水戸出身の偉人
恐らく、水戸(茨城県)で最も多い銅像は「徳川光圀像」でありましょう。
本当は市内に8体あるのですが、震災の影響で、設置場所が閉鎖されていることもあり、
現在は7体が見て回れます。
TVドラマ「水戸黄門」で有名な黄門様ですが、地元では「義公」と呼ばれており、
市民の尊敬を集めています。
徳川光圀について
寛文元年(1661年)に34歳で第2代水戸藩主となり、笠原水道の敷設、寺社の移転と整理、
家臣の共同墓地の設置、和紙の専売実施など多くの改革に取り組み、藩内外から名君と仰がれた。
さらに、巨船「快風丸」を建造するなど、いち早く未来を見据えてもいた。
また、史記にならって「大日本史」の編纂に努め、近世日本の文化に影響を与えた。
元禄4年(1691)、藩主を譲り、常陸太田市の西山荘に隠居し、73歳で没した。
(水戸市設置の銅像の台座にある説明文より)
なお、ついでに「黄門」の意味も調べてみました。
黄門とは
「中納言」の唐名。元来は中国古代の宮廷の門の扉が黄色に塗ってあったことから、王宮の門の異称であったが、
秦・漢代には、この門の中にあって執務した侍従職の官職名として「黄門侍郎」の名があった。
日本で中納言の異称とするのは、その職務内容が類似するためである。
(常磐神社公式HPより)
ちなみに、歴代の水戸藩主の殆ど(7名)が中納言に任ぜられていたため、
「水戸黄門」と呼べるのは光圀公を含めて7名いるのだとか。
(常磐神社公式HPより)
あまりにも(!)長くやっていたドラマ「水戸黄門」。
途中から全然見ていなかったのだけど、黄門様をテレビで見られないのは、やはり何だか寂しいです。
しかし、そう思ったのは、どうも私だけではないようでして、
水戸の「黄門さん通り」には、こんなのぼりが建てられています。
そうか!その手があったか!!
のぼりに描かれた黄門様は筋肉隆々で、銅像のイメージと全然違いますが、
このイラストを見ていると、若かりし頃の黄門様ってどんな感じだったのだろうと興味が湧いてきます。
黄門様の生涯をドラマで見てみたいです。
戦国時代と幕末ものばかりの大河ドラマですが、黄門様の時代のものがあってもいいんじゃないでしょうか。
実現したらいいなぁ、と思います。
※写真の銅像は交番そばの「徳川光圀公の銅像」の所にあります。