最終処分場あと50年で満杯か…東京23区と都が「家庭ゴミ有料化」検討 既に実施の立川市は可燃ゴミ排出量が前年度比17.5%減
別に。
個人の経済活動を縛ろうというわけではない…が。
例えば。
日々、発表され報道される、経済や為替の数値のように。
「ゴミの量」が、毎日、発表・報道されたら、どうなんだろう?
近年。
若い人のスタートアップとか・起業とか・社内起業とか。
何かと思えば。
「すでにデータ化されている数値を、チマチマ再加工」
したりするだけの、こぎれいに取り澄ました、サービスとか・アプリとか、そんなんばっかり! と、思うわけで。
それなら、
日々、ボーダイに出るゴミの量から、何か!指標になるものはできないのか???
株価や為替は、単に、その日・その時刻の数値を発表しているだけだ…が。
国内外の、大勢の人たちの、投資・経済行動に影響する。
ゴミ処理には、税金がかかる。
商品等の製造・販売に、ワタシたちは、「手元でわかる人件費」などを、切り詰め。
みんなして、低収入で、サービス残業して、作ったり、売ろうとしたりする。
汗水垂らし、サービス残業や、最低限の賃金給与で、作ったり・売ったりしている。
でも。
大きくとらえたら(それも、速い時間感覚で…)、私生活を犠牲にしてまで、低賃金で働き、作ったり・売ったりしてるものが、何割か、ゴミに直行かもしれん!
人間、そんな空しい生活に耐えられるものではない!
直接的に、わからないだけ!
たとえば。
両親とも亡くなったあと、家を片付けたら。
晩年、夫婦で旅行した、記念品などが。
(家のスペースと・大病して帰ってきてしまったワタシのせいで…飾る余裕もなく)
亡父の性分から、テトリスのように、びっしりしまい込まれていて…。
どこに何がしまってあるか、父に聞かないとわからなかった!
でも、夫婦で元気に国内・海外を旅行する、機会と、時間とお金があったことは、本当に幸せだったと思う。
また。
ワタシと弟が「子育てされていた頃」や、独立前、家族で使っていた麻雀杯とか、ホットプレートとか、鍋、調理器具、食器…。
確かに、その時は使ってた・必要と思われたんだよね、て、ものが…。
その後は使われず、しまってあったり。
承知の上で。
両親とも亡くなったあと、ばんばん捨てた。
ものによっては、処分にオカネがかかった。
時代や年代、その時ごとの生活には必要だったから、買ったことを全然否定しないけど…。
(コレ、一個一個、いくらしたんだろう?)
と捨てる時に、考えたのは事実だ。
以来。
自分は、
「なるべく、物を買わない・増やさない」
方針に、自然になってる。
でも。
もっと若い頃は、欲しいというより、何故か、
「これは必要!」
という感覚で、ものを買っていたと思う。
人生経験的に仕方ないことと思う。
今は。
消耗品やちょっとした家財を、プラでなく、竹などの天然資材で作れないのか? と思っている。
後処理がしやすい!!!
わざわざ海外から輸入した、石油由来じゃないし!!!