昭和の歌です、かつての日本の歌謡曲です。
昨日の土曜に江東区の木場公園で行われていた江東区民
祭りに行って来ました。
こういう屋外の催しモノにはつきものの焼きそばとか
お好み焼きとかの屋台が圧倒的に多いのですが、
区民祭りですから、ステージでのブラスバンドとか
フラのイベント、各産地の野菜や特産物の販売、
フリマに消防イベント、医療相談などなど多彩です。
たまたま土曜休みだったものですから、カミサンと
ぶらっと見物に行ってきました。
カミサンの狙いはステージで発表されるフラのステージ
です。自分でもフラを習っているのでやはり興味が
あるのでしょう。2チームばかりのフラを見て
約1時間の見物。さてじゃあ、お昼を過ぎてきたので
ぼちぼちお弁当でも買ってかえるか、と思っていたら
どこからか何やら懐かしのメロディーが聞こえてきます。
しかも耳に記憶のある声です。
昭和の歌謡曲をメーンに本格的な歌声と生演奏を
聞かせる「東京大衆歌謡楽団」です。
ウードベースにアコーデオン、スーツに髪の毛を
後ろになでつけた昭和のヘヤスタイルに東海林太郎
(古い!知らないひともいるかも)がかけていた
ような丸い眼鏡のボーカルのトリオで、戦前から
戦後にかけて流行した歌謡曲を歌い上げます。
「誰か故郷を思わざる」「上海帰りのリル」「麦と兵隊」
「啼くな小鳩よ」などなど。
直立不動でお腹から声を出し聴衆の心に訴えます。
さすがに一定の年配以上の方しか見受けれらませんが
この場から一歩たりとも出ていかせないような
歌唱法には感動させられます。昔の歌手のひとは
みんなああだったのでしょうね、藤山一郎とかね。
以前このトリオが浅草の伝法院通りで歌っている
のをたまたま通りかかって聞いたことがありました。
あのときも感動的でした。路上ライブでやるには
もったいないような実力の歌唱力だったのを良く
記憶しています。
死んだ明治生まれの父親や母親が聞いたらきっと
涙を流して喜んだと思いますね。
中折れ帽子に背広の上下を着たウードベース、鳥打ち
帽にこれまた背広上下のアコーデオン、ボーカルに
いたってはピタッときまった背広上下(スーツとは
言わない)で深々とお辞儀をして良い声で歌い
上げます。哀愁たっぷりで涙腺が緩んできます。
何だか周りの聴衆も、着物姿でつぶしの島田、赤い
手絡の結綿もちらほらで、着物に鳥打の小僧さんやら、
三つ揃いに帽子に背広の紳士やらと時代が昭和の始めに
見える錯覚をおこします。浅草のかつての情景みたいに。
アコーデオンもエキセルシャーの名器で何とも
いえない良い音ですねえ。ボーカルの方の弟さんですね。
(イタリア語では多分エクセルシオールでしょう。
鍵盤タイプではなくバンドネオンみたいにボタン式も
ありますが演奏しているのは見たことがありません。)
今にきっとメジャーデビューがあるかも知れません。
爆発的に売れるかもしれませんが、彼らの本意では
ないかもしれませんね。やはり浅草あたりの路上ライブで
大衆の心の中に入って歌うのが彼らのポリシーかも
しれません。
ムードたっぷりで絶賛モノです。戦前にハワイや南米へ
移民した日本人に聞かせてあげたい。きっと大泣きして
喜ぶでしょう。
昨日の土曜に江東区の木場公園で行われていた江東区民
祭りに行って来ました。
こういう屋外の催しモノにはつきものの焼きそばとか
お好み焼きとかの屋台が圧倒的に多いのですが、
区民祭りですから、ステージでのブラスバンドとか
フラのイベント、各産地の野菜や特産物の販売、
フリマに消防イベント、医療相談などなど多彩です。
たまたま土曜休みだったものですから、カミサンと
ぶらっと見物に行ってきました。
カミサンの狙いはステージで発表されるフラのステージ
です。自分でもフラを習っているのでやはり興味が
あるのでしょう。2チームばかりのフラを見て
約1時間の見物。さてじゃあ、お昼を過ぎてきたので
ぼちぼちお弁当でも買ってかえるか、と思っていたら
どこからか何やら懐かしのメロディーが聞こえてきます。
しかも耳に記憶のある声です。
昭和の歌謡曲をメーンに本格的な歌声と生演奏を
聞かせる「東京大衆歌謡楽団」です。
ウードベースにアコーデオン、スーツに髪の毛を
後ろになでつけた昭和のヘヤスタイルに東海林太郎
(古い!知らないひともいるかも)がかけていた
ような丸い眼鏡のボーカルのトリオで、戦前から
戦後にかけて流行した歌謡曲を歌い上げます。
「誰か故郷を思わざる」「上海帰りのリル」「麦と兵隊」
「啼くな小鳩よ」などなど。
直立不動でお腹から声を出し聴衆の心に訴えます。
さすがに一定の年配以上の方しか見受けれらませんが
この場から一歩たりとも出ていかせないような
歌唱法には感動させられます。昔の歌手のひとは
みんなああだったのでしょうね、藤山一郎とかね。
以前このトリオが浅草の伝法院通りで歌っている
のをたまたま通りかかって聞いたことがありました。
あのときも感動的でした。路上ライブでやるには
もったいないような実力の歌唱力だったのを良く
記憶しています。
死んだ明治生まれの父親や母親が聞いたらきっと
涙を流して喜んだと思いますね。
中折れ帽子に背広の上下を着たウードベース、鳥打ち
帽にこれまた背広上下のアコーデオン、ボーカルに
いたってはピタッときまった背広上下(スーツとは
言わない)で深々とお辞儀をして良い声で歌い
上げます。哀愁たっぷりで涙腺が緩んできます。
何だか周りの聴衆も、着物姿でつぶしの島田、赤い
手絡の結綿もちらほらで、着物に鳥打の小僧さんやら、
三つ揃いに帽子に背広の紳士やらと時代が昭和の始めに
見える錯覚をおこします。浅草のかつての情景みたいに。
アコーデオンもエキセルシャーの名器で何とも
いえない良い音ですねえ。ボーカルの方の弟さんですね。
(イタリア語では多分エクセルシオールでしょう。
鍵盤タイプではなくバンドネオンみたいにボタン式も
ありますが演奏しているのは見たことがありません。)
今にきっとメジャーデビューがあるかも知れません。
爆発的に売れるかもしれませんが、彼らの本意では
ないかもしれませんね。やはり浅草あたりの路上ライブで
大衆の心の中に入って歌うのが彼らのポリシーかも
しれません。
ムードたっぷりで絶賛モノです。戦前にハワイや南米へ
移民した日本人に聞かせてあげたい。きっと大泣きして
喜ぶでしょう。
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