人生何でもあり!

日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

Change my Mind

2012-03-14 19:45:19 | ひふみ神示系

 『オレは必ず成し遂げる!』

 理屈のない不動の確信が居座っています。 「何を?」 と聞かれても具体的にコトバでは説明は出来ませんが、この衝動を上手くコントロールして終わりなきゴールに向かって進み続けようと思います。 

 ところで今回、沖縄から帰って来てひふみ神示を開いたら非常にタイムリーな帖が目に入ってきました。

 

【ひふみ神示 〔黒鉄の巻・第八帖〕】

神の申すやうにすれば、神が護るから何事も思う様にスラリスラリと心配なく出て来るぞ。 区別と順をわきまえて居れば、何様を拝んでもよい。 時、所、位に応じて誤らねば弥栄えるぞ。 同じ愛、同じ想念のものは自ら集まつて結ばれる。 天国のカタチ、ウツシが奥山ぞ。 ミソもクソも一所にして御座るぞ。(一月一二日)

 

 考え方はみんな違って当たり前。 だけど ”理想” の方向性が同じでないと協力関係は途中で挫折する。 そう思います。 

 さて、カルく呟いたところで、本篇に入りたいと思います。

 今回の沖縄訪問、ものスゴく沢山のコトを得て来ました。 特に占星学に関して方向性を指し示してくれる人物に出逢いました。 その人はヴェーダ占星学を研究している人で、私よりも明らかに占星学の知識を持っている人でした。

 私は、この占星学に関しては完全独学でやっているので、日々手探りでアッチへ行ったり、コッチへ行ったり、果てはグルグル周って同じ所に戻って来たりの日々を過ごしています。 しかし私自身、コレはこれで将来への磐石の基礎石(意志)と理解しているので、ぜんぜんアセる事なく研究を続けています。 

 これにお金が絡んだり、虚栄心が絡んだりすると焦りも出るでしょうが、私は自分自身の内奥で納得できればそれで良いと思っているので、アセりとかは全くありません。 更に輪廻転生を確信しているので、今回の人生で成功しなくてもぜんぜん構いません。 ただ日々進み続けるのみ! 

 今度こそ本篇に入ります。

 今回の旅、三泊四日の日程でしたが、ツアーパックの関係から一泊は那覇のホテルに泊まらなくてはなりませんでした。 翌日7時にはホテルを出発して、国頭村に向かいました。 最初は高速を使おうかとも考えたのですが、朝も早く、また混む通勤時間帯も流れが反対の方向だったので下道で向かうことにしました。

 途中どっか観光しながら行こうかとも考えたのですが、直感から帰る前に立ち寄った辺戸岬に行きたくなり、そのままトイレ休憩を挟みながら直行しました。 寂しい感じの場所ですが、それなりに観光にはなります。 30分ぐらい写真を撮ってから、目的地の国頭村に向かいました。

 一部懐かしい景色を眺めながらドライブしていましたが、まさか人生において沖縄に住むことになるとは夢にすら考えた事もありませんでした。 予測が付かないから人生はオモシロい!というのが私の考え方のひとつですからコレはこれでいいかなーと思っています。

 そして、国頭村の知人宅に着いて、約1年振りの再会を喜んでから、その後のお互いの経過を話ました。 初めての土地での稲作開始や千葉のご自宅の片付けや掃除などで結構大変だったようでした。 その後、名護のフェステイバルの前夜祭に行く事にしました。

 それまで殆ど音楽関係に縁のなかった私が、ここのお宅にお邪魔するようになってから知人に音楽関係者が増えました。 この日は結構肌寒く、沖縄は暑いだろうとタカを括って行ったコトを多少後悔しましたが、それでも着るものを買い足す程でもありませんでした。 宮崎の実家は今年寒かったので、これぐらいはどうと云う事はありませんでした。

 その日は、約1年前に私より先に避難していた千葉での友人のアパートに泊めてもらい、ビールで再会を乾杯してから翌日も早いので寝ました。 ビールはもちろん沖縄に来たんですから、オリオンビールの500ml缶でした。

 翌日は、11:30開場でしたが、私たちは出店ブースを設営しなくてはならなかったので、9時前には出ました。 私は半分は観光で来たので開場周辺をウロウロしていました。 そこで偶然にも、以前東京に住んでいる時にエジプトにツアーに参加して一緒になった方と偶然にも再会したのです。

 そしてその方が偶然にもインド占星学(ジョーティシュ)を研究してらして、ケイシー・リーディングベースの西洋占星学を研究している私と話が合って、近くのマックに行って色々と教えてもらえる事になったのです。 

 そっから約4時間ぐらい占星学について私が疑問に思っていたコトをブツけてみたのです。 私も完全独学でやっていたので、解らないコトだらけでしたからアッという間に時間が過ぎていました。 ホント久しぶりに人に沢山のコトを聞きました。 

 今回思ったのが、解らないコトを聞けるって確かにラクですが、 私の場合はもうこの段階は過ぎたので、今後は独学の道を突き進むつもりです。 私が目指すのは占星学の研究の完成などではなく、終わりのない魂の進化の道を進み続けることですから、この事を間違わないようにしなくてはなりません。

 私の場合、あくまで “魂の進化” が最終究極の目的・理想であって、占星学の研究はそのひとつのツールに過ぎないというコトです。  それを理解して取り組んでいます。

 で、その後再び会場に戻って今回のイヴェントのグランド・フィナーレを見て、家に帰って今日もオリオン・ビールでカルく打ち上げをしてから寝ました。

 翌日、飛行機の出発が12時でしたから、七時半ぐらいにお世話になった方にご挨拶に行ってから8:00に国頭村を出発しました。

 そして、今回の旅で今まで朧げだった人生の目標がいくつか具体化したのです。 

1.沖縄再移住

2.占星学の研究にインドのジョーテイシュを採り入れていく。

3.今度沖縄に移住したらパン作りをやる。

4.姓名学や正食医学について、今までの考えをゼロリセットして再考してみる。

5.有機農業

6.エネルギー自給に関する研究

7.EMの研究

 等でしょうか。

 また、変わるかも知れませんが、当面はこれを具体的な目標として生き切ろうと思っています。

 本日も占星学の研究があるのでコレにて失礼します。

                                                    

 


人生の選択は自己責任!

2012-03-13 20:09:14 | ひふみ神示系

 そうですねー、少しばかり今回の沖縄放浪について書いとこうと思います。

 その前に、いくつか個人的見解を述べておこうと思います。 今回の大震災による福島原発の影響については、専門家や霊能者も含めて実に様々な見解があります。 アレぐらい問題ないという専門家もいれば、5年、10年後の蓄積による影響を警告する人もいますし、もう既に影響が出始めているという専門家もいます。

 「一体全体ド レが正しいんだ???」

 と、頭が混乱してしまうと思います。 私もインターネットや知人の情報を集めて分析していますが、結論には至っていません。 恐らく誰にも確信をもっていう事は出来ないと思います。 と言いますのも、人間の個別性の問題があるからです。

 放射能に耐久性がある人がいるのかどうかは判りませんが、しかし、何事にしても普通の人よりも抵抗力がある人もいれば、ちょっとした事でやられる人もいます。 この辺は、食物アレルギー等の問題で理解できると思います。同じ食品を食べても何ともない人もいれば、スグにアレルギーが出る人もいます。

 ですから、私の結論は 「自分で考え、自己責任のもと行動する」 でしょうか。 後年どういう事になろうとも、自分で選択した道だから誰の責任にもしないという覚悟があれば、それで良いと思います。 ただそれだけです。 人の責任にしない。 自分の取った行動に対して責任をもつ。 

 私も震災直後は全く横浜から移住するつもりもありませんでした。 ですが、今回沖縄でお世話になった人たちが 『飛行機代が無いなら皆でカンパしてあげるから、今スグにこちら(沖縄)に来なさい!』 とまで仰って下さったからです。

 私のような自由気ままに生きている風来坊にそこまで言ってくれるなら行きましょう、ということで沖縄移住を決意しました。 今でもそうですが、やっぱり横浜がいちばん好きだったんですよね。 山手西洋館通りやみなとみらい21の景色が大好きでした。

 しかし、沖縄に移住するもお金が尽きて実家の宮崎に帰るハメになってしまいました。 まーコレはこれで必要な経験だったと、今振り返ってみると言えますが、二転、三転で、私自身も当初からしたら予想だにしない結末になってしまいました。

 そうそうここでちょっと思い出したのですが、今回沖縄に行ったときに知人の神人さんから今回の震災の理由について伺ったのですが、答えは非常に簡潔でした。

「地球だって生き物だよ。 痒ければ肩を動かしたり、掻いたりするだろ? そこにたまたま原発があった。 それだけだよ。 まーもう少し科学的に言えば、地球自身のエネルギーのバランス取りかな。」

 と仰っていました。 あと、放射能の影響について聞くつもりが、その後お互いに忙しくなって聞く機会を失ってしまいました。 

 ですが、やはり小さな子供を持つ親や適齢期の娘を持つ親としては、可能なら少しでもリスクの少ない場所に行くのが当たり前の感覚のような気もしますが、お金や仕事の関係からかなりの覚悟がないと移住できないのもまた事実でしょう。 

 私も今後どう展開していくのか予測も尽きませんが、自己責任の下決断しよと思っています。 私は輪廻転生を研究し確信しているので、放射能も転生には影響を及ぼさないコトを確信してるので、それだけでも安心して死に切れます。

 正直言いますと、もうどうでもいいんですよね。 運命の導かれるがまま流されて行こうと思っています。

 ですが、”今” の感覚では、沖縄に行ってむこうにいる友人たちと、現在出回っている “お金” というモノに依存しない、新しい社会システムを構築してみたいという思いが強いです。 帰る前にも再び私に是非とももう一度沖縄に戻って来て欲しいと強く懇願されたので、そちらに感覚が動いたのもまた事実です。

 今度戻るときは腹を決めて行こうと思っています。 当面の仕事は “パン職人” を目指そうと思っています。

 

 色々と考えが思い浮かぶまま書き連ねましたが、結局は自己責任のもと自分の進みたい方向に行くだけです。 それが何処かは ”今” の時点では私自身にも判りません。

  沖縄放浪記を書くつもりでしたが、ちょっとこれから占星学の研究をしなくてはならないので本日はこれにて失礼します。 

 GOod Night!!

                                                                                                       

 


本日の呟き(Feb/27/'12)

2012-02-27 20:53:28 | ひふみ神示系

 ここんトコの世の中を眺めていると、今の子供たちって大きな夢なんて見るのは難しいだろうなーと思います。

 先日の東北大震災による原発問題、地球温暖化(捏造でしょうが)問題、環境問題、エネルギー問題、金融問題、倫理観の低落、戦争etc...

 どう頑張っても、美しい、平和な世界を夢見ることは出来そうにありません。 

 私たちは、果たしてどう生きれば良いのでしょう?  

 ここで少しばかり、あまり慰めにはならないかも知れませんが、ひふみ神示より未来に夢の持てない世界に、夢(光)の方向へ行く道を指し示してくれているような帖をアップしたいと思います。

【ひふみ神示 〔春の巻・五十二帖〕】

 まことの光の道に行き、進めよ。 ここぞと見極めたら、理解に向つてひたすらに進まねばならん。 理屈いらん。 宇宙は個の方の中にあるのぢや。 このほうぢや。 世が段々せまつて悪くなるように申してゐるが、それは局部的のこと。 大局から見れば、よきに向つて弥栄えてゐるぞ。 夏が暑いと申してブツブツ申すでないぞ。 秋になるぞ。 冬もあるぞ。 冬ばかりと考えるでないぞ。 やがては春が訪れるのぢや。 いづれも嬉し嬉しとなる仕組。

 と、書かれていますが、現状から見たらとてもそう考えるのは難しいのは、私自身よく理解できます。  

 私の場合、この世の中にあってもただ単純に心が行きたい方向に行っているので、それだけは感謝です。 それがなかったら、”今” の時代を生きている意味は、ほとんど見い出せなかったでしょう。

 ここで、話は変わりますが、ひとつ興味深い事に気がつきました。 ひふみ神示に出てくる 『太神』 という表現です。 ここから先は私の推論になりますが、そのおつもりでお読み下さい。

 今までひふみ神示を30回以上通読した感じから、この “太神” というのは八百万の神の更に上に立つ存在ではないのか? つまり、この世を創造された ”唯一神” を指し、ケイシー・リーディングは 『First Principle(第一原因)』 とか、Creative Energy(創造の諸力)とかいう表現を用いて、その存在を表現しています。

 ですから、ケイシー・リーディングもひふみ神示も、“神” という存在を考える際、 “絶対神” と ”汎神論”を併せて考えるように注意しています。

 噛み砕いて表現しますと、八百万の神々は “大神”であり、それらを創り出したのが ”太神”。 イエス・キリストやクリッシュナ、ムー、ムハンマド等は大神であり、それらの地球に現れた優れた指導者すら創り出したのが、太神。 そう理解してもらえば解りやすいかも知れません。  ですから、イエス・キリストもFather(父)という表現でその存在を言い表しています。

 聖書やケイシー・リーディング、ひふみ神示等を読み解く際には、カギとなる重要な考え方です。 

 ここからがキモとなります。 この ‘太神’ の画数は興味深い事に喜怒哀楽の激しい家族縁の薄い大凶数の14画なのです。 そして、この物質世界をを表現するのによく使われる ‘宇宙’ というのも同じく14画なのです。

 これは何故???

 絶対神ともあろう存在の数霊がなぜ大凶数なの?

 と考えました。 ですがそのヒントは14画の数霊の解釈に隠されていました。 

 それは 「喜怒哀楽」 です。

 怒り、悲しみ、歓び、楽しみ、といった人間の様々な感情を簡潔に言い表した四字熟語です。 つまり、変化・落差があってこそ、人間はその意味を深く知ることができる。 そこにこそ、生きている意味を見出す事ができる。 

 極論すれば、「生きるとは喜怒哀楽を味合うこと」。

 そう考えれば、この謎も多少解けるような気がします。 もちろん、独断と偏見ですが。

 さて、本日のつぶやきの最後に、“今” を考える上で参考となりそうな言霊を抜粋しておきたいと思います。

     

「闇がなければ星は光ることができぬもの。 輝かしい太陽の光が世界に満ち満ちている時、人は闇の恐怖を忘れよう。 光のありがたみも忘れ果てる。 闇夜の恐ろしさなぞ考えることもせぬ。 苦悩と絶望の中にこそまこと真実があるものよ。 されど、太陽の光が満ち溢れる真昼に、真実を求め、探す者がおろうか・・・・・・」

『その真実とは、”希望” のことではありませんか?』

「 “希望” とな? おお、呼びたければそう呼ぶがよい。 それはかぼそい灯ぢゃ。 じゃが、太陽を失った暗夜にはまたとない希みの灯ぢゃ。 萎えた心を奮い起たせ、絶望の闇に閉じかけていた眼を再び見開かせるのぢや。 

 ぢゃが、‘希み’ とはまた、むごたらしく意地悪いものかも知れぬぞ。 力尽き果てて、倒れ伏した者を再び引きずり起こし、萎え果てた体に鞭打つのが ‘希み’ というものぢゃわい。 いっそ死んでしもうた方がどれほど楽かも知れぬ……しかし、‘希み’ とはそれを許さぬ。 人間にはこれほど残酷な責め苦を与えるものは他にまたとあるまい……

 覚えておくがよい、娘御よ。 物事には何事にも全て相反する二つの貌があるということをな……それは一枚の金貨に表裏があるのと同じこと。 人の心もまた同ぢゃ。 人の世の苦しみと悲しみを知らぬ者がどうして人生に通じることができようか。

 生きる歓びを知るためには、人間はそれ相応の対価として苦悩を支払わねばならぬのぢゃよ。 さすれば、よりよく生きることができよう。 お前様が歓びを得るに至らぬのは、対価をまだ支払っておらぬからぢゃ

     


From ミナミ麻布 to 白金台

2012-02-23 21:02:00 | ひふみ神示系

 思い出しついでに南麻布ネタでもご披露しときます。

 私も最初、このクラスの住人になるとお高くとまった‘ツン’ とした連中ばかりだと思っていました。 しかし、実際警備をしてみますととてもフレンドリーな方々が多かったのを覚えています。 大使館関係の外国人の人たちもキチンと挨拶してくれていましたし、周辺の住人の人たちもちゃんと挨拶を返してくれていました。

 このクラスのお金持ちになると教養と知性も兼ね備えているのかなーと感じました。 金だけ貯まって精神面がそれに着いてきていない成金なんて、道端の人間が挨拶しても鼻も引っ掛けないでしょう。

 で、本題ネタに入ります。

 連日警備していたら、毎朝決まった時間に目の前の歩道を通る子供さんを連れたショートカットの美人セレブママさんとご挨拶するようになりました。 で、ある朝、子供さんを連れてこちらのゲートに来られたのです。 何だろう? と思って挨拶したら、

 『お仕事中すみません。 ちょっとご相談があるんですが、実は子供が重機が大好きで、どうしても見たいというんです。 しばらくここで見ていていいですか?』

 と聞かれたのですが、こういった事は施工会社の方の担当者に聞かないと私たちには判断出来なかったので、無線で聞いてみたら、『危険なのでゲート内には入れなければ、外から見てるぶんにはいいです』 という答えが返ってきたので、子供さんを見守りながら美人セレブママさんとお話しました。

 どうやら、半年前ぐらいまでは “魚” が大好きで、全国の有名な水族館は殆ど連れて周ったということでした。 魚の中でも鮫系が好きで、部屋中にポスターが貼ってあったという話でした。 しかし、ある時から突然、工事用の重機に興味をもちだし、今度は重機の図鑑や模型が部屋中に溢れるようになったという話でした。

 「うちの子マニアックな性格で。 魚の時は部屋中サメの写真だらけになってしまいましたのよ。 今は部屋中重機のポスターやオモチャだらけです。」

 と仰っていました。 どちらかといいますとキツイ経験の方が多かった警備員でしたが、その中でも南麻布にお住まいの美人セレブママさんとお話ししたり、女子大の警備や、AKB48の警備が出来たのは貴重な経験でした。 

 ですが、この至福のコミニュケーション、ある時、予想もしなかったコトに役立ってくれたのです。

 それは、ある日のある時、信号の変わり目をうまく利用した大型クレーンの誘導があったのです。 で、その時私はタイミングを逸して車を一台多く入れてしまい、交差点内でしばらく車を立ち往生させてしまったのです。 その後なんとか誘導してゲートへ送ったのですが、それを施工会社の担当の人が見ていたのです。 

 で、ツカツカとこちらに歩いて来たので、「あちゃーコレは怒られるなー」 と思って平謝り覚悟を決めたのですが、その時目の前を例の美人セレブママさんと息子さんが通ったのです。 で、私は反射的に

 「あーどうもー、おはようございます。 いつもご迷惑お掛けしています。 今日は遅いですねー」 と言って手を振ったのです。

 そうしましたら、『ほら、コウちゃん、ご挨拶なさい! 今日は向こうじゃなくこちらですか? いつも大変ですねー。』 と笑顔で返事が返ってきたのです。

 で、私の近くに来た現場責任者の方から、次の瞬間怒られるかと思ったら、

 「警備員さん! ありがとうございます。 見ていてあのケースの誘導は一人では無理です。 それよりも住人さんとのあーいったコミニュケーションを大事にして下さい。 この辺の住人さん一人を怒らせると工事そのものがストップしてしまうケースの方が遥かに怖いのです。 これからも今のようによろしくお願いします!」 

 と、たぶん最初は車を止められなかったのを怒るつもりで来たのが、目の前の美人セレブさん&ご子息への ‘手振り’ によって一変したようでした。  災い転じて福となす、でもないでしょうが、コミニュケーションによって助けられた事件でした。

 その後もちょくちょくお見えになっていましたが、ある時

 『来月から主人の仕事の関係で ‘白金台’ に引っ越しますの』 

 と仰っていました。

 で、警備の先輩と無線でその事を話すと、

 「はー南麻布から白金台へ引越しですかー。 今度はシロガネーゼ(死語)ですか。 この辺に住んでいる人には下町へ引っ越すとかいう選択肢はないんでっしょうねー」

 と言ったら、

 『だねー。 ご主人もたまに子供さんを連れて来るけど、この辺の住人のオーラをもっているね』

 と言っていました。

 最近、私の原点である宮崎に帰って来て、今までの人生を振り返っていますが、人生何事も、失敗も含めて自分で体験した経験は、後からいい思い出、財産となるなーと感じています。

 これから占星学の研究があるので、本日はコレにて失礼します。

 Good Night~♪

 

 


黒いおベンツ様②

2012-02-14 19:45:18 | ひふみ神示系

 であ、もうひとつ、警備員時代の黒いベンツねたをアップしてみたいと思います。

 そう、それは世田谷の等々力に建設中のとあるマンション建設現場での出来事でした。 私は東急線沿いに住んでいたので、東京の中心部に出るときには大体東横線を経由して行くことが多かったですね。 その現場は等々力7丁目付近でしたので自由が丘まで東横線で出てそっから大井町線に乗り換えて等々力まで行っていました。

 行きは等々力まで行っていましたが、帰りは自由が丘まで歩いて行っていました。 当時はホントよく歩きました。 「東京の歩き方」 とゆー本でも書こうかなーと思ったぐらいです。

 まーそれはともかく、そのマンションは区の条例か判りませんが、上3階、地下駐車場の低層マンションで、確か5000万~7000万円クラスの分譲マンションだったと思います。

 しかし、話はこちらではありません。

 その警備しているマンションの前の十字路に一戸建てがあったのです。 一般の建設現場の警備の場合、近隣住人との協定からだいたい8時ぐらいから工事開始OKでしたから、7時半ぐらいには現場に到着して上番していました。 

 で、いつもその十字路の角っこの高級そうな一戸建ての前で警備していると、当然その家の奥さんやご主人とよく顔を合わせますから、丁寧に挨拶していました。

 マンションを始めとする工事建設現場で何よりも怖いのは ”住人のクレーム” です。 下手な対応をして住人を怒らせて工期中止・延期とかなって納期が遅れてしまったら、トンデモないことになります。 ですから何より怖いのが先住人のクレームなのです。 警備員に求められる重要な要素は、何より住人さんとのコミニュケーションなのです。

 で、その家のご主人や奥さんともよく挨拶を交わして、お子さんさんにも挨拶していたのですが、1週間ぐらい連チャンで行っているとある程度その家の家庭の様子が見えてくるものです。

 よく朝とかご主人が外で寝巻きのままタバコを吸って、奥さんが外に出ていくのですが、ほとんど目も合わせず挨拶もしない、「行ってらっしゃい♥」 もほとんど言わない感じなのです。 夫婦ゲンカしているのかなーと思って見ていると、どうも長期間にわたる冷め切った夫婦関係が感じられました。

 んである時、その現場を1年ぐらい見ている先輩が私のところに来た時に、その家の様子を見て私に、 

 『あー俺もこの現場一年近くになるけど、ここの夫婦完全に冷め切っているなー。 ほとんど会話も交わさないし、ロクに目もあわさんよな。 この辺(世田谷)の一戸建てだから恐らくカルく億はするし、ご主人の車は黒のベンツだし、奥さんのはSAAB。 たぶんご主人は会社の社長かなんかだと思うけど、子供たちもまだ小さいし、この冷め切った状況をどうするんだろうねー』

 と言っとりました。

 まーだからと言って、金が無い方が幸せかと言いますとそれもまた極論。 やっぱり現実お金は要ります。 私が沖縄から帰って来ざるを得なかったのもお金が底を尽きたからです。

 現在、世界経済を騒がせている一番の原因も “お金(Money)”。 戦争だって結局、大部分がお金が原因です。  

 私のようなビンボー人が言っても負け犬の遠吠え、あまり説得力もありませんが、今一度お金というものについて考えてみられて如何でしょうか?

【Anti-Rothschild Alliance】:http://www.anti-rothschild.net/main/01.html

 

 そうそう最後に、私の知人の神人さんが “お金” というモノについてこう仰っていました。

 『現在ある ”お金” とは確かに紙切れでもあるし、数字の羅列に過ぎないよ。 でもね、それでもそこには人間の思考としての力・エネルギーが存在しているのもまた事実。 それをどう昇華していくかが問題なんだ。』 

 と。 

 今後果たしてどう展開してゆくのか? 興味深く俯瞰しつつ、後の人生の教訓にしたいと思っています。

 あー人生諸行無常ナリー

 おやすみなさいZz…

 


数秘学について・・・だと思います。

2012-02-09 19:53:44 | ひふみ神示系

  そう、もひとつ “7(Seven)” とゆー数霊に関して重要なモノを忘れていました。 それは、私の人生を大きく変え、飛躍させてくれ、また助けてくれている ”姓名学” です。 

 姓名学は “五格部(天格・地格・人格・外格・総格)” と ”二つの五行の流れ(成功運と基礎運)” を用いた占いですが、こちらも7つのファクター(要素)を用いてその人の現在・過去・未来を読み取るツールです。

 世の中には様々な種類の “占い” と呼ばれている運命学がありますが、果たしてドレがいちばん正確か?というのは非常に難しい質問です。

 この問題は私のアメリカの占星学の先生とも議論しました。 その結果、どの運命学(人相、手相、占星学、紫微斗数、姓名学、カバラ数秘学、オーラなどなど)を用いようと、最後はその鑑定者の力量による、との結論になりました。

 どういういことかと申しますと、解り易く申しますと、TVのchannel(チャンネル)と同じニュアンスになります。 その扱う人の得意とする方法(占い方)でチューニングしてチャンネルを合わす事ができるなら、どんな種類の売らない方でも、正確に運命を読み取る事ができる、とゆーニュアンスでしょうか。

 ただ、やはり、得意とする方向性があるのもまた事実です。 恋愛方面に向く占いもありますし、職業方面を得意とするのもありますし、国の命運といった大きな方面に向く占いもあります。 そして、やはり最後は直感(Intution)が重要なカギを握ります。

 私は現在、占星学に没頭して研究していますが、手相と望診法に関しては大森先生からその基本となる理論だけは教わっています。 あとは姓名学のように膨大な統計をとるだけです。 

 ですが、こちらはあまり長期的なモノは見通しにくい運命学でもあります。 と、ゆーのも手や顔の相は変わりやすく、現時点のままの心の持ちようや食べ物等で行くなら、こういう運命になる確率が高いけど、もし心変わりしたり、食べ物が変わると運命も大きく変わっていくからです。

 この事は江戸時代の代表的な人相観「水野南北」の逸話によく顕れています。 そして、「水野南北」の名前もその事をよく表しています。 晩年に29画の特殊吉数が出てるぐらいで、他はほとんど五大凶数(9、14、20画)のオンパレードです。

 とくに主格に家族別れの20画が出ているので、天涯孤独になりやすい傾向が付き纏っています。 

 ですが、手相の最大のメリットはと申しますと、ズバリ “美人の手を堂々と、いくらでも握りながら、頬ずりしながら…(コレはムリ)、じっくり、ゆっくり見つめるコトができる” コトに尽きる!、でしょうか。 姓名学である程度信用を得ると、どんな美人でも向こうから喜んで手を差し出してくれます。 いつも姓名学でTake Careしていた美人四姉妹も、いつも向こうからすすんで手を差し出してくれていました♪

 あー大森先生ありがとーございます、と心の中でいつも感謝していました。 

 う、イカン! つい煩悩が。

 こんな事をやっていると、いつか 「中年エロ占い師猥褻容疑で逮捕!」 という三文記事の対象になってしまうので、神聖な運命学を邪な事に使わないように、コレも地球の輪廻転生を終えるための精神修行と考えて取り扱ってゆきたいモノです。

 さて、本題に入ろうと思いましたが、本日は占星学の研究があるのでコレにて失礼します。 最後に、ケイシー・リーディングの述べる ”手相(Palmistry)” に関する見解をアップして失礼します。

 ある意味、運命学というモノ全体を簡潔にうまく表現していると思います。

 オヤスミなさいZz…

 

【(R481-2) Palmistry】

28. (Q) What value is there in palmistry? To what extent may it be relied upon?


(A) As we have given in regard to any and every omen, it is an indication - yes. As to whether or not it will come to pass depends upon what the body, the mind of such an one does ABOUT that it knows in relationship to itself. It may be depended upon, then, about twenty percent as being absolute - and about eighty percent "chance" or what a body does with its opportunities. The same as may be said about an individual that has prepared himself to be a medium through which there may be expressed in excellent executive. How much does the preparation have to do with the body being an excellent executive? About twenty percent, and the application is the rest! It is just so with all activities. For, the will of a soul, of a body, is supreme - even as to whether it makes of itself a channel for the spiritual influences in its experience or for the selfish desires of its own body and its aggrandizing of those influences.

O if souls, bodies, everywhere, would gain that knowledge that the abilities to be sons of God or of the devil lie within self's own individual will! For, as has been given of old, "I am persuaded that neither principalities nor souls, individuals nor conditions, may separate me from the love of God save myself." To be that He would have thee be, in all that thou doest and hast done from day to day, is being then a channel - and being used by Him, rather than using the blessings He has given thee for thine undoing.


数秘学について(169)〔副題:今日もつぶやきプラス〕

2012-02-04 09:59:52 | ひふみ神示系

 それにしても実家に帰って来て思うのが、改めてド田舎なのを実感させられるのですが、月のない夜に見ることができる星の数の多さです。 今、研究している黄道12宮がほぼ完全に目視できます。 朝、散歩をしていてMC(頭頂)に位置しているのが磨羯宮です。 その支配星はSaturn(土星)です。

 そして、言霊学によりSaturnはSatanを意味し、さらにSatanの別名は、天上で最も美しかった堕天使Luficer。 その起源は創造神Amiliusに辿り着き、Adamという名で故意の不服従により地球三次元物質世界に舞い降り、様々な経験(転生)を経て、最後の仕上げとして Jesus Christとして昇華された。

 現在の黄道十二宮を研究していて、その配置を見ていて腑に落ちなかったのが、なぜあまり良い意味がない、どちらかというとNegativeな性質が強いSaturnの支配するCapricornが、黄道十二宮のその最も高い位置に位置しているのか?

 普通に考えたら、一つ逆行させて大吉祥星であるJupiterが支配する人馬宮がその位置にあるのが最も適切ではないのか?と考えた事がありました。 その答えはその時は、結局は解らず仕舞いでしたが、しかし最近、その答えへの方向性だけは多少教えられたような気がします。

 さて、前置きはこれぐらいにしまして、一週間(One Week)の周期である7日間について書こうと思っていたら、この世を構成している唯一の原物資である宇宙塵から創られた人間の思考に反応するエーテル(Ether)について思い浮かんだので、ここでケイシー・リーディングの述べる “Ether” の定義について抜粋してみたいと思います。

 ちなみにこちらは「銀河鉄道999」のメーテルさん。 

 【195‐70】

(Q)‐“Ether may be difined as the combination of  a higher plane, leading us to mataphysics, to where every consideration of the atom finally leads one." Is this statement concerning ether correct?

(A)-There's no better difinition. This is correct--for, same as the statement of positive and negative forces as relating to gravitation, they act upon the individual's development...there are ...certain characters of a human body. There are others that so dull the senses that they become one-sided, or only positive not positive; yet normal, perfectly well and normal mind may be so active as to be considered by others as of being unbalanced, but only is it considered peculiar.

 上記で、ケイシーは質問者の “Ether(エーテル)” の仮定の定義について「There's no better definition」 ということで、「(エーテルというモノに関して)これ以上ない定義である」 と誉めていいます。 そして、このエーテルというモノに関して “gravitation(重力)” というモノが深く関係しており、それはPositive とNegative という性質を持っていると述べられているニュアンスが読み取れます。

 ここで個人的な意見を述べますが、確かにケイシー・リーディングもひふみ神示もPositive(積極)というモノががこの世を進化させる本質的なモノではあるが、しかし、PositiveのみではPositiveとなりえず、Negative(消極) というモノがあってこそ、Positive は Positive であることを識る。

 この事は昨日の節分の豆まきにも当て嵌まります。 

 結局、現在の豆まきって貪欲のカタマリですよね。 鬼(不幸、Negative)を払って、欲深く人間の頭で考えられる “福(お金・社会的地位、名声・健康等)” だけを求めようとしている。 「それも人間心仕方ない」 と普通の方なら考えるでしょうが、ところがどっこい宇宙の法則ではそういうワケにもいかないようです。

 ひふみ神示には、鬼(不幸)祓いだけをしようとした事が現在の世の混乱を作り出したと述べられています。 もちろん鬼(不幸)も祓わなくてはならないけれども、と同時に福払いもしなくてはならないと断言されています。 つまり我欲の放棄です。

 そうしないと、福(Positive)だけ握りしめて(意識して)いても、NegativeがないとPositiveは自分がPositiveという存在であることを識りえず、必ず他の Negative 的要素を引き寄せてしまう。 それを識らずに福だけ握りしめて鬼祓いだけしていたら、何度でも何度でも反対の鬼(Negative)を引き寄せてしまう。 

 それが現在のような混沌とした世の現状を作り出している。 つまりバランス(陰陽)が取れていない。

 ここに 「エメラルド・タブレット」 にある智慧(論理的思考)の重要性があります。 確かに理論を超えた天才的答えは直感からもたらされるが、しかし、その直感が曇ったらもうどうする事も出来なくなり、立ち往生してしまう。 この事は、努力なしの早熟天才に当てはまると思います。 

  理論を考えず、たいした努力なしに “答え(結果)” と思われるモノが向こうから勝手に訪れるから、ついついそれにあぐらを搔いているといずれその才能はあっさりと去ってしまう。

 直感(Intution)は確かに重要ですが、大局から観た真の人間の進化というものは、理論(宇宙の法則を識ること)とのバランスで成される。 

 故に、Jesus Christ は、少年期の教育期間にペルシャやインドで占星学を学んだというニュアンスがケイシー・リーディングより読み取れます。

 ちょっと長くなったのでこの辺で一区切りします。

 


数秘学について(165)

2012-01-24 19:59:31 | ひふみ神示系

 これだけネットが普及した今、やり方によっては、個人が大手メディアと対等の土俵で戦える可能性もあります。 しかし、全く同じ文章でも書く人によってその効果も全然違ってきます。 つまり文章に魂を吹き込むといったニュアンスになります。 同じ文章をなぞってもその効果は人それぞれということでしょうか。  

 私がアメリカから帰る直前に作ってもらったホロスコープを説明される際、こうアドバイスされました。

 「おがっちさんのホロスコープで観たら、電気や電波なんかを司る天王星(Uranus)が第3室にあるから、メディア(TV、Radio、Internet)を通じてその考え方が広まりやすい傾向があるから発言に注意してね。」 

 と。 私が調べている中では、船井幸雄会長や大森英桜先生が天王星が第3室にありましたね。 ここに天王星がある人たちは今までの既成概念を壊して、全く新しい革新的なアイディアや発明、システムを開発する傾向があるようです。

 そしてその考え方は、外野的他人の意見に左右されず、自分自身の体験やや身近な人たちの経験を基に判断される傾向があるようです。 そしてそれに突然向こうから来るヒラメキ的直感が加わるようです。

 で、前置きはコレぐらいにしまして、話を本題に入れますが、天王星の特性はUnplanned Actionという言葉で現されるように、予測が付かない行動や結果を招き降ろす傾向があるようです。 前回から書いていますが、天王星が支配している星座は水瓶座(Aquarius)で、その統治期間がAD2000~AD4160年まで。

 現在が西暦2012年ですから、この統治機関は今始まったばかりと言ってよいでしょう。 果たしてどうなっていくのか、この占星学という特殊な学問を研究している変わり者として生きている限り見続けたいと思います。

 この太陽を中心とした太陽系地球三次元世界を考える際、重要となるのが “易と不易” の関係です。 言い換えますと、決して変わる事のない宇宙の絶対法則〔カルマ(因果律)、作用・反作用、等)と必ず移り変わっていくモノ(物質、思考、)との関係。

 その中で、この天王星は重要な役割を果たします。

 と、もうチョイ書こうと思いましたが、そろそろ眠くなってきたので寝まーす。

 オヤスミなさい。

 あー自由人♫

注;今はもう撮れないカイロ博物館の内部写真です。当時はフラッシュなしで10Le(1Le=約25円ぐらい)でカメラOKでした。 

 ここで一句。

 「恋愛とシャッターチャンスはタイミングが総て☆彡」 Byおがっち@42歳独身放浪板前カメラまん

 


数秘学について(161)

2012-01-11 19:31:12 | ひふみ神示系

 ここから数秘学も交えて、このリンパ(7つの主要内分泌腺・チャクラ)の人間の進化に及ぼす影響について考えてみたいと思います。

 と、その前に今日フト考えたのが、私もそうですが、世間一般に ”体に良い” と宣伝されたり、考えるモノはついつい使い過ぎてしまう傾向があると思います。 健康食品しかり、運動しかり、セラピーしかり。

 しかし、ケイシーにしろひふみ神示にしろ、中庸と申しますか、各個人の適量というものをものスゴく重視しています。 良いモノも使い過ぎれば、多過ぎれば毒となる。 コレはマクロバイオティクスの基本理念のひとつです。 

 あの大森先生ですらも、この事を理解し過ぎるぐらい理解されているのに、やり過ぎて失敗した経験を何回もお持ちでした。 ですから、一般の方がこの事を理解するのも難しいし、ましてや身に付けるのもかなりの困難を要すると思います。

 私自身も、頭ではある程度理解しているのに、ついつい多目に使ってしまう傾向があります。 こちらに関しても今後の人生課題としたいと思っています。

 『 “中庸” をもって徳とせよ』

 でしょうか。

 さて、では前回からの続きに入りたいと思います。 まだあまり上手く頭の中でマトメ切っていないので、筆の赴くままに書いてゆきますので、読み苦しい点に関しては適当にご自分で補って下さい。

 

【エメラルド・タブレット 〔真理の探求〕】

 東洋古代の大聖は、一つなる宇宙意識によって、凡てのことを知ることが出来た。

 トス(ヘルメス)が言った。 『創造的能力は、第三の眼を開くと活動する.創造的能力は第三の眼を開く訓練の結果として現れるものである

 人間は第三の眼が、自分のドコにあるかも知らない。 第三の眼というのは、眉間に隠れている粘液腺のことで、今日の学者はこれを脳下垂体という。 しかしそれが創造能力の秘密を蔵しているのだということは知られていない。

 第三の眼を開くには、まず自分の内なる太陽を見なければならぬ。 この太陽の出る処は心臓の中心、アナハタ・チャクラである。 解剖学では胸腺というが、胸腺がどんな機能をもっているかということは、まだ知られていない。

~~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~~

 前回最後に書きましたが、上記にあります、皆異なる個性を持つ人間を、個々の正しい進化の方面に導く最高位のチャクラ 「脳下垂体(Pituitary Gland)」  ですが、こちらは占星学では大吉祥星の ”木星(Jupiter)” に照応し、数秘学の奇数展開では “3(Three)” 、可視光線では ”青(Blue)” に対応します。

 そして、上記に採り上げられているもう一つのチャクラ “胸腺(Thymus Gland)” ですが、こちらは占星学では愛と美と調和・平和を司る ”金星(Venus)” に照応し、数秘学では “6(Six)” 、可視光線では ”藍色(Cyan)” に対応するようです。

 そう、今まで何回も書いていますが、“3(Three)” という数は “1(One)・太陽(Sun)・橙(Orange)” と ”2(Two)・月(Moon)・紫(Violet)” という基数が分裂して、再び結合した最初の数であり、最も強い結合を表すと述べられています。 

 これから以後の数は(4~∞)いくら数が膨張して見えようとも、この3つの数(1,2,3)の複雑な組み合わせに過ぎないというニュアンスが読み取れます。

 で、この “3(Three)” という数を倍化した数字が ”6(Six)” であり、関係が深い。

 ここで、少しばかりケイシー・リーディングより抜粋しますと、

 One, then, the whole number - divisible by that of the various parts as may be taken up to make the whole. One always being, then, a basis for a start - for division - for building - or for disintegration; shown by the relationship of other numbers as respecting same, as may always be seen that when one and one are two - TWO then the weaker number. ALWAYS, in the division, the even numbers - as two, four, six, eight - are the weaker, while the odd numbers are the strength - each having its variation from the vibrations as are naturally created by such. One, then, the Unit.

 Two the division, and ready for a change.

 Three, again with strength, with the activity of both one and two.

 Six again showing a weakness, or a strength again - the multiple of three, strength - yet showing either weakness OR strength, dependent upon the relationship of the day, month, or year, or stock - according to the conditions as are added in same.

ONE is the beginning, to be sure. Before ONE is nothing. After ONE is nothing, if all be IN ONE - as ONE God, ONE Son, ONE Spirit. This, then, the ESSENCE of ALL force, ALL manners of energies. All activities EMANATE from the ONE.

TWO - the COMBINATION, and begins a division of the whole, or the One. While TWO makes for strength, it ALSO makes for weakness. This is ILLUSTRATED in that of your music, of your paintings, of your metals, of WHATEVER element we may consider!

THREE - again a combination of One and Two; this making for strength, making for - in division - that ability of Two AGAINST One, or One against Two. In THIS strength is seen, as in the Godhead, and is as a greater strength in the whole of combinations.

SIX - again makes for the BEAUTY and the symmetrical forces of ALL NUMBERS, making for strength;

 NUMBERS of same! But best study as you would your own A.B.C's. One - the all power. Two - divided. Three - the strength of One and the weakness of Two. Four - the greater weakness in all its associations and powers. Five - a change imminent, ever, in the activities of whatever influence with which it may be associated. Six - the strength of a Three, with a helpful influence. Seven - the spiritual forces that are activative or will be the activative influences in the associations of such an influence. Eight - a money number. Nine - the change. Ten - back to One again. These in their correlated influences as you will find in your own experience, and we will see these are but signs. Study in some of these, but turn most to the influence of the force of the One within self.

~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~~

 ここまで試行錯誤しながら研究していて、フト直感から思い浮かんだ有名な中国の諺が 『青は藍より出て藍より青し』 でした。

 下に抜粋して次回に続きます。

〔青は藍より出でて藍より青し〕

 
 
 染め物の一種に、藍染めというのがある。染料の藍玉は青味は帯びて
いるものの、どちらかと言うと黒い色だ。この藍玉を溶かした藍瓶に、
反物を入れて引き上げると、最初は緑がかった色が見る見る青くなる。
この素朴な驚きは今も昔も変わらない。
 
 中国の儒家 筍況(B.C.300~240頃) の言葉
 
    学は、もって已むべからず。
    青は藍より出でて藍より青く、
    氷は 水これを為して、水よりも寒し。(「荀子」勧学篇)
 
  学問はいつまでも止まると云う事はないし、
  弛んではならない。
  青がもとの藍よりも青いように、
  氷がもとの水よりも冷徹なように、
  師を凌ぐ学の深さを持った弟子も現れるものだ・ ・ ・
 
 ここから弟子が師よりも優ることを、この言葉で表すようになった。
「出藍」とか、「出藍の誉れ」というのもここから来ている。
 
 
 南北朝時代の北朝に李謐という人物が居た、李謐は初め孔潘に就いて
学んでいたが、その進歩はめざましかった。数年の後、孔潘は李謐の方
が自分より学問が進んだと考え、自ら進んで李謐の弟子になった。この
時、同門のものは筍況のこの言葉を引用して、李謐の優秀さと孔潘の実
直さを褒め称えている。
 
 
 近年の師と仰がれる人々で、筍況のこの言葉を真に理解している人は
少ない。弟子はいつまで経っても弟子であり、一人前或いは自分と同等
と認めても、その弟子の「弟子」になることが出来ない。
 
 将に「学は、もって已むべからず」である。この「青は藍より出て藍
より青し」に触れたら、この事も思い出して欲しい。
 
  「過ちては、則ち改めるに憚ること勿れ」




数秘学について(160)

2012-01-10 19:14:47 | ひふみ神示系

 そうそう、今年の目標でもないのですが、今後の人生課題として、最近強く意識していることがあります。 それは、

 『丁寧に丁寧に・・・』

 でしょうか。

 私は何事にしてもモノゴトの成就を急ぐ傾向が強いので、急ぐあまり一つ一つの工程が粗くなる傾向があります。 この辺は板前の時についた傾向です。 寿司なんか特にそうでしたが、とにかく早く出さなくてはお客さんからのクレームがすぐにはいりましたから、言い訳無用で急いで出さなくてはなりませんでした。 

 まーこれはこれで私の今回の人生に必要な経験だったとは思いますが、ですが、これからは常に何事に対しても “丁寧に” を心掛けて、それを早さに結びつけていこうと思っています。 特になんの変哲もない当たり前の事ですが、丁寧をつなげてそれを早さに結びつけたいと思います。 

 今まで長い時間かけてついたクセですから、なかなか直り難いとは思いますが、当たり前のコトで出来ていなかったコトを一からやり直したいと思います。

 

 さて、前回の続きを書きたいと思います。

 今までケイシーのリーディングを調べていると、今世紀(20世紀)の歴史の大きな転換点の一つとしてAD1998~2000年が述べられています。 ポールシフト(極移動)やイエス・キリストの再来、そしてケイシー自身も再来する可能性があるとそのリーディングの中で述べられています。

 ポールシフトはとりあえず起こらなかったようですが、イエス・キリストやケイシーの転生に関してはどうなっているのかは今のところ定かではありません。 

 しかしながら、今回はこの情報にはあまり深く突っ込まず、私たちの今後に深く・大きく関係するようなモノを採り上げて考えてみたいと思います。

 ケイシー・リーディングや神智学の述べる占星学では、西暦2000年前後からAD4160年までの約2160年間は水瓶座(Aquarius)の時代に入ったと述べられています。 

 Aquariusの時代は ”電気の時代” とも言われ、かつて地球上で最も高度な文明を築き、その高度な文明で滅んだアトランティス人に顕著に影響を及ぼした天体Uranus(天王星)の支配する星座でもあります。 その事は、目下研究しているエメラルド・タブレットにも書かれています。

 この中で興味深いのが、人体の内分泌腺(チャクラ)に関するモノです。 ケイシー・リーディングによりますと、現在の私たち地球人類というのは今から約14000年ぐらい前に、その時最も進化していた動物であった猿人をベースに、天上の神々がその内分泌腺を通して急激に進化させたものであり、その事が 「Missing Link(失われた連環)」として人類誕生の謎として残っています。

 重要なのはここからです。 

 ケイシーは、血液と同様にリンパ腺を非常に重要視していました。 あまり適切な表現でもありませんが、肉体の栄養液として血液、霊の栄養液としてリンパ液と思ってもらえれば解りやすいかも知れません(あんまり分かりやすくもないですが)。

 で、です。

 ケイシー・リーディングや神智学は、人類の進化にこの7つの主要内分泌腺が大きく関係していたことを詳しく分析しながら解説しているのですが、どうも今回起こるであろう、いえ、もしかしたら起こっている真っ只中かも知れない第五根源人種への移行(進化)にも、前回同様この七つの主要内分泌腺が大きく関係してくると述べられているのです。

 この内分泌腺への強い働きかけにより知能の大きな進化が起こり、どんな種類の病気も克服することが可能となる。 と、同時に、不老長寿に近い秘法もその進化した知能により理解されるようになると述べられています。

 そして同様のニュアンスが、ひふみ神示にも述べられています。 原爆にビクともしない新しい肉体、今まである如何なる毒と呼ばれるモノにも影響を受けない新しい肉体が到来する、と述べられています。

 そのために重要なのが腺の働きを理解するコトです。 その最も有効なツールがヨガ(YOGA)であると述べられています。 

 ケイシー・リーディングには直接書かれていませんが、“ヨガ” とは創造神アミリウスがインドにクリッシュナとして転生した時に王子アルジュナに説いたものであると 「エメラルド・タブレット」 には書かれています。 

 その事について 「エメラルド・タブレット」 より抜粋してみたいと思います。

【エメラルド・タブレット 〔真理の探求〕】

 東洋古代の大聖は、一つなる宇宙意識によって、凡てのことを知ることが出来た。

 トス(ヘルメス)が言った。 『創造的能力は、第三の眼を開くと活動する.創造的能力は第三の眼を開く訓練の結果として現れるものである

 人間は第三の眼が、自分のドコにあるかも知らない。 第三の眼というのは、眉間に隠れている粘液腺のことで、今日の学者はこれを脳下垂体という。 しかしそれが創造能力の秘密を蔵しているのだということは知られていない。

 第三の眼を開くには、まず自分の内なる太陽を見なければならぬ。 この太陽の出る処は心臓の中心、アナハタ・チャクラである。 解剖学では胸腺というが、胸腺がどんな機能をもっているかということは、まだ知られていない。

~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~~ 

続く・・・

 

 


本日の呟き写真(2012年東横放浪記より)

2012-01-07 15:36:50 | ひふみ神示系

 本日は、朝から定番の金平ゴボウと小豆カボチャとごま塩作って、その間に包丁研いで、車を洗車して、ワックスかけて、タイヤの空気圧のチェックをしました。 最近、忙しかったので基本がなかなか出来ていませんでした。 

 ”何事も基本が大切!”  とゆーコトは解りすぎるぐらい解ってはいるのですが、忙しさにかまかけてついつい見てみぬフリをしていました。

 アメリカから帰ってひふみ神示を読み出して、横浜生活の中旬ぐらいから始めた朝活ですが、やってつくづく感じるのが、やはり効率的な時間の使い方は朝からの段取りにあると感じます。 一人旅の海外旅行なんか特にそうですが、朝早くから動き出すとものスゴく時間が長く感じますし、有効に使えます。 

 多少のトラブルで交通機関の時間が遅れたりしても辻褄合せがやりやすいですね。 海外なんかバスや電車が遅れるのは当たり前ですから、常に遅れるのを想定に入れて行動しないと、ヘタしたら一日予定が狂う事も出てきます。 最悪、帰りの飛行機に間に合わなくなる可能性出てきます。 

 まーそれはそれで面白くはあるのですが、私は海外旅行はお金のあるサラリーマンと違い、その時持っているなけなしの金をすべて叩いて行くので、一分一秒が惜しくてなりません。 ですから、時間を最大限に有効に使おうと直感と頭をフル回転させます。 その経験が、時間やモノのムダに気づく、省く習性になったのかも知れません。

 まーですが、それはあくまでカッコよく言えばの話で、結局はただ単にお金が無く、貪欲に遊びたかったからナイ知恵を絞ったに過ぎませんが。

 そうそう話はまったく変わりますが、最近ナゼか包丁の刃が欠けるようになったのです。 以前にもお伝えしましたが、今使っている包丁は、和食の板前時代に使っていたヤツで、鋼が入っている本職の料理人用の包丁です。 切れ味は最高なのですが、錆びやすく、刃が欠けやすい面があります。

 だから、欠けても不思議ではないのですが、どうも欠け過ぎる感じがあったのです。 そこで、理由を考えてみたのです。

 そうしましたら、答えはスグに浮かんできました。 それは、包丁を研ぐのに使っている粗研ぎの砥石を使って歯の均しをやったからです。 昔、板前やっている時に上の人から、

『おい。 包丁研ぐ時いくらラクだからといってあまり荒砥使うなよ。 刃がボロボロに毀れるぞ。』

 と言われたのを思い出しました。

 そうなのです。 今回しばらく使っていなかったのでサビや刃の面が歪んでいたので、メンド臭かったから荒砥でやってしまったのです。 この事はやる時、多少脳裏によぎったのですが、メンド臭かったので 「ま、たぶん大丈夫だろう」 と思って、一気に荒砥でやってしまったのです。

 そうしましたら、見事にこの結末になってしまいました。 

 原因があって結果が正直そのままに出た感じです。 やっぱり何事も手抜きはダメですね。 改めて身をもって教えられた感じです。

 そう、これからの時代、私自身がこれだけ占星学や姓名学のような占いの類を没頭して研究していてゆーのもナンですが、他人のあまり当てにならない雑念だらけのお節介なアドバイスや占いとかよりも、寧ろこういった、小さな目の前に降りてきた結果・現象を、自分の内面で静かに見つめ、ゆっくりと考え、次の行動につなげるのが正しいやり方のような気がします。

 そうなんですよね。 私の欠点も、何事にしてもつい急ぎ過ぎてしまう性癖にあります。 これは占星学のホロスコープにも良く出ています。 

 そういえば書きながらもう一つ思い出したのですが、昔の警備員やっている時に行ったある現場の先輩から、私がある時、三段ぐらいの低い現場用の階段を降りる時、メンド臭くて一足飛びに降りたら

『おい! いくら低くても階段は一段一段登り降りするクセをつけろ! そういった大着な、短絡的な考え方が、いつか大事故につながるんだ。 昔、アルバイトの大學生に注意したら耳も貸さなかったが、そいつは他の現場で鉄のローラーで下半身を潰され、下半身複雑骨折で8時間に及ぶ手術をしたぞ。 工事現場をなめるな! 常に事故や怪我、死と隣り合わせだということを肝に銘じとけ!』

 と厳しく怒られた事があるのですが、その時は私もいちおう 「ハイ、すいません」 としおらしく謝ってテキトーに受け流したのですが、警備員辞めるぐらいにその言葉の意味、重さが解りました。 単純に仕事だけでなく、人生総てに通じる考え方だったと感じます。

 私も気は引き締めているつもりなのですが、やはり心の懈怠は知らず知らずに隙間から入り込んでいます。 そうすると仕事や人間関係でトラブルが発生します。 で、その怠慢に気付かされるのです。

 この目の前に降りてきた結果から読み取る地道な内省繰り返しのみが、確実な魂の進化に導いてくれると思います。

 もうチョイ書こうと思いましたが、これから露天風呂温泉に出かけるので、とりあえず失礼します。

 写真は東横放浪記の続きです。 

 

 

   

 

 


そういえばー総入れ歯ー(注:表題に意味なし。韻を踏んだだけ)

2011-12-28 20:06:05 | ひふみ神示系

 どうでもいいネタですが、そういえば来年は厄年ですわ。

 年です。

 でも、私は厄年なんてまったく気にしません。 だてに長年に渡り超高難度な占星学や姓名学、数秘学を研究しているワケではないので、そんな幼稚な大雑把なモノを信用する事は不可能です。 実際、今までの厄年もまったく関係ありませんでした。 運の巡りの悪い時なんて、そんな周期に関係なくやってきます。

 ですけど、ちょっと気になって来年からの占星学アスペクトを調べてみたら、けっこう厄介なアスペクトが乱立していました。

 Neptune square Neptune:Self-scrutiny】:Beginning of April 2010 until end of January 2012

【Pluto opposition Mars: A roughshod ride】:Mid March 2011 until end of October 2013

Uranus opposition Uranus: Last chance】:End of May 2011 until beginning of February 2013

Saturn trine Sun: Further training】:Beginning of November 2011 until beginning of August 2012

Saturn conjunction Moon: Self-criticism】:Mid November 2011 until end of August 2012

Neptune square Mercury: A foggy view】:Beginning of March 2012 until end of December 2013

 と、いった感じで、Hard AspectであるSquareやOppositionが乱立しています。 それも2012年を越えて2013年ぐらいまで続きそうなのばかり。 コレはどう考えてもしんどい!

 いくら 「Squareは踏み石」、「Oppositonはバランス」 の訓練とはいえ、これだけまとまって来るとさすがに精神的にしんどい。 

 とはえい、自分で蒔いた種。 覚悟を決めて刈り入れるしかありません。 

 そうそう、今日で仕事も御用納めでした。 来年の目標は以前書いたとおりです。 

1.姓名学、数秘学、占星学の更なる進化

2.ケイシー・ダイエットとマクロバイオティクスの融合、進化

 でしょうか。

 今年は日本にとってだけでなく、私自身にとっても大変革の年となりましたが、とりあえずは何が起ころうと自分自身が ビシリ! と定めた理想に向かって突き進むのみです。 ホンネゆーと、この今やっている研究課題に比べたら、もう放射能問題や金融問題等にはほとんど関心はありません。 

 それでは、本日は年末掃除で疲れたので、この辺で失礼します。

 尾方正和

 


人間…

2011-12-25 20:36:38 | ひふみ神示系

 『このカタカナ英語でマクロバイオティクスと呼ばれる正食医学のホントの目的は病気治しではありません。 一日三食以上、満腹食べられる現在の日本の状況で、1食は食べ物を毎日食べられる天への感謝の意として、そしてモノを食べられない発展途上国などの子供たちの事を常に忘れないようにする事もその意図する事になります。

 そして家畜を食べないからムダなエネルギーも消費しません。 食肉用に飼育している家畜に与える穀物の量は人間が食べるゆうに30倍以上になります。 それらを発展途上国等に回せば地球の人口が100億人になっても十分に養っていけます。』

 と、以前講義の席で仰っていました。

 果たして今の日本にここまで地球全体の未来まで考えて実行している人間がドレほどいるでしょうか? 

 大森先生は30日間の本断食(水だけ飲む)を生涯3回行なっておられます。 ここまで自ら実行され、マクロバイオティクスを筆頭に姓名学や易の理論等、膨大な智慧を授けて下さったからこそ私からここまでの心から尊敬を勝ち得ているのです。 

 膨大な智慧だけでなく、これだけ食べ物や使い捨てのモノ、娯楽等が溢れる現代社会に於いて、質実剛健な生き方の美学というものを身をもって教えて下さった方でした。

 これだけ超一流のモノを見せられたので、今更それ以下のモノを押し付けられても本能が反発し、全く取り合う事が出来ない。 

  一流を知る、観ることの重要性を身をもって教えられます。

 いくらコンピュータや機械が進化しようとも、最後の最後、結局は人間に行き着きます。 

 ケイシー・リーディングによりますと、約五万年、三度に渡るアトランティス大陸大崩壊の際、その崩壊の意味を天からの堕落への警鐘と感じ取って、改心した人間は殆ど居なかったようです。 大半がその後も同じような事を際限もなく繰り返していたようです。

 現在の日本の状況を見ていればその事の意味がよく理解できます。 アレだけの事が起こった年に、忘年会等で食べ過ぎてカロリーオーヴァーや糖尿になるまで、体壊すまで食ったり、酒を飲み続けている。 そしてその食べ残しが日々捨てられている。 その影では発展途上国等で子供たちが大量に亡くなっていく・・・。

 今後、日本が経済的に崩壊し、食糧難等、第二次世界大戦以上の厳しい状況が訪れるのは当然の成り行きだと思いませんか? その事に何か、天の間違いの法則がありますか?

 目の前の現実を観て、自分の頭でよくよく考えて見てください。

 私は地元の周りの状況を見ていて、本当に腹が立つ。

 こいつらダメだ。 あの震災から何にも学んでいない、と。

 やはり自分たちの目の前に降りてくるまでわからないのだろう。 いや、例えどんなに厳しい現実が降りてきてもすぐに忘れ去るんだろう。 所詮人間とはそういう生き物だ。

 しかし、もう言っても解らない連中を相手にしている時間はない。 自分達の身は自分達で守るしか術がない時が目の前に来ている。 普通の頭で考えれば解る事ですが、今の政府も経済システムもそう遠くない日に間違いなく崩壊します。

 その時にどうするか?

 芸能エンタメ情報でも見ながら考えて見てください。

 

  

 


本日の呟き(Dec/25/'11)

2011-12-25 08:12:12 | ひふみ神示系

 田舎に戻って改めて感じるコト。

「2人以上集まれば、群れて近所、他人、TV芸能等の不幸な噂話、悪口にしか能(脳)が活発に働かない。」

 コレを批判と受け取る人もいるでしょうが、私は客観的に事実を述べているだけです。 嘘だと思う方は田舎のおっさん、おばさん連中の話を聞いてください。 近所の噂話と悪口しか言っていません。 

 だから、私のように独自の分野の独学研究やって、肉食わないマクロバイオティクスなんてやっていると浮いて興味本位・悪口・噂・批判の対象になってしまいます。 まー帰ってくる前からこうなる事は分かってはいたのですが、それにしてもムダに疲れる。 だから最後までココには帰りたくなかった。  

 不思議なのが、病院に行ってばかりの人がほとんど病院に行ったことがない私にアレコレ指示するのです。 少しぐらい肉を食ったほうが健康に良いとか、甘いもの、砂糖も取った方が良いとか、酒も多少なら薬だとか。 そこまで食べたいモノを我慢しても、交通事故とかで死ぬこともあるんだから、一回の人生欲望のままに生きた方がトク、だとか。 

 確かに、その人が健康で全く病気もせずに、Positive Thinkingで、ケイシー・リーディングや大森先生ぐらいの智慧を授けてくれるのならそれに従いますが、酒飲んで、病院行って、他人の悪口ぐらいしか言わない、だとそのアドバイスに従えと言っても不可能でしょう。

 私は、好き嫌いに関わらず良いモノはよい、悪いモノはわるいと、判断するようにしています。 コレは私の尊敬する大森英桜先生やケイシー・リーディングから学んだ精神です。

 自分独自の人生(生き方・考え方)の美学というモノを一度も考えた事がない集まり。

 何回生まれ変わっても、神の前に堂々と出せる生き方というモノを一度も考えた事が無い。

 理想を描かせるようなまともな本を一度も読んだ事がない。 

 そんな連中が子供にまともな教育なんてできるはずもありません。 いい大学に入れ、金持ちになれ、か、他人の不幸な噂話・悪口の仕方を教えるぐらいが関の山でしょう。 

 ですが、それらの人々も可哀想といえば可哀想ではあります。 真の無限の可能性が拡がる世界を知らず田舎の果てで朽ち果てていく。 東京も欲に塗れ、お金無しには何も出来ない世界ではありますが、間違いなく様々な分野で一流の人材が集まる街ではありました。

 一度ソレらの ”一流” のモノや考えを識ってしまうと、それ以下に堕とすコトは本能が反発します。 「そっちへ行くな! お前は人から何と言われようと信じたこの道を行け!」 と囁きます。 

 故にひとりで歩み続けるしかありません。 しかし、その独立独歩の土台は、今までの経験や智慧から完全に固められています。 だから再びこの地辺境の地に戻されたのでしょう。

 群れず、馴れ合わず、ひとり己の信じた道(未知)を貫き通す!

 

 さて、カルく呟いたところで、そろそろ本題に入りたいと思います。

 約20年前に出遭っていたにも関わらず、その時の読解力では無理と判断されたのか、15年の月日が流れてやっと表に出てきたひふみ神示ですが、こちらは数字(数秘学)で降ろされた預言・哲学書です。 神示の中にもその事が述べられています。

 高度な天人同士の会話は数字のみでなされることが多い、と。

 ここで、現在採り上げている “3” という数字を題材にした帖を引用して数秘学というモノを考えてみたいと思います。 

 と思いましたが、これから出かけるので、

 続く・・・

 

 

  

  

 


数秘学について(151)

2011-12-20 20:25:15 | ひふみ神示系

 以前にも書きましたが、大森英桜先生や福岡の運命鑑定の先生から言われ全く同じ事がありました。 それは、

 「アナタは田舎はダメです。 都会に出なさい。 それも東京のど真ん中が一番良いです」

 と。 ですが、その話には続きがあります。 その先生たちが共通して仰っていたのが、

 「人間、田舎が合う人もいるし、都会が合う人もいる。 人それぞれです。 ですが、アナタは都会じゃないとその能力が活かせない人です。」

 と、言われました。 

 私の人生に大きく影響を及ぼした、尊敬する二人の先生の共通項でした。 田舎に帰って来てその事をつくづく実感します。 

 今の時代に、たかだか肉を食わないマクロバイオテクスをやっているだけで奇異な目で見られるし、一日2食生活をなん十回もしつこく質問されるし、もうなん十回も同じことを質問され、最近は答えるのにもバカらしくなり、疲れて来ました。 

 こう言うと、肉を食わないと畜産関係者が食べて行けなくなるじゃないか、とかいう低レベルな反論をする人がいますが、そんな人はそれぐらいテメエの頭で考えろ!と言いたい。 もっと進化的な高次元な質問なら答えを考えたいが、ここまで低次元だと考えるのもバカバカしい。

 私は昔から、こんな種類の視野の狭い、田舎からほとんど出たことのない田舎人にウンザリしています。

 ちょっと人と違うことをやる人間を見ると興味津々に調べたり、聞いたりするけけど、自分の頭で何も考えようとはしない。 ただ、興味本位で聞くだけ。 で、彼らのやることといったら、肉食って、酒飲んで、人の噂話、悪口、陰口ばかり言っている。

 20年ぶりに帰ってきても全く一緒でした。 何一つ変わっていない。 東北大震災後もまったく変わらず。 九州あたりだと、所詮は外国であった出来事をTVで見るのと同じ感覚なんでしょう。 何の警鐘も読み取っていない。

 最近、つくづく思います。 やっぱり横浜戻ろうかな、と。 たとえこの先、放射能垂れ流しでも、食糧難来ても、ここで平穏無事に生きても何も得られるものはないな、と。 また、派遣奴隷やりながら、生かされている限界まで、今の研究を続けようと。

 まーですが、あくまで私個人の人生スタイルですので、田舎が合う人もいるので自分なりの人生スタイルを自分の頭で考えて下さい。

 自分で考えて、自分で判断して行動し、自己責任の覚悟があるなら、人間、自由に好きに行動しても良いと思います。 人のせいにしないこと。 

 さて、前置きはこれぐらいにして、本題に入りたいと思います。

 ケイシー・リーデイングと共通項が多いのがインドのヨガ(Yoga)です。 ケイシー・リーディングには出てきませんが、エメラルド・タブレットによりますと、創造神アミリウスの重要な転生の一つとしてインドのクリッシュナがあるようです。

 そして、ケイシー・リーディングによりますと、アダムとして自ら堕落して、様々な沢山の転生を経て、その最終的な仕上げとしての転生であるイエス・キリストもインドで約3年修行を積んだようです。 

 ここでも興味深いのが “3” 年という数字です。 日本でも 「石の上にも三年」 とかいう諺がありますが、スポーツや勉強、専門的な技術職等で一つの壁を越える(ブレイク・スルー)のに、どんなに苦しくてもとりあえず3年はやってみなさい、というニュアンスで使われます。

 私は仕事としては板前だけが3年続きました。 他のは全部ダメでしたね。 基本的には移り気な性格なんで、その時の気分で動きます。 あまり良いことではないのですが、ですが、せっかく生まれてきたんだから様々な経験を積みたいという考え方もあります。

 ま、それはともかく、ケイシーは瞑想を重要視していますが、その際、ヨガの呼吸法(brething)を奨めています。

 そうそう、私の上記の田舎に関する個人的見解に反論、反感を感じる方は、せめて下のリーデイングを自分の頭で徹底して研究してからして下さい。

 理解して質問された方とは同じ土俵で相撲を取り(議論し)ましょう。 そうでない方は、観客席からプロ野球や相撲の批評・批判をしている連中と同じです。 何の努力もせずに言うだけタダの連中なので、問題外と見倣させてもらいます。

 “外野で悪口言っているザコ連中よ。 同じ土俵に登って来いよ。 いつでも相手になっていやるぜ!”

  

〔R2475-1〕

 1. HLC: You will have before you the body and enquiring mind of [2475], ..., Penna., in special reference to the Yoga exercises with which he has been experimenting, in breathing. You will indicate just what has taken place in the body and what should be done from this point, considering the best physical, mental and spiritual development of the entity. You will answer the questions, as I ask them:

2. EC: Yes, we have the body, the enquiring mind, [2475]; and those conditions, those experiences of the body in the use of Yoga exercise in breathing.

3. To give that as would be helpful to the body at this time, there might be indicated for the body something of that which takes place when such exercises are used - and the experiences had by one so doing.

4. These(yoga) exercises are excellent, yet it is necessary that special preparation be made - or that a perfect understanding be had by the body as to what takes place when such exercises are used.

5. For, BREATH is the basis of the living organism's activity. Thus, such exercises may be beneficial or detrimental in their effect upon a body.

6. Hence it is necessary that an understanding be had as to how, as to when, or in what manner such may be used.

7. It would be very well for the body to study very carefully the information which we have given through these sources as respecting Meditation. Then this information as may be given here may prove of beneficial effect in the experience of the body.

8. Each soul, individual or entity, finds these facts existent:

9. There is the body-physical - with all its attributes for the functioning of the body in a three-dimensional or a manifested earth plane.

10. Also there is the body-mental - which is that directing influence of the physical, the mental and the spiritual emotions and manifestations of the body; or the way, the manner in which conduct is related to self, to individuals, as well as to things, conditions and circumstances. While the mind may not be seen by the physical senses, it can be sensed by others; that is, others may sense the conclusions that have been drawn by the body-mind of an individual, by the manner in which such an individual conducts himself in relationship to things, conditions or people.

11. Then there is the body-spiritual, or soul-body - that eternal something that is invisible. It is only visible to that consciousness in which the individual entity in patience becomes aware of its relationship to the mental and the physical being.

12. All of these then are one - in an entity; just as it is considered, realized or acknowledged that the body, mind and soul are one, - that God, the Son and the Holy Spirit are one.

13. Then in the physical body there ARE those influences, then, through which each of these phases of an entity may or does become an active influence.

14. There may be brought about an awareness of this by the exercising of the mind, through the manner of directing the breathing.

15. For, in the body there is that center in which the soul is expressive, creative in its nature, - the Leydig center.

16. By this breathing, this may be made to expand - as it moves along the path that is taken in its first inception, at conception, and opens the seven centers of the body that radiate or are active upon the organisms of the body.

17. This in its direction may be held or made to be a helpful influence for specific conditions, at times - by those who have taught, or who through experience have found as it were the key, or that which one may do and yet must not do; owing to whatever preparation has been made or may be made by the body for the use of this ability, this expression through the body-forces.

18. As this life-force is expanded, it moves first from the Leydig center through the adrenals, in what may be termed an upward trend, to the pineal and to the centers in control of the emotions - or reflexes through the nerve forces of the body.

19. Thus an entity puts itself, through such an activity, into association or in conjunction with all it has EVER been or may be. For, it loosens the physical consciousness to the universal consciousness.

20. To allow self in a universal state to be controlled, or to be dominated, may become harmful.

21. But to know, to feel, to comprehend as to WHO or as to WHAT is the directing influence when the self-consciousness has been released and the real ego allowed to rise to expression, is to be in that state of the universal consciousness, - which is indicated in this body here, Edgar Cayce, through which there is given this interpretation for [2475].

22. So, in analyzing all this, - first study the variations of what has been the body-temperament, in thought, in food. For, the body-physical becomes that which it assimilates from material nature. The body-mental becomes that it assimilates from both the physical-mental and the spiritual-mental. The soul is ALL of that the entity is, has been or may be.

23. Then, WHO and WHAT would the entity have to direct self in such experiences?

24. To be loosed without a governor, or a director, may easily become harmful.

25. But as we would give, from here, let not such a director be that of an entity. Rather so surround self with the universal consciousness of the CHRIST, as to be directed by that influence as may be committed to thee.

26. Thus the entity may use constructively that which has been attained.

27. But to prevent physical harm, mental harm, - attune self in body and in mind with that influence by which the entity seeks to be directed; not haphazardly, not by chance, but - as of old - choose thou this day WHOM ye will serve: the living God within thee, by thee, through thee? or those influences of knowledge without wisdom, that would enslave or empower thee with the material things which only gratify for the moment?

28. Rather choose thou as he of old, - let others do as they may, but as for thee, serve thou the living God.

29. Thus ye may constructively use that ability of spiritual attunement, which is the birthright of each soul; ye may use it as a helpful influence in thy experiences in the earth.

30. But make haste SLOWLY! Prepare the body. Prepare the mind, before ye attempt to loosen it in such measures or manners that it may be taken hold upon by those influences which constantly seek expressions of self rather than of a living, constructive influence of a CRUCIFIED Savior.

31. Then, crucify desire in self; that ye may be awakened to the real abilities of helpfulness that lie within thy grasp.

32. Ready for questions.

33. (Q) Is there at present any danger to any particular body-function, such as sex; or to general health?
(A) As we have indicated, without preparation, desires of EVERY nature may become so accentuated as to destroy - or to overexercise as to bring detrimental forces; unless the desire and purpose is acknowledged and set IN the influence of self as to its direction - when loosened by the kundaline activities through the body.

34. (Q) Just what preparation would you advise for the body, now?
(A) This should be rather the choice of the body from its OWN development, than from what ANY other individual entity or source might give.

Purify the body, purify the mind; that the principle, the choice of ideals as made by the entity may be made manifest.

Do whatever is required for this, - whether the washing of the body, the surrounding with this or that influence, or that of whatever nature.

As has been experienced, this opening of the centers or the raising of the life force may be brought about by certain characters of breathing, - for, as indicated, the breath is power in itself; and this power may be directed to certain portions of the body. But for what purpose? As yet it has been only to see what will happen! Remember what curiosity did to the cat! Remember what curiosity did to Galileo, and what it did to Watt - but they used it in quite different directions in each case!

35. (Q) Considering the development of the entity, is further practice of the Yoga exercises of breathing and meditation recommended?
(A) By all means! if and when, and ONLY when, preparation has been made; and when there is the knowledge, the understanding and the wisdom as to what to do WITH that gained! Without such, do not undertake same!

36. We are through for the present.