RICOH GXR MOUNT A12/ SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Aspherical /
Japan Nagasaki カトリック東長崎教会 / 201210 遅い午後
司祭は奉献文に入る前に、
手を洗う。
我が罪の深さの故に、指に伝わる清い水の感触が、
いつもより大きい痛みを伴う。
その痛みはやがて私の心に波打ち、
私はただ一心で、目を瞑り赦しを乞う。
RICOH GXR MOUNT A12/ Nokton classic F1.4 40mm /
Japan Nagasaki 東長崎 / 20121021
朝の光が優しいのは、秋かな~。
花も、ご像も、壁も、光に触れられる時が、、、
一番天国に近い瞬間ではないかと思う。
Ricoh GXR / A12 28mm / Japan 佐世保 カトリック黒島教会、20121014
小学校に通う民宿先の娘さんが、
僕の部屋のドアを開け、顔を出した。
少し話しがしたい~
いいよ。
小学生らしい質問が続き、僕もあれこれ質問した。
お兄さんのこと、両親のこと、学校のこと、教会のこと、
新しく出来たルルドとカフェーのこと、、、
島の暮らしは、平和かな~といった感じ。
そして
少女の目に映った僕って、どうだったんだろう、、、と気になる。
Ricoh GXR / A12 28mm / Japan 佐世保 カトリック黒島教会、20121014
黒島の日曜日のミサは一回、朝7時に捧げられる。
この7時という時間が、
島のことを物語っているように思える。
Ricoh GXR / A12 28mm / Japan 佐世保 カトリック三浦町教会、20121016
写真のいいところって、いつでも、いつまでも眺められることだと思う。
時間を掛けて得られた思いは、そう簡単に変えられない。
人の心も、じっくり、時間を掛けて眺めたい。
RICOH GXR MOUNT A12/ Carl Ziess Planar F2 50 ZM /
Japan Nagasaki / 20121011
僕は手相を信じない。 子どもの頃から、好奇心からでも手相をみてもらおうとすると、親から酷く叱られた。
信じないけど、、、
分かるものなら、、、知りたい気持ち、誘惑とも言える感情を抱いてしまう。
人事の話題が出る今頃、、、特にそう思うものだ。
あの花のように、僕もどこかにおかれるだろうと思う。
咲くだろうか、、、。
RICOH GXR MOUNT A12/ Nokton classic F1.4 40mm /
Japan 佐世保駅前 / 20121006
最近夢をみていない、と彼は言う。
そういえば、僕も最近夢なんか見た覚えがない。
でも、その会話があった日に、僕は夢を見た。
起きてすぐ、夢だと思った。
そしてそう思った瞬間、
その夢は手に取ってしまった砂粒のように、温もりだけを残して静かに消えてゆく。
人の一生涯は夢だとも言う。
この夢から覚める瞬間、、、今まで生きて来た人生は、その温もりだけを残して、
静かなに消えてゆくのかもしれない。
RICOH GXR MOUNT A12/ Nokton classic F1.4 40mm /
Japan 佐世保 カトリック俵町教会 香部屋から /20121006
思えば、
いつも十字架を後ろにおきながら、気にしてなかったようである。
久しぶりに聖堂中央の十字架をまじまじと見上げる。
いろんな顔で話しかける十字架のお方。
RICOH GXR MOUNT A12/ Nokton classic F1.4 40mm /
Japan 佐世保 カトリック俵町教会 信徒会館 /20121006
祝賀会のために、信徒会館の三階まで階段で登る。
いつものように二段飛びで登って行くと、
手すりに捕まりながらゆっくりと登る信徒の方々の姿が目に写る。
食事中に、皆さんここまで登ってくるのが大変ですねと声をかけると、
“この建物が建てられたときは皆が元気でして、、、”という声が返ってくる。
皆が元気だった時、
僕らは、自分の将来の姿を描くことが出来なかった。
だから、僕は高望みはしない。
悲惨な結末を迎えようが、今を生きようと思う。
RICOH GXR MOUNT A12/ SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Aspherical /
Japan Nagasaki カトリック東長崎教会 /20120930 朝7時頃に
日曜日の朝、目覚めと同時に体の調子が良くないことを感じた。
気を紛らわすために、カメラを持って教会の隣の幼稚園の園庭に入って、何でも撮った。
調子は悪いけど、シャッターの音が気持ちいい。
ミサは始められると、途中で止めることは出来ない。
司祭が倒れても、そのミサは閉じられないと行けないと、、、習った。
時代は変わり、ミサの多くの部分を信徒が担うようになっても、
やはり司祭に任せられている部分が多い。
だから、調子が悪くても、今日は真剣に向き合わなければならない。
そんな日に、子どもごろの出来事を思い出してしまった。
若い助任神父様がミサの途中に主任神父様を呼びに行って、
そのミサを途中で代わってもらったことがある。
今なら分かる。
その時、若い助任神父様がどれだけ体の調子が悪いにも関わらず、ミサに臨もうとしたことを、、、。
体調管理しようと、、、そう思った一日だった。