人生何でもあり!

日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

本日の呟き(Aug/31/'11)

2011-08-31 20:56:18 | つぶやき

 ケイシー・リーディング曰く

「徹底的にやってみよ。 まず、自分自身について研究せよ、そしてそれについて書いてみよ。 研究が初めにあり、啓発がその次に来る」

 と。

 とりあえず自分の納得するまでやってみる。 そして、その結果について考える。 それが必ずしも成功につながるワケでもないし、お金につながるワケでもない。 ただ自分がやりたいからやる! 

 当面はこの生き方でいこうと思っています。

 さて、数秘学について続きをアップしてみたいと思います。

 が、ここんトコちょっと忙しいのでカルめのアップで失礼します。

 今度、首相の野田佳彦氏、総格に3日天下の明智光秀数である33画をお持ちですねー。 果たしてどうなるコトやらといったトコですが、外格に20画をお持ちですから、40歳代は主格のアイディアの13画を用いた様々なトライにも関わらず、ゼロに戻る挫折が多かったのでしょうか…?

 以前、私の姓名学の先生が仰っていましたが、民主党は10画で崩壊数。 そして、その中心的人物たちも殆んどがゼロ(0)を持っている人物が多く、ロクなのがいないと仰っていました。 確かに、小沢も天格20画ですし、菅さんも地格が10画、今度の野田さんも外格が20画で、三日天下の33画。 先は見えているような気がします。

 まだまともだったのが、日本の腐敗システムの根幹にある天下りを暴露しようとして殺害された、故石井紘基氏も総格が田中角栄氏と同じ30画で民主党でした。

 数霊の引き寄せの法則で、類は類を呼んで “崩壊(ゼロ・0)” という役目を果たす。 

 そして、ゼロは新たな一(イチ)を生み出す。 

 第二次世界大戦の敗戦後、ゼロに戻った日本から新たな一を生み出した自民党は正式名称 “自由民主党” で21画の独立独歩の頭領運、ニックネームの自民党で11画の堅実発展運。

 しかし、こちらももうその役目・数霊は、使い果たしました。

 さて、ひふみ神示のいうように、これからの混沌の後に、草木、動物、虫けらも喜ぶような真の国産み、政治が本当に生み出されるのでしょうか? 

 痛みを伴った鳥瞰の視点から視ておきたいと思います。

 本日も忙しいのでこれにて失礼します。

 オヤスミなさい。


本日の呟き(Aug/29/'11)

2011-08-29 12:47:50 | 日記

 先日、プリンタ買いました。

 CanonのPIXUS MG8130 です。 何でこちらを買ったかと言いますと・・・、昔撮ったフィルム写真のデジタルデータ化をして行きたいからです。 ここで一言、どうでもいいコトですが、

 ・カメラはNikon&CONTAX(←もう京セラがカメラ作っていたと知らない人が多いのが悲しい…)

 ・プリンタはCanon

 ・携帯はAU

 ・インターネットはDOCOMO

 ・パソコンは、よー知らんE-machineというブランド

 ・車はSUZUKI

 ・バイクはKawasaki

 ・工具はKTC 

 ・女性は気に入れば世界ドコの国でもOK!

  と、バランスよく?日本のメーカーに貢献しております。 

 何事もバランスが大切です!?

 ま、それはともかく、今回プリンタのセットアップに少し梃子摺りました。 最初やった時に、ドコが悪かったのかは分らないのですが、上手く無線で飛ばせず、仕方ないのでパソコンも一回インストール前に戻してやり直して、次でやっと無線で飛ばせるようになりました。 大したことではないですが、一回失敗してあーでもないこーでもないと自分の頭で試行錯誤して、次で見事成功したら嬉しいですねー。

 人生にもコレは適用できる考え方のような気がします。 つまり、人生の光と影、陰と陽、プラス・マイナスです。 失敗と思える経験を踏んでこそ、成功の喜びもまたひとしお。 

 そういえば、昔のバイト先のヤツに、大学時代に同じ女の子に4回フラれて5回目でその根気に負けたのか、やっとOkを貰ったヤツがいましたが、そんな喜びなのでしょうか?

 と、いつもの独断と偏見の自論を述べたところで、プリンタの感想でも述べておきたいと思います。

 以前、横浜に住んでいた時は、ジャパネットたかたでNikon Coolpix S8と HP(ヒューレット・パッカード)のプリンタ(C3100)を抱き合わせで買ったのですが、まーCoolpixは今まで使っていても特に問題なかったのですが、HPのプリンタが大問題でした。

 この時、二つセットで安かったというのもあったのですが、プリンタがスキャナー・コピー機能もついているというので買ったのですが、問題がインクが黒とカラーの二色しかなく、色がどれかひとつ無くなれば一本丸ごと買い替えというアメリカ人らしいムダの多いインクシステムでした。 

 私もその時、値段のワリに安い!と思って、よく調べも、見もせず買ってしまtったのですが、あとから大後悔でした。 使って2年ぐらいでインク滲みが起り、さらに、スキャナーも壊れて、引越しするまで押入れに仕舞いこまれていました。 先日HPはパソコンからも撤退しましたが、その作り方の考えの粗さからHPのプリンタは二度と買わん!と決心しました。

 よく考えたら抱き合わせ商法だったのかも知れません。 その時の経験から、単純に安さに釣られて買わないようにしようと思って、今回のCoolpixやPIXUSはよく考えて買いました。 

 実験で写真のネガのスキャンやそのスキャンしたものの印刷やコピーやら使いましたが、やっぱりCanon製はいいですね。 使い勝手や性能に全く不満はありません。 さすがCanon!

 しかし、やっとこお金が回るようになってきました。 横浜での経験はかなりキツイものでしたが、そこの経験があってこそ今の有り難味がよく解ります。

 数秘学(姓名学・カバラ数秘学等)には、“吉数・凶数” 的な表面の数霊波動がありますが、しかし、結局は私たち地球で彷徨う魂たちに、痛みを伴った経験を通して間違った方向性を理解させるために、これらは存在しているんだと感じるようになりました。 震災や人災も含めて、人間の魂が何かを知るには、他との比較や “落差” が必要なのでしょう。 この辺にも世界に五大民族を創られた神の経綸が隠されているような気がします。

 本来は “吉” とか “凶” というモノは存在しない。 

 ただ “弥栄(喜び)” のみ。

 最後にひふみ神示をアップして、数秘学シリーズ 【6・Six】につなげたいと思います。 

【ひふみ神示 〔碧玉之巻・第十五帖〕】

 五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。 六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きないからそのままでは弥栄せんのぢや、666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。 

注:でも写真をアップしていて不思議なのが、フィルムから読み込んだ1M以上の写真データはブログにアップ出来るのに、デジカメから取った1Mクラスの写真がアップ出来ないのはナゼでしょう? アメブロの時にもそうでした。 教えてGooさん。 ちなみに下の写真は1.2Mぐらいです。

 


数秘学について(104)

2011-08-29 07:35:05 | ひふみ神示系

 今日、車でヘビを轢いてしまいました。 

 結構、大きかったので即死はしなかったのですが、最初はヒモかとも思ったんですが、引いた後でクネクネ逃げて行ったのをバックミラーで見たら1mぐらいはありそうなおっきいヤツでした。 しかし、こう云う時は可哀想とは思わずに、おまえの運が悪かったんだ、と思ってもらうしかありません。 沖縄のハブ君は、道路で見られただけで完全に死ぬまで轢かれるのが鉄則のようですから。

 おがっち人生教訓のひとつ “なまじかけるな安情け~!”  

 さて、カルく呟いたところで本題に入りたいと思います。 が、実はまだ上手く頭の中でマトメ切れていなのです。 ですが、とりあえず降りて来るままに打ち込もうと思います。

 前回から採り上げている数 “14” ですが、ケイシーの数秘学では特にコレといって特別に採り上げた見解はありません。 ですが、姓名学の数霊を独解された大森英桜先生は、この十四画の数意をこう仰っていました。 

 『 “十四画” の数霊の基本は、“7画+7画=14画” で、七画という基数が倍化されたモノです。 その基本の考え方には7画があります。 7画は、易の基数展開では小脳(本能)を表し、人間のより根本の動物的、本能的な部分を表わします。 つまり、大脳(八画)でコントロールしにくい感情とかを表わします。 

 それが倍化されているので “喜怒哀楽” というモノがより表面化しやすい、ハッキリと出やすい画数なのです。 山下桜洲が調べた統計的には、昔は結核患者に多い画数だったようですが、現在は結核は少なくなり、喘息や呼吸器系疾患者に多い画数のようです。 あと、家族縁があまり良くない傾向もあります。』

 と。

 本題からは脱線しますが、この “倍化(×2)” という考え方は数霊を考える上で重要な考え方です。 というのも、ケイシー・リーディングの述べる数秘学の基数解析でも、“4” という数は “2” という数の倍数で、その分裂が更に強めらている数で、その4という数の倍である8は、4と深く関係しているし、5も10と関係しているし、今回採り上げている6も3の倍数として関連してきますし、その倍数である12という数にも深く関係してきます。  数秘学を独学で読み深めて、紐解いていく際には、この辺の考え方が肝要となります。

 さて、ここからです。 ここまでは、今迄の経験や大森先生の遺された知的遺産でなんとか説明できたのですが、ここからは私自身で考えねばならない領域に入って行かねばなりません。 ここで、私の智慧の源泉の両輪のもう一つであるひふみ神示が役に立ってくれそうです。 

 今回の東北大神災も含め、そのカギとなったのは次の帖でした。

【ひふみ神示 〔扶桑之巻・第八帖〕】

 平板の岩戸(言答)ひらけむ音のきこゆる。 神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。 太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。 また総てが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、若し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ。 救いの手は東よりさしのべられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。 今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢや、ウシトラとは東北であるぞウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地(千・智)の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、イシヅエぞ。 

 この帖、今まで何度もアップしていますが、今回の東北大震災を発端とした福島原発問題も含めて、天地創造等様々なコトが凝縮して述べられています。

 そう、上記抜粋に 『神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。 太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。 また総てが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、若し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ』 と述べられているように、なぜ神に “怒り” はない、のに唯一神としての “太神” は喜怒哀楽の激しい14画という数霊で顕れているのか?

  う~ー~ー~む、やっぱり解らん。 ナゼなんだろう?

 と、ゆー時は、とりあえず棚上げしといて、次に移りたいと思いますー。 

 ポルシェの考え方ではありませんが、『オレは、“拘るけど留まらない” ぜ!』

 さて、ワケの解らない自論を述べたところで、上記にありますように、『神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん』 という見解は、ケイシー・リーディングの述べる唯一神の概念と全く同じです。 天変地異や天災(人災)を神の怒りと、狭い人間の考え方で取り違いしてはならないと述べられています。

 ですが、その穢れがあまりにも酷くなると、アトランティス大陸が約5万年の時を経て海の底に沈んだように、またノアの大洪水ではありませんが、“穢れ地” を海の底に沈めて海塩で浄化しなくてはならないこともあるようです。 神社で海塩が浄めに使われるのは決して迷信などではなく、キチンと理由があるのです。

 マクロビオティックでも、塩の加減(使い方)が病気治しでは重要視されています。 もちろん多過ぎる塩は毒ともなります。 戦後の厳しい桜沢如一先生の世代にはこの間違いが多かったようです。 女性に塩気を多くし過ぎて男勝りにしたり、返って他の病気になったり。 

 食事だけでなく、趣味も仕事も、何事でもそうですが、その人の持つ ”中庸(Balance)” に持って行くのが健康を保つ秘訣です。 人間皆異なります。 ある人に劇的に聞いた薬が、その他の人に効くとは限らないのです。 返って他の病気を招き寄せるケースが多々あります。

  さて、ここからまた “6・Six” に戻りたいと思います。

 が、続く…

 


数秘学について(103)

2011-08-28 14:01:04 | 姓名学

 そして、ここで降りて来た直感さんが、今回の震災の中心となった “福島”県 です。

 福島の画数はと言いますと、 “福(14画)+島(10画)=福島(24画)” となっております。 24画は智謀知略の努力型の金運数です。 東京を例に挙げますと、”新宿”、“銀座”、“浅草” とかが24画の代表的な街です。 そして、ついでに自動車も24画です。

 さて、私は今回の震災が起った時にその中心的な場所である “福島” の画数を調べました。 そうしましたら、24画だったので、『へーそうか。 今回の震災は場所の言霊はあんまり当て嵌まっていないな。』 と最初の頃は思っていたのです。 統計的になのですが、甚大な地震は、9や0系の数が入っている町に起り易い傾向があるからです。 

 しかし、ある時ふと大森先生のお弟子さんの仰った事がスルリと頭に降りて来たのです。 

 『姓名学において画数のトータルは確かに重要なですけど、漢字(平仮名、カタカナも含む)一つ一つの持つ数霊波動もある程度考慮に入れていなくてはなりません。 漢字は象形文字ですから、その一つ一つも強い波動を持っています。 おがっちさんもある程度慣れてきたら、その辺も考えながら取り扱って行かれれば、更に姓名学の精度があがりますよ』

 と。

 それから、福島の画数を改めて見直してみたのです。 そうしましたら、少しゾッとして背筋に軽い電流が走りました。 というのも、

【福(14画)+島(10画)=福島(24画)】

 と下一桁(基数)の部分が4(四)が二つと0(ゼロ)だったのです。 前回からアップしていますが、“4・四” という数字は、易の基数展開において ”放射能” を意味し、占星学においても “拡散・膨張” を意味します。 つまり、放射能(4)が拡散、膨張(4、海王星)する傾向がある名前の街なのです。

  そして、10画は、人間が思考(八画・イメージ)したモノが物質化(九画)し、それが形を保つエネルギーを失って十(0・無・ゼロ)に帰る崩壊数を意味します。

 しかし、崩壊した原物質(エーテル)はまた、新たな個人のイメージを物質化させ続けます。 ケイシーの数秘学に於いても “10” は “ゼロ” の意味もあるし、“10=1+0=1” で “Ten・・・Back to One(1に帰る)” と述べられています。

 そして、24画の基本的意味は “智謀知略に優れた努力型金運数” なのですが、しかし、常に意志力で理想に向けて一歩一歩あゆみ続けないとお金は来ないと仰っていました。

 さて、ここでもう一つ気になったのが、【福】という漢字です。 一般的には “大吉” 的なイメージがありますが、こちらも面白いことに14画の大凶数なのです。 ひふみ神示が述べるところの、唯一神である【太神】も14画…

 次にひふみ神示を用いてこの問題を考えてみたいと思います。 

 私もまだ正直答えを出し切れていませんので、やりながら何とかまとめていってみたいと思います。

 続く…


数秘学について(102)

2011-08-28 07:46:34 | 占星学・数秘学

 で、“6・Six” について書こうと思ったのですが、ちょっと異なる考えが降りて来たので、そちらをアップしてみたいと思います。

 前回のアップで、“4・Four・四” という基数に対応する惑星は海王星(Neptune)であると述べました。 こちらの基本的な意味は、『夢幻・拡散・イメージ・水』 とかに関係するようです。 Pisces(双魚宮、魚座)の前統治惑星である木星(Jupiter)とも基本的な意味(拡散・膨張)で深く関係します。

 そして、大森英桜先生が解明された姓名学の基数展開でも、この “4・四” という数字は目に見えない拡散という意味で “放射能” に対応するようです。

 そう、ここで、私の直感に降りて来た、昔からの疑問があるのです。 それは、ひふみ神示は、地球の輪廻を卒業した魂たちを神と呼び、さらにレベルが高くなると “大神” と呼んでいるニュアンスが読み取れます。 こちらは、八百万の神々にも通じる考え方です。

 つまり、“a God” 。 多神論的なのです。 一神論的表現である “The God” ではありません。 ケイシーも自身が遺した膨大なリーディングの中で最も価値がある優れたモノはどれですか? と問われた質問に対して、迷わず

 『A search for God(神の探求) シリーズである』 と述べています。

 つまり、“A” という不定冠詞を用いているように、“God(神)” という概念について “コレだ!” というように特定・断定していないのです。 ソコ(神)へ至る道は、人それぞれ、様々であってよく、気長に失敗や成功とかいった痛みを伴った体験を繰り返しながら、一歩一歩着実に至るしか他に方法はない、と述べています。

 しかし、その地球の輪廻を脱した、神や大神たちを束ねると申しますか、それら万物を創造られた神の中の神、つまり、一神(The God) もいらっしゃるようなのです。 解りやすく表現するなら、イエス・キリストや仏陀、クリッシュナ、ムハンマド等の地球の様々な地に現れた偉大な指導者の上に立つ、束ねる存在です。

 ケイシーのリーディングはそちらに関して、「Creative Force(創造的諸力)」、「First Principle(第一原因)」、とか云う、ドコとなく掴みどころのない言葉を用いてその存在を表現していますが、私たちのような限定された3次元意識しかない存在に、言葉というモノで表現するにはかなり難しい存在なのでしょう。

 で、ここからが脱線の本題に入ります。

 ひふみ神示は、下々の神々や大神の上にまします、ケイシー・リーディングで表現するところの “First Principle” や “Creative Force” と同意の、神の中の神として “太神” という漢字で表現しています。

 つまり、“The God(唯一神)” ですね。

 では、これの “何が” 私の直感に引っ掛かっていたかと言いますと、それは、“太神” の画数なのです。 “太神” というのは、14画という喜怒哀楽の激しい家族縁の薄い大凶数なのです。 この事が長年に渡り姓名学を取り扱いながらひふみ神示を繰り返し、繰り返し、読み続けている私の大きな疑問になっていたのです。

 何故、唯一神(The God)ともあろう存在が大凶数なのか? 普通に考えれば、“神代・神世” のように最大の幸運数である15画とかが相応しいのではないか?と考えていたのです。 ちなみに “大神” は智慧・知略・アイディアを意味する13画の大吉数です。 占星学のMercury(水星、ヘルメス)に近い神のような感じがします。 コレは上手く当てはまるのです。

 それにしてもナゼ…?

 と、ひふみ神示を読み始めてから長い間考え続けていたのです。

 この辺で、金平ゴボウとゴマ塩を作るので、一区切りさせてもらいます。

続く…

 

  

 


数秘学について(101)〔副題:Change③〕

2011-08-27 07:37:17 | 占星学・数秘学

 さて、ここから更にマニアックなな領域に入って行きます。 私だけが自己マン俗した答えかも知れませんが、とりあえず “今” の “考え” をアップしたいと思います。 ですので、以下にアップする内容は、あくまで私の小宇宙の領域での答えだとご了承下さい。 皆様に必ずしも当てはまるワケではありません。

 では、ケイシーはなぜ、“5・Five” や “9・Nine” の “Change” に関しては不定冠詞である “a” を用いているのに “6・Six” の “Change” に関しては定冠詞である “the” を用いているのか?

 うーーむ、正直、日本人レベルでも英語落第生の私には解かりません。

 が、しかし、とりあえず間違いでも良いので考えを述べてみたいと思います。 コレがネットの良いところかも知れません。 もし、学校でなら “×” を貰って “間違いなのか・・・” と考えてしまうかも知れない答えを、恥さえ気にしなければ堂々とアップ出来るからです。  

 確かに、“答え” は違うかも知れないけど、自分で考えて考えて導き出したモノには “何か” 意味、価値がある。 そう思いたいですね。

 そういえば、今フト思い出したのですが、特にスピリチュアル系の方に多いのですが、時折出会うのが “ムリポジ” の方ですね。 この言葉は私の造語ですが、意味はと言いますと、“ムリ”=“無理” に “ポジ”=“ポジティブ・Positive(正・前向き)” に考える人ですね。 やたらと、“失敗” とかゆー、ある意味、負(Negative)の言葉を使うのを避ける、恐れる人です。

 まー私も長年に渡り精神世界系の情報を調べているので気持ちも解らないでもないのですが、ですが、わたしは正(ポジティブ)を識るには、痛みを伴った負(Negative)が必要だという考え方ですから、別に失敗だろうと挫折だろうと “死” だろうとたいして気になりません。 モノゴトの全体としての光と影、陰陽両面として認識しとけば良いだけの話だと思います。

 ある意味、その “失敗” とかいった負の言葉を恐れすぎるのもまた逆説的にそちらに引き寄せられていくような気がします。 つまり、ひふみ神示の述べる 『厄払い(失敗経験)だけでなく、昔の福払い(成功経験)もしなさい』、ということにも通じると思います。 

 つまり、過去の成功体験を握り締めていたら、宇宙の法則によりバランスを取ろうとして、必ずその反対である負のモノを引き寄せる、そんな気がします。 それに、本人が人生というのは成功することだけに意味がある、と考えていたら、他の人の人生に於いて、失敗したり、挫折したり、殺人したり、不倫したり、自殺したりする人の気持ちを理解することは決して出来ません。

 ケイシー自身もそのため、一度ならず2度までも、開拓期(1600年代)のアメリカにおいてジョン・ベインブリッジという女にだらしのない浪費癖のギャンブラーとして生まれ変わっています。 リーディングはその意味として、 『人は他人の極端な部分も自身の体験ととして知らねばならない。 そのため、神はそういった状況をその人生においてセッテイングされた』 と自身に関するリーディングで述べています。

 そして、このNegative&Positiveという考え方は、数秘学にもよりよく出ています。 ひとつ例を挙げるなら、“4・Four” という数字は数秘学において、ある意味、大凶に近い数です。 2という数をさらに分割した弱い数だからです。 姓名学でも全く同様で、基数が四系の数は殆んどが大凶数です。 物質的には、目に見えないが計り知れないパワーを秘めている放射能を意味するようです。

 そして、ケイシーの占星学理論では、“Leydig Center(ライデイッヒ集腺)” と “海王星(Neptune)に対応” し、チャクラの理論では、人間が大脳で考えたイメージ(想像)はココを通して他の主要な腺に拡散される、と述べています。 

 つまり、“想像(Image)” を “創造(Creative)・物質” に変える重要な腺なのです。 

 しかし、その人間の持つイメージ力の不安定さ、弱さから、拡散数である ”4” に対応しているようです。 そして、その倍数が8ですが、ケイシーのリーディングによりますと、こちらは“お金(Money)、商業(Commecial)の数” となっています。 面白い事に、洋の全く異なる数秘学である姓名学でも、“金” という漢字は八画です。 ついでに、”易” も “命” も八画です。

 脱線はコレぐらいにしまして、本題に入りたいと思います。

 “6・Six” という数は、ケイシーの転生占星学によりますと、“愛と美と平和・調和の星” である金星(Venus)に照応します。 しかし、その負の側面としては “愛欲、怠惰、無頓着” などに陥る面があるようです。

 そう、以前にもアップしていますが、このVenusという星は、占星学において現在でも二つの宮を支配しています。 それは、Taurus(金牛宮、牡牛座)とLibra(宝瓶宮、天秤座)です。 ここで重要なのが、天秤座(Libra)です。

 というのも、E.W.ブリンガーや神智学、ケイシー・リーディングは共通して、我々地球人類の向かう先を “Libra” であると述べているからです。 その主要な意味は “バランス(Balance)” 、言い換えればバランス(均整)の取れた美、 “均整(金星)美” です。 (おがっちコメ:日本語の言霊って面白いですね!)

 少しばかりこちらに関してリーディングより抜粋しますと、

【6・Six】…again makes for the beauty and the symmetrical forces of all numbers, making for strength;(R5751-1)

・・・the strength of a Three, with a helpful influence.(R261-14)

・・・In six and eight it maeks for the same characterizations,(R261-15)

・・・six being changes that have been made in the double strength of three(R261-15)

 上記抜粋から読み解きますに、“6・Six” という数字には、その半分である “3・Three” という基数が大きく関係しているようなのです。

 次に、このことを絡めて考えてみたいと思います。

 続く・・・

 

 

 


本日の呟き(Aug/26/'11)

2011-08-26 20:26:42 | つぶやき

 今日も芝刈りと蝙蝠退治と窓拭きで疲れたのでカルめのアップにて失礼します。 数秘学については明日にでもマトめてアップしたいと思います。

 そういえば、先日私が以前働いていたバージニア州で比較的大きな地震が発生していましたね。 

 向こうで長年働いていた人の話では、バージニア辺りはでっかい岩盤の上に乗っかっているから、地震の心配はほとんどないという話でしたが、今回の地震でその過信と言いますか、 “定説” も覆された感があります。 

 この予測の付かない結果を招き降ろす天王星支配のアクエリアスの時代、結局、世界中ドコに居ても、逃げても助かる人は助かるし、助からん人はたとえ核シェルターに逃げ込んでも故障かなんかで空調が始動しなかったりしておっ死んじまうのでしょう。

 私はもうこの地球の輪廻転生に全く興味が無いのですが、とりあえず生かされている限りは、高い理想を掲げ、日々降りてくる現実を確実に処理し、明日死んでも全く後悔のない生き方を日々やり続けるのみ、です。 そして、その結果は天に、運に任せるのみ、が、現在の私の人生指針です。 

 それにしても数秘学って面白いですねー。 ドップリとその深遠さに頭の先まで浸かってしまいました。 世俗の事に興味をなくし・・・てもいませんが、ケイシー・リーディングというメガネを通して観た数秘学(Numerology)は面白いですねー。

 ホントは残りの人生コレだけの探求で余生を過ごしたいトコですが、残念ながら世間の世俗の事柄から離れた魂の進歩はありえませんので、とりあえずは “今” を精一杯生き切りたいです。

 が、ね、眠い。 

 そろそろ、脳味噌が限界です。

 おやすみなさい。

 皆様、良い週末を!

 

 

 


数秘学について(100になるとは思わんかった)〔副題:Change②〕

2011-08-25 19:21:42 | 占星学・数秘学

 本日も様々な角度から、前回アップした【5・Five】と【9・Nine】に関する “Change” については、不定冠詞である “a” を用いているのに、【6・Six】に関してのみ対象を限定する定冠詞を用いているのか、考えてみたいと思います。

 “Five・5” という基数は、占星学の惑星群では “Mercury(水星)” に照応します。 こちらは、チョコチョコ変る “変化” を意味します。

 以前アップしましたが、天王星や土星のように、固いスプリングを限界まで圧縮して、一気に手を離してドコへ吹っ飛ぶか分らない、つまりパワーを限界付近まで溜め込んで、予測が付かないような方向へ一気に変化させるような種類の ”変化” ではなく、例えば、掌に垂直に乗っけた棒を倒れないようにするアソビがありますが、アレのように常にバランスを取り続ける “変化” と思って頂けたら解りやすいかも知れません。

 つまり、水星の変化は、あまり深く特定しないと言いますか、浅く広くではありませんが、範囲が広い変化ではないかと思います。 と言いますのも、水星の主要な意味が、智慧の神であるヘルメスの普遍的な知性に関係していますから、こちらの“Change” には、不定冠詞である “a” が用いられたのではないかと思いました。

 どうも、私自身まだ上手くまとめ切れていないので、この説明では腑に落ちない方もいらっしゃるかも知れませんが、とりあえず、次に移りたいと思います。 また、何かヒラメキが降りて来たら後で追加アップしたいと思います。

 さて、次は【9・Nine】の変化について考えてみました。 

 ”9” という数は、ケイシーのリーディングでは ”1~9(10は1に帰ります)” の基数展開で数の完了した数字であると述べられています。 占星学では、情熱・闘争の星である火星(Mars)に照応する数です。 こちらは大森先生の解読された姓名学の基数展開でも全く同様の見解です。 “9・九” という数は “思考(Image)が物質化した最終的な数であると。 

 物質とは、人間が陰性な大脳(8・八)を使って、強いパワー(極陽)の想像力・思考力・意志力を注入して物質化せねばならないモノであるが故に、“9” には火星(副腎)のような強い情熱・エネルギーが必要とされる。

 その結果、産み出されるモノも個人個人の思考に応じて多種多様。 故に 不定冠詞である “a” が用いられたのではないか? と思ったのです。  

 で、【6・Six】について今考えながら書こうと思ったのですが、本日も芝刈り、草刈りで疲れたので、そろそろ思考力が限界です。

 オヤスミなさい、です。。

 明日までには何とかまとめとこうと思います。

 本日も誤字・脱字にて失礼します。

 Good Nigth~♪

 

 

 

 


数秘学について(99)〔Sub:Change①〕

2011-08-24 20:02:36 | Cayce Reading

 どうも、こんとこ忙しいもんで気合の入ったアップが出来ませんで申し訳ありません。 数秘学はかなり頭の状態が良くないといいヒラメキが降りて来ないので、忙しい時はカルめのアップになってしまいます、のでご了承下さい。 

 乱筆・乱文・誤字・脱字も見直す時間が無いので、その辺は読まれる方の判断で勝手に修正して下さい。 私はテンプレートをアップするような感じです。

 さて、

 『進化(Evolution)とは変化(Change)である』

 とは、ケイシー・リーディングの格言ですが、人類全体の螺旋の進化に関して、そのかなり重要な要素である変化(Change)ですが、ケイシーは独自の基数展開の見解の中で、三つの基数について “Change” という言葉を使っています。 この事について考えてみたいと思います。

 先ず一つ目はChangeの代表的な基数である “5・Five” についてです。

【5・Five】…as, seen a change -- as may be seen in  a comparison of may of any of the forces  outlined.(R5751-1)

a change imminent, ever, in the activities of whatever influence with which it may be assoicated.(R261-14)

 ここで注意して頂きたいのは、ケイシー・リーディングの単語や文法の使い方というのは、私みたいなやっつけ英語、その場当たりのテキトーな使い方は一切なく、文章すべてにおいてその扱いがかなり繊細だということです。 というのは、上の【Five・5】に関する見解では、 “a change” という使い方をしているのです。 

 次に、【6・Six】について抜粋してみたいと思います。

【6・Six】…six being the changes that have been made in the double strength of three.(R261-15)

  上記の赤の部分にありますように、ケイシーは【6・Six】の “Change” に関して、 “the Changes” というように特定性の強い “the” という定冠詞を使っています。 

 しかし、ご覧になればお解かりのように、“5・Five” という基数の時には、不定冠詞である “a” を使っています。 つまり、“a” の時には、その対象を特定しない ”a dog” みたいに、様々な種類の犬(ダックス・フント、コリー、セントバーナード)をひっくるめた対象範囲のひろい冠詞ですね。 

 この辺は中学生レベルで、私なんかがいちいち説明しなくても良いとは思いますが、いちおう念の為に。

 そして、次の【9・Nine】を見てみますと、

【9・Nine】…making for the completeness in numbers; yet showing not the strength as of Ten, nor yet the weakness as of Eight, yet making for that termination in the forces in natural order of things that come as a change imminent in the life.(R5751-1)

  と、ここで “9” という数に関して、またもや “a change” というように、不定冠詞である “a” を用いています。 

 これは何故か?

 ”5・five” と “9・Nine” では、 不定冠詞である “a” を用いているのに、“6・Six” のみナゼ定冠詞である “the” を用いているのか?

 それは・・・

 この違いですが、実は、昨日勉強していて偶然見つけたので、私自身、まだ私なりの答えとしての考えがうまくまとまっていません。 ので、明日までにある程度の私なりの第一次的な答えを纏めとこうと思います。

 本日も芝刈&草刈り、蜘蛛の巣取り、蝙蝠退治で疲れたのでそろそろ寝ます。

 オヤスミなさーい。

 Good Night♪

 

 


本日の呟き(Aug/22/’11)

2011-08-22 20:24:15 | 日記

 私が居たアメリカの寿司屋には、名古屋大学の物理学科出て、その後カリフォルニアでパイロットの免許(ランクは一番低いやつだけど)取って、アメリカの永住権欲しかったので寿司シェフやっていたヤツがいました。 

 ちなみにパイロットの免許取るのに滞在費も含めて約5万ドル(当時のレートで600万円ぐらい)、期間は約9ヶ月かかったと言っていました。 家がそれなりに金持ちでしたから親が出してくれたようでしたが、アメリカでもやっぱパイロットになるのはお金かかるのねー、と思いました。

 そうそう、以前、私の店でパートタイムやっていた大学生連中の姓名判断まとめてやった時、ついでに連中の親の名前や家庭状況聞いてみると、だいたい中小企業の社長や地方での資産家の議員とか、そういったのばっかでした。 やっぱりドコの国でも海外留学ってお金かかりますから、家庭のバックアップがないとなかなかおいそれとは留学できません。

 やっぱり人生の中で一度ぐらいは海外で学びたい人は、最近は少なくなっているようですが、それでも行くと語学の問題や、生活習慣の違いからなかなか上手くいかないことも多いようです。

 私のように、運任せで永住権獲得して、「行けばなんとかなるさ!」 と渡米前までも英語をほとんど勉強せず、とりあえず行って、世の中そんなに甘くはないと身に染みて教えられて、約2年に渡り失敗ばかり経験して帰って来たようなTrial&Error&Error&Ero?な人間もいますが、それでも得たモノは山ほどありました。

 ですが、向こうにいた時に、アメリカ人と再婚されたとある英語の通訳学校の先生と話したのですが、この先生は英語はもちろんペラペラのバツイチ美人だったのですが、向こうに行ってしばらく鬱になったと言っていました。 海外鬱って語学の問題だけじゃないんだなーと教えられました。 よくよく考えたらそうですよね。 日本人でも日本語が通じる日本に居ても鬱にもなるし、人間関係から死にたくもなる。

 

そう、今日は、本当は数秘学について更に突っ込んでマニアックに書くつもりでしたが、いつもの芝刈りで疲れて脳が思うように回ってくれないのでカルめのアップにて失礼します。 

 明日はオーストラリア美人(←いつもひと言おおい。 気が向いたら金八先生・・・、じゃなくって、金髪美人先生の写真でもアップするかもしれません。 お楽しみにー♪)の英語の講習を受けに行く予定ですので、ブログアップはお休みすると思います。

 失礼します。

 疲れた…

 おやすみなさいZz...

 

 

 

 


数秘学について(98)(脱線します)

2011-08-21 19:13:07 | ひふみ神示系

 少しばかり前回の主題である “半霊半物質” について様々な角度から考えてみたいと思います。 コレはこれから先の私たち地球人類の近未来を考える上でもかなり重要な情報だと思っています。

 私の人生の “考え方” の中心をなしているケイシー・リーディング、ひふみ神示、神智学、ヒットラー預言、平井和正氏の小説等に出てくるのが、この第五根源人種がまとうであろう新しい肉体であるエーテル体(Ether)と肉体(Flesh)の中間体です。

 コレがどういったモノか一般の方に解りやすく説明することは現在の私では不可能です。 ただ、各個人がそれぞれのレベルの心で汲み取るしかありません。

 しかしホンの僅かですが、なんとか私たちのような限られた意識の人類に、理解ギリギリの言葉で説明してくれているものがあります。 そちらをピックアップしてみたいと思います。

 まずは、ひふみ神示より、

 【ひふみ神示 〔五葉之巻・第十五帖〕】

 今に大き呼吸も出来んことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは半分のところは天界となることぢや、天界の半分は地となることぢや、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロク(666?)の世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。

【ひふみ神示 〔五葉之巻・第十六帖〕】

 マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ今の物質でつくった何物にも影響されない新しい生命が生れつつあるのぞ。 岩戸ひらきとはそのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組。

 

 こんな感じです。

 さて、拙ブログをご覧の皆様は、上の帖をお読みになってどう感じられましたか? 

 「アホ臭い。 私は家庭の夫婦関係と子供の事、この大不況下の会社でいつリストラになるかもしれないのに、そんな下らんオカルト的なことを考える時間なんかない。」

  ぐらいが大多数の感想なのではないでしょうか。 別にそれはそれで良いと思います。 こんな事を日々書いている私自身も昔は “人生・世界はお金が総て!” 的な人間でしから否定も肯定も出来ませんし、する資格もありません。 

 私自身気が付いたら、こんなアヤシイ世界にドップリと頭まで浸かってしまっていた自身に気が付いたのですから。

 まーそれはともかく、次にケイシー・リーディングより “半霊半物質” に関連すると思われる部分を抜粋してみたいと思います。

 

【キリストの秘密】

 一方、復活をもっと専門用語を用いて説明しようとしたものもある。 復活の神秘は「人間の肉体を聖なる肉体へ変化させる」(R2533-8)ことにあるか、という質問に対して、眠れるケイシーはそれを否定して次のように言った。 「これは肉体の変化ではなく、創造である……」 と。

  キリストの身体の変化について秘儀はありえない。 なぜなら、肉体の意識において、父であり母である神との合一を達成し、その合一が完全であったがゆえに、屍衣、外套、布の置かれた状態が示すように――体の腐敗が始まるとすぐに、肉体が形成されたのだ。 これこそがその様子だ。 これはあるものが別のものに変るという意味での変容ではない。

 ドアを閉められた部屋の中に肉体が入って来たということは、肉体がドアを通り抜けたのではく、部屋の中に充満していたエーテル波から形造ったというこである。 というのも、その会合は信仰によって持たれたものだったからである。 そして 「上から力を授けられるまでは、エルサレムに――二階に――とどまっていなさい」 と主は与えられたのだ。(R2533-8)

 

  このリーディングで重要なのは、たしかに霊というのは、物質(壁とか)を通り抜けることは可能ではあるようですが、しかし、この聖書でも有名な復活の場面では、そういった事は一切おこなわれず、部屋の中に充満していたエーテル波(Ether)から形造られたということです。

 つまりこのケースでは、ひふみ神示に述べられている半霊半物質ではなく、完全な霊物質(Ether)からのみ形造られたということのようです。

 まー今回、こちらに関して、私見は深く突っ込んで書きませんが、占星学の黄道十二宮の流れも併せて考えると更に興味深いモノが観えてきます。 神の経綸の一端と言ったトコでしょうか。

 で、更に突っ込んで、と思いましたが、本日は疲れたので寝ます。 下に原文の関連する部分を抜粋しておきますので興味のある方は読んでみて下さい。

 おやすみなさいZz…

 Good Night~♪

~~~~(R2533-8)~~~~~~~~~~~~~~~~ 

(Q) Is the transmutation of human flesh to flesh divine the real mystery of the Crucifixion and Resurrection? Explain this mystery.


(A) There is no mystery to the transmutation of the body of the Christ. For having attained in the physical consciousness the at-onement with the Father-Mother-God, the completeness was such that with the disintegration of the body - as indicated in the manner in which the shroud, the robe, the napkin lay - there was then the taking of the body-physical form. This was the manner. It was not a transmutation, as of changing from one to another.

Just as indicated in the manner in which the body-physical entered the Upper Room with the doors closed, not by being a part of the wood through which the body passed but by forming from the ether waves that were within the room, because of a meeting prepared by faith. For as had been given, "Tarry ye in Jerusalem - in the upper chamber - until YE be endued with power from on high."

As indicated in the spoken word to Mary in the garden, "Touch me not, for I have not yet ascended to my Father." The body (flesh) that formed that seen by the normal or carnal eye of Mary was such that it could not be handled until there had been the conscious union with the sources of all power, of all force.

But afterward - when there had been the first, second, third, fourth and even the sixth meeting - He THEN said: "Put forth thy hand and touch the nail prints in my hands, in my feet. Thrust thy hand into my side and BELIEVE." This indicated the transformation.

For as indicated when the soul departs from a body (this is not being spoken of the Christ, you see), it has all of the form of the body from which it has passed - yet it is not visible to the carnal mind unless that mind has been, and is, attuned to the infinite. Then it appears, in the infinite, as that which may be handled, with all the attributes of the physical being; with the appetites, until these have been accorded to a unit of activity with universal consciousness.

Just as it was with the Christ-body: "Children, have ye anything here to eat?" This indicated to the disciples and the Apostles present that this was not transmutation but a regeneration, recreation of the atoms and cells of body that might, through desire, masticate material things - fish and honey (in the honeycomb) were given.

As also indicated later, when He stood by the sea and the disciples and Apostles who saw Him from the distance could not, in the early morning light, discern - but when He spoke, the voice made the impression upon the mind of the beloved disciple such that he spoke, "It is the Lord!" The body had prepared fire upon the earth - fire, water, the elements that make for creation. For as the spirit is the beginning, water combined of elements is the mother of creation.

Not transmutation of flesh but creation, in the pattern indicated.

Just as when there are those various realms about the solar system in which each entity may find itself when absent from the body, it takes on in those other realms not an earthly form but a pattern - conforming to the same dimensional elements of that individual planet or space.

 


本日の呟き(Aug/21/'11)

2011-08-21 14:47:03 | 日記

 今日は、久しぶりに大物を買いました。 と言っても、デジカメですが。

 今まで約5年以上使っていた Nikon Coolpix S8クンが調子が悪くなってしまって、の買い替えです。 色々と迷った末、アイコン関係で使い慣れたNikon Coolpix S6100さんにしました。 ポイント10%付きの19800円でした。 まー特に限定何台とかいう安売りとかを狙ったわけではなく、てきとーにフラリと行って買いました。 

 しかし、このS8クンにも思い出がたくさん詰っています。 ちょうど一時帰国した際買って、アメリカに持って行きました。 それまではContax T-2 N-1のフィルムコンビしか持っていませんでした。 金が無かったというのもあるのですが、フィルムにこだわりたいという思いもありました。

 しかし、気が付いたらあれだけフィルムに拘っていた私も、撮る写真はほぼ完全にデジタルになっていました。 やはり日々のかるいブログアップなんかに使うとなると、フィルムではお金や時間、手間がかかり過ぎて、ビンボーヒマなし生活の私では耐えられませんでした。

 横浜に居た時の写真はほぼ全部このS8クンが担当しました。 シャッターを切った数を数えてみたら約11000枚ぐらいありました。

 そういえば、このS8君。 一回クレーム修理に出しています。 新宿のNikonカスタマーセンターに直接持って行って修理してもらいました。 どういった故障だったかと言いますと、ジョグダイアルの部分が回してもウンともスンとも反応しなくなってしまったのです。 

 今思い出しても、この時のタイミングが絶妙でした。 メーカー保障の1年の保障期間が切れる約2週間前だったのです。 持って行ったニコンの受付の方からも、 

 「良かったですねー。 保障期間ギリギリでしたね。」 

 と言われました。

 そういえばアメリカでも、国際運転免許証の有効期限約1年が切れるギリギリ2週間前に、現地バージニアのDL(Drivers License)を取得した崖っぷち運がありました。 あん時には、実技で3回英語が解らず落っこされて落ち込んでいた時、年内最後と思って覚悟を決めて、気合を入れて背水の陣で望んだら、目の前に現れたのは、天使のように優しい白人のちょっと太ったおばちゃんにで、英語も解りやすくラクショーに合格させてもらいました。

注:アメリカからかっぱらってきたNoプレート。 こちらは今となってはけっこーレアモノ♪

 相変わらず自分の手を離れた天強運には、我ながら驚くことがあります。

 私の人生に於ける “運” で重要なポイントは “自分の手(実力)を離れた強運” でしょうか。 そうしないと、強運に驕っていずれ間違いなく崖に堕ちてしまう運だからです。 名前にもそれがよく顕れています。 最近、今迄の人生を振り返ってみて改めてよく解ってきました。

 “高い理想を掲げつつも、日々目の前に降りてくる小さなツマらないような現実を、確実にひとつひとつ処理する” そして、

 “今、手の中にあるモノを最大限に用いる” 

 これが、“今” の私の人生モットーです。

 と、ゆーところで、本日の呟きでした。

注:レアでもないけど、ロシア・アエロフロートの機内くつろぎセット(耳栓、アイマスク、機内スリッパ)です。4回乗っていますが、かつて格安航空券の代名詞となり、バックパッカーの間で悪名高かったアエロ・フロートも、時代と共にかなりサーヴィス改善されました。 機内からかっぱらったアエロの毛布と枕のセットもあるのですが、ドコか仕舞いこんでわからなくなっています。 

 

 


ホントはこんなん書かない方が賢明なんですけどね

2011-08-20 19:38:56 | ひふみ神示系

 今回の東北大震災の影響による電力制限、更に加えてこの超円高による日本企業の国内生産の困難さ。 私もついこの前まで、東京で派遣で働いていたので良く解ります。 この状態が続けば生産拠点を海外移動しなくては国際競争に生き残っていけません。

 ですが、私は前から書いていますが、この円高トレンドは今後1ドル≒50円近辺まで行くのではないかと思います。 そして、ある程度、海外移転が完了したら、今度は日本の国家破綻やなんやらによるV字円安に向かうのではないかと思っています。

 そしてその時には、もう時既に遅し、で、日本はかつての工業国家としては完全に空洞化してしまってスッカラカン、ボロボロになっている。 そんなイメージが脳裏を掠めます。

 なぜか?

 それは、“日本の大地” というのは、本来こういった欧米型の欲に塗れた、地球資源を喰らい尽くす “商売” として使うモノではないから。 それを、私たち日本人は、これから身をもって、痛みを伴って知らなくてはならない。

 聖書でイエスが、エルサレムの神殿で商売をしているユダヤ人の商人を怒って追い出されたのと同じ事が起ろうとしているのではないかと思います。

 

 私が今回の震災が起った時に真っ先に思い浮かんだのが、ひふみ神示の前回採り上げた言葉(『半霊半物質の原爆にもビクともしない肉体』)でしたが、その他にも様々なコトが思い浮かびました。

 国際的なユダヤ問題や日本の同和問題、そしてヨーロッパ先進各国のイスラム系3K移民問題なんかの差別問題を考えれば解るのですが、人間という生き物は、ある意味、菌と同じで、確かに叩かれると一部滅んでしまうモノも出てくるのですが、しかし、その生き残ったモノは前よりより強くなって復活してきます。 つまり耐性菌です。

 そして、人間にもこの特性があります。 叩かれると確かに一部にはそれに負けて滅んでしまうの者も出てきますが、しかし、それを耐え抜いたモノは、その叩かれる前より強く、賢くなって、更にその耐え抜いた者同士、より強く結束して復活してきます。

 私は、今回の震災の原発事故に関して、どうもこの法則性と言いますか、 “考え方” が使われたような気がしてならないのです。 新人種(第五根源人種)を地上に招き入れるために。

 普通に考えたら今回の震災から派生した原発問題は人災としての面が強調されています。 確かにそれは間違いではないのでしょう。 しかし、ここから言霊学も併せて一段階上がってモノゴトを観てみますと、違った側面が遠くが視えてきます。

【東北大震災】

・東北=ウシトラ

・大震災≒大神(しん)災

・人災=神(じん)災

 

  本来はあまりこういったコトは、大多数の反発を招くのであまり書かない方が賢明なのはよく理解しているのですが、内奥なる衝動から書かされている感覚です。

 下にヒットラー預言より関連する部分を抜粋しておきますので、興味のある方はよくよく噛み砕いて読んでみてください。  

【ケネディー暗殺と2039年の真実】:http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html#09

繰り返すがヒトラー予言では、2039年、大戦と汚染から生き残った世界は、表面はどうであれ実質上、突然変異で超知能を持った「神人」たちに握られている。

大部分の民衆は「ロボット人間」のようになり、「神人」たちのプログラム通りに動き、権力が勝手に何をやろうと、将来何を計画しようと、もうなんの関心も疑問も持たない。そういう、気楽だが超管理化された社会、しかも、そのことを「ロボット人間」たち自身は全く気づかない社会になっている。

アメリカの権力中枢は、そうなることをすでに知っている。つまりヒトラーの「究極予言」をよく知って、それがなぜか的中することも知っている。だからこそ、それに合わせて、一見なんの根拠もない、ヒトラー予言にしか結びつかない、「2039年公表」の線を出してきたに違いないのだ。

他のアメリカの重大政治事件は、たとえばウォーターゲートやイランへの武器供与事件でさえ、調査がはじまって半年後には結果が公表された。ケネディ暗殺の真実だけが、なぜか「2039年」の未来へ押しやられた。

ケネディ事件には、それほどとほうもない秘密が隠されている。同時に、それが公表されてもなんの関心も持たない社会が「2039年」に出来上がっているのを、ジョンソン命令は雄弁に物語っているとしか考えられないのである。

それは、あくまでアメリカのことだ。しかし、アメリカがそういう「陰の超頭脳集団」に支配されるようになるなら、(日本だけ放っておかれるはずはないから)、日本も直接にしろ間接にしろ、そのとき「神人」たちの支配下におかれているだろう。

 

■■別のものの出現は“日の国”とかかわりがある


ここで思い出されるのが、ノストラダムスの“別のもの”である。これは彼の『諸世紀』1巻48に出てくる不思議な予言の一節で、いろんな解き方をされている。しかし最大公約数的な解釈は、「大きな破滅の年までに“別のもの”が現れるときにだけ、人類は救われ、滅亡は起こらない」。

このノストラダムスの“別のもの”の詩には、「別のものの出現は“日の国”とかかわりがある」と示されている。

“別のもの”が「神人」と同じような意味なら、日本には日本独自の「神人」が、そのときまでに突然変異で現われているに違いない。 

 ……ここで、もう一度簡単にまとめれば、これから世界は天変地異と「人間の二極化」に巻き込まれ、宇宙カタストロフィと新たな世界大戦が襲って来る。聖書の預言では、ここでヤハウェかイエスが降りて来て「罪深い者たち」を裁き、永遠の“神の王国”を築く。

しかし、より冷厳でリアルなヒトラーの予知力による見通しでは、そんなことは万に一つも起こらない。

代わりに、超人部隊(ラストバタリオン)が現われて、背後から大戦をコントロールし、決定的な被害が出ないうちにやめさせる。だが、そうなっても汚染や異変はやまず、世界的な大混迷と荒廃が地球を支配する。

しかし、その中から、いつとはなく「神人」たちが現われ、一切の危機の解消と「新世界創造」をリードする。残りも、いつとはなく「ロボット人間」になっている。

その意味では、今の人類はそのとき滅び、今のような人類はほとんどいなくなる。しかし、系統種としては、「元・人類」の形でなお続く。

つまり、あなたと私たちの未来には、襲ってくる多くの危機にもまして、「人間以上の、または人間以外のものへの進化」という不気味な道が、核と汚染と天変地異の中から、ついにはっきり見えはじめてきたのだ。

 


数秘学について(97)(プラス呟き)

2011-08-20 13:38:39 | 占星学・数秘学

 現在、今までの海外放浪も含めた人生の写真整理を行っております。 見ながらやっていたら、あまりにも膨大過ぎて疲れてしまいました。 海外に関しては殆んどがフィルムデータとして残しているので、いずれ時間みて、総てデジタル化してデータベース化しようと思っています。

 特に、AD2000年から始まった海外放浪人生の写真は、その時の感情をも同時に引き出してくれます。 カメラって、写真っていいですね。 その時の空間を感情と共に切り取った感覚があります。 その時は、仲良く楽しく一緒に写っていても、その後ケンカ別れしてしまった人たちもいますが、それはそれでひとつの現実として受け止め、その経験を修正した未来を創造して行こうと思います。  

 さて、前置きはこれぐらいにしまして、本題に入りたいと思います。

 前回、なぜ創造神アミリウスは最初の肉体として赤色人種を選択されたのか?ということについて考えてきました。 もちろん、私の今までの経験と統計を基にした独断と偏見の見解ですから、必ずしも正しいというわけではありません。 ので、これから先のアップも拙ブログをご覧の皆様のモノゴトを考えるひとつの参考とされてみて下さい。

 ケイシー・リーディングやE.W.ブリンガーの見解から読み解くに、B.C.約13119年から始まった “占星学(Astrology)” という魂の進化・鍛錬システム。 このシステムそのものを創造されたアミリウス自らがその中に飛び込まれた時、現在世界に分布する五大民族の中で赤色人種という民族を選ばれました。

 コレは、20万年以上に渡る、地球上で最も高度な文明を築いたアトランティス人に顕著に現れていた特性だったようです。 では、なぜ五大民族の中で赤色人種がこれ程までに突出して進化した文明を築くことが出来たのか?

 その答えはケイシー・リーディングの述べる民族特性にありました。 前回からの引用になりますが、

 Q) There was no original projection in upper India?
(A) This was a portion rather of the white and the yellow as represented. Let these represent the attributes of the physical, or the senses and what forms they take, rather than calling them white, black, yellow, red and green, etc. What do they signify in the SENSING? Sight, vision - white. Feeling - red. Black - gratifying of appetites in the senses. Yellow - mingling in the hearing. What is the law of the peoples that these represent? Their basic thoughts run to those elements!

 上記にありますように、【Red(赤色人種)-Feeling(感受性)】と、宇宙からの微細な波動をキャッチするのに優れた特性を持っていたからのようです。

 ひふみ神示にありますように、高度な霊ほど微細・繊細な波動(サイン)を送るようで、TVやネットなんかに出てくるようなドタバタしたり、奇跡的なことを起こすような霊は、例外なく下級霊のようです。 高度になるほど日々の出来事の中に、分るか分らないかぐらいの微妙なサインを送るということです。

 ひとつ抜粋してみたいと思います。

【ひふみ神示 〔春の巻・第五十四帖〕】

 見える幸福には限りがあり、見へぬ幸福は永遠であるぞ。 理にいそしめ。 理にとけ入れよ。 モノは無くなるぞ。 霊は永遠に弥栄えるぞ。 毎日々々掃除してもホコリはたまる。 絶えず心の掃除よいか。 洗濯よいか。 目に見えず、上、下、左、右、前後から何となくせまつてくるものをサニワせよ。 サニワして受けいれねばならん。 自分の魂をはぐくみ、生長さしてくれる大切なものは目に見へんところから流れてくるぞ。 和せよ。 調和せよ。 調和とは、上から、より清い所から流れて来るものに従ふことぞ。 いよいよが一四一四となるぞ。 雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、大地震の神。

 

  上記抜粋の帖は、思考(イメージ)の現実化(物質化)に関するものや根源的な霊の法則、そして本題である宇宙のより高度な霊からの直接のメッセージをつかまえる、と言いますか、見抜くといいますか、感じとるやりかたが述べられています。 あと、今回の震災に関係しているのかどうかは分りませんが、、一番最後に “地震の神” に加えて “大地震の神” と述べられています。 なぜ地震に関してのみ二つの神を挙げているのか興味があります。

 えーあまり脱線してもナンですので本題に戻しまして、このようにひふみ神示にも個々の魂を進化させる大切なモノは、誰でも判るような現象としてではなく、“ナンとなく”  というような微妙な、その人の目の前に現れる事象に現れるようです。

 つまり、赤色人種のアトランティス人というのは、この “ナンとなく” の微細な波動を感受するのに最も優れた民族だったわけです。 故に地球上で最も優れた高度の科学文明を築くことになったのです。

 しかし、この世に物質化したもので腐ら(崩壊)ないモノは何ひとつない。 三日天下も栄枯盛衰なら、時間が長いだけで20万年も栄枯盛衰。 最後は、その総ての大陸が、海の底に浄化のために沈められて行ったようです。 

 如何なモンでしょう?

 あくまで私の独学からの分析ですが、私自身の内奥ではけっこう腑に落ちる答えだと思っています。 ですが、また “何か” 来たら、拘ることなく変えていくと思います。

 「進化とは変化である。」 

 とはケイシー・リーディングの格言ですが、では 「変化とは何ぞや?」 という疑問に対してケイシーは、

 「変化(Change)とは、内奥から湧き起こる衝動に(判断(サニワ)して)従うことである」 

 と述べています。 

 禅問答のような回答かも知れませんが、私は反発することなく受け入れています。 そして、その “変化” を起こさすのに最も適した数が “5・Five” 。 地球上における第四根源人種である、私たちアダム型五大民族の形成にはコレが用いられています。

 そして、この第四根源人種の時代も過渡期と申しますか、移行期に入ったのが西暦2000年から。 ヒットラー預言から読み解きますと、西暦2039年までには第五根源人種への移行が完了するようです。

 ですが、こちらに関しては、私もどういった形なのかは全く想像もつきませんが、ただ、どうも今回の東北大震災と原発事故が大きく関係しているように思えてなりません。 ひふみ神示の第五根源人種に関係すると思われる帖には、『半霊半物質の放射能にもビクともしない肉体』 と述べられているからです。 

 そして、ケイシー・リーディングや神智学、そしてヒットラー預言等にも同様のニュアンスの見解が述べられています。 半霊半物質、つまり肉体(Flesh)とエーテル(Ether)体の中間体への移行。

 この辺までが、私の分析力、想像力では限界の答えです。

 ですが今回、原点に帰ってみて改めて思ったのが、ひふみ神示って数秘学そのものだったんだーなということでしょうか。  “数字” そのものに洋の東西は関係しない。 いえ、ある意味、宇宙そのもののレベルで関係しないと思います。 

 だからあそこまでケイシー・リーディングの述べる数秘学と大森先生の解読された易の基数展開やひふみ神示の述べる数秘学は一致していると思います。 多少の異なる角度からの違いはありますが。

 続く…


コレも引き寄せの法則?

2011-08-19 19:44:36 | つぶやき

 本日も疲れたのでショートネタにて失礼します。 

 そういえば、前回の沖縄での車に関するネタでもう一つ思い出しました。

 とある5月の快晴の日、スバルのサンバー君を修理している時、向こうからちょっと小太りの人が歩いて来るのが見えました。 「なんだろう?」 と思っていたら、いきなりカメラを向けて、

『あのー、すいません。 お時間ちょっとよろしいですか? 私、NHKの者ですが、すこし取材をさせてもらっていいですか?』

「はー、いいですけど」

『暑い下、精がでますねー。 車の修理をなさっているのですか?』

「えーまー。 今回の震災で横浜の方から引っ越して来たのですが、こちらの友人から足代わりに車を貰ったのですが、タダですから、この状態です。 豪雨の前に修理しないと雨漏りがひどくって。」

『あ、地元の方ではないですか。 今、国頭村の方の取材でしたから、どうも失礼しました。』

 

 と言って、去って行かれました。

 特にどうとゆーことのないネタなんですが、実はこの車を下さった方というのが元NHKのアナウンサーだった方なんです。 もしかしたら、波長の法則からNHK同士の引き寄せの法則で、このカメラマン兼取材記者の方はこの車に引き寄せられたのかも知れません。

 と、まーどうでもいいネタなんですが、今日も芝刈りで疲れたのでカルめのアップにて失礼します。

 最後にもうひとつ、現在の芝刈りの相棒はHONDAです。 

 おやすみーなさい♪