夕刊(5月23日)のコラム(よみうり寸評)に、指揮者:小澤征爾さんと武満徹さんの対談集のことを皮切りに、『音楽は、結局 空気振動でしょ』や、生の音楽の響きのことが書かれてあった。まさに、今は、コロナ禍で残念ながら「それ」が叶わない。
音楽は当面、生の空気振動ではなく、電気信号を介したスピーカーやイヤホンで楽しむほかはない。
夏の甲子園も中止になった。テレビで、高校野球球児の「悔し涙」は、見ていて、たまらなくなる。高校野球だけではなく、ほぼすべてのスポーツ、文化活動などがそうである。今朝の新聞コラムは、タイトルの「涙はしょっぱい。でも悔し涙とうれし涙では微妙に味が変わってくる」という書き出しで始まった。これも動画にしてみようと・・・。今回もイラスト使用させていただきました。m(__)m<提供:みさきイラスト素材>
*今回の実験は、なれーしょんの音質を工夫してみました。よろしければ、ご覧ください。
(2分49秒)
(本文) ◆涙はしょっぱい。でも悔し涙とうれし涙では、微妙に味が変わってくるそうだ。
◆ある雑学本によると、体内で使う神経が別々であるらしい。悔し涙は交感神経が働いて水分が少なくなるため、味が濃くなる。うれし涙は副交感神経が水分を多めに出すことから、薄味になるという。
◆どちらの涙があふれた日々だったかは言うまでもあるまい。大切な家族を失った人、廃業した経営者、家賃の支払いや食費に困り果てた人、目標としたスポーツ大会をなくした若者たち…苦しむ人々を書けば、当欄のスぺースではとても間に合わない。
◆首都圏と北海道の緊急事態宣言が、週明け25日にも解かれる可能性が出てきた。かといって、すっかり見慣れた日本地図の色分けがなくなるだけで、国民の心や経済が負った傷は深い。まだ明るい気持ちにはなれないものの、少し前を振り返ればどうだろう? 人との接触を8割減らし、感染を抑え込む――そんなことが本当にできるのかと、いぶかったのを思い出す。案外、私たちはすごいのかもしれない。
◆心を折らず再生へとかじを切ろう。しょっぱさの薄い涙を流せる日を待とう。
【読売新聞 編集手帳 5月23日より】
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