私の母は一昨年の秋に自宅で転倒し
大腿骨の骨折で緊急入院、手術、そしてリハビリを経て
98歳の超高齢にも関わらず脅威的な回復を見せ(笑)
昨年春のコロナ緊急事態宣言下の5月の連休明けに
無事に退院して自宅に戻ってきた。
その時点で要介護4の介護認定を受けていたので
以来、週3日老健施設のデイサービスを利用しながら
兄夫婦の介護のもとで自宅で生活をしている。
母はもともと足腰は丈夫な方だったが
寄る年波と今回の入院生活の影響ですっかり脚力が衰え
今は歩くのもおぼつかない状態になってしまった。
幸い、まだどうにか伝い歩きはできるので
トイレや家の中の少しの移動なら自力でいけるが
デイサービスの送迎には車椅子が欠かせない。
そして、それ以外の時間はほとんど自室のベッドで
終日テレビを観ながら過ごしているようで
目に見えて日に日に足腰が弱くなってきている。
私の自宅は実家のすぐ近くということもあり
母の退院以来、週2~3日は入浴介助をしに行くのが
娘としての私の仕事になった。
入浴と言っても、湯船に入れるのは体力的に無理なので
シャワーで体と頭を洗うだけなのだが
それでも、「あ~気持ちがええなぁ~」と喜ぶ母。
それが今の私にできるせめてもの親孝行だ。
そして入浴後の着替えをさせた後
母の部屋でしばし会話をするのが日課となっている。
でも、母の話はいつも決まっていて
「100歳を超えた姉は施設に入っているらしい」だとか
「もう帰る実家が無くなってしもうた」だとか
「一番下の妹がどうしょうるか、それだけが心配だ」とか
自分の育った実家や姉妹たちのことばかりで
身近にいる我が子や孫の話は一切出てこない。(笑)
そんな母のおしゃべりを聞くたびに
(伯母さんが施設に入ったって本当?いつ誰に聞いたの?)とか
(その歳で、まだ実家に帰りたいのか!)とか
(妹よりも、もっと自分の子や孫の心配したら?)とか
心の中で密かにツッコミを入れながら聞く私。(笑)
その兆候はすでに2~3年前からあったのだが
最近は特にその傾向に拍車がかかり
口を開くと毎回その同じ話ばかりを繰り返している。
人は歳をとると、だんだん子どもに戻ると聞くが
まさにそんな状態なのかも知れない。
目の前の現実よりも、頭の中は昔の記憶の方が鮮明で
遠い過去の世界の中で生きているようだ。
その過去の記憶も、自分の都合良く美化し
事実を改ざんして上書き保存している部分が多々ある。(笑)
たとえば、25年前に亡くなった私の父のことを
「お父ちゃんは最後まで私に優しかった」だとか
「この服はお父ちゃんがデパートで選んでくれた」だとか
「死ぬ前に『お前には苦労かけたなぁ~』と
お父ちゃんが私の手を握って涙を流してくれた」とか
さも自分にはこれ以上ない最高の夫だったように
繰り返し何度も誇らしげに言うのだ。(笑)
しかし実際は夫婦喧嘩が絶えなかったのを知っているし
父が母の服を一緒に買いに行くなどあり得ないので
聞いてるこっちは苦笑いするしかないのだが(笑)
本人は本気でそう思い込んでいるらしい。
それもこれも認知症のせいなのかも知れないが
こうも毎回、同じ話を聞かされるとさすがにうんざりする。(笑)
週2~3回の私でさえそう思ってしまうのだから
同居している兄夫婦は如何ばかりか…。
「おふくろの話はまともに聞かんことにしとる!」と
兄はぶっきらぼうに言い放っているが(笑)
そう言いながらも甲斐甲斐しく世話をしている姿を
いつも私は頭の下がる思いで見ている。
そんなある日のこと
入浴介助が終わりホッと一息つこうと
兄夫婦と一緒にリビングでお茶を飲んでいたら
母が自分の部屋からおぼつかない足取りで出てきた。
そして一言、「新聞…」と言うので
テーブルの上にあった地元新聞を手渡したら
「ありがとう」と言って、自室に戻って戸を閉めた。
「エッ!ばあちゃん、新聞を毎日読むの?」と
驚いた私が義姉に聞くと、「そうよ、毎日必ず…」との返事。
「へえ~、それは凄い!何の記事を読むんだろう?」
そう言うと、「『滴一滴』は読んでるみたい…」と義姉。
『滴一滴』とは某全国紙の『天声人語』のような地元紙のコラムだ。
「内容は理解できているんだろうか…?」(笑)
「う~ん、どうかなぁ~」と私と義姉が話していると
横から兄が話に入って来た。
「教えちゃろうか、ばあさんが何を読んどるか…」と兄。
聞くと、お悔やみ欄を読んでいるのだとか。
以前、熱心にその欄を見ているのを目撃したことがあるという。
そうか、そういうことだったのか…。
地元紙なので全県下の情報が掲載されるらしく
母の実家近辺のことも載っているので
もしかすると近親者の生存確認をしているのかも知れない。
もちろん、それだけじゃないだろうけど
その可能性は高く、納得できる。
幸か不幸か…余りにも長生きしたものだから(笑)
同年代の友だちや親類縁者もすでにとっくに鬼籍に入り
残り僅かなご長寿さまの生存確認が
目下の最大の関心事なのかも知れないと思うと
長生きし過ぎたがゆえの哀れや悲しさが胸に迫ってきて
本来めでたいはずのご長寿が何だか切なく感じる。
でも、こればかりは本人にもどうにもならず
与えられた寿命を全うするしかない。
「早う、おじいちゃんがお迎えに来てほしいんじゃけど
まだ、来いとは言ってくれんのじゃ…」と
あっけらか~んと明るく笑いながら話す98歳の母は
過去と現在の時空を自由に軽々と超え
今日も想像の翼を広げて自分の世界を生きている。
その上、過去に起きた不幸なできごとも
自分がやらかした数々の失敗も
とっくの昔に記憶から消去し、誰憚ることなく
全て「あとの祭りじゃ!」の一言で片づけてしまい(笑)
後悔や反省のかけらは微塵も感じられない。
そんな母の達観したモノの見方と強靭な精神力には
ただただ敬服するばかり…というよりか
娘ながら呆れてものが言えない。(笑)
いや、待てよ。ひょっとすると
案外、本人にとって今は幸せなんじゃないかな?
事実がどうあれ、良いことだけを思い出して
人生の最期を生きていけるなんて…。
そうだといいな…というより、そうあって欲しい。
だって、やがて自分もそうなるかも知れないのだから…。
後悔しながら終わるより、満足して終わる方が
誰だっていいに決まっている。
母の姿をそう遠くない将来の自分の姿に重ね合わせ
私もあんなふうになるんだろうか…
一体この先はどうなるんだろう…
でも今は自分にできることを頑張るしかない…などと
母の介護を通してアレコレ思う今日この頃だ。