あなたは神を信じているのだから、あなたは神の全ての言葉と働きに信仰を置かなければならない。すなわち、あなたは神を信じているのだから、神に従わなければならない。あなたがこれをすることができないのなら、あなたが神を信じているかどうかは重要ではない。あなたが長年に渡り神を信じていたとしても、神に決して従わず、神の言葉のすべてを受け入れず、代わりに、神に自分に従うように頼み、自分の観念に沿うようにさせるとしたら、あなたは数ある信者の中でもっとも反抗的であり、不信心者である。このようなものが、人の観念に準じない神の働きと言葉にどのようにして従うことができようか。最も従順でない者は、意図的に神に刃向かい、抵抗する者だ。彼は神の敵であり、反キリスト者だ。そのような者は常に神の新しい働きに敵意を保持して、従順になる意図は示さず、自ら喜んで従うことは決してなく、謙虚になることはなかった。彼は他の人の前で自画自賛し、決して他の人に従属しない者である。神の前で、彼は、自分自身が説教する能力が最も高く、他の人に働きを及ぼす技能が最も高いと思っている。彼は、彼がすでに所有する宝を決して破棄せず、それらを崇拝されるべき、他の人に説教すべき、そして彼を称賛するような愚か者へ講義するのに用いられるべき、家宝とみなしている。実際、教会にもそのような者がいる。彼らは「不屈の英雄」であり、何世代にも渡って神の家にとどまっていると言われている。彼らは、かの言葉(教義)を説教することが、彼らの最高の義務だと思っている。何年にも亘り、何代にも亘って、彼らは彼らの聖なる、神聖な義務を果たす。誰も敢えて彼らに触れようとせず、誰も敢えて公に彼らをとがめようとしない。彼らは、神の家で「王」となり、時代を経て独裁者のように振る舞った。これら悪魔たちは、手を取り、わたしの働きを壊そうとする。わたしの前でこのような生きた悪魔が存在することがどうして許せようか。気持ちの半分しか従順でない者でさえ、最後まで歩くことはできないのに、従順な気持ちが微塵もないこれら暴君などもってのほかだ。神の働きは、人によって容易に獲得できない。人が、能力の全てを使ったとしても、ほんの少ししか獲得できず、最後にやっと完成をみるということになるだろう。それでは、神の働きの破壊を求める大天使の子供達はどうだろうか。彼らは、神による獲得に対して希望を少しも持ってこなかったのか。わたしの征服する働きの目的は、征服のためだけでなく、義と不義が露呈するように征服をすること、人の罰の証拠を取ること、不道徳な者を糾弾することであり、そしてさらにわたしは従順なる気持ちを持つ者を完全にするために征服をする。最後に、全ては種類により分類される。そして完全にされた者は全て、従順さに満たされた思想を持つだろう。これが、為された働きの最後の結果となる。反抗心に満たされた者は罰せられ、火打ちの刑に処され、永遠に呪われるだろう。その時が来たら、これら元「偉大で不屈な英雄」は、もっとも底辺で、嫌われる「弱くて役に立たない臆病者」となるであろう。このことだけが、神の義の全てを説明し、神の性質は、その性質を犯し、神の怒りに触れることを許さないことを説明する。このことだけが、わたしの心の憎しみを鎮めることができる。これはとても理にかなっているとあなた方は同意しないだろうか。