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原爆資料館2018

2018年12月05日 | 日記

 

たまたまこの資料館は 耐震補強工事中でした

なので 半分くらいは 見ることはできなかったようです

でも

目を見張る内容ばかりでした

「三輪車」

写真の男の子 伸一ちゃんは

遊んでいて 熱戦で焼かれました

お父さんは 3歳の子が 寂しがらないように そばに

この三輪車を入れ 庭の裏庭に 埋めたそうです

 

爆心地から 遥か1500mの 東白鳥町のことでした

40年後の昭和60年に

お父さんは 息子の遺骨を掘り出し お墓に収め

この三輪車を 平和記念資料館に 寄贈しました

 

 

 

「腕時計」 

その原爆投下の一瞬の 腕時計も見つかりました

ぴったり 8時15分で 止まっています

 

この日までに 落とす練習が 何回か行われました

原爆の 模擬爆弾の投下練習場所は

4か所あったようです

 

 

 

 

会場は暗く 大勢の人が次々入ってきます

外国の人と 学生さんが目立ちます

 

 

「原爆投下直後の写真」

1948年 8月中旬

爆心地から 1350m

そんなに離れていても この光景です

川原四儀 撮影  どんな方だったのでしょう

 

 

「8月6日 記念の写真」 

この日 まだ 写真を撮り

にこにこ笑っていた たくさんの笑顔

でも 16日8時15分には みんなは どうなっているんでしょう

 

 

 

ここで 写真を見ていたのは

同じくらいの子どもや 家族連れ

 

 

 

原子爆弾には 2種類ありました

 

細長いのは リトルボーイ と呼ばれ 広島に落とされました

長さ3m 重さ4トンでした

丸い形は ファットマン  長崎に落とされました

長さ3.2m 重さ4.5トンでした

(横の人間と 比べて見て下さい)

 

 

 

 

 

「人影の石」と呼ばれる写真

これは もう 唖然としてしまいます

ここに座っていた人は

ただ 階段に腰かけて 

銀行が開くのを 待っていただけなんです

 

 

 

「衣服」と名前が付けられています

一瞬で 普通の服が 大きな穴が空き バラバラです

 

 

爆心地から 1700m

桐木町に住んでいた 女性です

(真下に住んでいた人は 何も残っていないのでしょうか)

 

 

 

 

こんなものも 残っていました

固まって 固まって

爆心地から1800m

 

 

 

先日 アメリカのオバマ大統領が来られました

これは オバマさんの直筆みたいですね

オレンジの鶴とともに 飛んで行った気がします 

 

 

でも 日本に来ることを 決断した凄さ

それは だれも できなかったことですから

ありがとうございます オバマ大統領 <(_ _)>