ゆるふわ読書日記

徒然なるままに読んだ本を紹介していきます。
ゆるふわとは、ゆるゆるふわふわです。

エリアーデ『イメージとシンボル』

2021-09-23 13:50:32 | 
ミルチャ・エリアーデ(1907-1986)の『イメージとシンボル』(1952)。
ルーマニア出身の宗教学者、エリアーデによる論考である。「エリアーデが宗教史を通して成し遂げた人間精神への素晴らしい寄与のひとつは、西洋の伝統的な思考領域を踏み出て、異質な文化とのコミュニケーションの場に身を据え、非合理なものにまで立ち入りユマニスムの拡大を図ったことにある。(あとがき 訳者前田耕作)」と、あるように、キリスト教だけでなく、インド、アジア、オーストラリア、北アメリカ、アフリカなど、その考察範囲は広範に渉る。エリアーデより前の世代のタイラーやフレイザーなどのがらくた主義的立場を乗り越えた立場で考察は行われる。「その象徴そのものが≪限界状況≫の意識化の表現である(p.226)」と認識する立場のものである。序論、第1章≪中心≫のシンボリズム、第2章時間と永遠性のインド的シンボリズム、第3章≪縛(いまし)める神≫と結び目のシンボリズム、第4章貝殻のシンボリズムについての考察、第5章シンボリズムの歴史、がその目次であり、主に民族学的な物事を宗教的機能の観点から論述していく。
「自然発生的に伝播し、発見されたシンボル、神話、儀礼はいずれも常に人間の限界状況を顕示しているのであって、単に歴史的状況だけを表しているのではないということを確かめるためには、その問題を少し骨折って研究してみさえすればよい。ここでいう限界状況とは人間が大宇宙の中で己れの占める場所を意識化することによって見出だす状況のことにほかならない。宗教史家が自己の課題を課し、深層心理学および哲学さえ含めた学問の諸成果を再統合するのは、なによりもこれらの限界状況を解明するときなのである。(p.47-48)」
という部分が印象に残った著作である。

カント『プロレゴメナ』

2021-09-09 20:20:00 | 
イマヌエル・カント(1724-1804)の『プロレゴメナ』(1783)。正確な表題は「およそ学として現われ得る限りの将来の形而上学のためのプロレゴメナ(序論)」。
『純粋理性批判』を著した後のカントが、その内容を説明するために書いた著書である。『純粋理性批判』が綜合的方法で書かれ、本著は分析的方法に依っている。個人的には、綜合的方法で書かれた書物の方がスリリングだと思えるが、それでもカント哲学の端々が垣間見られて非常に充実した内容である。
『純粋理性批判』が「アプリオリな綜合的判断は可能か」を問うものであったのだが、それが与えられていることを前提とし四つの問題が提示される。
一 純粋数学はどうして可能か
二 純粋自然科学はどうして可能か
三 形而上学一般はどうして可能か
四 学としての形而上学はどうして可能か
これらを論述していくことで、解決されたと結論付けるのである。
空間と時間は純粋直観(感性の形式)であることや、物自体の設定が無ければ、現象は成り立たないこと、純粋悟性概念(カテゴリー)はあくまで経験を対象とする、といったカントの形而上学が再び顕にされる。理念が理性の本性に具わっているのは、なおカテゴリーが悟性に具わっているのと同じであるとされるが、厳密に両者を区別しないと仮象の原因となる、など理念と理性の考察に至るまでを論述する。結果、先験(超越論)的な四件の問題は、解決されたと結論付けられる。短文で紹介するには、私の手に余る著書であるが、最後に一文を紹介しておこう。「人間が理性的になり賢くなるのに遅すぎるということはない。(p.11)」


神谷美恵子『生きがいについて』

2021-09-02 21:43:10 | 
神谷美恵子(1914-1979)の『生きがいについて』。初版は1966年であるが、全く古びない内容で、今現在もなお読むべき価値を十分に持っている著書である。平易な文体と表現で記述されているが、著者の教養の深さを感じさせる引用が非常に多く、その内容の説得性を強めている。著者は当時非常な苦境にあったハンセン病患者の国立療養所に医師として出向き、彼らに寄り添おうと試みる。その中で生まれたのが本書である。「神谷美恵子はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあろうとした。本書は、ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索に支えられた、まさに生きた思想の結晶である。(本書カバーより)」
限界状況(人間の直面する、変えることも回避することもできない絶対的な状況(広辞苑))に直面する人間の精神の在り方の分析とその対応が、誠実な思索のもと記述されていくのである。個人的に印象に残った部分は多々あるが、「生きがいというものは、まったく個性的なものである。借りものやひとまねでは生きがいたりえない。(p.82)」という一文を挙げておこう。これは本書のほんの一部分でしかない。パール・バックやカーライルのエピソード、学術論文からの引用、そして何よりもハンセン病患者当事者の手記やコメントが心に迫る。さらに印象的だったのが、当事者達の神秘体験や信仰をありのまま取り上げている点である。読み物として非常に貴重であることを感じざるを得なかった。