ゆるふわ読書日記

徒然なるままに読んだ本を紹介していきます。
ゆるふわとは、ゆるゆるふわふわです。

リルケ『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』

2022-10-24 04:54:41 | 
「『若き詩人への手紙』は、一人の青年が直面した生死、孤独、恋愛などの精神的な苦痛に対して、孤独の詩人リルケが深い共感にみちた助言を書き送ったもの。『若き女性への手紙』は、教養に富む若き女性が長い過酷な生活に臆することなく大地を踏みしめて立つ日まで書き送った手紙の数々。その交響楽にも似た美しい人間性への共同作業は、我々にひそかな励ましと力を与えてくれる。(裏表紙より)」

ライナー・マリア・リルケ(1875-1926)の『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(新潮文庫)。二人の相手に対し、非常に親密に、丁寧で、そして誠実に記された励ましと忠告の手紙である。私にとっては何度も読むことになる作品になるだろう。リルケのその高潔な生涯は、彼の作品の暗さと相反して、清らかな励ましを私達に与えてくれる。ブログを書いたり、何かを表現するにあたって、響いた一節を引用しておきたい。

「自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください。何よりもまず、あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、私は書かなければならないかと。深い答えを求めて自己の内へ内へと掘り下げてごらんなさい。(p.15)」




リチャード・クライン『煙草は崇高である』

2022-10-07 03:50:23 | 日記
煙草が止められない。しかし、あともう少しで止めるだろうとは思っている。値上げばかりだし。

リチャード・クライン、太田晋・谷岡健彦訳『煙草は崇高である』太田出版(1997)

煙草を哲学するような本である。否定的(消極的)な経験をその契機として含むような美的満足、というカントの崇高の定義を煙草に当てはめて、煙草の美は崇高であるとする。どういう事かというと、例えばアルプスの自然の偉容や深淵と対峙して、自らの小ささや限界を感じ人は苦痛を感じる。そこから理性が想像力を励ますという葛藤をへて、やがてある快がもたらされる。これが苦痛を伴った「消極的快」であり、崇高の要素である。煙草は身体に悪いと分かっていても止められない。それを説き明かしてくれるのが煙草の崇高性だ、とのことである。
この本では、煙草との歴史、哲学や文学、映画、アメリカ政治の関係が多様に語られる。それにも関わらず「本書の更なる実用的価値は、この点にある。実をいえば、本書は禁煙のために執筆され、また供されているのである。(訳者あとがき)」
本書を読み、煙草を深く知る事で、逆説的に私は煙草を止められるだろうか。止めようとは思っている。

最近の本

2022-10-04 23:29:01 | 日記
図書館で借りてきたりして、最近読んでいる本です。

エルンスト・カッシーラー、山本義隆・村岡晋一訳『認識問題4』みすず書房(1996)
アガサ・ファセット、野水瑞穂訳『バルトーク晩年の悲劇』みすず書房(1978)
鈴木大拙著、北川桃雄訳『禅と日本文化』岩波新書(1940)
ベーラ・バルトーク、伊東信宏・太田峰夫訳『バルトーク音楽論選』ちくま学芸文庫(2018)
川端康成『眠れる美女』新潮文庫(1967)

最近は、バルトーク(1881-1945)の音楽にハマっています。当時の民俗音楽の採集が、文化人類学の走りのようにも思える。無調音楽への理解はありつつも、その方向へは流れなかった所が良かったのか。文筆面はというと、とても明確な文章を書く人ですね。川端康成はご愛嬌。