易の理論をベースとして、熊崎健翁によって確立された姓名学と西洋の哲学をベースとしたカバラ数秘学を比較・検討しながら研究していると、時折思わず唸るような一致を観る時があります。
今回訪れた沖縄では、「太陽(Sun)」 のコトを方言で 『てぃだ』 と言うようです。 実はとある知人の娘さんの名前がこの 「てぃだ」 だったのですが、どうですか?という相談を受けたコトがあったのです。 画数の算出に関しては何も難しくありませんでした。
【てぃだ】=10画 で、カタカナ【ティダ】にしても同じく10画です。
この10画というのは基本的な意味は
【十画】:大凶の運数で、短命な人、非業の死を遂げる人、長生きしても妻子と別離する人、幼にして親を失う人、無気力不如意な人、貧困で遭難に遭う人、不慮の災禍を蒙る人、病弱な人、罪人などに、この数が多く見られる。
といった感じで、全部で八十一ある姓名数の五大凶数の一つに数えられます。 私の統計では、上記述ほど悲惨な傾向は見られませんが、家族縁が薄かったり、それまで築いた仕事や人間関係がゼロに戻ったりする傾向が強い印象がある数です。
で、相談を受けた時、その事を柔らかく伝えたのですが、それから約5年して改名されました。 先日沖縄行った時に娘さんともお逢いして来ました。 結婚はしていないのに、今まで約50人以上の子供の名付け親になっています。 実に不思議な感覚です。
まーそれはともかく、先日帰国する飛行機の中で突然直感が降りてきたのです。 それは何かと申しますと、「ティダ」 も 「てぃだ」 も10画なのですが、コレをカバラ数秘学で読み解きますと、
10=1+0=1
カバラ数秘学で “1(One)” という数は ”太陽(Sun)” を現すのです。
つまり、西洋と東洋の数秘学がピタリと一致したのです。 こういった時というのは、長年に渡り数秘学を研究している私も思わず唸るコトがあります。 この純粋なビックリが更なる研究に導いてくれます。
そう、ところで、今まで姓名学というモノを取り扱ってきて感じるのが、姓名学者というのはあくまで道を指し示したりするアドバイザーであって、その道を歩むのは本人だという事です。 当たり前といえば当たり前なのですが、姓名学で運命が好転するとそれを姓名学者の力だと勘違いする方も多いのです。
姓名学者とは、車のチューナー(改造整備士)に近い存在かも知れません。 チューニングとはもともとピアノ等の楽器の調律であって、全体の音のバランスを取るのを意味しています。 車のチューニングも同様で、結局はバランス取りです。 姓名学もこれと同じで、車をキチンと整備してオーナーに渡し、道を指し示す。
人によっては、ベンツやレクサス何かの高級セダンもあるし、ポルシェ、フェラーリ、GT‐R等のスポーツカーもあるし、軽トラもあるし、東南アジアにあるようなオンボロ車もあります。 道に関しても高速道路もあるし、東京のような渋滞路もあるし、田舎道の農道もあるし、オフロード等もあります。
確かに、ポルシェやベンツなんかは舗装された道路ではその力をフルに発揮しますが、一転して雨のぬかるんだ東南アジアの農道とかではオフロード車に全く歯が立ちませんん。 それに、新車のポルシェやベンツで高速道路を走っていても、警察に捕まることもあるし、事故ももらい事故とかもありますから、必ず高性能高級車が勝ワケでもありません。 軽自動車でも地道に法定速度で走っていたら早く目的地へ着くケースもあります。
姓名学もそれと同様です。 いい名前が必ずしも成功をもたらす、楽をもたらすワケではありません。 あくまで方向性であって、その車を運転し、道を選択するもは運転者本人です。 そこを勘違いしないでもらいたいのです。
だからといってその成功等が総て本人の実力かと言いますとそれもまたNGです。 成功はChannelであって力は “他” から入って、流れ出た ”結果” に過ぎないということです。
これがこれからの水瓶座の時代を考える上で重要な考え方となると思っています。
早いもので昨年の311東北大震災から1年が過ぎ、運命の2012年も3ヶ月が過ぎようとしています。 ですが、インド占星学を研究している人の間では、2012年という年は特に何も特殊な流れとかはないよです。
私も何も起こらないと思っています。 もし何か予測の付かないようなコトが起こるとしたら、2014年の方が確率が高そうです。
う、もうチョイ書こうかと思いましたが、そろそろ眠くなってきたので、本日の呟きはコレにて失礼します。
オヤスミなさいZz…