OCTAVEBURG 外伝

ピアニスト羽石道代の書きたいことあれこれ。演奏会の予定は本編http://octaveburg.seesaa.net へ

渇きと潤い 私的ロマン論

2018-06-19 | 日記

この度期待の新鋭・サクソフォニストの本堂 誠くんのデビューのプロジェクトに関わらせていただいています。藝大の後輩でもありますが、パリ音楽院でも研鑽を重ね見聞を広め世界の舞台で評価されてからの今回のデビューリサイタル。満を持してとはこのことよ、というタイミングで意外にも初めてのソロ・リサイタルだったそうです。東京・大坂公演共に皆さまから暖かい熱い拍手をいただき大変熱狂的な公演になったことは、共演者の私としても安心もし、ありがたくもあり、改めて心から感謝をお伝えしたいと思います。

今回のプログラムがサクソフォン・リサイタルでありながらバリトン サクソフォン1本で行われたこと、現代曲のソロを2曲(これもまた話題の作曲家の作品)と、チェロ・ソナタを演奏したことがとても特別なことだった気がします。彼のバリトン愛が大変深くその可能性を信じて演奏する姿は音楽への純粋な愛とともに皆さまに響いたことと確信しております。

さてここからは私の事情です。

そのチェロ・ソナタは、ショスタコーヴィチとラフマニノフという...プロコフィエフを含めてロシアの3大チェロソナタ的なものですが、それはそれは作曲家の顔ぶれをみれば分かる通り、ピアノがそれはそれは熱く、厚く書かれているのです。羽石道代プラスシリーズの第9回でプロコフィエフのソナタは福富祥子氏のチェロとともに経験済みなのですが(その後山口春奈氏のバリトン・サクソフォンとも演奏しました)、この2人の作曲家はちょっと実は疎遠でございまして...。彼からお話をいただいたときに何回か聞き直したのですがそれは間違いではなく、これは大変だと姿勢を正してもなんというか座り心地が悪く、長くモゾモゾしておりました。。

ショスタコーヴィチは本当に疎遠だったので先ずは人を知るところから、ということで本を読み漁り、おかげさまで自分なりに少し理解が進んだ気がしています。ラフマニノフはホロヴィッツ・ファンの1人でもありますのでもちろんたくさん聴いて楽しんできました。

しかしですよ。

ラフマニノフに関して、私を長く知ってくださっている方は 自分同様 なに!?あなたがラフマニノフ? くらいのリアクションだったのではないかと。それぐらい遠いでしょう、ええ。
ソロの作品は少し触れるも初見程度で終わり、チェロ・ソナタをキヨミズの勢いで発案するも流れ(プロコフィエフになった)、もうあなたに出会う機会はないかなというところに ストっといきなり隣に座ってきたので 

おおおお なになに えーと、えーと...みたいな状態ですよ。

とはいえ、ずっとよそよそしくもしていられないので、えいや と向かうもさすがのロシア・ピアニズム。音の洪水の渦に飛び込む事すらできないし、スケールの大きさがハンパないことはわかっても奥深い森の中で霧に包まれ動けず、などとごちゃごちゃやっていても焦りが襲いかかってきて(焦りに関しては自分のせいもありますけどね...)なかなか居場所を決められずにいました。

この感じ...ロマンとは何かを私の心は忘れていたのです。

私はピアノを弾くことは演じることでもあると昔から思っているので、人に見えなくても役作りをしてそこに自分をはめていくという作業が私には結構大事なのですが、そんなに作らずスッといける場合と作り込まないと全くいけない時とある。ロマン強めの時は私はもう、大変ですよ。心が、疲れる...(って皆思ってないの?と心配になるくらい疲れるのです)。普段そんなに使ってたら心は壊れてしまうので、私は普段鍵をかけておく癖があるようですが、そこに大事なものがあるようなのです。今回はその鍵を開けるのも久しぶりで鍵を探すのからがもう大変、鍵を開けてからは使い方を思い出すのに大変、使って大変。それが私生活にも少し影響してしまうのでいきなり不安に襲われたりして大変。(ここは客観的に見て面白いな自分と思っている程度で、本当に乱れてはいませんので。)
で、一番困るのはそのざわざわする心で難しい音型を練習・演奏するときでも冷静な頭が必要なので、その意識のバランスがもう、大変、です。さらにパートナー(サクソフォン)もいるからそれを忘れては弾けないし、大変。とはいえ、そこが人と一緒に演奏するときの素晴らしいところで、本堂くんのサクソフォンの旋律はいつも進むべき道を明確に示してくれたので、大曲を演奏する上で迷わないための輝く道標でした。自分1人では足りないロマンも相手に刺激されることで生まれたものもあったと思います。いつも感謝。

ロマン。
私の中で別の言葉に言い換えるとすれば、憧れ。
嫌いじゃないし、持っていないわけではなさそうですが、サボっていたのかもしれません。疲れちゃうから。(ああ大人になってるなあ 笑)

ロマンというものは潤っているんじゃないかと思う。キラキラでも、ドロドロでも、溢れ出ているのがロマンな気がする。それをこちらが求めて「欲しい!」と思うとこっちはどんどん渇いてくる。心をカラカラにして、その潤いが自分にどれだけ入ってきてもいいような状態にするのかな、だからカラカラで渇いて辛くて、疲れる。だから感動すると涙って出るものなのかしら、泣いた時にスッと潤う感じってあるもんな。

と、普段血も涙もないと思われている私ですら、こんなに考えてしまうんだから、すごいかも、ラフマニノフ。
いい意味でもっと渇いていたいものだ、と気づかされたところです。

つまり
あ、わかった、
1口目のビールが渇いた喉にサイコー ってこと。
(もちろんビールではなく日本酒でも可。写真は今イチオシの日本酒 赤武 と すず様。)


春のまつり 前夜祭

2018-05-08 | 日記

今年はあっという間に春が過ぎ去り、初夏ももしかしたらもう終わったのかも...梅雨になってしまったのでは。ちょっと待って、春の祭りをさせて...と祈っている今日この頃です。

羽石道代プラスシリーズ第10回を「vol.1とvol.2 」という形にしたのは言ってしまえばノリだ。いつも印刷物をあれこれを素敵にデザインをしてくださる方とは毎回どんな方向にするかお話をするのだが、この時が一番私がモヤモヤしている時だ。チラシができると決まってしまう...みたいなソワソワ。この方は私のそんな状態も理解してくださっているので、ビシッと言って背中を押してくださるので、いつも甘えて申し訳ないがちょっとそれを頼りにしている。

最初は10回と11回のつもりだった。10回をスルーしたっていいじゃないか。そして(いつも皆様には混乱を招いて恐縮だが)2回分を1枚にするという(若干のセコさ)のも捨て難い...モヤモヤ としていたら
「うーん、11回とか...なんかスペシャル感がなくて作りにくいんですよ...やっぱりvol.1、vol.2がいいんじゃないですか?
出演者も情報量も多いから、見開きとかいいじゃないですか!
あーいい!そうしましょう!」

『....ハイ!』

といった感じで、今回の立派なパンフレットのようなチラシが完成いたしました。(チケットもこのような感じになっているんですよ...並べるとまたカワイイ。)

あと、単純に「冬の旅」と「春の祭典」が一緒になっているチラシを作りたいと思っちゃったので。こうなったのです。
快くお引き受けくださった出演者の皆様、改めてありがとうございます。。。

さて今回は、私の大好きなルネサンス、つまりバロック以前の音楽が弾けて嬉しい。この曲は以前、同級生の作曲家・西尾洋くんたちに誘われて既存の曲(主にバロックというかルネサンスでしたね)と新曲を組み合わせた演奏会「東京楽派」の時に出会ったものです。昔から愛してやまないルネサンスの曲をピアノで弾けるとは!という驚きと喜びで楽譜を手にしたことを覚えています。
うん。ある意味、容赦ない感じが歴史を感じてぐっときます。またタイトルがいいじゃあないですか。「我が青春はすでに過ぎ去り」ええ、私、過ぎてます。

ヒナステラ、バルトークはやっぱり自国への愛が溢れていますね。演奏するときは彼らのそういうピュア(というのか?)な部分を分かってあげたいと思っています。その愛は強いのでピアノのタッチも強さが要求されるので、悲しいかな、久しぶりに自宅のピアノの弦を切ってテンションが上がったというか下がったというか...。本番も気をつけたい...。

ストラヴィンスキー「春の祭典」は本当にやればやるほど、ですね。私たちも2回目となりますが、いやはや、ピアノで弾ける喜びを毎回確認しています。

春の祭典、忘れもしない出会い。中学生だったか...ピアノの練習を終えて深夜、ふと手にしたCDは「春の祭典 ローマの松」。これは楽しそうなタイトルね、聴いてみるかとCDをセットした。最初は え?今なんかブワーって盛り上がったけど?なんだったの?と冒頭のファゴットに戻ったあたりで軽く疑問を抱いていたが、あの8分音符の刻みが始まった瞬間本当にびっくりして恐怖を感じCDを慌てて消した。

何!今の!汗

深夜だったこともあり、よくわからない恐怖マンガを開いてしまった時のような恐ろしさにめちゃくちゃ怯えたことを覚えている。音楽の効果、絶大。狙い通りですよ...
懐かしく思い出す。あんなに純粋に音楽で怯えたのは後にも先にもないでしょう...。

コントラスツの3楽章の中間部と春の祭典のラストは随分ソルフェージュの授業の実作品の課題として勉強しました。それを演奏する日がきたのね、と思うのもまた良い感じ。割と生きている時間が長めになってきても、昔から好きなものって変わらず好きだったりする。それは当時の新鮮な驚きや素直な印象に対する懐かしさが加わってくるからかもしれない。
ああほらやっぱり。我が青春はすでに過ぎ去っているのだ。

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羽石道代プラスシリーズ第10回vol.2 「うた・おどり・まつり」
出演:羽石道代(Pf)
ゲスト:中村めぐみ(Cl)、佐々木絵理子(Vn)、石橋衣里(Pf)
2018年5月15日(火)19時開演 18時30分開場
会場:JTアートホール アフィニス

予約も承っております。Octave2004@aol.com
当日券も出ます。18:00から受付開始となります。

皆様のご来場心よりお待ちしております。
OCTAVE 羽石道代




冬の旅 旅前夜

2018-03-02 | 日記


暖かくなるのを待っていたはずなのに今年はちょっと暖かくなってきてソワソワする。
だって3月9日にシューベルトの「冬の旅」を控えているから...。寒いのも嫌なはずなんですが...なんとなく。(どうやら寒の戻りもあるようですね、それはそれで...)

いやいや覚悟の上決めたことなのです。3月って暖かいかも...でも色々な都合でこう決めたのです。暖かくても「冬の旅」、3月だけど「冬」の旅。
ブツブツ...

そうです、それより大切なのは曲の本質です。実際の気温ではない。

とはいえ、今年の1月の東京の大雪の日は(大変な思いをされた方も多かったと思います)私にはいいイメージが降ってきた機会でもありました。
皆さんはどうなんでしょうか、私は作品に対してイメージを固めるために調べたり妄想も繰り返しますが、まるでマンガのようにふとした体験から「...これだ!」みたいのを掴む日を待っていたりするので、若干行き詰まっていた段階だったこともあり、まさに天の思し召しかと。(大げさに言うと。)

私が利用する電車は残念ながら止まってしまったので、別のルートでせめて同じ区内に入ろうと決め、バスが発着する駅まで向かうもそんなに現実は甘くなく。もう何の列かわからないトグロを巻く長蛇の列に並ぶことが無意味に思えたので、1時間で歩けることもわかったし道も知らないわけではなかったし歩いて帰ることに決めました。重装備で万全の対策も取っていたこともあり不安もなかったので。

せっかくなので歩きながら考えた。
雪独特の静かな感じ。世界で今私しかいないかもという孤独感。せっせと歩いている自分の寒さと、家の明かり暖かさの差。歩き始めは元気。歩くのをやめるには寒すぎるからまた一歩、また一歩と足を出すことで何とか生きられる感じ。誰も歩いていない道を選ぶ心境。この辺りは共感できた。

私と彼が違う点。
私は帰る家があり、待っている人(すず様。犬だけど)がいる。彼は帰るのではない、最初は半ば逃げるように出て行くし、行くところがないわけではなく「どこか」を探しながらひたすら歩く。

つまり、帰れば「暖かさ」が保証されていることの素晴らしさ、誰か待っていてくれる「信頼」されている安心。それが「君にはあるけど僕にはない」を1つ1つ確認しているような「冬の旅」。何か自分は違うのかもと自分を見つめている主人公は、ここが居場所かと信じられる状況も何度かはあったが、やっぱりいられなくなってしまう運命にある「冬の旅」。

分かる。
いや、そこまで分かってないかも...でも、分かるよ。でも本人には分かってるとは言ってあげられないな...。きっと違うって言うから。という、そっとしておいてあげたい距離感を感じる。

このように気持ちをまとめながら、この感覚なんだっけ...とずっと考えていたのですが、私のもう1つ好きなもの、太宰治の「人間失格」との付き合い方だと気がつきました。
1年に1回読んで自分を戒めるのですが、読むたびに

分かる。
いや、そこまで分かってはいけない...でも分かるよ、ダメだな、あんた、その弱さ、その振る舞い。...でも分かるよ...。というこちらは踏み込んではいけないという距離感。

この主人公たちにある種の「男らしさ」を感じていて、それを遠くで(ここポイント)感じてあげることが、私に足りないものを補ってくれる気がするのです。

しかし今回は主人公側に立つことになりましたので、そんな距離を置いていてはいけません。リートのピアノはそんなものではない、ということも痛切に感じています。やることがたくさん...すごいんですよ、シューベルト。この音の少なさで表現しちゃうのね、と感動しています。天才ですねえ。
主人公を取り巻く「何か」になるために日々考えています。24曲分、自分が何に変身していけるのか、主人公をどう彩っていけるのか、私の初めての「冬の旅」が始まります。

ちなみに写真は雪の日のすず様。やっと帰ってきた足でそのまま散歩に行きました。シリアスな雪の世界から一転、犬と歩けば楽しい雪でした。どうやらすず様も誰も歩いていない道をわざわざ選んで行くのがお好きでした。
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羽石道代プラスシリーズ第10回vol.1 羽石道代プラス池田直樹「冬の旅」
ゲスト:池田直樹 (バス・バリトン)
2018年3月9日(金)19時開演 18時30分開場
JTアートホール アフィニス
全席自由:一般 3500円 学生 2500円
*当日券あります。18時から販売します。

2018年節目の年。演奏会シリーズのことを改めて。

2018-01-16 | 日記

1月半ばも過ぎて失礼します。。。2018年もよろしくお願いいたします。
今年は何かと節目の年になります。(人生もステージアップ)

まず、羽石道代プラスシリーズが第10回となりました。本当に皆様のおかげです、ありがとうございます。一度ブログを消してますので(嗚呼...)ここで少し振り返らせていただいきます。

この前身はSempre vivo というシリーズでキャッチフレーズは「若手演奏家による」でした。ですので、ある程度の年齢になった時に人に言われる前に違和感を感じ、いい機会なので改めようと考えたのがこの「プラス」というシリーズでした。Sempre...も初めてコンチェルトをした時に指揮者の先生にいただいた素敵な言葉だったので大事にしていたのですが、音楽用語としては一般的ですがいちいち意味を問われるということは浸透してないということですし、タイトルに自分の名前が入っているのは何かと都合が良いということも数回やるうちに学びまして、このようにしました。あと、プログラミング命の私としてはソロ・室内楽にこだわらずに組むことに満足があったので、私プラス ゲストをお招きするという形に徹底してやるという意思表明もあり、コンセプトも内容もこの一言で済むので今でも気に入っています。
1年内に2公演行い、1年は休むペースで、企画が降ってきた時に動くようにしました。(つまり先にホールだけでも予約、ということはしない。)義務じゃないしね、音楽は自由なんだから、を心に留めています。

今回のチラシのご挨拶にも書かせていただきましたが、単純にいえばこのシリーズは「欲張りな私」の企画です。やりたい曲をやりたい方をお招きして兼ねてからの夢を叶えていく。なかなかそんな図々しい人(特にピアニスト)も少ないのではないかと思いますが、ピアノを弾きたくて続けているわけですし、自分がやりたいことをやらないと死ねないなと。好きなことをやるために大人になりたいと思ってきましたので、それが何であれやってみたいのです。わがままだと言われても「そうですねえ」と言えるくらい大人になってきました。笑
そんな私に協力してくださる方々、聴きにきてくださる方々には本当に感謝しています。私が本当に信頼するゲストの演奏も含めてもっと多くの方に聞いていただければもっと嬉しい。ぜひぜひ今後ともよろしくお願いいたします。

そして今回は本当に夢を叶える感じです。
いつかはシューベルトの「冬の旅」と心にありました。私のキャラかどうか、取り組むに値する人間なのか、なんであなたが?と、すでに問われるところかもしれませんが。

「冬の旅」は小学生の頃から聞いてきました。本をこよなく愛する文学少女であった私は歌詞がストーリーになっていること(連作歌曲)がまず気に入っていたのだと思います。さすらい人 という孤独な感じも好きでした(スナフキンが好きだからかと...)。もちろん歌詞を読むほどに当時の自分とは違う感じで心に響いてきていると思いますが、小学生でもきっと感じる何かはあったのでしょう。失礼な感じで言いますが、すごいなあシューベルト。これ以上はもっと拙い言葉しか出てきませんので許してください。

あと思い出したエピソードとしては、叔母が名「伴奏者」(あえてこう言います)ジェラルド・ムーアの話をしてくれたんだと思います、引退公演の時に名だたるソリストが次から次へと出演してね...など。すごいなあと。そんな人になりたいなとうっすら思ったことで私が作られてきたのではないかと思います。リートの伴奏をいつかしてみたいものだと。

これが私の人生と音楽の節目にもなると、信じて取り組んでいます。
ちなみに今週初リハーサルです。緊張しますね。。。

写真は節目の時のパーティーの様子。自らドラピエのマグナムでお友達に感謝を表しました。あっという間に空きましたけどね。。。ワインのようにいつも美味しくありたい!

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羽石道代プラスシリーズ第10回vol.1羽石道代プラス池田直樹「冬の旅」3月9日(金)
              vol.2うた・おどり・まつり 5月15日(火)
両公演 会場 JTアートホール アフィニス 19時開演

チケットのご要望はeプラスでも
http://eplus.jp/sys/main.jsp?uji.verbs=GGWP03_search&uji.id=search&uji.bean=G.apl.web.bean.JOAG010201Bean&ZScreenId=GGWA01&uketsukeInfoKubun=001&keyword=%89H%90%CE%93%B9%91%E3&siteCode=1221
OCTAVEにメールでも Octave2004@aol.com
出演者でも受け付けております。
よろしくお願いいたします。


すずのこと 1

2017-12-02 | 日記

黒柴・すずが「うちの犬」になったのでちょうど1年経ったので、改めてこちらに書いてみようと思います。

ハナ(アメリカンコッカースパニエル)が旅立ってしまってとうとう犬がいない暮らしになって、寂しくって仕方なかった私は心を決めた。自分で責任を持って犬を飼おうじゃないか。だって犬が大好きなんだから。一生にあと何頭「自分の犬」と暮らせるのか...など考えれば考えるほど犬との暮らしに憧れが募り、(意外と)石橋を叩いて叩いて渡らない私が重い腰をあげて行動に出た。

昔、近所に元気で可愛い犬がいた。その犬を愛してやまない飼い主のおじさんも気さくないい人で、その犬に赤ちゃんが生まれた時に子犬を貸してくれたことがあった。私は小学生だっただろうか、その時はちょうど初代の犬が逝ってしまって羽石家・犬不在の時期だった。それでも「赤ちゃん犬」は初めてだったからその可愛さに心奪われ、ヨチヨチ、トコトコ散歩する姿に満たされたことをよく覚えている。白に黒の模様があるふわふわの犬だった。

この思い出もあって、もし自分が犬を飼うなら「近所の犬の子どもを譲ってもらう」のがベストな方法、という気持ちを持ち続けていたがなかなか近所の犬に赤ちゃんは産まれないようで。それでは保護団体から譲っていただく形がいいと思ってまずはネットで探し始めた。いろいろな条件の中から信頼できそうな保護団体を決めてそのページを眺めていると、予想以上の数の犬たちの写真がずらり、それもブランドの犬たちがほとんど。そこにはどんな経緯で保護されたのかという情報や、現在の状態などが書き込まれていた。日々サイトを閲覧していたが、犬種、年齢なども含め、気になる子が現れた。

ところでそこにはどんな説明が書かれていたかというと
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ブリーダー放棄犬。うまく産めないからという理由。過酷な環境から相当ダメージを受けているようで、人の注意を引かないように存在を消し、自分の唯一の安全な居場所のケージに一目散に戻りたがる。ケージの扉が閉まっているといつまでもずっと扉の前で待っている姿が可哀想なくらいでした。
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そして写真は、不思議なぼーっとした目をした犬だった。でもなんだか気になる犬だった。

最初にお見合をすることになっていたので、その日まで何度もこの説明文を読んだり、想像したり、関連することを調べたりしては、悲しくなったり嬉しくなったりまさに「期待と不安が入り混じった」思いで過ごしていた。この子だけじゃない、他の子の状況を読んでは胸が痛んだ。本当に止むを得ない事情はほぼ無いように思え、人のワガママが犬に押し付けられているように見えた。保護団体に渡しているからまだいい、ではない。命なのに。そしてこの犬の不安を自分が取り除けるかも不安に思った。できるのかな、自分。

など考えながら、お見合いの日取りが決まり有名な大きい公園で会うことになった。晴れていたけど風のある朝だった。預かりボランティアの方に連れられた犬は、毛並みはとってもよくて黒くてピカピカツルツル、でも身体が細くて、やっぱりぼんやりした目をして犬の快活さみたいなものはあまり感じなかった。存在を消す、そんな感じだった。犬は風の音に怯えて固まりながらも身体を触らせてくれて、その毛並みと温かさに会う前から決めてはいたけど、ぜひ一緒に暮らしたいと思った。立ち去る様子を見ていたが、犬は結局固まって歩けなくなっていて最終的に自転車のカゴに乗せられて帰って行った。笑...いや、これも後になってわかる、散歩事情の宣告だった。

その後、保護団体に2週間のトライアルを申し込み、我々も本格的に受け入れの準備を進めた。
名前も色々考えたけど、呼びやすさと黒っぽい音の感じから すず にした。

そして迎える日。

私は上越にいた。。。この段階でもう格付けが決まっていたことを後で知る。

もちろん、お見合いでニンゲン2人に会ったなんてことは犬は覚えているまい。

すず (新しい家にくる。日中1人に迎えられる。)
    ああこの方と私の新しい生活なのね。(散歩、ご飯。くつろぎ。)
私  (夜になって) ただいまー わー可愛いー嬉しいーすずーよろしくねー
すず あらっ?次の犬(私のこと)が来たわ?大荷物でガサガサとうるさいわね...
もう...カサカサしないで 怖いから!なんなのこの人...私たちの生活の邪魔をして...

的な出会いになってしまったことが決定的で、私はこの瞬間から下僕に成り下がりました。

飼ってみて、柴犬はさすが和の犬。やっぱり日本の魂を持ち合わせているようです。主人には忠実。それ以外(私)は下。
そして、色々な辛い経験もあってか、すずも生きる術を身につけたのでしょうか、大人の女のテクニックがすごい。ツンデレって言うやつです。すごいんです。もう、完全に負けてます私。

ところで私の趣味の1つで(?)ペットに「当てぶり」するのが好きなんですが、すずのキャラを決めかねていたのですが無事に決まりました。
時代劇風 奥様もしくは姫君。1人称は基本 わらわ です。私は「お付きの者」ですので基本「すず様」に敬語でお話ししています。

というように私の日常が少しだけ変わりました。もちろんお世話は大変な面もありますし小さな命に対して心配が増えたとも言えますが、それよりも喜びが増えた気がします。すず様が尻尾を振ってくれたとか。(私には基本3回までというクールな対応です)
写真はすず様が到着してすぐの写真。私が上越にいた時間帯に受け取った最初の写真。嬉しかったな。
この幸せが続きますように。