春愁
(ゆくりなく八木重吉の詩碑の立つ田舎を通って)
静かに賢く老いるということは
満ちてくつろいだ願わしい境地だ、
今日しも春がはじまったという
木々の目立ちと若草の岡のなぞえに
赤々と光りたゆたう夕日のように。
だが自分にもあった青春の
燃える愛や衝動や仕事への奮闘、
その得意と蹉跌の年々(としどし)に
この賢さ、この澄み晴れた成熟の
ついに間に合わなかったことが悔やまれる。
ふたたび春のはじまる時、
もう梅の田舎の夕日の色や
暫しを照らす谷間の宵の明星に
遠く来た人生と おのが青春を惜しむということ、
これをしもまた一つの春愁というべきであろうか。
詩文集3「その後の詩帖から」より
男声合唱組曲『尾崎喜八の詩から』
初演データ
演奏団体:関西学院グリークラブ
指揮者:北村協一
演奏年月日:1975年(昭和50年)1月18日
関西学院グリークラブ第43回リサイタル(於 神戸国際会館)
~ 第43回リサイタルプログラム:多田武彦氏(作曲家)より ~
「自然と、心から語り合える詩を歌い出すこと」
それが詩人尾崎喜八の全生命である、といわれるほど、その時は健全な自然と、それに晴れやかに生きている人間を歌っている。(中略)
尾崎喜八の自由詩に基づく音楽的絵画の陳列で、各曲の間の連携はない。しかし一つ一つの作品の中に特色を出してみた。何度読み返しても飽きない、いい詩であったので、久しぶりにさらっと書けた。
第一曲 「冬野」は詩人が千葉県三里塚の真冬の夕暮の原野に立って詩っている。
第二曲 「最後の雪に」は東京都品川区戸越公園の近くに住んでいた頃の詩である。
第三曲 「春愁」は東京都世田谷区上野毛を逍遥した時の作。
第四曲 「天上沢」はその名のとおり長野県天上沢を描いたもの。
第五曲 「牧場」は同じく御牧が原の情景。
第六曲 「かけす」は同じく富士見峠での詩作。