人生何でもあり!

日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

Additional&ちょっと早いけど、明けましておめでたうございます☆彡

2011-12-30 17:49:55 | 旅行

 えーと、年末年始はこちらに居ないのでちょっと早めに初詣に行って来ました。

 霧島神宮も初詣は混むので大変です。

 話は変わりますが、ノアの方舟とも絡みますが、天孫降臨の伝説があるトコというのは不思議と高い山が多い傾向があります。 今回の東北大震災の津波でも助かった人は高い建物や山に逃げた人たちでした。 

 私の今住んでいる宮崎・鹿児島付近には天孫降臨の伝説が多いですが、ドコも結構高いトコが多いのに気がつきます。 これにノアの大洪水を照らしてみると興味深い側面が見えてきます。

 どんな大災害でも必ず助かる人たちがいますが、その差というのはホント僅かなモノです。 後付けで様々な助かった秘訣とかを取り上げますが、結局はそんなモン交通事故なんかと同んなじで、いくら用心・準備・注意していても、死ぬときにはその他の理由で簡単に亡くなります。

 場合によっては、この時の為に準備万全に用意して逃げても、逃げている途中の猛スピードで逃げる他の車に轢かれるかもしれない。

 もちろん、万が一に備えるのは、天(神)を恐れる事につながるので大切な事なのですが、助かる事だけ考えていても助かるものでもありません。

 ひふみ神示に興味深い帖があります。 それは、「今までの逃げどころは高いところだったが、今回の大峠を越せるのはマコトしかない」 的なニュアンスが述べられた帖です。

 果たして来年からの大峠。 どう展開してゆくのか興味深く鳥瞰しておきたいと思います。

 今度こそ、本当に良いお年を&明けましておめでたうございます☆彡

P.S。本日の散歩写真です

 

  

 


数秘学について(157)〔☆たぶん年内最後のアップです☆彡〕

2011-12-30 06:37:07 | Cayce Reading

 私が個人的に研究している分野の情報に共通しているのが、私たちの肉体とは 「土(Earth)」 から造られたものであり、一時的な借りの宿りであるとゆーことでしょうか。

 しかし、だからといって粗末に扱うことはNGで、肉体的痛みを通した螺旋の経験の積み重ねに於いてのみ私たちは進化することが出来る。 故にそのバランスが重要である、と。 

 黄道12宮の中でなぜか唯一生物でないバランスの星座Libra。

 そこに黄道12宮の秘密が隠されている。 

 E.W.ブリンガーによりますと、現在ある占星学の黄道12宮は、殆どその創設された当時の創始者の意図が残っておらず、形骸化してしまっている。 その起源は白羊宮や金牛宮なのではなく、処女宮のある一点にある、と。 

 ケイシー・リーディングから読み解きますと、その起源はおおよそBC13119~10960年の処女宮の時代にあり、アダム(Adam)が、現在ある私たちとほぼ同じ肉(土・地)として投影されたのが約BC12000ぐらいであると推測されるようです。 そして、リーディングには ”Adam” とは 「アダマ(赤い地球)」 という意味であると述べられています。

 あくまで、個人的に研究した様々な資料を基にした結論ですので、果たして正しいのかどうかは拙ブログをご覧の皆様にお任せしますが、ここが現在の私たち地球人類の起源であると推測されます。

 さて、問題はここから。 

 肉体を克服することこそが私たちが地球に生まれ落ちて来ている主要な意味なのですが、現在その事を認識している人は少ない。 ほとんどの人が3S(Sport,Screen,Sex)に洗脳されている。 今回の東北大震災ほどの事を経験しても、一年も経たないうちに喉元過ぎればなんとやら。

 大多数にその事を認識させる時間はもうない。 それなら、一部の気づいた人だけでも救けるのが天の理。 その事は聖書の 「ノアの方舟」 の故事によく記されています。 その当時、地上にいた殆どの人間はすっかり邪になってしまい、救うことは不可能な状態になっていたと記されています。 ケイシーのリーディングもその事を肯定しています。

 そこで神は、地上を浄化するために40日40夜雨を降らせ、大洪水を起こさせ、地を海の塩で浄化された。 このことに関して、日本の神社でも浄化のために塩を蒔いたり、盛ったりする習慣から、その事の意味が多少理解できると思います。

 リーディングからも、地の波動が乱れた場所は長い年月をかけて海の底に沈めて、海の塩で浄化する必要があると、三度、五万年に渡るアトランティス大陸海没の意味・意図から読み取れます。

 そして、これは今回の東北大震災に通ずる考え方でもあります。 ま、しかし、今回はこの事には深く言及せず本筋に戻りたいと思います。

 過去何十回にも及ぶ大浄化を経験した人類。 しかし、その意味に気が付いている人間は殆どいない。 同じことの繰り返し。 その連鎖を断ち切るにはどうすれば良いのか?

 それがキリストの復活に記されているようです。 その事に関して 「キリストの秘密」 より抜粋してみたいと思います。

【キリストの秘密 〔第9章 復活と昇天〕】

 『それゆえ、主は、最初の人間、霊と肉において最初の神の子であったが、人間を創造主から引き離しているあらゆる物質的欲望、肉体的欲望を、人間の経験から一掃するために、主ご自身がそれらの全ての経験を完了する必要があったのだ。

 ……然り。 疑いと恐怖を追放するために主がご自身の血を与えたように、主は死を克服された。 それは肉においてのみならず、父なる神と一つのものとなるために、霊体においてもである。 汝らが復活節と呼ぶ、あの復活の朝のように。』

 

 そして、リーディングはキリストの復活の意味をこう述べています。

 『キリストの身体の変化について秘儀はあり得ない。 なぜなら、肉体の意識において、父であり、母である神との合一を達成し、その合一が完全であったがゆえに、屍衣、外套、衣の置かれた状態が示すように――体の腐敗が始まるとすぐに、肉体が形成されたのだ。 これこそがその様子だ。 これはあるものが別のものに変わるという意味での変容ではない。

 ドアを閉めた部屋の中に肉体が入ってきたということは、肉体がドアを通り抜けたのではなく、部屋の中に充満していたエーテル波から形造ったということである。 というのも、その会合は信仰によって持たれたものだからである。 そして 「上から力を授けられるまでは、エルサレムに――二階に――とどまっていなさい。」 と主は与えられたのだ。』

 

  さらに恐らくケイシー・リーディングのみが述べることができた興味深い情報として、このキリストの復活に興味深い側面があったことが述べられています。 それは、この復活にある種の経時変化というものがあったようです。

 『あの園でマリアに「私に触れるな。 私はまだ父のもとへ行っていないのだから」 と言われたことからわかるように、マリアの肉眼にも見えるように形成されたとはいえ、その肉体は、すべての力の根源と意識が一つのものになるまでは触れる事が出来なかったのである」 

 しかし、その後、――1回、2回、3回、4回、そうだやっと6回目に会った時に、――主は言われた。「手を伸ばして私の手と足の釘の跡を触ってみなさい。 手を私の脇腹に差し入れて、そうして信じなさい」と。 これは変容を示している。

~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~

 ここでいくつか興味を惹かれる単語や数字が出てきます。

 まず、エーテル(Ether)の存在です。 ケイシーはこの、現代科学では空想上の概念と思われている原物質の存在をハッキリと断定しています。 そして、その事はエメラルド・タブレットにも記されています。 この世を形成している人間の意志・想念に従う原物質の存在を。

 そして次に、数秘学を研究していて強く興味を惹かれたのが、キリストの復活の経時変化における完成の数字です。 とゆーのも、”6回目” となっています。

 “6” という数字は、占星学では金星(Venus)に照応し、“愛と美と平和“ を司る神であり、数秘学では 「1・2・3」 というこの世を構成する数字の基本中の基本の数を足し合わせた調和美の数でもあります。 

「123=1+2+3=6」 

 そして、この事は日本の ”ひふみ(一二三)神示” にも通じます。 1000ページ近くになるひふみ神示ですが、その核となる箴言は 「愛と美と調和」 であると。

 ここに如何なるカタチを取ろうとも 「真(神)理は一つの源泉から生じる」 という諺を証する顕れがあると思います。

 更に “真(神)理“ という画数は22画で、こちらは 姓名学の画数では 「内実の伴わない見栄っ張り数」 で、本来姓名学では凶数にあたるのですが、しかし、こちらは角度を変えてみると大いなる理想主義というポジティヴな側面も見出せます。

 その事は、カバラ数秘学の ”22” という数にも見られ、この数はマスター数ということで Christ(救世主) を顕す数となっています。

 もういっちょう突っ込むなら、22という数は数秘学の基数圧縮から 「22=2+2=4」 ということで、“水とイメージ(想像)” に由来する海王星に帰結します。

 そして、「水」 という画数は4画です。

 易をベースとした姓名学の基数展開では ”4” という数は、人間の目に見えない16種類の素粒子いう事で、放射能も意味します。

 こうやって洋の東西から様々な角度で一つのモノゴトを研究して行くと、物事が一つの方向を指し示していることに気がつきます。

 この時の快感はひじょーに面白い! 面白いから止められない。 

 この繰り返しが、気がついたら私をここまで辿り着かせした。 これからどんなまだ見ぬ新し世界を垣間見させてくれるのか楽しみでなりません。 これからも、やり続けた者だけが見ることが出来る世界を探求し続けたいと思います。

 もしかしたら年内のアップはこれで最後になるかも知れません。 

 明日(31日)から2日までとあるトコに旅に出ますので、ブログアップはオヤスミします。 

 それでは皆様、覚悟を決めて来年(2012年)をお迎えください。 

 失礼します。

 あー来年イスラエル・パレスチナ行きたい。。。

 

 

 

 

  


数秘学について(156)

2011-12-29 07:29:14 | Cayce Reading

 私たちの “今“ と未来について重要だと思われることについて少しばかり私見をつぶやいてみたいと思います。 これには現在日本が陥っている原発問題も深く関係してきます。

 多くの精神世界系の情報で予言されている西暦2000年から始まったAquariusの時代の到来、そしてそれに伴う第5根源人種の到来。 つまり現在の地球の土をベースとした肉体とこの世の思考形成物質の元となっているエーテル(Ether)の融合した半霊半物質の人間の到来。

 これにイエス・キリストの無原罪懐胎も交えて、肉体(Phsycal, Earth)と精神(Spirit Mind)・霊(Soul)の関係について考えてみたいと思います。

 ケイシーのリーディングによりますと、肉体というのは霊の顕れ、試験場というニュアンスが読み取れます。 ですから、肉体というモノも大切に扱わねばなりません。 肉体を通してのみ私たちは様々な事を知覚・認識することができるのです。 それゆえ、キリストは肉を纏われた、とケイシーのリーディングで述べられています。

 そうそうここで余談ですが、ケイシーの元にリーデイングを受けに来た人約2500人の中に今回の人生をもって地球の輪廻転生を終える可能性があると指摘された人物が18人いました。 その中にイエス・キリスト誕生の際、聖書にある乳香を捧げに来た三人の賢者のうちの一人であったと告られた人物がいました。

 この人物は今回の人生でも男性だったのですが、この今回の人生をもって地球の輪廻の呪縛を終えると予言された人物中実に14人が女性で、男はこの賢者も含めてたったの4人しかいませんでした。

 コレは何故か? ちょっと考えたのです。

 一般的に女性は、もちろん例外は多数ありますが、この地球という三次元世界で、子供を産んで育てる役目を担っているので、母性的な愛・優しさを本能的に抱く傾向が強いと思われます。 リーディングにも輪廻の呪縛、つまり ”我(Self)” を克服する一番の方法は “利他・無私の愛” であると述べられています。

 コレが一番の要因だと思います。

 次に考えられるのが肉体を大切に扱うという本能でしょうか。 つまり、言い換えるなら ”美への追求” という本能が女性にはあります。 もちろんこれにも他の女性との競争美という多少の負の側面もあるでしょうが、ですが、美しさを追求するためにエステに行ったり、ダイエットをしたりで、男性よりも肉体を確実に、格段に大切にします。 

 男なんて周りを見回せば自明の理ですが、一部の例外を除き、大半が会社の付き合いやらなんやらで不摂生の塊です。 簡潔に述べますと、神の顕れである肉体を大切に扱っていない事になります。

 戦後、マクロビオティックの普及に努めてこられた大森英桜先生も

「戦後すぐぐらいのセミナーでは、講義参加者が40人いたら 女は2,3人ぐらいしかいなかったけど、時代が進み、だんだんその比率が変わり、平成の今ではまったく逆転してしまいました。 私のところに来るのは美容とかよりも、子供やご主人の病気治し目的が多いけど、これも時代の流れでしょうが、 それにしても男の姿を殆ど見なくなりました。」 

 そして

「男は長年の会社勤めに疲れてだいたい50歳ぐらいですっかりくたびれてしまうから、どの家もほとんど女が実権を握っている」

 とも仰っていました。

 ですから、その講義の席で知り合う女性からよく 

 『おがっちさんてかなり健康そうに見えるのに、何でマクロビオティックなんて習いに来ているのですか?』

 と聞かれた事があります。 

 私の場合は、様々な要因がありますが、人との出逢いによるキッカケや本能からやっているような気がします。 「進みたい方向に進んでいるだけ」 が素直な答えでしょうが、ASCに金星があるのも大きな要因のような気がします。

 この星(Venus)は、その主要な意味として “愛と美と平和” を司り、私たち地球人類が目指す最終目的地である星座 Libra の支配星だからです。 地球における最終目的、つまり地球の輪廻の呪縛を解く大きなカギとなる星からです。

 故に、難しい理屈なんて知らなくても、愛や美を本能的に追い求める女性の方が、男性より圧倒的に輪廻の呪縛を解ける傾向があると分析しました。

 続く・・・


そういえばー総入れ歯ー(注:表題に意味なし。韻を踏んだだけ)

2011-12-28 20:06:05 | ひふみ神示系

 どうでもいいネタですが、そういえば来年は厄年ですわ。

 年です。

 でも、私は厄年なんてまったく気にしません。 だてに長年に渡り超高難度な占星学や姓名学、数秘学を研究しているワケではないので、そんな幼稚な大雑把なモノを信用する事は不可能です。 実際、今までの厄年もまったく関係ありませんでした。 運の巡りの悪い時なんて、そんな周期に関係なくやってきます。

 ですけど、ちょっと気になって来年からの占星学アスペクトを調べてみたら、けっこう厄介なアスペクトが乱立していました。

 Neptune square Neptune:Self-scrutiny】:Beginning of April 2010 until end of January 2012

【Pluto opposition Mars: A roughshod ride】:Mid March 2011 until end of October 2013

Uranus opposition Uranus: Last chance】:End of May 2011 until beginning of February 2013

Saturn trine Sun: Further training】:Beginning of November 2011 until beginning of August 2012

Saturn conjunction Moon: Self-criticism】:Mid November 2011 until end of August 2012

Neptune square Mercury: A foggy view】:Beginning of March 2012 until end of December 2013

 と、いった感じで、Hard AspectであるSquareやOppositionが乱立しています。 それも2012年を越えて2013年ぐらいまで続きそうなのばかり。 コレはどう考えてもしんどい!

 いくら 「Squareは踏み石」、「Oppositonはバランス」 の訓練とはいえ、これだけまとまって来るとさすがに精神的にしんどい。 

 とはえい、自分で蒔いた種。 覚悟を決めて刈り入れるしかありません。 

 そうそう、今日で仕事も御用納めでした。 来年の目標は以前書いたとおりです。 

1.姓名学、数秘学、占星学の更なる進化

2.ケイシー・ダイエットとマクロバイオティクスの融合、進化

 でしょうか。

 今年は日本にとってだけでなく、私自身にとっても大変革の年となりましたが、とりあえずは何が起ころうと自分自身が ビシリ! と定めた理想に向かって突き進むのみです。 ホンネゆーと、この今やっている研究課題に比べたら、もう放射能問題や金融問題等にはほとんど関心はありません。 

 それでは、本日は年末掃除で疲れたので、この辺で失礼します。

 尾方正和

 


本日の呟き(Dec/27/'11)

2011-12-27 19:50:59 | つぶやき

 最近は世相に関しては鳥瞰モードでしたが、タマには関してかるくつぶやいときます。

 今回は、ひふみ神示や神の経綸、ユダヤ陰謀論はとりあえず棚上げして呟きます。

 まず消費税に関してですが、もちろん上げないのが一番なのですが、もし上げるなら100% ”絶対” しなくてはならないのが、地方も含めた全公務員、議員の給与引き下げです。 20%引き下げが妥当でしょう。 ボーナスもなし。 これも当たり前。 

 民間が血を絞る思いでコスト削減してるのに、その税金で食っている連中いつまでもがぬるま湯に浸かっているのは許されない。 当然、国会議員の数も半分以下。

 それでは生活出来なくなるというやつも出てくるでしょうが、私は40歳前後で年収200万以下を4,5年経験しました。 東北大震災を経験した今、もうこれ以上甘えは許されない。

 あと、マスコミでは消費税引き上げに関して、一般会計の問題と国の借金ばかりが採り上げられますが、日本の本当の予算と言われ、別名裏帳簿とも言われる “特別会計” の問題。 殺された石井紘基さんの意志を継ぐ人間はいないでしょうが、これも消費税引き上げの必須絶対条件。

 

【特別会計について】

通常、国の予算というと,この一般会計のことをいい、マスコミもこれしか報道しないが、じつは「特別会計」と呼ばれる裏の予算があり、こちらのほうが規摸ははるかに大きいのである。特別会計については次節で詳しく説明するが、国が郵政とか道路整備とかといった特定の事業を営む場合や、厚生年金保険のような特定の資金を保有してその運用を行う場合につくることができる、一般会計とは別の会計のことだ。

その特別会計がいま38もあって、それらの歳入を合計すると336.5兆円、歳出を合計すると318.7兆円にもなる。ここに人ってくるのは、揮発油(ガソリン)税のような税金もあれば、厚生年金の保険料もある。一般会計の四倍もの規模をもつ、この特別会計こそが"財政の横綱”なのである。

この国の財政にはもう一つ、他の先進国には見られない「財政投融資」という大きな枠組みがある。詳しくは第三節で説明するが、私たちの郵便貯金や簡易生命保険の保険料、年金の積立金を集めて、それを特殊法人に融資したり、国債や地方債を引き受けたりしている。その規模が平成一二年度の計画段階では43.7兆円だった。

これら三つについては通常、一般会計を第一の予算とみなし、財政投融資を「第二の予算」ということが多いが、それはことの本質をみていない。規模の点でも、実質的な意味でも、特別会計こそ第一の予算であり、財政投融資はそれに次ぐ第二の予算、一般会計は単なるたてまえ予算といっても過言ではないのだ。

また、これら三つの枠組みの間では、たとえば一般会計から特別会計に資金が繰り入れられたり、財政投融資で調達された資金が特別会計に繰り人れられたり、相互に複雑な資金のやり取りが行われている。そしてその財政資金がさまざまなルートを通って地方自治体に流れたり、特殊法人,公益法人に流れたりし、さらには関連企業に流れて、この国の"官制経済”体制の動脈を形成しているのである。

ー日本が自滅する日ー 利権財政の御三家 より

~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~ 

 そして東電の完全国有化。 これも100%当たり前。 どうせトップは経産省の天下り期間なんだから、給与は削減された公務員に準じ、当然ボーナスもなし。 一体世界中の何億人に迷惑をかけたのか、普通の頭で考えれば当たり前。 本来役員は全員公開切腹モノでしょう。 退職金なんてもってのほか。 

 私も一番のお気に入りの横浜を離れ、沖縄に引っ越せねばならなかった。 その引越し費や精神的労力をどう保障してくれる? それ以上の人たちが何万人、何十万人、なん百万にといるのに、甘えるな。 殺されないだけマシと思え、東電職員。 

 もし消費税上げるならコレは絶対にやらなくてはならない。 これなしに消費税の引き上げは許されない。 これを “実行“ した後に、消費税引き上げ額を議論する。 これがスジ。

 まーどっちにしても日本は、政治・経済・その他もろもろで崩壊に向かいますが、ですが、それでもそこまでに行くまでの ”過程” も大事ですから、そちらに関して少しばかりつぶやいてみました。

 宇宙人の視点からホンネゆーとどっちでもいいんだけどね。 

 話は変わりますが、最近ヨーロッパの金融問題がすっかり静かですなー。 また忘れた頃にドカーンとネタを出して相場を動かすのでしょうか?

 北朝鮮に関しては、どーでもいい。 相手にするだけ時間のムダ。

 以上、本日の呟きでした。

 オヤスミなさい。 

 

  

 

 

 

 

   


The ガマン!(副題:犬も気楽な稼業ではありません)

2011-12-26 20:21:04 | 日記

  そういえば、アメリカの寿司屋に居た時に一時期流行ったのが マージャンでした。

 常連のお客さんが会社の麻雀牌を持ち込んで来たのが始まりでした。 ほとんどの人が麻雀は男の人生の必須科目としてやっていたのですが、なぜか見てくれは如何にもソッチ系なのに、大嶋の親分はこの時まで一度もやった事がなかったようなのです。

 で、麻雀を覚えたいという親分の希望により、店を閉めた後(PM9:30Close。片付け終わって22:00ぐらい)、私たち店のスタッフや常連のお客さん、大学生連中でデモンストレーションやりながら親分に教えていたのです。

 で、ある程度解ってきたら今度は本番の始まりでした。

 麻雀はやはり賭けなくては面白くないし、真剣味もありません。 で、とりあえず無難なレートということで、点$1でやろうということになりました。 いつもだいたい仕事が終わってからでしたから、普通にやって半荘3回ぐらいでした。 AM3時ぐらい、場合によっては4時ぐらいまでやっていました。

 まーこれも仕事の付き合いということで、週1ぐらならよかったのですが、麻雀にすっかりハマってしまった大嶋の親分、1ヶ月ぐらい毎夜のようにやるようになったのです。

 I am a Rulebook!を自称していた大嶋の親分でしたから、付き合わされる店のスタッフも大変でしたが、もっと大変だったのが、じつは一緒に住んでいた家の家主犬のトノくんでした。

 と、ゆーのも、彼は一日3回の散歩とトイレが日課だったのですが、昼の休憩時間PM2:00前後に行われるトイレ&散歩タイム以外は、私たちが帰って来るまでトイレと散歩に行けなかったのです。 場合によっては約14時間のTheガマンでした。

 ですが、さすがに14時間もトイレをガマンできず、絨毯によくおもらししていました。 ハーフミリオン(当時のレートで約6000万円)クラスの新築の家だったのに、新品の絨毯は漏らされまくりでした。 厳しい親分もこの時は、さすがに自分の我侭で可哀想と思ったのか、あまり怒りませんでした。

 以前一回、お漏らしして怒られたトノ君は、恐怖のあまりウンコを漏らした事もありました。 

 あー可哀想なトノくん・・・

 犬もお気楽な稼業ではないなーと感じた瞬間でした。

 本日は忙しいので考えをマトメ切れないので、カルメのアップにて失礼します。

 Good Night~♪

 


人間…

2011-12-25 20:36:38 | ひふみ神示系

 『このカタカナ英語でマクロバイオティクスと呼ばれる正食医学のホントの目的は病気治しではありません。 一日三食以上、満腹食べられる現在の日本の状況で、1食は食べ物を毎日食べられる天への感謝の意として、そしてモノを食べられない発展途上国などの子供たちの事を常に忘れないようにする事もその意図する事になります。

 そして家畜を食べないからムダなエネルギーも消費しません。 食肉用に飼育している家畜に与える穀物の量は人間が食べるゆうに30倍以上になります。 それらを発展途上国等に回せば地球の人口が100億人になっても十分に養っていけます。』

 と、以前講義の席で仰っていました。

 果たして今の日本にここまで地球全体の未来まで考えて実行している人間がドレほどいるでしょうか? 

 大森先生は30日間の本断食(水だけ飲む)を生涯3回行なっておられます。 ここまで自ら実行され、マクロバイオティクスを筆頭に姓名学や易の理論等、膨大な智慧を授けて下さったからこそ私からここまでの心から尊敬を勝ち得ているのです。 

 膨大な智慧だけでなく、これだけ食べ物や使い捨てのモノ、娯楽等が溢れる現代社会に於いて、質実剛健な生き方の美学というものを身をもって教えて下さった方でした。

 これだけ超一流のモノを見せられたので、今更それ以下のモノを押し付けられても本能が反発し、全く取り合う事が出来ない。 

  一流を知る、観ることの重要性を身をもって教えられます。

 いくらコンピュータや機械が進化しようとも、最後の最後、結局は人間に行き着きます。 

 ケイシー・リーディングによりますと、約五万年、三度に渡るアトランティス大陸大崩壊の際、その崩壊の意味を天からの堕落への警鐘と感じ取って、改心した人間は殆ど居なかったようです。 大半がその後も同じような事を際限もなく繰り返していたようです。

 現在の日本の状況を見ていればその事の意味がよく理解できます。 アレだけの事が起こった年に、忘年会等で食べ過ぎてカロリーオーヴァーや糖尿になるまで、体壊すまで食ったり、酒を飲み続けている。 そしてその食べ残しが日々捨てられている。 その影では発展途上国等で子供たちが大量に亡くなっていく・・・。

 今後、日本が経済的に崩壊し、食糧難等、第二次世界大戦以上の厳しい状況が訪れるのは当然の成り行きだと思いませんか? その事に何か、天の間違いの法則がありますか?

 目の前の現実を観て、自分の頭でよくよく考えて見てください。

 私は地元の周りの状況を見ていて、本当に腹が立つ。

 こいつらダメだ。 あの震災から何にも学んでいない、と。

 やはり自分たちの目の前に降りてくるまでわからないのだろう。 いや、例えどんなに厳しい現実が降りてきてもすぐに忘れ去るんだろう。 所詮人間とはそういう生き物だ。

 しかし、もう言っても解らない連中を相手にしている時間はない。 自分達の身は自分達で守るしか術がない時が目の前に来ている。 普通の頭で考えれば解る事ですが、今の政府も経済システムもそう遠くない日に間違いなく崩壊します。

 その時にどうするか?

 芸能エンタメ情報でも見ながら考えて見てください。

 

  

 


本日も東奔西走なり~

2011-12-25 14:49:36 | 旅行

 「肉ぐらい別にいいじゃん。 ソレのドコが悪いの?」

 と、私のブログを読んでいて思われる方もいらっしゃると思います。 

 まー食いたい方は毎日肉を死ぬほど腹一杯食って、酒飲んで、病気して、病院行って、人生に満足して、納得して死んで行けばよいのです。 自由です。 私の知ったことではありません。 そういう生き方が好きな方は、ご自由にどうぞ♪

 ここから先は自分の頭で考えることをしようと思う方だけお読み下さい。 私のはべつに商用ブログではないので、読みたくない方は読まなくて結構です。 そこらへんのエンタメ・ブログでもご覧になっていて下さい。

 では、なぜ肉が良くないのか?

 その答えは自分で考え探してもらうとして、私個人の今までの知識の集積と経験から述べてみたいと思います。 一人のひとつの考え方と思って下さい。 皆に当て嵌る考え方ではありません。

 ケイシー・リーディングは、一部のある程度健康なアメリカ人に対しては多少の肉を奨めています。 やはりスタミナがあるのは確かなのです。 それに彼らは何千年とかけて遺伝子として、肉食に対するある程度の免疫をつけていますから、その量さえ適量ならそう害もないのです。

 重いガンの患者とかには、ビーフ・ジュースなるものをアドバイスしたりしています。 もちろん全員ではありません。 一部の患者のみです。

 じゃー別にいいじゃないか、と思われるかも知れませんが、コトはそう単純には参りません。

 一部のかいつまんだリーディング情報を研究している方はそこまでしか観えてきませんが、ここに時代の変化(進化)というものを考慮して考えると違う面が浮かんで来るのです。

 イエス・キリストを養育したエッセネ派ですが、この団体は、極論すればイエス・キリストという途轍もない魂を私たちと同じ肉体として地上に招き入れ、養育するためだけに作られた組織だったようです。 ですから、そちらに向けた様々な慣習やしきたりがあったようです。

 しかし、こちらはユダヤ教を奉じた宗教団体ではなく、結構リベラルな団体だったようで、他のどんな宗教を奉じていても活動に参加可能だったようです。 食習慣の方も結構ユルかったようで、各宗派、各個人の自由な判断に任されていたようです。

 ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、ユダヤ教には旧約聖書に基づいた “コシェル” という食事規定がありますが、肉も結構OKです。 肉の ”血” が良くないようです。

 ですから、エッセネ派内では比較的自由が多かったようです。 

 が、ですが、です!

 ここぞ!という締めるべき時、つまり、ある重要な神への祈りや瞑想の時とかには絶対的に肉を断ち、断食を行なっていたようです。 ここぞ!という時には、やはり肉というのはその妨げになるようなのです。

 肉を食べていては、高度な霊からの繊細な波動を受信することが出来なくなるというニュアンスがリーディングやひふみ神示から読み取れます。

 じゃーまーその時だけでも、と考える方もいらっしゃるかも知れませんが、しかし時代はその時からしたら確実に進化しています。

 というのも、西暦2000年から突入したAquariusの時代は第5根源人種の時代の幕開けであり、Spiritベースであるエーテル体とPhysicalである肉体の融合した、半霊半物質の新しい肉体に徐々に移行して行くのです。 

 故にひふみ神示に 「本当の日本人に肉食は禁物じゃぞ」、と述べられているのです。 もう、肉を食べていてはその新しい肉体に移行できなくなるからです。 神示を降ろした神々は、終戦直後からこれから来るそれまでとは全く異なる新しい時代のために、私たち日本人に警告してくれているのです。

 そして、その新しい時代の地球を引き継ぐ人間は、全ての動物と仲良く生きられる人間でなくてはならないのです。 霊的高次元の世界に向かう人間には、どんな種類の殺生した肉もNGなのです。 言い訳は通用しないのです。

 その、肉を食べずに生きられるノウハウとして、日本にマクロビオテイックという食事療法を確立させ、世界中の精神世界を探求する沢山の人たちに認められ、広まったのです。

 私はここまで考えているので、宮崎の片田舎のおっさん・おばさんが理解するのは不可能だと、よく解ってはいるのです。 恐らくそのことをある程度理解している人は、日本に0.1%もいないでしょう。 

 その理論性や意味も含めてある程度理解して、私と波長があっていたのが、震災前まで千葉にお住まいだった、現在沖縄に疎開していらっしゃる方々です。

 ですから、ホントはいちばん横浜に戻りたいのですが、“理想と未来” という面からみたら沖縄に行くのが適切な選択なのです。 

 以上が、私の 「時代の変化と肉食」 というモノについての独断と偏見に満ちた見解です。

 上記を読まれて不快・反感を感じる方が99%でしょうが、宇宙の法則には多数決は通用しません。

 そう遠くない日にその事が解る日が来るでしょう。

 「無知とは罪である」 とはリーディングから読み取れる陰部ですが、無知から犯してしまった罪もそのいいわけにはならりません。 知らなかったは通用しないのが、現実です。

 よく肝に銘じておいて下さい。

 失礼します。

 P.s.本日の放浪写真は熊本の人吉です。

あーカワイイギャルと混浴にはいりたい☆彡 

おがっち@落第、アセンションならず・・・

 

 

 

 


本日の呟き(Dec/25/'11)

2011-12-25 08:12:12 | ひふみ神示系

 田舎に戻って改めて感じるコト。

「2人以上集まれば、群れて近所、他人、TV芸能等の不幸な噂話、悪口にしか能(脳)が活発に働かない。」

 コレを批判と受け取る人もいるでしょうが、私は客観的に事実を述べているだけです。 嘘だと思う方は田舎のおっさん、おばさん連中の話を聞いてください。 近所の噂話と悪口しか言っていません。 

 だから、私のように独自の分野の独学研究やって、肉食わないマクロバイオティクスなんてやっていると浮いて興味本位・悪口・噂・批判の対象になってしまいます。 まー帰ってくる前からこうなる事は分かってはいたのですが、それにしてもムダに疲れる。 だから最後までココには帰りたくなかった。  

 不思議なのが、病院に行ってばかりの人がほとんど病院に行ったことがない私にアレコレ指示するのです。 少しぐらい肉を食ったほうが健康に良いとか、甘いもの、砂糖も取った方が良いとか、酒も多少なら薬だとか。 そこまで食べたいモノを我慢しても、交通事故とかで死ぬこともあるんだから、一回の人生欲望のままに生きた方がトク、だとか。 

 確かに、その人が健康で全く病気もせずに、Positive Thinkingで、ケイシー・リーディングや大森先生ぐらいの智慧を授けてくれるのならそれに従いますが、酒飲んで、病院行って、他人の悪口ぐらいしか言わない、だとそのアドバイスに従えと言っても不可能でしょう。

 私は、好き嫌いに関わらず良いモノはよい、悪いモノはわるいと、判断するようにしています。 コレは私の尊敬する大森英桜先生やケイシー・リーディングから学んだ精神です。

 自分独自の人生(生き方・考え方)の美学というモノを一度も考えた事がない集まり。

 何回生まれ変わっても、神の前に堂々と出せる生き方というモノを一度も考えた事が無い。

 理想を描かせるようなまともな本を一度も読んだ事がない。 

 そんな連中が子供にまともな教育なんてできるはずもありません。 いい大学に入れ、金持ちになれ、か、他人の不幸な噂話・悪口の仕方を教えるぐらいが関の山でしょう。 

 ですが、それらの人々も可哀想といえば可哀想ではあります。 真の無限の可能性が拡がる世界を知らず田舎の果てで朽ち果てていく。 東京も欲に塗れ、お金無しには何も出来ない世界ではありますが、間違いなく様々な分野で一流の人材が集まる街ではありました。

 一度ソレらの ”一流” のモノや考えを識ってしまうと、それ以下に堕とすコトは本能が反発します。 「そっちへ行くな! お前は人から何と言われようと信じたこの道を行け!」 と囁きます。 

 故にひとりで歩み続けるしかありません。 しかし、その独立独歩の土台は、今までの経験や智慧から完全に固められています。 だから再びこの地辺境の地に戻されたのでしょう。

 群れず、馴れ合わず、ひとり己の信じた道(未知)を貫き通す!

 

 さて、カルく呟いたところで、そろそろ本題に入りたいと思います。

 約20年前に出遭っていたにも関わらず、その時の読解力では無理と判断されたのか、15年の月日が流れてやっと表に出てきたひふみ神示ですが、こちらは数字(数秘学)で降ろされた預言・哲学書です。 神示の中にもその事が述べられています。

 高度な天人同士の会話は数字のみでなされることが多い、と。

 ここで、現在採り上げている “3” という数字を題材にした帖を引用して数秘学というモノを考えてみたいと思います。 

 と思いましたが、これから出かけるので、

 続く・・・

 

 

  

  

 


数秘学について(155)

2011-12-24 11:30:32 | Cayce Reading

 『 ”数字” というモノには、秘教的なモノと顕教的なモノがある。』

 つまり、数の陰陽、光と影といったニュアンスです。 中国の陰陽五行説も

 木(1,2)→火(3,4)→土(5,6)→金(7,8)→水(9,0)

 と、5つの五行(木火土金水)に二つの性質の基数【陽〔奇数〕1・3・5・7・9、陰〔偶数〕2・4・6・8・0(10)】をあてています。 ケイシー・リーディングによりますと ”5・Five” という数は、Active Numberという事で、変化に富んだ活っ発、活動的な数と述べられています。 つまり、陰陽五行説も “5・五” という数のもつ “変化=進化” の法則を陰陽に別けて基数(1~0)として適用してます。

 そして、これは長年に渡り独学で数秘学や運命学を扱ってきてつくづく実感することですが、運命学はその扱う人間によってはかなり正確にその人の未来を予測することも可能ですが、しかし、相手をキチンと判断しないと、世の中には未来を知ってはいけない種類の人も結構いる。 それらを識る意識レベルにない人にとって真理は逆に毒ともなる。

 その事は、昔から世界中のあらゆる哲学書に述べられていますが、私も今までの様々な経験を通して自分の事として、少しは理解出来るようになりました。 

 もう少し雑談つぶやきしますが、これだけ様々な種類の洋の東西の哲学書や運命学を研究し続けていると、本当に真理(神理)は一つの源泉から出てきていると実感します。 奥へ奥へと読み解いていくと、その本質は全く同じことを述べているのに気づかされます。

 この一つにつながった時の歓喜はなんとも言えないモノがあります。 

 考え続けた、研究し続けた人間だけが視ることができる世界があり、そこまで行かなければ解らない世界がある! 20年以上に渡りやり続けて本当に良かったと実感します。 これからも身罷るその瞬間まで貫き通そうと思います。

 でも、最近思うんですが、人から好かれるより、嫌われていた方が ”自由” 度が遥かに大きいなーということでしょうか。 自然に振る舞っていて人から好かれるのは別に構わないのですが、ですが相手が思い込んで勝手に作った枠に嵌められてしまい、相手の意に沿うような行動をしなくてはならなくなる面が多いからです。 嫌われていたら他人からどう思われようと関係ないので、心の赴くままに行動出来るからです。

 “自由(Freedom)” 

 アメリカという多民族国家創設の基本理念の一つでしたが、大多数の国民が ”自由” の意味を履き違えてしまったのは、曾ての堕落して崩壊したアトランティス文明に通ずる螺旋のカルマ、サイクルだからでしょうか。

 ま、それはともかく、カルく熱く呟いたところで本題に入りたいと思います。 

 明日はクリスマスということもあり、ケイシー・リーディングの述べるキリスト誕生の秘密でもアップしてみたいと思います。

 現在 “3” という数を題材に様々なコトを扱っていますが、イエス・キリストの誕生に関わる “3” という数字に、東方から来た3人の賢者があります。 その事について 『キリストの秘密』 より抜粋してみたいと思います。

【キリストの秘密 〔第四章 生誕〕】

 イエスの誕生に際し、東方から三人の博士が来たことが、マタイの福音書に簡単に(二章1~23節)、しかし意義深く記述されている。 しかし、ケイシーのリーディングはこの事をさらに驚くほど詳しく説明している。 何故、詳しく説明されたかについては、いくつか理由がある。

 まずひとつには、リーディングによると、これらの博士がエッセネ派の国際交流の代表であったということと、幼子キリストの誕生が非常に大きな意義を有することを象徴するものであった、ということである。 キリストの誕生は地域的、民族的な出来事でなく、国際的、歴史的出来事、実に宇宙的意義を有する出来事であったのだ。

 博士らは 「敬意を表するために、贈物を献じるために」 やって来たのである。 また 「かいばおけの中の幼な児に祝福を与えるために」 来たのである。 しかし彼らは個人的な動機で来たのではなく、代表として来たのである。 

 博士らは潔めの期間にベツレヘムにやって来た。 この潔めの29日間、聖家族はベツレヘムに留まっていたのである。 そしてユダヤの律法に従って母親の潔めが済んだ後、やっと博士らはマリアに拝謁したのである。 

 リーディングによると、潔めの儀式や、子供の奉献、祝福、割礼は、カルメル山のエッセネ派神殿ではなくエルサレムの神殿で執り行われた。 そしてその神殿において、母子共に 「司祭とアンナ、シメオン」 に拝謁したのである。

 博士たちは荷物をラクダ等に積んで来たが、彼らは三人で、それぞれペルシャ、インド、エジプトから来た。 しかし、リーディングによると、その後、更に四番目、五番目の博士が到着し、さらに後には第二のグループが到着した。

 彼らの中にはカルデアやゴビ砂漠から来た者もいたし、今でいうインドシナや東南アジアから来た者もいた。 彼らはそれぞれの国で、賢者とか博士、聖人として列せられていた人達でだった。 これらの人達は真理の探求者で、特にキリストの誕生について研究し、「かの偉大な目的、出来事が何時地上で現実のものになるか」 を探求していた。

 彼らは今日でいう霊能力を使って 「幼な児のいるところまで」 来たのである。 ペルシャの博士が属していた教団では、天文学や占星術、それに他の自然法則と共に数学を研究していた。

 ペルシャでは 「研究とは、占星術の研究を指した。 つまり、地球外の惑星に滞在した魂の経験が、どのようにその魂の精神的衝動を形成するのか、あるいはこれからどのような衝動を起こすのか、という研究である」

原注:リーディングによると、個々の人間の体験を特徴づける「精神的衝動」は、遺伝や環境だけが原因ではなく、また神の気まぐれな創造が原因でも、その場限りの一時的な感情が原因でもなく、実にその大半は、今生に先立つ地上及び他領域での自分の選択と活動が原因となっているのである

~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~

 

 とありますように、イエス・キリストの誕生というのは世界中の多くの賢者らによって予知されたいたようです。 

 戦後、すっかり日本の年間恒例イヴェントに定着してしまったChiristmasですが、暦の中にそれが昔から収まているように不自然さがないのも、日本人の宗教というモノに対する ”何でもあり!” の、良くいえば “寛容”、悪くえいば ”ルーズ” な傾向から来ているのでしょう。

 しかし、私個人の考えを述べるなら、これから訪れる新しい世界観では、この宗教というものに対する日本人の “いい加減さ” が役に立つような気がします。

 このあまり良い意味では使われない ”イイカゲン” という言葉ですが、角度を変えて観ると二つの意味に取ることが出来ます。

 一つは 『自分にとって都合の良い加減(自我・SELF)』 であり、もうひとつは 『良い(Good)加減(Balance)』 です。

 そういえば、宮崎にも同様の方言があります。

 ”てげてげ”

 という言葉ですが、こちらもあまり良い意味の印象はなく、様々な出来事に対して自分に都合の良いようにテキトーにやる的なニュアンスで使われることが多く、交通週間や年末になると “てげてげ運転撲滅!” 的なスローガンが警察のポスターで用いられます。

 板前の時もよく手を抜いた仕事をした際、見つかって怒られる時 「いい加減な仕事をするな!!」 と怒鳴れた記憶が甦って来ます。

 そうそう余談ですが、私は以前知人の霊感ある人から、『おがっちさんどうも違う星で生まれて地球に来た魂ね』 と言われた事があります。 

 果たしてこのいい加減な日本民族がどうなっていくのか、宇宙人意識で興味深く鳥瞰したいと思います。

 Merry Chirstmas!!

 


土・水・火・風巡り

2011-12-24 08:06:58 | 旅行

 本日は気の向くままブログネタ写真を撮りに行って参りました。

 で、不思議だったのが何故か発電関係の施設に行っていたのです。 特に意図して行ったのではなかったのですが、内奥なる直感に任せて進んでいたら、気付いたらそれらの施設でした。 そして更に興味深かったのが、この世を構成している四大要素(土・水・火・風)に通じていたことでしょうか。 

 意志が占星学と宇宙創造の関係と探求に向いているので、自ずとそれらに関するモノに “今” いる状況で出会わされたのでしょう。

 ですが、”風” は無かったので横浜の風力発電の写真で補っときます。

まず、土&火(地熱発電)

そして水力

風(In横浜)

 です。(注:原子力はおっかないのでPass!)

 その後、直感から近くにある霧島アートの森に行きました。 標高も高いこともあり、付近は空気が肌寒かったですね。 でも、気持ちよかったです。 

 そして最後は帰りにある栗野岳温泉に入って帰って来ました。

 まー現在もいろいろとありますが、とりあえずは “今” を楽しむ姿勢だけは忘れないように理想に向けて螺旋の進化を遂げ続けたいモノです。

 では写真をアップしておきたいと思います。

 


数秘学について(154)

2011-12-23 18:46:37 | Cayce Reading

 『何にしても一度は ”一流” と言われるモノを見なさい』

 よく、音楽や絵の鑑賞、人物、モノ等を見に行く際に言われるコトです。 最近特に 「確かにそうだなー」 と感じます。 30歳からの海外放浪や永住権での渡米経験、都合10年に及ぶ東京での様々な人物やモノとの出逢いが、すっかり目を肥えさせてくれました。

 現在採り上げているクリスマスですが、果たしてどれぐらいの人が Jesus Christ の誕生の意味と意義、その背景を理解しているでしょうか?

  

 さて、ここでひとつ Chirstmass にまつわる興味深い情報を、ケイシー・リーディングより採り上げてみたいと思います。 

 イエスの母親であるMary(マリア)様ですが、非常に興味深いことに、息子であるJesus(イエス)と地球という三次元においてTwin Soul(双子の魂)である、と述べられています。 そして、イエスの父親はヨセフではなく、「精霊による懐妊で」 あると述べられています。 つまりローマ・カトリックの主張する 「マリアの無原罪懐胎」 を支持している事になります。

 そして、更に興味深い事にそのマリア自身も無原罪懐胎で産まれたと述べられているのです。 つまり、マリアの母親であるアンも人間の男性との性交からマリアを産んだのではない、と述べられているのです。

 この辺がケイシー・リーディング独自の情報になります。 恐らく他の歴史上の記録にはこれらの情報はないでしょう。 

 しかしケイシー・リーディングは、マリアが生涯処女であったという概念を好んだ宗教改革者であるマルチン・ルターのように、決して神聖視し過ぎてはいません。

 確かにイエス(Jesus)は、ベツレヘムの丘の馬小屋で無原罪懐胎で産まれ落ちたと述べられていますが、その後、新約聖書にあるようにヨセフとの間に生まれたとされる3人の子供(ヤコブ・ユダ・ルツ)は、ヨセフとの普通の夫婦生活から産まれたと述べられています。   

 この意味についてリーディングはこう述べています。

「通常の方法で三人の子供をもうけることは、マリア自身の肉体のカルマが成就するものであり、また霊と精神と肉体のバランスを取ることで完全となり、それによってマリアは全てての女性が同じ機会を得られるようにした」 ということです。

 リーディングに馴染みがないと、なかなか受け入れにくい情報かもしれませんが、リーディングはイエスとマリア、そしてヨセフの関係をそのように述べています。

 そうそう、ここでまたもや興味深い数字が出てきます。 

 それは何かと申しますと、今のメインテーマである “3” という数字です。 そうです、マリアが生んだ3人の子供もそうですが、イエスを地上に招き入れるためにエッセネ派では400年以上前からその準備が行われ、最終的にグループ内の12人の乙女をイエスの母親候補として養育、教育したようです。 その先頭にいたのがマリアだったと述べられています。

 で、イエスを身篭ったのが16歳殻17歳ぐらいで、その時のヨセフの歳が36歳ぐらいだったということです。 今ではダブルやトリプルの年の差婚は当たり前ですが、当時はあまり例が無かったようで、ヨセフは二人の歳の差を世間体がどう思うかということを気にしていたと述べられています。

 大工のヨセフさん、けっこー小心者だったようです。

 ま、それはともかく、ここでも堅実な土台の上にモノゴトを拡める ”3” という数字が用いられています。 というのも、普通に合理的に考えれば、宇宙創造の神の経綸レベルなら、最初からマリア一人を候補にして育てれば12人の乙女なんて養育する手間も省けるのに、あえて12人も用意した。

 どうやらこれら他の乙女たちも “新人類の経路” となる役目が与えれていたようで、モノゴトを拡める役目を担っていたようです。 そう、12人という数字は、数秘学の圧縮から 「12=1+2=3」 に帰結するからです。

 この数字(12・Twelve)は、他にも用いられています。 

一年の12ヶ月。

占星学の黄道12宮。

東洋の12支

イスラエルの12氏族。

イエス12使徒。

 などなど、私たちの生活に密着した代表的な数です。 それゆえに無意識のレベルで大きく影響を及ぼしています。

 恐らくこの数の法則がイエス誕生にも用いられたのでしょう。

 そろそろ疲れたので、続く・・・


数秘学について(153)

2011-12-23 07:25:07 | Cayce Reading

  私が個人的に興味を持って調べている、哲学書で述べられている “3・Three・三” という数字に秘められた意味は "Expansion(拡散)"  です。

 噛み砕いていえば、“モノゴトを拡める” 権能があるようです。 長年に渡りケイシーのリーデイングを研究していますとその事に気づかされます。

 代表的な例として前回まで、アトランティス大陸・文明の崩壊間際に、20万年に渡るアトランティス文明の栄枯盛衰の記録やテクノロジーを、後の世の、同様の危機の際に役立てるために封印したアトランティスの賢者の数も三人であると述べてきました。

 神の設定された人類の進化の法則に、螺旋の進化がありますから、過去の失敗と同じような状況が設定され、落第した教科について復習させられるのです。

 そうそう、話は変わりますが、明日はクリスマス・イヴという事もあり、少し脱線しますが、イエス・キリストの誕生と “3” という数を絡めながら数秘学について考えてみたいと思います。 ちなみにリーディングではイエスの誕生をいくつか述べています。 

 その事について 「キリストの秘密」 より少しばかり抜粋してみたいと思います。

【キリストの秘密 〔第四章 生誕〕】

 幼な児キリストの誕生日として、ケイシーのリーディングは二つの日付を与えている。 一つは12月24日、25日(R5749-8)であり(誕生日はちょうど真夜中であった――R5749-15)、もう一つは1月6日である(R5749-15)。 この二つの日付はそれぞれキリスト教の二大グループ――ローマ・カトリックとプロテスタントを含む西側と正教会の東側――で祝されている。 リーディングで述べるところによると、この二つの日付はいずれも使用した暦、もしくは計算される時期によって正当な根拠を有する。

 原注:別のリーディングで、ユリウス暦によればイエスの誕生日は四年の3月19日であり、イスラム暦によれば1899年であることが述べられている。

~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~~~~~

 聖書には、イエス・キリスト誕生の際に東方から謁見に来た賢者の数は ”3” 人であると述べられています。 が、ですが、ケイシーのリーディングによりますと、この記述は実際とは少しばかり異なっていたようです。

 というのも、嘘か真かは判りませんが、ケイシーの下にこのイエス・キリスト誕生の際に乳香を持って来た人物がリーディングを受けに来たようなのです。 彼は当時、会計学の教師をやっており、数霊学や数学に毎日浸りきっていたようです。

 まー私とはそのレベルに格段の差がありますが、方向性が同じということもあり、その気持ちよく理解できます。 数字の世界は探求しだすと底がなく、ひとつ解ったかと思ったら、次なる新しい世界を次々見せてくれ、飽きることがなく、本当に面白い!

 更に興味深い事にこの人物は、ケイシーのリーディングで今回の人生をもって地球の輪廻転生を卒業するだろうと言われた18人のうちの一人でした。

 その事について 「地球卒業者18人の過去生」 より抜粋してみたいと思います。

【地球卒業者18人の過去生 〔賢者(R256)〕】

 「自分の前に置かれた理想――観念ではなく理想を保つことによって、意志の力を活用せよ」(R256-1)

 リーディングを受けた時点で会計学の教師をやっていたイスラク氏は、数霊学や数学に毎日浸りきっていました 彼の過去生から出てきた物語は、この専門職が過去生での深い研究活動に由来するもであることを明らかにしています。 リーディングは、彼が数霊学と占星学を特に研究するよう促し、最初の質問に対して占星学者になるべきであると答えています。

  リーディングの最初のほうで、彼は理想に向けて進んで行くために意志力を使うことによって、地上での転生がほとんど要らなくなるところにまで達するだろうと言われました。

 下記にリーディング原文を載っけておきます。 興味のある方は徹底して研究して見てください。 興味本位の方は、見るだけ、考えるだけ時間のムダでしょう。 TVのドラマやバラエテイー番組、芸能情報でもご覧になっていた方がよろしいでしょう。 

 真理(神理)は膨大な時間と労力を費やしたものにしかその姿を垣間見せてはくれません。

 熱く、長くなったので、このへんで一区切りして続く・・・

【TEXT OF READING 256-1 M 32 (Teacher of Accounting, Catholic)】

This psychic reading given by Edgar Cayce at his office, 115 West 35th Street, Virginia Beach, Va., this 14th day of August, 1929, in accordance with request made by self - Mr. [256], via Mrs. [903] and Mr. [257].

P R E S E N T

Edgar Cayce; Mrs. Cayce, Conductor; Gladys Davis, Steno. Mr. [256], Mr. and Mrs. D. F. Robinson, and Mr. L. B. Cayce.

R E A D I N G

Born January 10, 1897, Boston, Mass. Time of Reading 3:40 P. M. Eastern Standard Time. ..., Massachusetts. (Life Reading Suggestion)

1. EC: Yes, we have the entity and those relations with the universe and universal forces, as are latent and exhibited in the present entity.

2. In entering we find astrologically the entity coming under the influence of Aquarius and Venus, Jupiter, Mercury, and Neptune. Water will ever be a factor in this body's endeavors. The body should ever live near large bodies of water. Be more careful of those of high mountains or gorges, and of distant places.

3. In entering, we find the influences that give to the entity exceptional abilities in the present experience, in lines or individual factors. These, kept in the manner toward which the entity would apply will's influence, by keeping an IDEAL - not an idea - an IDEAL - before self, will build for self that which will carry the entity to where few, if any, appearances would be necessary again in this mundane sphere.

4. In the abilities as come through the influences in Aquarius, we find the entity could, or would, be able to apply self in influencing those that have to do with mathematical calculations, especially regarding aeronautics or boat building. The entity may become an architect beyond compare, provided these have to do with those elements that have to do with water or air.

5. Those influences in Jupiter and in Neptune bring for the entity those desire of study, those desires of loneliness; yet the life filled with those conditions that have to do with people. People and things, BOTH, interest the entity. The barter and sale interest little. Moneys mean little to the entity, save as for that to procure that necessary in the affairs of everyday life. Rather those of character, and those of that that builds for an individual as to being their worth, and their worth to the entity meaning their ability to aid in given direction, or in giving to individuals or groups that which will aid them in making life either easier or more profitable - whether for moneys or for pleasures, or for own development.

6. In the likes and dislikes for this entity, these are apparently contradictory - for affection or love RULES the life in many respects, yet little affection is shown, except in some directions - yet the deeper affection, as friendships, and love of individuals and of things, are to the entity of the same nature - yet these, builded in a manner, are better in the application in the present experience. To the entity friendships are strong. Dislikes are also strong, but the actions in dislikes are rather as if they did not exist, or as if individuals or things did not exist. The entity then is, in a manner, NOT a fatalist, yet activities would tend to make one believe such were the innate beliefs of the entity. Rather the love of the whole, or of the oneness of all force, gives that portion in the life that brings those conditions which build.

7. In the mathematical end of developments may the entity gain much, especially in study that has to do with the mystic, and the mysticism of numbers. These to the entity may be made much worth while. The entity may aid self, aid others, in the study of not only astrology but astronomy, and numbers as associated with same; aiding individuals in that, through that, that may be builded from character, as related to individual development, and the entity may then find that which will, may become, in THIS individual application of truths, that as the astrologer then for same, through numbers. Not through astrology alone. Rather numbers, and the application of numbers and numerology in its DEEPER sense. These are the elements that interest the entity. These may be worked out with mathematical precision in MANY individuals, yet applied with that as may be attained from an individual's life appliance - that is, the application of the individual towards life itself, or towards the entity's application of life in its own individuality, these may aid much in the establishing of truths in these directions.

8. In the appearances in the earth plane, these we find coordinate with these vary conditions that may be builded in the entity, for -

9. In the one before this we find the entity was the monk in that rule when the peoples in now England set out for the Holy Land to defend the Cross against those inroads of the then surging crowds or hordes over the land. The entity remaining, yet following same and ever begrudging, as it were, those that were able in physical manner to carry forward that felt within self the defense of that ideal. In the name Islac. The entity changed same, in the taking of the hood, to that of Adria. In this present experience, these of study - these of the stars - these of mystic numbers, places, conditions, are all absorbing to the entity. Rather apply same as to the relationships of numbers, mystic forces and symbols, to that of the creative energies as are given through Him that came as the ransom for many, making man one WITH the Creative Energy in the life, in the manner of showing forth to others that the pathway may be led in the direction where all may be one with that Energy. So, in numbers - so, in mystic forces - so, in the cycle of things - may THIS entity, applying same with the life as led by the Master, guide many - as aids in physical, in material, in spiritual life.

10. In the one before this we find the entity was among those who were of the Wise Men coming into Jerusalem and to Bethlehem when the Master came into the earth. The entity then in the name Ashtueil, coming in from the mountains of what is now known as Arabia and India. The entity gained through this period in pointing out that through the various forces as were added in the experiences of man with that creation of forces necessary to keep the balance in the universal forces, the earth must bring forth that that would make man's balance of force with the Creative Energy as one, and the Son of Man appeared. The entity brought the frankincense and gave same to the Master at that period.

11. In the one before this we find in that land where divisions arose, or as may be called Egypt now, when there was the building of those that came to understand the teachings as were being propounded by the professors, the doctors, the lawyers, the artisans. The entity builded in that of setting up the first study of how that the square of the one equal in the square of the other, as related to numbers and the POSITIONS of numbers as related to the stars in the universe, and the relation of one to another. The entity will EASILY understand Einstein's theory. Few would!

12. In the abilities in the present experience, the entity gains and loses. Loses in the gratifying of selfish desires.

13. In the application of the present, still we find figures, numbers, and peoples' mental development, most interesting.

14. As to the abilities, then, and the application of same in the present - in the studies as are being made here, will the entity apply self in that direction, the entity may become that one that may aid much in having individuals understand numbers, mysticism of numbers; also in the relationships of ASTROLOGICAL effects (without the application of will) in the lives of individuals.

15. Ready for questions.

16. (Q) In what way may the entity be of assistance in the work of the Association of National Investigators, Inc.?
(A) Just given!

17. (Q) In what specific capacity?
(A) Just given! Become the astrologer for the Association's membership! giving to these the weeks, the years, and that that influences without respect of will; or an INTERPRETER with same of that information as to how an individual has or has not applied will's forces in the earth's experience. Also the relationship of the sojourn in the various elements that have to do with the spheres as related to earth's sphere - the variations from one passing through Arcturus to other forces, or returning to Saturn!

18. We are through.

Copy to Self
" " Ass'n office
" " Datastician
" " Morton Blumenthal
" " David E. Kahn


数秘学について(152)

2011-12-21 19:32:59 | Cayce Reading

 私の最も尊敬する大森英桜先生はよくこう仰っていました。

 「この正食医学も、カタカナ英語でマクロバイオテクスなんて呼ばれて、ヨーロッパやアメリカの知的階級がやるようになりましたが、私は日本に生まれた日本人として、日本のためにこの “正食” というものを役立てたい。

 しかし、日本にこれを真に理解できる者が殆どいないのが残念でなりません。 いつの日か真にこの正食というものを日本のために役立てるホンモノが出てくることを願ってやみません。」

 そして、断食の意味もこう仰っていました。

 「女性が痩せる意味でよくダイエットという言葉が使われますが、本当の ”食断ち” の意味は、空腹を感じることで、日々食べ物を食べられる事に対する天への感謝の念を忘れないということや、発展途上国などの食べ物を食べられない人たちの事を忘れないを通して自分自身の心身の排毒を行うことが目的です。」

 と。

 果たして今の日本に、これだけの事を実践を通して身をもって教えられる人物がいるでしょうか?

 天才的な才覚もお持ちでしたが、同時にボヘミアンガラスのような繊細な壊れやすい面と鋭さをお持ちだった方でした。 お亡くなりになる前の実質3年ぐらいしか教われませんでしたが、得られたモノは計り知れません。 ケイシー・リーディングと同じレベルで私の人生を進化させる両輪となっています。 この二つのどちらが欠けても私の進化はありません。

 さて、では本題に入りたいと思います。

 どんな情報や活動にせよ大切なのは “今” の大多数の人間に役立つようなモノでなくてはならない、とはケイシー・リーディングの口癖ですが、来年からを考える上で私の直感に引っ掛かったモノをピックアップしてみたいと思います。 

 『進化(Evolution)とは変化(change)である』 

 とはケイシー・リーディングの座右の銘ですが、宇宙を構成している四大要素(土・水・火・風)の中で一番重要な要素はどれですか?という質問に対して、簡潔に

『火(Fire)である!』

24. (Q) What is the best disposition of a body, for the sake of all?
(A) By fire! 

 と述べています。 というのも、火(Fire)は電気(electron)にも通じ、人間が行動したり、思考したりするのに最も重要な電気信号に通じるからです。 もっと突っ込んでいうなら、魂が地球で痛みを伴った経験を踏むための重要な要素に通じるからです。

 よく、修行とかして ”悟り” 的なモノを開けば、人生何の苦しみも無くなる的なニュアンスの本がありますが、決してそんな事はありません。 確かに一つの段階を上がれば前の苦労や苦しみはそんなに大した事には思えなくなるかも知れませんが、ですが、ひとつステップアップしたら、次の段階へ登るための苦しみが同時にセットされているのです。

 そうでなくては地球に生まれて来ている意味がないからです。 極論すれば、私たちは日々の苦しみを通して螺旋の進化を行うために地球に存在しているのです。 

 しかしながら、それを軽減する方法はあります。

 前にも書きましたが、『無知とは罪である』 的な見解が、ケイシー・リーディングから読み取れますが、この世を構成してる様々な仕組み(宇宙の法則)を理解するのは、人間にとって最も重要な必須科目なのです。

 理論と実践。

 常にこのバランスが肝要となります。

 そちらに関して「エメラルド・タブレット」より抜粋してみたいと思います。

【エメラルド・タブレット 〔真理の探求〕】

 トスの教えにいう。

 『人間は変化する “火(Fire)” である。 いつも同じ火ではない。 変化する火によって、人間は毎日進化して、遂に闇の上にのぼる。 その火によって闇は消え去る。』

 火は積極的である。 闇は否定的である。 否定的制限の中に縛り付けられた人間は、火をも失って、闇の中に悶く。

 チベットの大聖は、ツンモの秘伝を聖者の候補者に授ける。 ツンモとは、我が意識を一切の否定的制限から開放して火となすことである。 炎々と天地に燃え広がる烈火の中心に自我を見出して、雪の峰、凍結の池の上に素っ裸で平然たることである。

 物質自然界の背後はアキヤシヤの空間である。 アキヤシヤの空間に入っていくことが、本来の宗教の極意であって、その方法を教えるのがヨガ(Yoga)である。 宗教はその極意も方法も喪失して殻になっている。 この極意と方法で、イエス(Jesus)は、『この山のここからかしこに移れと命ずれば命じた通りになる』 といった。

 物質自然界は、アキヤシヤに描かれた通りに出来ている。 だから自分達が、アキヤシヤの世界に意識透入すれば、自分の思ったことがアキヤシヤに描かれて、その通りのモノが物質自然界に現れる。 アキヤシヤの世界に意識透入する方法のひとつが、ジーンズが瞥見するように、自分の意志で、自分の神経の原子を支配することである。 

 これを教えるのがヨガ(Yoga)である。

 アキヤシヤの世界に入る入口は23ある。 一つは一目標に一心を集注することである。 その時には目ばたきしないようにするのが一条件である。 目ばたきが多ければ注意力も視力も弱い。その基本理由は、神経の不調和である。 神経不調和の人には信用がおけない。 人に信用されないような者は、神からも信用されていない。

 少年ラーマ・クリッシュナは、カーリー女神に一心集注していたから、アキヤシヤの世界に意識透入していたから、アキヤシヤの世界に意識透入が出来て、願った通りの大願が成就した。

 アキヤシヤのことを 「宇宙の母」 という。 宇宙の母は、われ等の思想を実現する胎宮である。 アキヤシヤのことを現代語では  ”Ether(エーテル)” という。

~~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~~~~

 続く・・・

 

 

 


数秘学について(151)

2011-12-20 20:25:15 | ひふみ神示系

 以前にも書きましたが、大森英桜先生や福岡の運命鑑定の先生から言われ全く同じ事がありました。 それは、

 「アナタは田舎はダメです。 都会に出なさい。 それも東京のど真ん中が一番良いです」

 と。 ですが、その話には続きがあります。 その先生たちが共通して仰っていたのが、

 「人間、田舎が合う人もいるし、都会が合う人もいる。 人それぞれです。 ですが、アナタは都会じゃないとその能力が活かせない人です。」

 と、言われました。 

 私の人生に大きく影響を及ぼした、尊敬する二人の先生の共通項でした。 田舎に帰って来てその事をつくづく実感します。 

 今の時代に、たかだか肉を食わないマクロバイオテクスをやっているだけで奇異な目で見られるし、一日2食生活をなん十回もしつこく質問されるし、もうなん十回も同じことを質問され、最近は答えるのにもバカらしくなり、疲れて来ました。 

 こう言うと、肉を食わないと畜産関係者が食べて行けなくなるじゃないか、とかいう低レベルな反論をする人がいますが、そんな人はそれぐらいテメエの頭で考えろ!と言いたい。 もっと進化的な高次元な質問なら答えを考えたいが、ここまで低次元だと考えるのもバカバカしい。

 私は昔から、こんな種類の視野の狭い、田舎からほとんど出たことのない田舎人にウンザリしています。

 ちょっと人と違うことをやる人間を見ると興味津々に調べたり、聞いたりするけけど、自分の頭で何も考えようとはしない。 ただ、興味本位で聞くだけ。 で、彼らのやることといったら、肉食って、酒飲んで、人の噂話、悪口、陰口ばかり言っている。

 20年ぶりに帰ってきても全く一緒でした。 何一つ変わっていない。 東北大震災後もまったく変わらず。 九州あたりだと、所詮は外国であった出来事をTVで見るのと同じ感覚なんでしょう。 何の警鐘も読み取っていない。

 最近、つくづく思います。 やっぱり横浜戻ろうかな、と。 たとえこの先、放射能垂れ流しでも、食糧難来ても、ここで平穏無事に生きても何も得られるものはないな、と。 また、派遣奴隷やりながら、生かされている限界まで、今の研究を続けようと。

 まーですが、あくまで私個人の人生スタイルですので、田舎が合う人もいるので自分なりの人生スタイルを自分の頭で考えて下さい。

 自分で考えて、自分で判断して行動し、自己責任の覚悟があるなら、人間、自由に好きに行動しても良いと思います。 人のせいにしないこと。 

 さて、前置きはこれぐらいにして、本題に入りたいと思います。

 ケイシー・リーデイングと共通項が多いのがインドのヨガ(Yoga)です。 ケイシー・リーディングには出てきませんが、エメラルド・タブレットによりますと、創造神アミリウスの重要な転生の一つとしてインドのクリッシュナがあるようです。

 そして、ケイシー・リーディングによりますと、アダムとして自ら堕落して、様々な沢山の転生を経て、その最終的な仕上げとしての転生であるイエス・キリストもインドで約3年修行を積んだようです。 

 ここでも興味深いのが “3” 年という数字です。 日本でも 「石の上にも三年」 とかいう諺がありますが、スポーツや勉強、専門的な技術職等で一つの壁を越える(ブレイク・スルー)のに、どんなに苦しくてもとりあえず3年はやってみなさい、というニュアンスで使われます。

 私は仕事としては板前だけが3年続きました。 他のは全部ダメでしたね。 基本的には移り気な性格なんで、その時の気分で動きます。 あまり良いことではないのですが、ですが、せっかく生まれてきたんだから様々な経験を積みたいという考え方もあります。

 ま、それはともかく、ケイシーは瞑想を重要視していますが、その際、ヨガの呼吸法(brething)を奨めています。

 そうそう、私の上記の田舎に関する個人的見解に反論、反感を感じる方は、せめて下のリーデイングを自分の頭で徹底して研究してからして下さい。

 理解して質問された方とは同じ土俵で相撲を取り(議論し)ましょう。 そうでない方は、観客席からプロ野球や相撲の批評・批判をしている連中と同じです。 何の努力もせずに言うだけタダの連中なので、問題外と見倣させてもらいます。

 “外野で悪口言っているザコ連中よ。 同じ土俵に登って来いよ。 いつでも相手になっていやるぜ!”

  

〔R2475-1〕

 1. HLC: You will have before you the body and enquiring mind of [2475], ..., Penna., in special reference to the Yoga exercises with which he has been experimenting, in breathing. You will indicate just what has taken place in the body and what should be done from this point, considering the best physical, mental and spiritual development of the entity. You will answer the questions, as I ask them:

2. EC: Yes, we have the body, the enquiring mind, [2475]; and those conditions, those experiences of the body in the use of Yoga exercise in breathing.

3. To give that as would be helpful to the body at this time, there might be indicated for the body something of that which takes place when such exercises are used - and the experiences had by one so doing.

4. These(yoga) exercises are excellent, yet it is necessary that special preparation be made - or that a perfect understanding be had by the body as to what takes place when such exercises are used.

5. For, BREATH is the basis of the living organism's activity. Thus, such exercises may be beneficial or detrimental in their effect upon a body.

6. Hence it is necessary that an understanding be had as to how, as to when, or in what manner such may be used.

7. It would be very well for the body to study very carefully the information which we have given through these sources as respecting Meditation. Then this information as may be given here may prove of beneficial effect in the experience of the body.

8. Each soul, individual or entity, finds these facts existent:

9. There is the body-physical - with all its attributes for the functioning of the body in a three-dimensional or a manifested earth plane.

10. Also there is the body-mental - which is that directing influence of the physical, the mental and the spiritual emotions and manifestations of the body; or the way, the manner in which conduct is related to self, to individuals, as well as to things, conditions and circumstances. While the mind may not be seen by the physical senses, it can be sensed by others; that is, others may sense the conclusions that have been drawn by the body-mind of an individual, by the manner in which such an individual conducts himself in relationship to things, conditions or people.

11. Then there is the body-spiritual, or soul-body - that eternal something that is invisible. It is only visible to that consciousness in which the individual entity in patience becomes aware of its relationship to the mental and the physical being.

12. All of these then are one - in an entity; just as it is considered, realized or acknowledged that the body, mind and soul are one, - that God, the Son and the Holy Spirit are one.

13. Then in the physical body there ARE those influences, then, through which each of these phases of an entity may or does become an active influence.

14. There may be brought about an awareness of this by the exercising of the mind, through the manner of directing the breathing.

15. For, in the body there is that center in which the soul is expressive, creative in its nature, - the Leydig center.

16. By this breathing, this may be made to expand - as it moves along the path that is taken in its first inception, at conception, and opens the seven centers of the body that radiate or are active upon the organisms of the body.

17. This in its direction may be held or made to be a helpful influence for specific conditions, at times - by those who have taught, or who through experience have found as it were the key, or that which one may do and yet must not do; owing to whatever preparation has been made or may be made by the body for the use of this ability, this expression through the body-forces.

18. As this life-force is expanded, it moves first from the Leydig center through the adrenals, in what may be termed an upward trend, to the pineal and to the centers in control of the emotions - or reflexes through the nerve forces of the body.

19. Thus an entity puts itself, through such an activity, into association or in conjunction with all it has EVER been or may be. For, it loosens the physical consciousness to the universal consciousness.

20. To allow self in a universal state to be controlled, or to be dominated, may become harmful.

21. But to know, to feel, to comprehend as to WHO or as to WHAT is the directing influence when the self-consciousness has been released and the real ego allowed to rise to expression, is to be in that state of the universal consciousness, - which is indicated in this body here, Edgar Cayce, through which there is given this interpretation for [2475].

22. So, in analyzing all this, - first study the variations of what has been the body-temperament, in thought, in food. For, the body-physical becomes that which it assimilates from material nature. The body-mental becomes that it assimilates from both the physical-mental and the spiritual-mental. The soul is ALL of that the entity is, has been or may be.

23. Then, WHO and WHAT would the entity have to direct self in such experiences?

24. To be loosed without a governor, or a director, may easily become harmful.

25. But as we would give, from here, let not such a director be that of an entity. Rather so surround self with the universal consciousness of the CHRIST, as to be directed by that influence as may be committed to thee.

26. Thus the entity may use constructively that which has been attained.

27. But to prevent physical harm, mental harm, - attune self in body and in mind with that influence by which the entity seeks to be directed; not haphazardly, not by chance, but - as of old - choose thou this day WHOM ye will serve: the living God within thee, by thee, through thee? or those influences of knowledge without wisdom, that would enslave or empower thee with the material things which only gratify for the moment?

28. Rather choose thou as he of old, - let others do as they may, but as for thee, serve thou the living God.

29. Thus ye may constructively use that ability of spiritual attunement, which is the birthright of each soul; ye may use it as a helpful influence in thy experiences in the earth.

30. But make haste SLOWLY! Prepare the body. Prepare the mind, before ye attempt to loosen it in such measures or manners that it may be taken hold upon by those influences which constantly seek expressions of self rather than of a living, constructive influence of a CRUCIFIED Savior.

31. Then, crucify desire in self; that ye may be awakened to the real abilities of helpfulness that lie within thy grasp.

32. Ready for questions.

33. (Q) Is there at present any danger to any particular body-function, such as sex; or to general health?
(A) As we have indicated, without preparation, desires of EVERY nature may become so accentuated as to destroy - or to overexercise as to bring detrimental forces; unless the desire and purpose is acknowledged and set IN the influence of self as to its direction - when loosened by the kundaline activities through the body.

34. (Q) Just what preparation would you advise for the body, now?
(A) This should be rather the choice of the body from its OWN development, than from what ANY other individual entity or source might give.

Purify the body, purify the mind; that the principle, the choice of ideals as made by the entity may be made manifest.

Do whatever is required for this, - whether the washing of the body, the surrounding with this or that influence, or that of whatever nature.

As has been experienced, this opening of the centers or the raising of the life force may be brought about by certain characters of breathing, - for, as indicated, the breath is power in itself; and this power may be directed to certain portions of the body. But for what purpose? As yet it has been only to see what will happen! Remember what curiosity did to the cat! Remember what curiosity did to Galileo, and what it did to Watt - but they used it in quite different directions in each case!

35. (Q) Considering the development of the entity, is further practice of the Yoga exercises of breathing and meditation recommended?
(A) By all means! if and when, and ONLY when, preparation has been made; and when there is the knowledge, the understanding and the wisdom as to what to do WITH that gained! Without such, do not undertake same!

36. We are through for the present.