいたら、語呂合わせの
遊びについてのところで、面白いのがありましたのでちょっと触れて
見たいと思います。
地口変じて語路となる。語路とは、詞続(ことばつづき)によりて、
然もなき事の、其ときこゆる也。たとへば、
九月朔日(ついたち)いのちはおしし
「河豚はくひたし命はをしし」と響の聞ゆるなり。
市川団蔵よびにはこねえか。
「うちから誰ぞ . . . 本文を読む
久々のアップです。もうバタバタしてタテコンでいたものですから
全然時間がさけませんでした。
前回「千早振る」で狂歌が出て来ましたので、あれからずっと何か
面白い狂歌でもないかと探していたのですが、狂歌狂詩の天才と
いえばやはりこの人以外にはなかろうと思います。
江戸時代に狂歌師として名をはせた太田南畝です。
このひとは江戸の生まれで父親が御徒職についていたため本人も
そのあとを継いでいますが、 . . . 本文を読む
「千早ぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くぐるとは」
これは在原業平の歌で百人一首に収められています。
昔正月にひとが集まると百人一首のカルタ取りを良くやったもの
ですが、「大江山~」と同様、「千早ぶる~」と読み切らないうちに、
下の句の札にはあっちこっちから手が重なり合うほどの人気札でした。
この「千早ぶる」は落語のネタにも取り上げられていて、御馴染みの
長屋の人間がこの歌の意味が解らず . . . 本文を読む
私の勤め先は大手町にある。そこから週に2回ほど築地に出ていく。
といっても河岸ではない。単なる仕事先である。
先日新大橋通りのひとつ裏通りに桂川甫周の屋敷跡という石碑を
見つけた。東京三菱銀行のすぐそばにその石碑はあった。
桂川甫周といえば江戸時代中期の奥医師で杉田玄白の弟子である。
江戸へ米を運ぶ途中で時化にあいロシアまで流され、10年余の後に
日本に帰って来た大黒屋光太夫のロシア滞在記” . . . 本文を読む
”お気にいり”というほどでもありませんが、好きな江戸の歴史の
一幕を垣間見るのに役にたっています。
現代の東京の中にいまだに江戸の姿を留めているものを発見した
ときはちょっとした感激です。
また長年疑問だったことがこの本で解決したりするとうれしいもの
で一人で悦に入ってしまいます。 . . . 本文を読む