わたしが年老いるまであなたに付き添わせようとしても、それは不可能であろう。自らの内面について完全に明瞭な状態の人間が達成されなければならず、そうなれば人間は証しに立ち、活用されることができる。それは遅すぎないであろうか。一層大いなる苦難を受けることにより、万人の中で真の知識が実現されるであろう。それはこの働きの段階のひとつである。今日伝えられたビジョンを、あなたが完全に理解して、真の霊的背丈を得たならば、今後どのような苦難を受けようとも、それがあなたを圧倒することはなく、あなたはそれらを耐えしのぐ事が出来るであろう。わたしが働きのこの最終段階を完了し、最後の言葉を述べ終えた時、将来において人々は自らの道を歩まなければならないであろう。これは前に述べられた言葉を成就することになる。すなわち聖霊は一人ひとりのために任務と、一人ひとりの中で行うべき働きをもっている。今後、各人は聖霊に導かれて歩むべき道を歩むであろう。苦難を受ける時に、誰が誰を世話することが出来るだろうか。各個人には独自の苦難があり、それぞれの霊的背丈がある。ある者の背丈は他の誰の背丈とも異なる。夫は妻の世話をせず、親も子の世話をすることはないであろう。他人の世話が出来る者は誰もいないであろう。現在とは異なるが、相互の世話と支援は依然として可能である。それはあらゆる種類の人間が暴かれる時となるであろう。すなわち、神が羊飼いを打つ時、羊の群れは散らされるのであり、その時あなたがたには真の指導者が不在となる。人間は分割されるであろう。それは信徒団として集うことの出来る現在とは異なる。後に、聖霊の働きがない者は、自分の真の姿を現すであろう。夫は妻を裏切り、妻は夫を裏切り、子は親を裏切り、親は子を迫害するであろう。人間の心は予想出来ない。出来ることは自分のもつものに頼り、道の最終行程をよく歩むことだけである。あなたがたは現在このことを明瞭に理解できず、皆目先の事しか考えていない。この働きの段階を上手に通過するのは、容易いことではない。