記事にする事を随分迷いました。
しかし、どうしてもボクはこの事件を見過ごす事は出来ないのです。
ボクが記事にした所で亡くなった少女が戻って来る訳でも無く、何が変わる訳でもありません。
ボクは無力です。全くの無力です。
このような事件があるとよく言われるのが遺族感情です。
ご遺族が広く知って欲しいと願っている事、それと同じく亡くなった本人はどうして欲しかったのか?
その事を考えました。
本当に虐められる人にも問題があるのか?自殺したのは弱いからなのか?
亡くなった爽彩さんの生前の声を聴けば、彼女が如何に聡明で優しく強い人だったのかは明白です。
虐められていた彼女は最後には『もう好きにして…。』と言ったそうです。
この言葉は、ボクには1988年の
【女子高生コンクリート詰め殺人事件】を思わせるモノでした。
拉致監禁した女子高生を40日間に渡り集団暴行・強姦、ライターで火炙り、身体に落書きをして裸踊りをさせる、尿を飲ませる等『もう殺して。』と言わせるまで凌辱の限りを尽くした挙げ句、コンクリートに詰めて廃棄した少年事件です。
子を持つ世の親に問いたい、自分の娘が裸に剥かれ辱しめを受けた挙げ句に死に至る。
『学校の先生に相談しなくちゃ!』
『これは傷害致死事件だ!訴えてやる!』
これで良いと思いますか?納得出来ますか?死んだ者は浮かばれますか?
ボクなら絶対に許しませんね。
そんな事をしたら、どんな恐ろしい目に合うのか教えてやります。
教育出来ない教育委員会や学校に、裁けない司法に任せたりしませんね。
まあ、ボクの考え等どうでも良いのです。
皆さんには、爽彩さんが本当はどのような人だったのか知って頂き、死者の尊厳を守りたい気持ちです。
ご遺族の無念?いや、ボクの無念を晴らしたいです。
ただ、加害者の顔や名前を晒すのは違うと思います。
それは、この事件を肴に『正義の仮面を被り憂さ晴らしをしているだけ』だと思います。
虐めが発覚した時に爽彩さんに対し、
加害者及び学校から心からの謝罪があれば、爽彩さんは亡くなる事も無かったと思います。
それが残念でなりません。
【これは自殺では無く殺人事件です】
自分の無力さが悔しくて涙が出ます。
最後までお読み頂き有り難う御座います。