最近、DIYなるものが、流行ってるらしい。
テレビで見る限り、
「あっても、なくても、いいような」物を作ってるように見えるが…。
だし、『ナカイの窓』だったか、DIY好きなゲストが、
「作る過程が楽しい。成果物はどうでもいい」
と、言っちゃってた。
よくわかる。
亡母は手先が器用で、手芸が好きで、「歩くカルチャースクール」と家族が呼んだほど、たいていのものを上手に作った。
で、本人も、
「作るのが楽しいだけで、本当のところ、できあがりは、どうでもいいのよね~」
と言ってた。
そりゃ、いまや日本人は「納税者」だけでなく「消費者」として存在することを要求されているので、いらないものを買ったり、いらないものを作る材料を買うことも、国の経済の一部。
だけど…。
できあがりを、のちに捨てたり。
あろうことか、手芸品をひとにくれる迷惑な人もいるっ。
本当のところ、望ましい趣味は「料理」だと思う。
食べずに生きられる人間はいないし、必要だ。
食べれば、成果物も消える。
だがっ。
ここでまた、高い材料をそろえたり、道具をそろえたり、テーブルセッティングして画像撮ったり、となると…。
まあ、もちろん、人間、やりたいことをやればいいのだが…。
亡父は、40代くらいのとき、
「趣味がないから、料理をしたい」
と、母に言ったそうで。
仕事上、難しいことがあり、ストレス解消したかったらしい。
たまの日曜(出張の多い営業マンで、土日含め、月に半分はいなかった)、朝から、作りたいものを作り、我々は食べさせられた。
主婦とちがい、材料や道具をきっちりそろえ、毎回同じメニューを、納得できるまで、繰り返し繰り返し作る。
なぜ料理にしたのか、にも理由があった。
「失敗しても、食べてしまえば、消えるから」
子供のころから、皿洗いが仕事だったワタシとしては、あらゆる鍋やザルや道具を使いまくった台所の片づけに、何度もボーゼンとし、泣きたくなったものだ。
亡母も、昭和ヒトケタだし、台所に入られるのはイヤだったそうだ。
自分のテリトリーに入られる感じが不愉快だったのだと。
でも、はっきり頼まれたので、がまんして、受けいれた。
(で…。できあがった料理は、ほめて食べる。失敗作でも、なにかしら、ほめる! これは、ワタシを含め、古い世代なので、家長をたててしまっていたのだ。でも、これ、重要!)
するとっ。
おかげで、父の料理の腕はあがり、(材料費はかかるけど…)、鍋奉行はもちろん、母の友人たちを招いて、天ぷら屋のように天ぷらをあげ、できたてを提供する、なんてことも、しばしばやって、得意になっていた。
何より、
「レンジも使えず、昼ごはんも用意できない」
男性とちがい、長い老後、母は父をほっといて出かけることができた!
今、若い方は、男性でも、料理をする人は多い。
もし、しない人は、ぜひ、身に着けておくべき習慣。
奥さんに頼り続けていると、先に奥さんがなくなったり、もしやボケたりして介護する立場になったとき、一気に、あらゆることをしなければならなくなる!
さらに欲をいえば、頭を使って、無駄のない料理を追及するのが、理想的に思われる。
あくまで「理論上」の話として。
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節約女王・武田真由美の1週間2500円ごはん (生活シリーズ) |
武田 真由美 | |
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