SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

秋の詩 「林間」

2015-11-24 21:32:47 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
早朝の「千里川」(大阪府豊中市)
カルガモ二羽がエサを求めて描く「波紋」がきれいだった・・・



自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より

林間

秋を赤らんだ木々の奥から

ちいさい鐘か トライアングルの

軽打のように晴れやかに澄んだ

彼らの金属的な声が近づいて来る。


たとえば若い涼しい器用な手が

つれづれの手工に丸めて括った毛糸の球、

煙るような白やコバルトや硫黄いろを

つややかな黒でひきしめた小さい球---

柄長(えなが) 四十雀(しじゅうから) 日雀(ひがら)のむれが

波をうって散りこんで来た。


木々が目ざめ、空間が俄かに立ち上がる。

彼らはもうあらゆる枝にいる。

ほそく摑み、丹念にしらべ、引き出して食いちぎり、

苛烈に 不敵に 美しく

懸垂し、飛びうつり、八方に声を放ち、

この林の一角に更に一つの次元をつくる。


しかしやがて先達の鋭い合図の一角に

無数の小鳥は抛物線をえがいて飛び去った。

そして其のあとに口をあいた秋の明るい空虚から

再建された静寂の一層深い恍惚がここにある。



【自註】
柄長も四十雀も日雀もすべてカラ類である。彼らは営巣や育雛の期間を除くと、一年じゅう大抵一つの群になって藪や林で餌をあさっている。私の住んでいる分水荘の森でも彼らは賑やかな常連で、一団となった彼らが後から後から飛び込んで来ると、ほかの小鳥たちは遠慮してか急に静まり返ってしまう。暴戻と言うにしては愛らしく、不遜と言うにしては余りに潑溂としている。そして美しくて賑やかな彼らがいつの間にかさっと姿を消してしまうと、急にあたりがしんとして、取り戻された静寂がそこにまた新らしい空間を築き直すのである。あたかもアレグロ・アッサイの第一楽章が鳴り止んで、徐にアダージョの第二楽章が始まるように。



エナガ(柄長、学名:Aegithalos caudatus)は、スズメ目エナガ科エナガ属に分類される鳥類の一種。エナガ科は世界で7種類が知られる。ユーラシア大陸の中緯度地方を中心にヨーロッパから中央アジア、日本まで広く分布する。(ウィキペディアより)


シジュウカラ(四十雀、学名 Parus minor)は、鳥類スズメ目シジュウカラ科シジュウカラ属(英語版)の1種である。日本や韓国を含む東アジア、ロシア極東に分布する。日本では4亜種が留鳥として周年生息する。(ウィキペディアより)


ヒガラ(日雀、学名:Periparus ater Linnaeus, 1758)は、スズメ目シジュウカラ科シジュウカラ属に分類される鳥類の一種。ユーラシア大陸の広範囲にかけてとアフリカ北部のアルジェリア、チュニジア、モロッコおよび日本、台湾に分布する。日本では亜種ヒガラ(学名:Periparus ater insularis)が北海道、本州、四国、九州(屋久島まで)に周年生息する(留鳥または漂鳥)。(ウィキペディアより)

秋の詩 「晩秋」

2015-11-09 14:40:53 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
=箕面ダム(大阪)=

秋の始まりの9月に訪れた時の写真。

冬が来る前に、もう一度、行ってみよう。



「自註 富士見高原詩集」(尾崎喜八)より

晩秋

つめたい池にうつる十一月の雲と青空

たえず降る緋色のもみじが水をつづる。

遠く山野を枯らす信濃の北かぜ、

もう消えることのない遠山の雪のかがやき。


枯葉色のつぐみの群がしきりに渡る。

牧柵にとまって動かない最後の赤とんぼ。

ゲオルク・トラークルの「死者の歌」が

私の青い作業衣の膝で日光にそりかえる。


【自註】
分水荘の森のそとには、山から水を引いて集めた小さい池がある。その池の縁に一本大きなクルミの木が立っているが、その木陰でクローヴァを敷物に見馴れた景色を眺めたり、本を読んだり、訪れて来た友人と話をしたりするのが楽しみの一つである。しかし今は風も冷たい秋の末、そのクルミの葉もとうに散って、池には風に送られて来た木々のもみじが模様のように浮かんでいる。其処で即興的に書いたのがこれである。

私はオーストラリアの詩人ゲオルク・トラークルの詩を、戦前もかなり早くから読んで愛していた。ドイツの或るアンソロジーの中でその作品を発見して好きになったのが最初だった。第一次世界大戦に従軍して一九一四年二十七歳の若さで死んだ彼の死には、私の内に或るいくらかの悲劇性への傾向に訴えるものが多かったせいであろう。ここへ出て来る『死者の歌』もその詩を集めたインゼル発行の文庫本である。最近日本でも彼のためにそれぞれすぐれた訳詞集が幾種が出た。

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*緋色(ひいろ)<Scarlet> :やや黄色の赤を表す。伝統的に、炎の色とされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88

*つぐみ
分布:中華人民共和国南部、台湾、日本、ミャンマー北部、ロシア東部。
夏季にシベリア中部や南部で繁殖し、冬季になると中華人民共和国南部などへ南下し越冬する。日本では冬季に越冬のため飛来(冬鳥)する。和名は冬季に飛来した際に聞こえた鳴き声が夏季になると聞こえなくなる(口をつぐんでいると考えられた)ことに由来するという説がある。日本全国で普通に見られる。ウィキペディア


*ゲオルク・トラークル
オーストリアの詩人。第一次世界大戦前夜、凝縮された表現と象徴主義にも通じる色彩感覚で世界苦 をうたった、ドイツ表現主義最大とも評される夭折の天才である。 ウィキペディア

秋の詩 「農場の夫人」

2015-11-06 16:48:19 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
10月の終わりに、奈良飛鳥(橿原市)を訪ねた。
甘樫丘(あまかしのおか)から見た、飛鳥。<見出し画像>


飛鳥寺(日本最古の寺)への道すがら。
この風景、言葉で言い表せないほどの「平穏」を感じた次第です。




「自註 富士見高原詩集」(尾崎喜八)より

農場の夫人
(渡辺春子夫人に)

お天気つづきの毎朝の霜に

十一月の野山がひろびろと枯れてゆく。

高原の空は無限に深くなり、

浅井流れは手も切れるほど冷めたく、

太陽の光が身にも心にもしみじみと暖かい。

あなたは開拓農場の片隅に

秋のなごりの枯葉をあつめて

ほのぼのと真昼の赤い火を燃やす。

爽やかな海青色のオーワ"オール、

髪の毛を堅く包んだ黄いろいカーチフ、

長いフォークの柄によりかかって

うっとりとあなたは立つ。

鶏を飼い、山羊を飼い、緬羊を飼い、

一町五反の痩土と独力で取っ組んで、

六年の今日「斜陽」もなければ旧華族もない。

頼むのはただ自然とその順調な五風十雨。

あなたの手に堅く厚い胝胼(たこ)があり、

あなたの机に農事簿とモーロフとがならぶ。

そして今日のいま 金と青との晩秋の真昼、

赤い火に立つあなたを前に

もう初雪の笹べりにつけた北アルプスの連峯が、

ああ 遠くセガンティーニの背景をひろげている。

【自註】
別荘の持ち主渡辺昭さんは、森のそとの地所や畑や養鶏所や山羊や緬羊の放牧場にしていた。そしてその世話をするのは主として奥さんと雇い人の若い男の二人だけだった。火山高原の石ころだらけの荒蕪地を開墾した一五○アールの渡辺牧場。それをつい数年まえまで貴族院議員の令夫人だった奥さんが、今は未経験のこんな仕事に専念しているのだから、私達としてはただただ感心するほかは無かった。

若い春子夫人は澟然として気品の高い美しい人だった。事実上の農場主として毎日記帳している農事簿その他の帳簿のかたわらに、ひっそりとジイドやモーロアの原書が並んでいるくらいだから、語学の立派な素養もあった。その夫人がここに書いたようなよく似合ったかいがいしい労働姿で晩秋の晴れた真昼を赤い焚火を前に、青い八ヶ岳を背に、北アルプスを遠景にして立っているのだから一幅の画にならない筈はない。昔から好きなイタリアの山や牧場の画家ジョバンニ・セガンティーニの画を私が思い出したのも、この場合寧ろきわめてしぜんな事だったと言えるだろう。


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皆様、心豊かな秋をお迎えください。(^^)
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秋の詩 「山頂」

2015-11-04 08:54:39 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
2015年秋 11月4日(水)

とても爽やかな秋晴れです。

秋の顔
Prosit(おめでとう!)


『自註 富士見高原詩集』尾崎喜八より


「山頂」
(ジャン・ジオノに)

一人一人手を握り合ってプロージットを言う。

どの手もさらさらと乾いたつめたい手だ。

堅いザイルやピッケルや

荒い岩角ばかりを摑んで来たあとで

血もかよっていれば電気のように心もかよう

実直で大きくて頼もしい人間の手がここにある。

放した瞬間に深い暖かみのほのぼのと生まれる

こんな握手が下界にはまるで無い。

海抜三千余メートル、

純粋無垢の日光に皮肉をつらぬかれ、

真空のような沈黙に耳しいた気がする。

何が成功で どういう事が敗北か、

きれいな顔の世渡りに

どんなきたない裏道があるか、

豁然(かつぜん)と覚めた心が今無心の岩に地衣を撫でる。

がらがらに落ちた天涯の階段の

目もくらむ底はサファイア色の夏霞だ。

下山路は足もとから逆落しに消えて、

むこうに切り立つ白と緑の岩稜を

もう一ぺん天へからむ糸のように見える。

風が吹き上げて来る這松のにおい、

浮力に抵抗する重い登山靴、

うずくまっている者もパイプふかしている者も

みんな男らしくやつれて秋の顔をしている。


【自註】
フランスの現存の作家であり、手紙の上でも親しいジャン・ジオノに捧げたこの詩は、これもまた人に誘われて初めて北穂高へ登った時の作品である。堂々として攀じ登って来た山のてっぺんで、まず「おめでとう」を言いながら握り合う男同士の手がどんなに頼もしいものであるかを書き、三時間余の大キレットの急登にさすがいくらか やつれの見える互いの顔が、どこか秋めいたものを感じさせるその美しさに焦点をしぼって書いた。

戦争での勝利とは何か、敗北とは何か。他人を蹴落としてかち得た世間的な成功やその反対の失意に、そもそもどれだけの意味があるか。そんな事で喜んだり泣いたりするこの世が寧ろむなしく憐れなものに思われて来る高山の頂き。私は昂然と顔を上げ、純粋無垢な空気に深呼吸をし、改めて登山靴の紐を締め直し、さて心も新たに次の峯へと歩き出した。こんな気持ちはあのジオノならきっとわかってくれるに違いないと、ふとあの南フランス、マノスク・デ・プラトーの友人の事を、彼の傑作『世界の歌』や『真の富』を愛読した昔と一緒に思い出しながら。



*ジャン・ジオノ(1895年3月30日~1970年10月8日)
フランス、プロヴァンス出身の作家。 プロヴァンス地方マノスクに生まれる。16歳で銀行員として働き始める。1914年第一次世界大戦に出征。 1929年長編小説『丘』がアンドレ・ジッドに認められ出版。第二次世界大戦では徴兵反対運動を行う。1939年逮捕される。(ウィキペディア)

*尾崎喜八(1892年1月31日~1974年2月4日)

*写真:「山と渓谷」2015年11月号 表紙写真引用。

秋の詩 「秋の日」

2015-11-03 08:40:41 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
今日は、秋晴れのいい天気になりそうだ!

2015年秋 後半スタート。



自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より

秋の日

そしてついに玉のような幾週が来る。

夏の醗酵をおわった自然は

おもむろにまろく熟して安定した層になり、

きょうの秋の日には下ほど濃く、

上へゆくほど晴れやかにすきとおって、

かろく きらきらと

うっとりと 甘く 涼しい。

山にかこまれた此の地方は

あたかも震えるふちを持った

薄い大きな杯のようで、

快美な秋は流れて隣る国々への祝福となる。

しかしその喜びには深くまじめなものがあり、

酔いそのものも健康で、

充実した仕事の毎日が彫塑的だ。


【自註】
すきとおるばかりに澄んだ秋が毎日つづく。日に日に輪郭のはっきりしてくる遠近の山脈の限界線。華やかにもみじしてゆく野山の草木。それを暖かに照らす太陽とそよ吹く涼しい西の風。今は賑やかな繁茂の時がすぎて静かな成熟の季節である。すべての物にそれ自体の重みが増し、好ましい味がつき、真実頼もしい健康さが感じられる。

農夫たちは取り入れに忙しく、私も自分の仕事にいそしむ。詩や文章を書くにも翻訳をするにも張り合いがあり、それらが一つずつ形を成してゆくのが嬉しい。物の造形とその成就。私のような詩人にとって、その喜びは美術家や酒造りのそれに通じるように思われた。