じつは非常に「いい人」で優秀なひとでした。元禄文化を実現したことは、大きな功績です。なぜきらわれたか
綱吉にはフェイクニュースも多い。虫を殺して捕まえたとか。
本当は和歌に まこと と詠み
辞世の書は 思無邪 思いに邪念無し とした
きれいな心の持ち主
近年再評価が進む点では、フランスのナポレポン三世に良く似ている。どちらも慈善公。
日本初?慈善事業で庶民を救う。捨て子の禁止、七五三を庶民行事に。武士特権廃止。
捨て子、捨て老人、捨て病人の禁止は、それこそイギリスエリザベス一世の救貧法に匹敵する先進的善政以外のなんだろう
犬というのは、弱者保護思想のむしろ入り口のようなものだった
改革の連続で元禄の繁栄を実現した日本初の?リベラル派君主
あんな庶民文化が花開くのは、社会が安定していた証拠
ぜんぜん悪い人でなく、教養ある知識人で朝から夜まで執務した
ほかにも刑務所の処遇改善、捨て子、捨て老人、捨て病人の禁止、野良犬対策としての巨大犬シェルターの設置(江戸中野に東京ドーム24個分に10万匹の犬)、市中斬り合いの禁止、こうした施政のかいあって人心安定し、庶民文化が振興、未曾有の繁栄を実現した・・・
さらに喧嘩両成敗という中世的裁きから、法にもとづく法治主義の裁定で、全国40大名にてこ入れし、徳川安定の基礎を築いた。赤穂事件もそのひとつである。
側用人(側近)制度をつくって柳沢吉保のような
有能な役人を使い、官僚制も整えた。
つまり一言で言うと、有能だったのである。
ただし繊細で細かく、口うるさい感じで、華美の禁止、酒も量を減らせ、などと儒教的な
おせっかいの面もあったため、「うるせえ将軍様だ」と思われた。
また、犬対策については、宗教的な面からもやさしすぎ、当然貧しい人間からは、「おれたちより飯がいい」などと嫉妬された。
それまでなかった倫理規定を、いきなり飲み込ませようとするのだから、反発も当然激しかった。
綱吉も極刑で望んだことは時代の反映としても、それに対抗する悪行も起こり、
表面的には暴政にも見えなくもない。
最大な不運は
元禄の繁栄のあと、
地震や火山という天才に襲われたことだ
綱吉はまじめな名君として 被災者救済に勤めた
自分の肉親もなくした
しかし世間は災害を「犬公方のせいだ」などと揶揄するようになった
こころ優しい首長はともとして、揶揄の対象にもなる
ついてない綱吉は、災害のあと63歳で世を去ったが、今日再評価で報われるだろう
あと、赤穂浪士事件があった
このときも散々悩んだ末、浪士を全員処刑したが、
それは庶民から反感を買った まだそういう義理人情の時代だった
有能だったからこそ、嫉妬と揶揄の対象になる。
原敬が在任中評判が悪く暗殺され、
吉田茂も晩年は嫌われた。
おんなじ現象
出典 www.amazon.co.jp