ゆるふわ読書日記

徒然なるままに読んだ本を紹介していきます。
ゆるふわとは、ゆるゆるふわふわです。

カザルス J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲(全曲) TOCE-8562・63

2024-01-26 06:12:12 | 日記
パブロ・カザルス J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲(全曲) TOCE-8562・63

今だに、よくCDで音楽を聴く。
ライナーノートで共感した一節を、共有したいと思います。文章は大久保喬樹氏です。
「彼にとって、音楽とは、なによりもまず音を通じて他人に、自分の感情や思想を語りかけていく、その意味での言葉であり、それによって、音楽という、あるいは芸術という枠を越えて、哲学や宗教や政治と同様に直接人々に働きかけ、動かすような力なのである。
このことは、カザルスに限らず、アフリカでの布教医療活動と並行してバッハ研究、バッハ・オルガン曲の演奏を続けたシュヴァイツァー等、今世紀(引用者注:20世紀)前半の多くの巨匠たちに共通してみられる音楽観であるが、その根底にあるのは、学問にせよ、芸術にせよ、それぞれあらわれ方、手段方法は異っても、本質は、すべて同じ普遍的な人間性の表現、人間性への奉仕であるとみなすヒューマニズムの思想に他ならない。
カザルスの音楽は一貫してこの思想の実践である。バッハの無伴奏チェロ組曲での厳しい、烈しい、重い響き、ティボー、コルトーとのトリオでの官能的な響き、カタロニヤ民謡での素朴な、自然の響きまで、カザルスの音楽は実に多様な表情をみせるが、それらはすべてカザルスの人間性の表現であり、伝達(ルビ:メッセージ)なのである。」


リチャード・クライン『煙草は崇高である』

2022-10-07 03:50:23 | 日記
煙草が止められない。しかし、あともう少しで止めるだろうとは思っている。値上げばかりだし。

リチャード・クライン、太田晋・谷岡健彦訳『煙草は崇高である』太田出版(1997)

煙草を哲学するような本である。否定的(消極的)な経験をその契機として含むような美的満足、というカントの崇高の定義を煙草に当てはめて、煙草の美は崇高であるとする。どういう事かというと、例えばアルプスの自然の偉容や深淵と対峙して、自らの小ささや限界を感じ人は苦痛を感じる。そこから理性が想像力を励ますという葛藤をへて、やがてある快がもたらされる。これが苦痛を伴った「消極的快」であり、崇高の要素である。煙草は身体に悪いと分かっていても止められない。それを説き明かしてくれるのが煙草の崇高性だ、とのことである。
この本では、煙草との歴史、哲学や文学、映画、アメリカ政治の関係が多様に語られる。それにも関わらず「本書の更なる実用的価値は、この点にある。実をいえば、本書は禁煙のために執筆され、また供されているのである。(訳者あとがき)」
本書を読み、煙草を深く知る事で、逆説的に私は煙草を止められるだろうか。止めようとは思っている。

最近の本

2022-10-04 23:29:01 | 日記
図書館で借りてきたりして、最近読んでいる本です。

エルンスト・カッシーラー、山本義隆・村岡晋一訳『認識問題4』みすず書房(1996)
アガサ・ファセット、野水瑞穂訳『バルトーク晩年の悲劇』みすず書房(1978)
鈴木大拙著、北川桃雄訳『禅と日本文化』岩波新書(1940)
ベーラ・バルトーク、伊東信宏・太田峰夫訳『バルトーク音楽論選』ちくま学芸文庫(2018)
川端康成『眠れる美女』新潮文庫(1967)

最近は、バルトーク(1881-1945)の音楽にハマっています。当時の民俗音楽の採集が、文化人類学の走りのようにも思える。無調音楽への理解はありつつも、その方向へは流れなかった所が良かったのか。文筆面はというと、とても明確な文章を書く人ですね。川端康成はご愛嬌。