SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

どこか 満たされた心持ちになる ぎょうざ 常行三昧 【餃子の王将 出町店】

2020-09-30 18:17:04 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)
惜しまれつつ、餃子の王将 出町店 店主 井上定博さん(70)は、古稀を迎えたのを機に、来月末での閉店を決めたという。


今夜は
ぎょうざを
噛みしめる、かな? (^^)



最澄の言葉
「一隅を照らす、これ すなわち 国宝なり」

常行三昧(天台宗)
心をひとつのことに集中し、正しい智慧を得るための修行。

【読売新聞 編集手帳 令和2年(2020年)9月30日より】


◆先週末の本紙夕刊に、ある飲食店の貼り紙の写真が載った。苦学生に向けた手書きの文字は一言一句を眺めるだけで、どこか満たされた心持ちになる。

◆京都市の「餃子の王将」出町店にこんな掲示がある。<めし代のない人/お腹いっぱいただで食べさせてあげます/但し仕送りが遅れているか/昨日から御飯を食べていない人に限ります>。貼り紙には2年前まで「皿洗いをしたらタダ」とあった。

厚情を受けた学生は40年近くで約3万人に上る。惜しまれつつ、店主の井上定博さん(70)は古希を迎えたのを機に来月末での閉店を決めたという。

◆京都ということもあり、最澄の言葉「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」を浮かべた。誰に言われずとも宝になった方ではないかと。感謝を伝えにくる“元学生”で、お店はにぎわうことだろう。ここでしか食べられない特別な餃子を味わえるのも、残りひと月である。

◆最澄でもう一つ。天台宗では、心に仏さまを念ずる修行の一つを<常行三昧(じょうぎょうざんまい)>と呼ぶ。平仮名を眺め回しているとき、まさかと思った。なかほどに「ぎょうざ」とある。



常行三昧
じょうぎょうざんまい


追記: 「上(じょう) 餃子 うまいッ!」(^^)

ご覧いただきありがとうございました。
【イラスト /みさきのイラスト素材】 

今夏の西日を思い出す。もう エアコンを消して寝てもよいですね。

2020-09-29 19:00:00 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)
見出し写真:2015年9月撮影(場所:大阪府豊中市)


今年の秋は、どんな景色だろう・・・


 徳富 蘆花(とくとみ ろか)<1868年ー1927年>熊本県に生まれる。本名は健次郎。兄はジャーナリストの徳富 蘇峰。同志社英学校に進学しキリスト教の影響を受ける。蘇峰のもとで文筆家として修業。最初の小説「不如帰」(元々は「ふじょき」と訓んだが、現在「ほととぎす」が一般的)がベストセラーとなる。映画、演劇の原作としても著名。トルストイの平和主義に傾倒していた蘆花は、しだいに国粋主義的思想を持つようになった兄と対立、絶縁状態となる。病死の直前に兄と再会、和解する。



【読売新聞 編集手帳 令和2年(2020年)9月29日より】

◆徳冨蘆花は神奈川県の逗子に住んだ時期がある。小説の『不如帰』と並び称される、名随筆『自然と人生』(岩波文庫)に、湘南海岸から自然や季節の移ろいに目を凝らしたようすがうかがえる。

◆一つに夕日がある。湘南地域からは、冬至には、伊豆の天城山、春分や秋分のおりには、富士山に太陽が沈んでいくと記している。秋のお彼岸から間もない、きのう、富士山の初冠雪が確認された。

◆どんな景色だろう。紅色の夕日と、その色に染まる雪と。富士山も、モミジやカエデに負けじと、紅くなるのかもしれない。秋が、ようやく秋らしくなってきた。

◆夕日は、ふしぎなことに、昼間に高い場所にある太陽よりもずっと大きく見える。これを孔子が証明しようとして、できなかったとも伝えられている。それもそのはずで、夕日が地球に近づくことで起こる現象では当然ない。何でも人間の視野は、上下より水平方向に広いため、空より地平線付近にあるものが大きいように錯覚するのだとか。

◆巨大な熱源のようだった、今夏の西日を思い出す。もう、エアコンを消して寝てもよいですね。と、やさしくなったお日様に、念を押してみる。


ご覧いただきありがとうございました。
【イラスト /みさきのイラスト素材】 







ノムさんの言葉を借りて ぼやき 具体的にどうするんや? ~<二つの政府のゼロ目標> 待機児童ゼロ/介護離職ゼロ ~

2020-09-28 19:56:00 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)
ノムさんの言葉を借りて、
ぼや きます。

<二つの政府のゼロ目標>
待機児童ゼロ
介護離職ゼロ

著書「上達の技法」(日本実業出版社)
元プロ野球監督の野村克也さん
京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。1935年〈昭和10年〉6月29日 ‐ 2020年〈令和2年〉2月11日)

【読売新聞 編集手帳 令和2年(2020年)9月28日より】

◆元プロ野球監督の野村克也さんは生前、「日本一になりたい」という選手が多いことを心配していた。「具体的にどうするんや?」と聞くと、言葉に詰まってしまうからだという。著書「上達の技法」(日本実業出版社)にあった。

◆大きな目標は聞こえはいい。だが、実現するためのプロセスを考えることが大切。そこをおろそかにすると、成果が出ず、あきらめることになりかねない。そんな親心があったのではないか。

◆二つの政府のゼロ目標を思い出した。一つは、2020年度末までに保育所などに入れない待機児童をゼロにすることだ。先頃発表された待機児童は1万2000人以上だった。介護離職ゼロも掲げているものの、離職者は10万人近くいる。いずれも達成は難しそうだ。

◆国の約束だ。「無理です」ではすまされない。子育てや介護は、日々の生活にかかわる。待っていられない。達成できない理由は何か。実態をもとに丁寧に分析し、実現までの道のりを示してほしい。

◆新しく代わった内閣の面々を思い浮かべつつ、ノムさんの言葉を借りて、ぼやかせていただく。具体的にどうするんや?



ご覧いただきありがとうございました。
【イラスト /みさきのイラスト素材】 


秋の詩 或る晴れた秋の朝の歌 ~「名も無く貧しく美しく」~

2020-09-28 19:34:42 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
今回の企画の「尾崎喜八 アラカルト20詩」とは別ですが、
『心豊かに生きる或る秋の朝』が感じ取れる、
とても好きな「秋の詩」ですので、「自註 富士見高原詩集の中」の中から、取り上げます。
*詩と「自註」の間に、私の好きなピアノ曲を付加しました。よろしければ、今宵、聴きながら、詩をお読みいただければ幸いです。



或る晴れた秋の朝の歌

又しても高原の秋が来る。

雲のうつくしい九月の空。

風は晴れやかなひろがりに

オーベルニュの歌をうたっている。


すがすがしい日光が庭にある。

早くも桜のわくらばが散る。

莚(むしろ)や唐箕(とうみ)を出すがいい、

ライ麦の穂をきょうは打とう。


名も無く貧しく美しく生きる

ただびとである事をおまえも喜べ。

しかし今私が森で拾った一枚のかけすの羽根、

この思い羽の思いもかけぬ碧さこそ

私たちにけさの秋の富ではないか。


やがて野山がおもむろに黄ばむだろう、

夕ぐれ早く冬の星座が昇るだろう。

そうすると私に詩の心がいよいよ澄み、

おまえは遠い幼い孫娘のために

白いちいさい靴下を

胡桃(くるみ)いろのあかりの下で編むだろう。


【自註】
フランスの作曲家カントルーブが収集し編曲した民謡集『オーヴェルニュの歌』を私は以前から好きだった。オーヴェルニュというのはフランス中南部の火山ピュイ・ド・ドーム、モン・ドール、カンタルなどを中心とする高くて広い一大山地帯の総称で、日本の地理学の古老辻村博士はこの地方を「フランス中央高台」と呼んで殊のほか愛された。

私はそのオーヴェルニュに古くから伝わっている数多い民謡の中でも、哀調を帯びてしかも剛健な幾つかの羊飼いの歌を特に好きだった。毎年自然が漸く秋の色に変って来る頃、私はまずこの歌を心に浮かべて山や高原への憧れを募らせたものである。

そして今やその高原に居を定めて、文学の仕事のかたわら馬鈴薯や豆やライ麦など、ささやかな畑仕事もやっている私たち夫婦だった。

無名でも貧しくてもそんな生活を正しとして心豊かに生きている或る秋の朝、森の中で一枚のカケスの羽根を拾ったのである。「思い羽の思いもかけぬ碧さこそ」の思い羽とは、一般に鳥類の尾の両脇に装飾のように顕著な色をしている羽根の事で、ここでは実相を描くと同時に掛け言葉の役割も果たさせている。

「遠い幼い孫娘」というのは、上諏訪の病院で生まれてしばらくここの私達のところで育てられていた美砂子の事だが、その頃はまだ二歳で東京の両親のもとへ帰っていた。また第三聨の「名も無く貧しく美しく」の句は、この詩が出来てから約十年後、切に望まれて或る映画の題名にもなった。


※自註とは
喜八自身が自分の詩に註釈を施し、或はそれの出来たいわれを述べ、
又はそれに付随する心境めいたものを告白して、読者の鑑賞や理解への一助とする試み。


【ご参考】高原のミュージアム
http://huwaku3028.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/03/085d2c76eb36ab5ef68acfbc589579f7.pdf



ため息は 英語だと「sigh」 ピーナッツ といえば・・・

2020-09-27 17:00:54 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)


谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)
<1931年12月15日 - >
日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。


ピーナッツ

スヌーピーで おなじみの漫画 
ロッキード事件の怪しい金の符丁
ピーナッツ農家出身のカーター 元 大統領



【読売新聞 編集手帳 令和2年(2020年)9月27日より】

◆ため息は英語だと「sigh」。そう教えてくれたのは、スヌーピーでおなじみの漫画「ピーナッツ」だ。1950年、米紙で連載が始まり、来月で70年という。

◆かつて買い集めた和英対訳の日本版を引っ張り出すと、1冊290円。ピーナッツがロッキード事件の怪しい金の符丁であり、ピーナッツ農家出身のカーターさんが大統領になった頃だ。

◆かわいいだけの漫画ではない。少年少女の日々は幻滅の連続だ。野球でゴロを打たせると、内野手スヌーピーは“撃墜王ごっこ”に夢中で目もくれず、投手のチャーリー・ブラウンは力なくため息、Sigh…となる。
◆そんな主人公について、訳者の詩人、谷川俊太郎さんは〈37歳に思える時もあるし、70歳に感じられる時もある〉と記す。見方を変えると、どんな大人の心の中にも傷つきやすい子どもがいて、それゆえに世代を超えて愛されてきたのかもしれない。

◆ただし、当節は大人なのに、子どもじみた態度に出る人を見かける。選挙を前に「決着は最高裁で」と発言した大統領もこのタイプか。結果次第では訴訟に持ち込むつもりらしい。Sigh…ではある。


ため息といえば、なんと言っても
ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』かと。
失礼いたしました。

ご覧いただきありがとうございました。
【イラスト /みさきのイラスト素材】