SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

春愁

2016-04-10 17:44:41 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」


男声合唱組曲『尾崎喜八の詩から』

春愁
(ゆくりなく八木重吉の詩碑の立つ田舎を通って)


静かに賢く老いるということは

満ちてくつろいだ願わしい境地だ、

今日しも春がはじまったという

木々の目立ちと若草の岡のなぞえに

赤々と光りたゆたう夕日のように。


だが自分にもあった青春の

燃える愛や衝動や仕事への奮闘、

その得意と蹉跌の年々(としどし)に

この賢さ、この澄み晴れた成熟の

ついに間に合わなかったことが悔やまれる。


ふたたび春のはじまる時、

もう梅の田舎の夕日の色や

暫しを照らす谷間の宵の明星に

遠く来た人生と おのが青春を惜しむということ、

これをしもまた一つの春愁というべきであろうか。




詩文集3「その後の詩帖から」より





男声合唱組曲『尾崎喜八の詩から』
初演データ
演奏団体:関西学院グリークラブ
指揮者:北村協一
演奏年月日:1975年(昭和50年)1月18日
関西学院グリークラブ第43回リサイタル(於 神戸国際会館)



~ 第43回リサイタルプログラム:多田武彦氏(作曲家)より ~

「自然と、心から語り合える詩を歌い出すこと」
それが詩人尾崎喜八の全生命である、といわれるほど、その時は健全な自然と、それに晴れやかに生きている人間を歌っている。(中略)

尾崎喜八の自由詩に基づく音楽的絵画の陳列で、各曲の間の連携はない。しかし一つ一つの作品の中に特色を出してみた。何度読み返しても飽きない、いい詩であったので、久しぶりにさらっと書けた。

第一曲 「冬野」は詩人が千葉県三里塚の真冬の夕暮の原野に立って詩っている。
第二曲 「最後の雪に」は東京都品川区戸越公園の近くに住んでいた頃の詩である。
第三曲 「春愁」は東京都世田谷区上野毛を逍遥した時の作。
第四曲 「天上沢」はその名のとおり長野県天上沢を描いたもの。
第五曲 「牧場」は同じく御牧が原の情景。
第六曲 「かけす」は同じく富士見峠での詩作。



日光はまばゆくも暖かい。ただ輪廻の春風が 成敗をこえて吹きすぎる。

2016-03-30 10:33:00 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
尾崎喜八は、戦後7年間過ごした 富士見「分水荘」を離れ(昭和27年)、
その7年後(昭和34年)に再び 富士見に訪れた時のことを詠んでいます。

『これは 昭和三十四年三月末に書いた詩である』


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悔恨は長く、受苦は尽きない。

ただ輪廻の春風が成敗をこえて吹き過ぎる。

 

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「受難の金曜日」
カールフライターク (富士川英郎君に) 
自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より



まだ褐色に枯れている高原に

たんぽぽの黄の群落がところどころ、

そよふく風には遠い雪山の感触があるが

現前の日光はまばゆくも暖かい


かつて私が悔恨を埋めた丘のほとりの

重い樹液にしだれた白樺に

さっきから一羽の小鳥の歌っているのが、

二日の後の古い復活祭を思い出させる。


すべてのきのうが昔になり、

昔の堆積が物言わぬ石となり、岩となる。

そしてそこに生きている追憶の縞や模様が

たまたまの春の光に形成の歌をうたう。


『うるわしの白百合、ささやきぬ昔を・・・・・・』

そのささやきに心ひそめて聴き入るのは誰か。

悔恨は長く、受苦は尽きない。

ただ輪廻の春風が成敗をこえて吹き過ぎる。

(一九五九年三月二十七日 金曜日)




【自註】
これは昭和三十四年の三月末に書いた詩である。

用事があって東京から松本へ行き、帰途 久しぶりに富士見に寄って一泊した。

土地の親しい幾人かが旅館に集まって馳走をしてくれ、昔話に花を咲かせ、私も快く酔って寝たその翌朝が二十七日金曜日、すなわちその二日後が復活祭というキリスト受難の金曜日だった。受難週間に酒を飲んだり馳走を食ったりするのは言わば破戒の行為だったが、それと知りながらも旧知の招宴を辞退するわけにもいかなかった。なぜならば彼らはキリストには無縁の人だったから。そして私にとっても、有縁も有縁、この土地での生活にはいろいろ厄介をかけた人達だったから。

帰京の汽車の時間もあるので、私は早く起きて曾て七年間を住み馴れた分水荘の在る丘のほうへ歩いて行った。そよ吹く風こそまださすがに冷たいが、早春の日光は暖かく、路傍にはところどころタンポポの花さえ吹き出していた。小鳥が一羽、いつまでも続く歌を歌っていた。なじみも深いホオジロだった。私は向うの分水荘の森を見ながら道の岩に腰をかけた。昭和二十七年にあの森の家を引き払ったのだから今年で早くも七年になる。年老いた私にとって七年と言えばもうりっぱな昔である。

それでその昔より更に七年前の昔の或る日、私は自分の芸術を他国と戦っている祖国への愛に捧げ尽くした自責の念にさいなまれ、悔恨の思いを埋めるためにこの高原へ来たのである。その十四年間の思い出の数々が、その堆積が、追憶の模様を描いてこの堅固な岩に象徴されている。明後日の復活祭を私は東京で祝うだろう。妻と共にあの讃美歌を歌い、花を飾り、卵の殻を染めるだろう。

しかし今日はそのキリスト受難の金曜日。

私にとっても過ぎた歳月をあだおろそかには思えない日だ。そう思って静かに腰を上げ、もう一度高原の遠く近くを眺め渡し、さて黙々と駅前の町の宿へ戻ったのである。

富士川英郎
ふじかわ ひでお(1909年2月16日 - 2003年2月12日)
日本のドイツ文学者、比較文学者。

 

尾崎喜八

 


『杖突峠』(つえつきとうげ) 尾崎喜八

2016-03-25 08:10:31 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
寒の戻りの3月24日は、冬に逆戻りの様相。
春よ、来い(^^♪ 「全開」の春よ!



ぽかんとした安らかな気持ち

詩人 尾崎喜八は、長野県茅野市と伊那市の境界の 杖突峠で、
「春の心地よさ」を詠んでいます。




『杖突峠』 
自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より


春は茫々、山上の空、

なんにも無いのがじつにいい。

書物もなければ新聞もなく、

時局談義も とやかくうるさい芸術論もない。

頭をまわせば銀の残雪を蜘蛛手に懸けた

青い八ヶ岳も蓼科ももちろん出ている。


腹這いになって首をのばせば、

画のような汀(みぎわ)に抱かれた春の諏訪湖も

ちらちらと芽木のあいだに見れば見える。


木曽駒は伊那盆地の霞のうえ、

檜や穂高の北アルプスは

リラ色の安曇の空に遠く浮かぶ。

そればみんなわかっている。

わかっているが、目をほそくして 仰向いて、

無限無窮(むげんむきゅう)の此のまっさおな大空を

じっと見ているのがじつにいい。



どこかで鳴いているあおじの歌、

頬に触れる翁草あずまぎく

此の世の毀誉褒貶(きよほうへん)をすっきりとぬきんでた

海抜四千尺の春の峠、

杖突峠の草原(くさはら)で腕を枕に空を見ている。



【自註】
杖突峠は中央線茅野駅から南西四キロのところにあって、高さは一二四七メートル、諏訪盆地から遠く伊那の高遠(たかとお)へ通じている杖突街道の、言わばここはその入り口である。頂上の草原からの眺望は詩にも書いたとおり実に美しく晴れやかに雄大だから、春や秋の好季節には私も近道をしたりわざわざ遠廻りをしたりして度々ここを訪れた。今では茅野から高遠通いのバスも通っている。しかしこの詩はまだそんな物の無い時に出来た。諏訪湖をとりまく幾つかの町は頸飾りの玉とかばかり下の方に連なって見えるが、それが東京などで経験する厭な事をまるで想わせないのが気に入った。たまたま聴こえるのはこの高みで歌っている小鳥の声、すぐ顔の前にはつつましやかな春の花。譏(そし)りも無ければ陥(おとしい)れも無く、不愉快な噂も陰口もここまでは伝わって来ない。

腕を枕に真青な空を見上げて柔らかな草に寝ている一時の、このぽかんとした安らかな気持を何と言おう。


杖突峠からのパノラマ写真<2014.Oct.26>(ウキペディアより)



【茫々】(ぼうぼう)
果てしなく広々としているさま。ぼんやりしてはっきりしないさま。

【無限無窮】(むげんむきゅう)
果てしないこと。また、そのさま。無限。永遠。

【毀誉褒貶】(きよほうへん)
ほめることと、けなすこと。さまざまな評判。

      リラ色      


あおじ         翁草         あずまぎく
  

春の彼岸

2016-03-19 08:00:04 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
しっとりと濡れている、雨模様の朝は、すがすがしくもあり、肌寒さも感じます。


南の空 (豊中市:3月19日)

北の空 (豊中市:3月19日)


明日は、 『春分の日』 <3月20日(日>

春のお彼岸の中日。

「雪の白いつばさ」をイメージしながら、読み直してみました。(見出し写真:八ヶ岳)




『春の彼岸』 自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より

山々はまだ雪の白いつばさを浮かべて

三月の空の中ほどに懸かっているが、

早春の風はすでに 柔らかに あおあおと

水のほとりのはんのきの裸の枝と

その長い花の房とをふきめぐっている。


草木瓜(くさぼけ)の赤、たんぽぽの黄がここかしこ。

しかしおおかたはまだ枯草の丘の墓地に

蒼く苔むした古い墓石、

かずかずの新しい白木の墓標、

いつくしみと忘却とは其処に優しく息をつき、

春の哀愁はほのぼのとあたりに漂う。


煩悩(ぼんのう)の流れをあえぎ渡って、

久遠(くおん)の国の岸辺から

この世をいとおしむ俤(おもかげ)らのなつかしさ。


しかし人はまだ幻滅と塵労(じんろう)との日を営々と生きて、

ただ今日のような早春の山や光や花や風に

たまたま悲しくも清らかな

平和への誓いの歌を聴くばかりだ。


【自註】
別荘の森のむこうの丘のなぞえに、一箇所 小さい墓地 があった。甲斐駒ガ岳や鳳凰三山を正面に見る良い場所だった。

その墓地が春や秋の彼岸の日には近隣のから来た墓参の人達で静かに賑わう。

古い墓石もあれば新しい白木の墓標も立っている。

新しいのはそのほとんどが戦死者のものである。

「陸軍一等水兵だれそれの墓」だとか書いてある。

昔の死者もつい近年の戦没者もここに葬られて、春まだ浅い枯草の中、ちらほらと咲き出した花の間に同じ永遠の眠りを眠っている。


生きていた日の彼らを私は知らず、彼らもまた元より私を知らない。

しかしこうして生者と死者とが互いに近く住んでいる事こそ他生の縁というべきである。

ましてや私は敗残の都から遠く流れて彼らの郷土に身を寄せている人間である。

高原の風もようやく柔らかなこの春の彼岸の中日に、どうして素知らぬ顔でこの死者の丘の小径を歩けよう。


この詩はすなわち 彼らへの手向けの歌 だ。





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はんのき(榛の木)


赤い草木瓜(くさぼけ)


たんぽぽ


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【塵労(じんろう)】
世の中・俗世間における煩わしい苦労
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雨 ~雨の音がきこえる... ~

2016-03-14 15:10:53 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
尾崎喜八は、 詩人 八木重吉 の詩碑 を訪ねています。
喜八にしてみれば「思いがけない出逢い」のようですが...


○尾崎喜八(1892.1.31-1974. 2. 4)
○八木重吉(1898.2. 9-1927.10.26)
*重吉、29歳と若くして病没。


後に、「春愁」(しゅんしゅう)<尾崎喜八詩文集3『その後の詩帖から』>を詠み、そして
男声合唱組曲『尾崎喜八の詩から』 Ⅲ春愁 の表題に記載されているのが、以下の「副題」です。

~ ゆくりなく八木重吉の詩碑の立つ田舎を通って ~
 * ゆくりなく : 思いがけず、偶然に。


『八木重吉詩集 素朴な琴』 の中に、こんな詩があります。

「雨の日」 詩人:八木重吉

雨が すきか
わたしは すきだ
うたを うたわう


今日は雨。

降り続けると、今日は、特に肌寒く感じます。
男声合唱でよく歌われる 『組曲 雨』 終曲:「雨」を歌うのではなく、
「雨の音」にしようと思い、スコアを、ストリングス音源作成してみました。

よろしければ、お聴きください。


(2分24秒)

雨  八木重吉

雨の音がきこえる
雨が降っていたのだ

あのおとのようにそっと
世のためにはたらいていよう

雨があがるように
しずかに死んでいこう



「八木重吉詩集 素朴な琴」
詩碑には、この詩が刻まれています。