道の最終行程は現在を始点として、今後の苦難が完了する時までである。この行程は、人間の真の霊的背丈と、人間に信仰があるかどうかが明らかにされる時である。この行程は過去に導かれたいずれの行程よりも困難で厳しいため、「道の最終行程」と呼ばれる。実は、これは道の本当の最後の行程ではない。なぜなら、苦難を受けた後にあなたは福音を広める働きを行い、一部の者は用いられるという働きを経験するからである。ゆえに、「道の最終行程」は、単に人間の鍛錬の苦難と過酷な環境を指して語られる。過去において道のその区間では、わたしが自らあなたをあの楽しい旅路を通して導き、手を引いてあなたに教え、口移しにあなたに食べ物を与えていた。あなたは刑罰と裁きを何度も受けたが、あなたは繰り返し軽く打たれたに過ぎなかった。もちろん、そのために神への信仰に対するあなたの視点は大幅に変化し、あなたの性質も大幅に安定し、あなたはわたしに関する多少の認識を得る事が出来た。しかし、言っておくが、道の最終行程を歩む上で、人間が払う苦労の代償はかなり少なく、あなたを現在まで導いてきたのはわたしである。なぜならわたしはあなたに何かをするように要求する事はなく、あなたに対するわたしの要求は全然高くないからである。わたしはあなたに手に入れられることを取り入れさせるのみである。