昔、むかしの写真ですね。薬局だそうです。渋すぎッ!
(何故かハワイ島に移住した日本人家族の写真を思い出させます。)
メンソレータムでお馴染みのリトルナースを追いかけて、さらに
調べてるうちにこんな本に出っくわしました。
「広告キャラクター大博物館」
地味にリトルナースの絵が右下に。
昔のなつかしい商品マークやグッズ、キャラクターの謂れや歴史が
書かれていて、昭和の時代をそこから垣間見ることができます。
今でも見るもの、今じゃもう見かけないものなど、なつかしい品物が
たくさんでています。
以下この本からの抜粋です。
アメリカメンソレータムの見本市のブース。1920年です。看護婦さんですね。
さて、肝心のリトルナースですが、この本によりますと「(メンソレータ
ムは)明治中期にアメリカで生まれ、大正初期に宣教師の手によって
日本に紹介された。しかし、ナースちゃんの誕生は戦後のことで、日本
での製造元が、キリスト教精神に基づいた企業であること、家庭向き
の常備薬であることなどから、赤十字と子供のイメージをミックスさせて、
”小さな看護婦さん”が出来上がった。しかし、「あえてテンプルちゃん
の似顔は避けた」(デザインした今竹七郎氏)はずが、モデルはテンプル
ちゃんとの噂が広まり、今日まで。」
とあります。さらに「アメリカメンソレータム社の戦前の宣伝ポスターが
あることから、それがテンプルちゃんではと推測される。」
と結んでいますが、1917年のメンソレータムにはすでにリトルナースの
絵が登場していますので、子役で有名だった1928年生まれのシャーリ
ーテンプルの生まれる以前からリトルナースの絵は使用されていることに
なります。誰か別に子供のモデルでもいたのでしょうね。それで日本に輸
入され近江兄弟社が製造販売するに至るのですが、今竹七郎氏が言う
には、「テンプルちゃんの似顔は避けた」とありますので、リトルナースは
シャーリーテンプルがモデルじゃなさそうです。噂で世間に誤って伝わって
いった、というところでしょう。今となっては判りませんが。
兎にも角にも、シャーリーテンプルの人気は子役時代から有名でしたし、
日本でも知らないひとがいないくらいでしたから、西洋人の可愛い女の子の
イメージ作りには最適だったのかも知れないです。何でもかんでもテンプル
似にしておけばヒットしますからね。
因みに、シャーリーテンプルはホノルルのアロハシャツメーカー「むさしや」
の顧客のひとりでもありました。
リトルナースのメンソレータムは人気商品ですから、当然近隣諸国にパクリ
ものが出ます。ナースデザインはそのままで、韓国人看護婦にしたもの、
台湾人の看護婦になっているものなど類似品もいっぱい。「面速麗美膏」
- メンソレーミタームとは恐れ入ります。
どんなものにも歴史がありますね。この本はそんな忘れられた歴史を
思い出させてくれます。
懐かしいと言えば、昔良く見かけたのですが、食べ物などのショーウイン
ドーの中にいた水飲み鳥。これは全然見なくなりましたねえ。
水の入ったコップにお辞儀をする鳥であちこちで見かけたものですけどね・・・
(何故かハワイ島に移住した日本人家族の写真を思い出させます。)
メンソレータムでお馴染みのリトルナースを追いかけて、さらに
調べてるうちにこんな本に出っくわしました。
「広告キャラクター大博物館」
地味にリトルナースの絵が右下に。
昔のなつかしい商品マークやグッズ、キャラクターの謂れや歴史が
書かれていて、昭和の時代をそこから垣間見ることができます。
今でも見るもの、今じゃもう見かけないものなど、なつかしい品物が
たくさんでています。
以下この本からの抜粋です。
アメリカメンソレータムの見本市のブース。1920年です。看護婦さんですね。
さて、肝心のリトルナースですが、この本によりますと「(メンソレータ
ムは)明治中期にアメリカで生まれ、大正初期に宣教師の手によって
日本に紹介された。しかし、ナースちゃんの誕生は戦後のことで、日本
での製造元が、キリスト教精神に基づいた企業であること、家庭向き
の常備薬であることなどから、赤十字と子供のイメージをミックスさせて、
”小さな看護婦さん”が出来上がった。しかし、「あえてテンプルちゃん
の似顔は避けた」(デザインした今竹七郎氏)はずが、モデルはテンプル
ちゃんとの噂が広まり、今日まで。」
とあります。さらに「アメリカメンソレータム社の戦前の宣伝ポスターが
あることから、それがテンプルちゃんではと推測される。」
と結んでいますが、1917年のメンソレータムにはすでにリトルナースの
絵が登場していますので、子役で有名だった1928年生まれのシャーリ
ーテンプルの生まれる以前からリトルナースの絵は使用されていることに
なります。誰か別に子供のモデルでもいたのでしょうね。それで日本に輸
入され近江兄弟社が製造販売するに至るのですが、今竹七郎氏が言う
には、「テンプルちゃんの似顔は避けた」とありますので、リトルナースは
シャーリーテンプルがモデルじゃなさそうです。噂で世間に誤って伝わって
いった、というところでしょう。今となっては判りませんが。
兎にも角にも、シャーリーテンプルの人気は子役時代から有名でしたし、
日本でも知らないひとがいないくらいでしたから、西洋人の可愛い女の子の
イメージ作りには最適だったのかも知れないです。何でもかんでもテンプル
似にしておけばヒットしますからね。
因みに、シャーリーテンプルはホノルルのアロハシャツメーカー「むさしや」
の顧客のひとりでもありました。
リトルナースのメンソレータムは人気商品ですから、当然近隣諸国にパクリ
ものが出ます。ナースデザインはそのままで、韓国人看護婦にしたもの、
台湾人の看護婦になっているものなど類似品もいっぱい。「面速麗美膏」
- メンソレーミタームとは恐れ入ります。
どんなものにも歴史がありますね。この本はそんな忘れられた歴史を
思い出させてくれます。
懐かしいと言えば、昔良く見かけたのですが、食べ物などのショーウイン
ドーの中にいた水飲み鳥。これは全然見なくなりましたねえ。
水の入ったコップにお辞儀をする鳥であちこちで見かけたものですけどね・・・
「あえてテンプルちゃんの似顔は避けた」という今竹氏の発言は、かなり以前に荒俣宏氏(?)の本で読んだ記憶があります。ネット上で荒俣氏の著作を検索してみました。断言はできませんが『広告図像の伝説 フクスケもカルピスも名作!』(平凡社)という本がそれだと思います。たしかインタビューの中でのご本人の発言だったはずですが、記憶が曖昧でモヤモヤしております。この本、古書で購入するかもしれません。
前回のリンク先にある『Amazing Mentholatum』という本(リトルナースのモデルについては推測めいたことが書かれています。と言っても、結論は「よく判らない」ということなのですが。図版が豊富で素晴らしい本ですよ。)は既に入手しましたので、併せて読めばある程度詳細が判明すると思います。
すこし先になると思いますが、判明した事柄をこちらのコメント欄で報告させていただいでよろしいでしょうか?
コメントありがとうございます。
古いことを調べるのは楽しいですねえ。
何せ随分と昔のことですから、これが確かな
資料という信用のおけるものを探すのも大変
ですが、それもまた資料探しの楽しみのひとつ
でもあります。メンソレに限らず、物事の
はじまりを突き止めるのは結構曖昧で終わって
しまいます。素人ですから結局自分の納得度の
問題でもあるのですが・・堅苦しくならない
程度で満足しております。
お調べ頂いた結果をお聞かせ願えれば誠に
幸甚です。ぜひお願いいたします。
昔読んだ同じ本も捨ててないはずなので、大掃除すれば出てくるはずなのですがw
とりあえず『AMAZING MENTHOLATUM』の表4見返しから、著者 ALEX TAYLOR 氏のプロフィールの一部を引用しておきます。
Alex Taylor is an artist, a writer, and the great-grandson of the founder of the Mentholatum Company, A. A. Hyde.
創業者の親戚ですし、かつてウオルトディズニーに
働いていたキャリアももっているアーティストでも
あります。メンソレの歴史や生産された品物など
には精通する機会が多かったと思われます。
また彼自身1000を越えるメンソレ社のかつて
のレアモノ的存在の生産品をe-Bay でコレクション
しています。
アメリカのどの分野のコレクターにとっても
イーベイは欠かせない市場で、滅多に出ない代物だ
と世界中から競り落しにかかります。締め切り
時間、何十秒前でとんでもない値段がつきますから、
Alex 氏も結構苦労したのではないでしょうか。
日本から参加しているひとも随分多いです。
リトルナースに関する記述があることはあるのですが、どうも内容が私の記憶とは違っています。
荒俣氏は、この本の後『帯をとくフクスケ』(中央公論社)という本で同様のテーマを扱われていますので、そちらでより突っ込んだ検証がされていたのかもしれません。あぁ、またモヤモヤが・・・
以下、『広告図像の伝説』(p61~p62)より引用します。
今も大津の近江八幡にある近江兄弟社で聞くと、「あれはシャーリー・テンプルですよ」と言われた。
(略)
なお、このマークは昭和二十年代に日本独自の商標として使われたもので、本国アメリカのメンソレータム社が宣伝用ポスターに用いた看護婦の絵をヒントにしたといわれる。つまり原型はアメリカだが、マークとしてデザインしたのは日本人なのだ。そこで、この絶妙商標を発案したのは誰か、と気にかかってくるのは筆者だけではあるまい。これをデザインしたのは、神戸生まれで関西モダン・デザインの大御所といわれる今竹七郎氏である。氏ご自身のお話によると、一九五一年に氏がニューヨークにおられたとき、近江兄弟社の幹部、本多、諸川の二氏がやってきて、うちの商品には商標がないからデザインしていただきたい、と申し入れられたという。今竹氏が帰国してから早速つくりあげたのが、あの看護婦マークなのである。さらに今竹氏によれば、看護婦の少女はとくにシャーリー・テンプルを意識したものではないが、近江兄弟社から〈愛らしい少女のようなものを〉との軽い要請はあったらしい。が、いずれにしても戦後も昭和二十六年の話である。氏はまた、現在の近江兄弟社が有するメンタームのメンタム・キッド(原文ママ)もデザインなさっている。ところが、ここに別説がひとつある。今をときめくデザイナー石岡瑛子氏の父君、故石岡祥行氏が、看護婦マークの発案者だというのである。石岡氏の奥様が御健在で、直接話を伺うと、次のような経緯であった。グラフィック・デザイナーだった祥行氏は近江ミッションを組織したヴォーリズをはじめ近江兄弟社の幹部にかわいがられ、同社の印刷物のカットやデザインを長らく担当されたという。そして戦前の一九四一年頃、奥様は、メンソレータムの看護婦にかなり近いデザインを祥行氏が創りあげたことを記憶しておられるのだ。しかし石岡氏のデザインした看護婦像は実際にメンソレータムの商標にされた記録はない。今竹氏以前の幻の商標だろうか。
(引用ここまで)
当事者の方々の間でも記憶の混乱があるようです。時代を考えれば無理もないことですが。何れにしても1917年~のアメリカに看護婦のキャラ・容器のデザイン共存在が確認されていますので、荒俣氏の言われる「原型はアメリカだが、マークとしてデザインしたのは日本人なのだ」は誤りということになります。(日本版デザインの評価は別として)
記憶の彼方にある『帯をとくフクスケ』(?)が気になりますが、近日中に『AMAZING MENTHOLATUM』の中からリトルナースに関する部分を紹介させていただきます。
『AMAZING MENTHOLATUM』でも近江ミッションの紹介に6ページを割いています。
すみません、『AMAZING MENTHOLATUM』からリトルナースに関する核心部分をスキャンしてどこかのアップローダーにupするつもりでしたが(引用の範囲を逸脱しないレベルで)前回のコメントで「近日中」と書きながら、まだスキャンができていません。もう少しお待ち下さい。
Wikipediaの「シャーリー・テンプル」の項目を見ましたら、リトルナースのモデル説を否定する記述がありました。問題はリトルナースの使用時期を「19世紀末から」としていることです。さすがに、そこまで古いキャラのはずはありません。編集された人は創業時期と混同されているのかもしれません。
しかし、そんなにシャーリー・テンプルに似ているでしょうか?個人的には似てるのは巻き毛だけのような気が……
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org167558.jpg
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org167567.jpg
全て「AMAZING MENTHOLATUM」からのスキャンです。
著作権への最低限の配慮から、ぎりぎり読めそうな画像サイズにとどめています。
読み難いかもしれませんが、ご了承願います。
本文ではリトルナース登場時期は「1917年」と特定、当然シャーリー・テンプル説は否定されています。モデルについては、1997年のメンソレータム社社内報の記事からの推理で、ベティ・ハイドという少女に行きついていますが、これは一つの可能性ということで…
もう一つの可能性として1912年のディスプレイが挙げられています(一番下の画像)。たしかにリトルナースの原型っぽいような?
以上、私の誤読もあるかもしれませんが如何でしょうか?
リトルナースのモチーフ(なぜ看護婦が少女の姿で描かれるか)については現在色々もっともらしい理屈付けがされていますが、“The Little Nurse for Little Ills”という当時のコピーが、なによりその発想の根源を物語っていないでしょうか。
長文失礼致しました。
わざわざお送り頂いて有難うございます。
1917年という年にリトルナースが
登場している以上、シャーリーテンプルの
モデル説は初めから有り得ません。
1900年初頭あたりに、誰かモデルと
なる人物(少女とは限りません)がいた
可能性がありますが、この点について
A.MENTHOLATUMのHPを通じて問い合わせを
しています。判り次第連絡する、という
返事が初めに来ただけでそれから返事は
来ていません。おそらくはっきりしたこと
は判らないか、あまりこういうことには
関心がないのかも知れません。
第一次大戦中に兵士に持たせた簡易外用薬
の延長線にメンソレータムが存在すること
も考えられ、そうなるとナースのデザイン
も不思議でなく、それが子供であれば
なおさら一般には受け入れ易かったとも
思われます。
そのうち海外から何か言って来るかも
知れません。
それでは、御免下さい。
私も時代から考えて第一次大戦期の従軍看護婦に関係があるのではと思っていました。
ただ、都市伝説というものは一旦定着してしまうと新しい事実が出てきても、なかなか受け入れられ難く、誤った情報が払拭されるまでは時間がかかりそうですね。
今後も他の話題も含め期待しております。