10月20日に86歳のお誕生日を迎えらえた
美智子上皇后の近況を宮内庁が公表された中に
次のようなことが書かれていた。
『 最近は、左手指のご不自由がおありで、
ご移居後は数人の日本人作曲家の曲目を練習されることを
楽しみになさっていらっしゃいましたので、
おさびしいことだと思います。』としたうえで
『今まで出来ていたことを授かっていたこととお思いになるのか、
お出来にならないことを「お返しした」と表現され、
受け止めていらっしゃるご様子です。』…と。
とても丁寧な言い回しなので
庶民の私にはすぐには理解できなかったのだが…(笑)
つまりはこういうことだと思う。
美智子上皇后が長年のご趣味であるピアノの
練習をするのを楽しみにしておられたが
左手指がご不自由なために
今までのように弾けなくなり、お寂しそうだということ。
そしてそのことに対して上皇后が
今まで出来ていたことを授かっていたことと思われているのか
出来なくなったことは「お返しした」と表現されて
受け止めておられるご様子だということ。
それを読んで、なるほど…と思った。
人は老いていくにつれて
今まで出来ていたことが出来なくなってしまう。
そして、そんな自分を情けないと感じる。
私もそうだ。
70歳を迎えて日々そのことを実感している。
しかし…
それを嘆き悲しむのではなく
上皇后のように「今まで授かっていたことをお返しした」と
そんなふうに受け止めることができれば
老いをもっと前向きに捉えられるのかも知れない。
この世に授かった生命を少しずつお返ししていくことが
老いを生きていくことなのかも知れない。
上皇后のお言葉からそんなメッセージを受け取った。
98歳の老いを生きている私の母も
昨年秋に転んで大腿骨骨折してからというもの
手術、入院、リハビリの末、無事退院し
今は自宅で兄夫婦の介護を受けながら
週3日老健施設のデイサービスを利用している。
まだトイレは自力で行けるのだが
筋力低下で歩行が徐々におぼつかなくなってきて
お風呂は自力で入れない。
なので私も実家に出向いて介護を手伝っている。
入浴介助をするたびに母はいつもこう言う。
「自分で何も出来んようになってしもうて、情けない…」と。
お風呂上がりの濡れた素っ裸な体を晒して
バスタオルで娘に拭いてもらうことに抵抗があるのか
ため息交じりにいつも決まってそう呟く…。
「ほら、また言った…」(笑) と言いながら
私と兄嫁が顔を見合わせ苦笑いするのもいつものこと。
こんな母の老いていく姿も
この人は「授かったものをお返ししている」のだと思うと
少し見方が変わってくるように思える。
先日「私もこの誕生日で70歳になったんよ!」と母に言うと
「まあ~、アンタ、もう70歳かな!」と驚きはしたが
期待していた「おめでとう」の言葉は一言も無く…(笑)
「ほんなら、私も年取るはずじゃ~、もう100歳じゃから…」と
実際は98歳なのに100歳とサバを読んでいるのか(笑)
あるいは実年齢がわからなくなっているのか…
何れにせよ
娘の歳よりも自分の歳の方に関心があるようで
私としては何とも複雑な気持ちだったが…。
それも、母はすでに親業を「お返しして」いるのだと思うと
寛大な心で許せる気がする。
美智子上皇后のお誕生日のお言葉から
母の介護、自分の老い、そしてこれからの生き方と
いろんなことを気づかされたように思う。