人生何でもあり!

日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

数秘学について(174)

2012-02-15 21:00:35 | 占星学・数秘学

 さて、本題に入りたいと思います。

 今までの人生に於いて西洋暦に基づく一週間(日→月→火→水→木→金→土)の配列の意味とか、時タマ思い浮かんだことはあっても、そこまで深く考えた事はありませんでした。 まー頭のいい誰かが考えたんだろう、ぐらいにしか考えていませんでした。

 前回も書きましたが、私がこの問題を考えされられたキッカケとゆーのは、私のアメリカの占星学の先生が、私が日本に帰る直前に購入するようにアドバイスしてくれた 『The Perfect Horoscope』 の中の奇妙な図に強く興味を惹かれたからです。

  

 『何なんだこの図は? まったく意味が解らん』

 とゆーのがいちばん最初の感想でした。 この時は、警備員の派遣やりながら、通勤時間の平均往復2時間ぐらいの電車の中や、休憩時間、桜木町のスタバ等で、占星学の他にも姓名学、ケイシー・リーディングそのもの、正食医学、カメラ等の研究があったので、これ一つに集中して考えていたワケではありませんでした。 気になったら考え、やっぱり解らずまたしばらく放ったらかし、の状態を約一年以上繰り返し続けていました。 

 それでもやはりずっと気になっていたのは、300ページ近い英文だけの本に、上記の図も含めてたった3つぐらいしか図がなかったからです。 その中でどうしても載せなくてはならなかったぐらい重要なイラストなんだろう、それだけは何となく感じていました。

 そして、”素読百篇意自ずから通ず” の格言どおりかどうかは分かりませんが、ある日のある時、脳に電撃が走り抜けるように “直感” と思えるモノが降りて来たのです。

 「あ! そうだ! コレは○○○の×××について述べられているんだ。 だから一番下の六芒星(ダビデの星)のSundayとMondayのとこに二つの天体が配列されているんだ!」

 と、突然ヒラめいたのです。

 

 さて、いつも申していることですが、以下に述べる見解は、英語の問題も含めて私ひとりで考え抜いたモノですので、必ずしも正しいワケではありません。 そのおつもりでお読み下さい。 何かの参考程度にとどめて於いて下さい。

 この問題でいちばん引っ掛かっていたのが、六芒星のいちばん下の位置に、太陽系でも地球に最も深く関係する主要な二つの天体が配置されていたことです。 これらの重要な天体を一週間の7日間というサイクルに、強引に六芒星を充てているようで不自然さを感じてたのです。

 もしかしてこの占星学の問題も含めた一週間の配列を、神秘的に魅せたいがために、ユダヤの秘法であるカバラに絡めたいんだろうか? そのために中央に六芒星を配置したのだろうか? と最初の頃は考えたりもしました。

 しかし、この本を辞書引きだらけにしながら、それでもほとんど意味が解らず、推測も絡め、試行錯誤しながら読んでいくうちに、作者である John Willner 氏が論理的、知性的な方だと分かるようになり、そんな人物がそんなテキトーな事をするはずがない、そこには何か深い意味があるはず・・・、と考えるようになりました。

 そして、考えては棚上げ、考えては棚上げ、の日々が繰り返されました。 他にも色々とやっていたので、これひとつに傾注してる時間もありませんでした。 生活費を稼ぐための仕事の問題もありましたし、この時期は友人・知人等との人間関係の問題もありました。  今振り返って、その中でよくこんな問題を考え続けたモンだなーと実感します。

 と、もうチョイ書くつもりでしたが、これからディープな領域の占星学の研究がありますので、本日はコレにて失礼します。

 続く・・・

 Good Night☆彡

 


数秘学について(173)

2012-02-12 16:52:11 | 占星学・数秘学

 では、なぜ一週間は7日間で 

“日(Sunday)・月(Monday)・火(Thrusday)・水(Wednesday)・木)Tuesday)・金(Friday)・土(Saturday)” 

 の配列なのか?について個人的見解をアップしてみたいと思います。 いつものマニアックな視点からの独断と偏見に満ちた見解ですので、そのおつもりでお読み下さい。 英文解釈の問題も含めて正しいワケではありません。

 私もこの問題(一週間の配列)は、今まで疑問に思いつつも特に深く考えてみる事をしたことはありませんでした。 考えたからといってお金や資格になるワケでもありませんし、実生活に特に不自由があるワケでもなかったからです。

 しかし、ナゼこの問題(一週間の配列)を考えてみようとしたかと言いますと、それは私が現在占星学の研究に使っている 『The Perfect Horoscope』 の中にこの図があったからです。↓

 

 この不可思議な図、とあるいちページにあったのですが、不可思議な図というのもあったのですが、この全部英文で300ページに及ぶ本文の中にこの手の図はほんの3つぐらいしかないのです。 あとは私にとっては頭の痛い英文だらけです。 今でも内容の2割も理解していないと思います。 

 いくらやっても前に進まない、まるで川の逆流を上っているような感覚に、自分の英語力の無さに腹が立ちもしますが、しかし、今までの人生経験から出来ない自分に腹を立てても前には進まない。 ”今” を土台として理想に向かう、のが “今” 手にあるモノを最大限に使うのが人生の正しい進み方と肚で教えられましたから、身罷るその瞬間までやり続けるのみ。 出来ないことを人と較べても意味ナシ。

 コレも理想に向けて貫き通すための一つの課題と思えばなんてことはない。 出来ないことをバネにして精神的な高みを目指す修行と考えれば全く問題なし。 それよりもいちばんコワイ病は傲慢だからです。 私はもともとスグに慢心し易い性格ですから、コレで良いのです。 最近は、人生の総てが絶妙にセットされているとすら思えます。

 英語が出来る人からしたら、よくバカにもされますよ。 2年もアメリカに行って、努力してもこの程度?と言われることもあります。 しかし、これすらも怒りのエサにして更に高みを目指しています。 私は昔っから、褒められるよりも、コケにされたり、バカにされた方が怒りのパワーが出るのです。 火星の副腎が萌え上がる・・・、じゃなくって燃え上がるのを感じます。

 「お前らみとけよ! いずれウサギと亀のレースの故事を身をもって教えてやるぜ!」

 と。 (注:ですけど、努力するウサギさんには勝てませんが)

 まーそれはともかく、本題に戻したいと思います。

 私がこの図に強く惹かれたのは、300ページ中たった3つぐらいしかない図だったというのもあるのですが、この配列の不可思議さでした。 

 まん中にダビデの星があり、その周りに原始7惑星が配置され、その周りに円があり、さらにその天体の位置に符合する一週間の曜日が配列されているのです。

 何なんだ? この図は? ダビデの星の頂点は6つなのに、星は7つ。 ミスプリなの?

 と考えました。

 しかし、一年以上は英語の問題も含めさっぱり解りませんでした。 

 つづく…

注):下の写真は2002年にエジプトとイスラエルに行った時のモノです。 構図等に稚拙さもあるのですが、全部CONTAX T-2という短焦点カメラで撮ったものです。 Carl-Zeiss T*F2.8 38mm というレンズ特性故に撮れる構図にかなりの制約を受けました。 

この時の経験から次の2004年のエジプト・イスラエル放浪の時にはズームカメラのCONTAX N-1を持って行きました。 こちらはCarl-Zeiss T*F3.5-4.5  24-85mm でした。 300mmクラスのズームを買う金がなく仕方なしにコレ一本で行きましたが、まー短焦点のT-2よりは遥かにマシでしたが、それでも構図に結構ストレスを感じました。 

海外行ったらやっぱり広角と望遠の二本は要るなーとつくづく感じました。 まー最近はコンパクトも結構レベル高いので今度行く時はN-1、T-2と中級ぐらいのコンパクトデジカメで行こうと考えています。

もし一眼デジカメ買うならやっぱりキャノンでしょうかね。 レンズラインナップが豊富ですから。 でも買う金ないですけど。 

 以上本日のつぶやきでした。

 


数秘学について(172)

2012-02-08 19:42:12 | 占星学・数秘学

 『丁寧に忍耐強く』

 という目標を掲げるとそれに見合う経験が覿面に降りてきますね。 面白いモンです。 こちらも今回の残りの人生を貫き通した理想のひとつなので日々戒めながら進みたいと思います。 「日々少しづつ悪い癖を直すのが天国への近道」 とはひふみ神示の訓戒。 

 一般大衆メディアやネットを眺めていると、いよいよ日本崩壊のシナリオが顕在化して来つつありますね。 運命の2012年から向こう3年間、果たしてどこまで落とされるのが神の経綸なのか、後の世の教訓のため傍観させてもらいたいと思います。 

 

 ところで一週間はナゼ7日間で、その配列は【日・月・火・水・木・金・土】なのか? について見解を述べる前に、”7(Seven)” という数を個人的に解析してみました。 あくまで私の個人的見解なのでそのおつもりでお読み下さい。

 カバラ数秘学をベースとするケイシー・リーディングの見解では、“7(Seven)” という数は「極端と霊能力」を暗示するようです。 これはナゼなのか?

 ひとつヒントになったのが、”7” という数は “5” という Active Number(活動的な数)と “2” という人間の精神に影響を及ぼす数が組み合わさったモノのようです。 さらに、”5(Five)” という数は “3(Three)” 陰陽合一の数とまたもや ”2” という数が組み合わさったモノのようです。

 つまり、この7という数には 2という人間の精神面に影響を及ぼす数が3つも隠されているようなのです。 故に、霊能力に影響を及ぼし、また “極端” というのは、おそらく ”5” という活動的な数に “2” という、その個人が持つ精神面の強さに大きく影響を受ける数が組み合わさっているが故に、その活動性がその人の精神力によって大きく左右されるから、物事が極端に出易いのではないだろうか?と考えたのです。 

 私自身説明していて解り難い解釈だとは思いますが、秘教的な分野はコトバでは説明し難い部分があります。

 ところで、この “2” という数と ”5” というActive Numberを用いたモノで、最もメジャーなモノは中国の 「陰陽五行説」 です。 私もマクロバイオティクスを徹底して研究しているときにはこの陰陽五行説をかなり研究しました。 この哲学が理解出来ないことにはマクロバイオティクスの真髄を理解することは出来なかったからです。 

 ととと、ですが今回はこの話にはあまり深く立ち入らず話を戻しまして、陰陽五行説というのは、陰と陽という二つの数と五行(木・火・土・金・水)という、易(常に留まらず移り変わるもの・Mutable)と不易(宇宙の絶対不変の法則・Immutable)の法則を織り交ぜた、この世に現れている現象を観て、未来を見通すツールではないのだろうか?と解釈しました。

 つまり、陰陽五行=陰陽(2)+五行(5)=7 という要素も含まれているのではないだろうか?と考えたのです。 

 そちらに関して少しばかりひふみ神示より抜粋してみたいと思います。

【ひふみ神示 〔扶桑之巻・第十四帖〕】

 青海原青垣山の内に(宇宙)に御子生る。 神の御座のまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億の化仏ぢやと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ、今迄は四の活物と知らせてありたが、岩戸がひらけて、5の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。

 

 とありますように、“5” という数は、ケイシーの述べる占星学では知性を司る水星(Mercury)またの名をヘルメス・トリ・メギストス(Hermes)。 そしてその起源を更に辿って行けば、アダム、イエス・キリスト、そして宇宙創造神であるAmiliusに辿り着く数のようです。

 つまり、上の赤の部分にありますように、「五が天の光であるぞ」 でと述べられている部分が、決していい加減な駄法螺などではなく、キチンと理論に基づいた記述であることが分析されます。

 そして、前回もアップしましたように、数というのは千だろうと万だろうと億だろうと、圧縮していけばその本質が現れて来る事に関しても上記に記されています。

 例えば、500 だろうと 5000 だろうと 50,000,000 だろうと、結局は “5” に帰結される。

 その事が記されているような気がします。

 もちろん上記の見解に関しては私が個人的に考えたモノですから、ひとつの参考に留めて下さい。 決して正しいワケではありません。

 とゆーところで、 つづく・・・

 


数秘学について(172)

2012-02-06 07:11:59 | 占星学・数秘学

 『迷っている時はやめる、もしくは行かない。 確信がある時は誰から何と言われようと進む!』

 私が今進んでいる傍から見て無謀だと思われる道も、私には確信が居座っているのです。 一片の迷いのない理屈のない確信があったからこそ、私には不可能と思われるような難しい研究が、東京での崖っぷちを歩むような派遣をやりながらの独学研究を続けさせることができたのです。

 もう少し突っ込んで書くなら、内奥から湧き起こり続け理屈のない衝動。 これが通勤の満員電車内や派遣の短い休憩時間の合間での研究を続けされてくれました。 コレなしには続けることは不可能だったでしょう。 

 『迷いがある時は行かない。 だけど、幾度も内省(瞑想)して “確信” が居座っているなら人から何と言われようと己の信じた道を進め!』

 私の短い人生で得たひとつの人生教訓です。

 裏を返せば、内奥から湧き上がる “確信” のない無謀な挑戦や計画は、やはり長続きしないし、失敗する確率が高いも言えるかも知れません。 真念に基づく結果をもたらすには招き降ろす忍耐力がセットになります。 

 さて前回、この世の根源的な罪とは “我(Self)” であると書きましたが、もう一つ “魂の悪” とでも呼べるモノを「ヘルメス文書」より採り上げてみたいと思います。

【ヘルメス文書 〔ヘルメス選集Ⅹ・8〕】

 これが魂にとっての究極的栄光である。 しかし、人間のうちに入った魂が悪のままでいるなら、不死を味わうことも善に与ることもなく、爬虫動物への道を逆行する。 これが悪しき魂の裁きである。

さて、魂の悪とは無知である。 と言うのも、魂が存在するものの何一つも、その本性も、善も認識しないなら、盲目であり、身体の情欲に翻弄され、不幸な魂は、自己に無知であるために、(自己にとって)異質な、卑しい身体に隷従し、重荷のように身体を担っている。 だから不幸な魂は、支配するのではなく、支配されるのだ。 これが魂の悪である。

 上記にありますように、 魂の ”悪” と呼べるモノは “無知(Ignorance)” である、と断定的に述べられています。 世間一般の考え方では、「まー知らなかったのなら仕方ない」 という考え方が普通だと思います。 しかし、このヘルメス文書に記されている宇宙の法則では、それは通らない事が読み取れます。 

 「知らなかったじゃー済まされない。」

 かなり厳しい見解ですが、それはケイシー・リーディングの述べる膨大な輪廻転生のデータを研究していても解ることです。 知らずに様々な罪を犯した魂が、後の世に生まれ変わってきて、その犯した罪と同等の贖罪を経験させられる。 一分一厘まで払わされる。

 もちろん、知っててやるよりもその罪は軽いのでしょうが、しかし、その行為の意図と同等の経験を一厘残らず払わされる、それが宇宙の絶対法則である輪廻転生の法則の厳しさです。 

 ”知らなかったんだ・・・” 

 じゃー済まされない。

 この考え方に反感を感じる方も多いとは思います。 しかし、いくら怒っても、泣いても、喚いてもその法則は絶対不変です。 絶対に変わらないモノに怒っても楯突いても無意味なのです。 労力のムダ。

 だから、絶対不変の宇宙の法則を学ぶということは、地球三次元世界で生きる上で必要な智慧なのです。 勝てもしないものにいくら立ち向かっても無意味。 その法則性を知って己の人生に適用する。 コレが賢者の生き方。

 ですが、ここでちょっと引っかかったのが ”爬虫動物への逆行する。 これが悪しき魂の裁きである” という部分です。 この “爬虫類人類” ネタは数々のインターネットにある陰謀系情報にもありますし、「エメラルド・タブレット」 にもハッキリと記されています。 爬虫類人種(レプテリアン)が地球世界を支配していた時期があった、と。

  ま、こちらの情報に関しては、一般の常識に安住していたい方は知らない方が幸せだと思うので、本題に入りたいと思います。

 

 ところで、最近の私は仕事別として、プライベートでは人のゆーコトにはほとんど耳を傾けません。 自分の内奥から湧き出てくる声に耳を傾け、サニワして行動しているだけです。 

 私の人生の場合、今まで人の言うこと聞いて結果が良かった試しはほとんどありません。 もちろん自分の衝動に導かれるがままに行動して失敗したコトも数知れずですが、ですが、それだと納得するんですよね、自分の判断の結果だ、と。 人に言われて行動して失敗したら、必ず少なからず人の責任にしてしまう想いが生じてしまいます。

 確かにこの考え方も一面ではワンマン・頑固と取れるかもしれませんが、しかし、自己責任の考えがあればそれで良いと思っています。 自分の取った行動に対して人のせいにしない。 自分の考えで行動して、その結果に責任を取る。 単純なコトです。

 故に、一匹野良犬がいちばん症に合っています。 昔っから組織や集団で群れて行動するのは大っキライです。 学生の時は、集団行動で必ずひとりで行動して注意された経験を思い出します。

 本題に入ろうかと思いましたが、ちょっと調べなくてはならない事がありますので、本日はこれにて失礼します。

 オヤスミなさいZz…


数秘学について(171)〔副題:今日もオレはひとりつぶやくのさ☆彡〕

2012-02-05 08:33:03 | 占星学・数秘学

 さてさて、テキトーに前回からの続きと思われるモノを書き連ねてみたいと思います。 あー自由人♫

 前回、7(Seven)という数は、5(Five)という数と2(Two)という数を組み合わせたモノ(7=5+2)であると書きました。 更に分析しますと、5(Five)という数は、3(Three)という陰陽合一の数と2(Two)という分裂・精神を意味する数を組み合わせた数(5=3+2)であると。

 いろいろと飛びますが、”7・七” という数は易をベースとした姓名学の基数では 「本能・小脳・直感・我」 を意味するようです。 統計を取っていても、この数を持っている人は確かにその人独自のオリジナルな才能と我が同居しているのを感じます。 ココというトコは自分のやり方や主を絶対に変えようとしません。

 まー他との数のバランスもありますが、 私のように長年に渡って姓名学を研究していると、そういう人のそういった性行を見ていると 「あー本能(7画)が反発しているんだなー」 と感じます。 

 ここでその7(seven・七・Ⅶ)という数に関してひふみ神示より興味深い帖を採り上げてみたいと思います。 よく見かけるなんてことはない、ありふれた訓戒のようですが、じつはここにこそ、私たち人類全体の進化を簡潔に訓戒えてくれている重要な帖でもあります。

 

【ひふみ神示 〔春の巻・第十二帖〕】

 無くて七癖、七七四十九癖、悪い癖直して下されよ。 天国へ行く鍵ぞ。 直せば直しただけ外へひびくものが、かわつて来るぞ。 よくなつてくるぞ。 かわつて来れば、外からくるもの、自分に来るもの、かわつてくるぞ。 よくなつてくるぞ。 幸となるぞ。 よろこび満ち満つぞ。 神みちみちて天国じや。 一升桝もつてきて一斗入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。 大き桝もつて来い。 頂くには頂くだけの資格がいるぞ。 一歩づつ進め。 一歩づつ絶えず進めよ。 それより他に道はないのじや

 

 私がメインに研究しているひふみ神示やケイシー・リーディングは、人間の世界には様々な ”悪” と呼べるモノが蔓延しているが、しかし、それらはひとつの源泉から生じてきていると述べています。 それは “何か“ と申しますと、“我(Self)” です。 これが人類の根源的罪であるとハッキリと述べられています。

 殺人や略奪、金融問題、交通事故、エロ、そして戦争などにしても、所詮はソレ(我・Self)の派生に過ぎない、と。 ソレ(内奥なる我)に気づいて日々少しづつ、少しづつ直して行くのが天国への一番の近道であり、人類全体の進化の鍵である、と。 

 それはサルをベースに内分泌腺を使って進化させた動物としての人間の本能(7)ではあるが、しかし、人間には思考・熟慮する大脳(8)というモノがあり、それらのバランスにより日々一歩一歩進化できる可能性がある。

 その事は姓名学が的確に読み解いています。

 マクロバイオティクスを用いて姓名学を分析された大森英桜先生によりますと、「智慧ある人間を顕す最大の好運数」である15画の数意は 「十五=七+八」 と分解・分析できるようですが、先程書きましたように、”七” は本能・小脳で、“八” は思考・大脳を顕す。

 つまり、本能・我(その個人が進みたい方向性)をそのまま野放しにしないで、大脳(思考・論理等)でバランス良くコントロールし忍耐強く一歩一歩確実に進むことにより、最大の好運・幸運が降りて(現実化)くる。

 そして更に、この “15” という数をカバラ数秘学で分析しますと、「15=1+5=6」 とゆーことで、愛と美と調和・平和を顕す金星(Venus)が顕れてきます。 しかしその “6” という奇数・偶数がバランスした数意には、幸運も己のためのモノとなるなら悪魔王サタン、またの名を堕天使ルシファーとしての側面も隠されているということが記されています。

 こういったように、いくら表面上、数というモノが増え(増加・分裂)ているように見えようとも、その顕れてきた数に隠された秘密の本質が、カバラ数秘学の基数圧縮により表に顕れてきます。 その事はカバラ数秘学を用いた誕生数・霊数に顕著に表れています。

 例えば、1969年2月6日なら、霊数は6、誕生数は全部の数を足し合わせて「1+9+6+9+2+6=33、更に33=3+3=6」 というコトで愛と美と調和の神Venusが顕れてきます。

 さて、この誕生日はだれでしょう? とある男性アーティストで、女性にあったらベストである愛と美の女神Venusが二つも顕れているイケメン歌手・俳優さんは?

 ま、ヒマな方は考えてみて下さい。

 では、本題に戻りましてー、ん?、あまりにも脱線して何が本題だったか忘れてしまいましたが、もうチョイ突っ込んで書こう思いましたが、これから用事があって出かけねばならないので、次回に続き・・・たいと思います。

 気が向いたら今日続きを書こうと思います。

 それでぇあ、失礼します。

 つづく・・・でしょう、たぶん!?


数秘学について(170)〔副題:あー心の赴くままに~♪〕

2012-02-04 18:28:15 | 占星学・数秘学

 さて、どうも本題からハズレて行きつつありますが、どうせテキトー思い付きブログなので、私の今までの人生のようにこのまま流されるがまま書き連ねていこうと思います。

 Ether(エーテル)について調べていたら、Gravitation(重力)に関する情報が出てきて、そして今度はそれに付随する感じで “Positive(積極)” と “Negative(消極)” という相反する二つの要素が出てきました。 では“Positive” とは何で “Negative” とは何なのか?

 少しばかり脱線ついでに抜粋してみたいと思います。

 まず重力とは?とゆー質問に対するケイシー・リーディングの英語での答えです。

【R195‐54】

 What is gravitation? the centalization of vibratory force, ready to be chaged in power by non-activity,see?

 簡単に訳しますと、「重力とはなんぞや? 非活動の状態にある力が、(パワーとして)変化される用意が整っている波動的諸力の収斂である。」  お粗末なホンニャクですので、英語力のある方は自分で噛み砕いてみて下さい。

 さて、次にNegative・Positiveという概念に関するケイシー・リーディングの見解です。

【R195-70】

(Q)-“The positive may be considered as the acitive forces in their activity and the nagative as those tending to keep the balance." Please expand on this and give a better explanation of positive and negative force.

(A)-This (is) as good an explanation as may be given, other than illustrating same; for it is a positive or plain statement as to the coditions as regarding relativity of force; for positive is the active and nagative is passive... The statement we would not expand upon in this instance, for it (the statement) must react with the individual or negative to the statement, and as one responds to same may the activity of the statement be seen.

 うーむ、なんとなく解るようなサッパリ解らんよーなー解説ですが、ポイントは赤の 『for positive is the active and nagative is passive...』 でしょうか。 Positive(積極)はactive(活動)で、Negative(消極)はpassive(受動)。 

 シンプルにかつ簡潔に要点を述べていると思います。 あとは各自が心で汲み取るしかないのでしょう。 所詮言葉で説明、理解できることには限界がありますから。 

 では、次に移りたいと思います。

 現在アップしている数秘学で採り上げている “7(Seven)” とゆー数字ですが、この数字をケイシー・リーディングから読み込んで分解してみますと、 「7=5+2」 という数字が出てくるようです。 これらの数を更に分解しますと、「5=2+3」 とゆー数字が導き出されます。

 ところで、この5(Five)という数は智慧を司る神、水星(Mercury)またの名をヘルメス(Hermes)を意味します。 そして、その基数としての意味に

【Five】・・・a change imminent, ever, in the acitivities of whatever influence with which it may be associated.(R261-14)

【Five】・・・as seen, a change--as may be seen in a comparison of any of the forces outlined.(R5751-1)

【Five】・・・Five being the active number.(R137-119)

 

 この中でもかなり興味深いのが (R261‐14) の “5・Five” に関する記述です。 

 “ a change imminent“ とありますが、直訳すれば 「今にも起こりそうな変化」 となります。 そう、この見解、最初に抜粋した Gravitation(重力) の見解と殆ど同じなのです。 「What is gravitation? the centalization of vibratory force, ready to be chaged in power by non-activity」 

  『a change imminent ≒ ready to be chaged 』

 となると重力(gravitation)=Nega・Posi=水星(Mercury&Hermes)・・・?と考えても良いということでしょうか。

 まー当たっているハズれているというよりも自分で考え出した答えと思われるモノということで、

 次回に続く・・・

 


数秘学について(脱線Ver.です)

2012-02-03 19:23:17 | 占星学・数秘学

 そういえば、今日は節分ですね。 

 豆まきは別に良いとは思うのですが、みなさん騙されているのが豆まきのやり方です。 世間一般では、

 ”福はーうち、鬼はーそとー”

 ですが、それでは、決してホントの幸 “福” なんて来はしません。 

 ”福(幸)も鬼(厄)も離す!”

 コトによってのみ真の仕合わせが、いえ進化(Evolution)・変化(Change)がやってきます。 

 総てを手放す。

 この世は、ただエーテル(Ether)が変化(Change)するのみ! その事に気が付いた人間のみが、これからの天王星支配の水瓶座の時代の地球を受け継ぐ事が出来ます。

 水瓶座といえば思い出すのが、“水(Water)” ですが、今日家の近隣は近年まれにみる寒さ(マイナス10℃ぐらい)から軒並み水道管が破裂していました。 昼前ぐらいに仕事場の野外に設置してある給湯器が破裂したと連絡を受けて、元栓を閉めて帰ったら、今度は前の学校の給湯器が破裂して、気になって家に連絡したら予想通り家の給湯器も破裂していました。

 どうやら、夜間の寒さで凍結していた水道管が、今度は昼の暖かさで膨張して破裂しまくったようです。 今日は市内の水道屋さんはドコもてんやわんやの大忙しだったようです。 ここ数年ここまで冷えた事はなかったようで、みなさん油断していたようです。 私も今まで実家にいて始めての経験でした。

 水の有り難さと恐ろしさの両方を教えられた経験でした。 ですが、東北の人たちの事を思えば小さなカタ出しだと思います。 無くすることはできんが大難を小難に。 ひふみ神示がいつも戒めているコトです。 

 ヨーロッパも今年は大寒波なようですし、金融危機も含めて、果たして運命の2012年、どう展開していくのか興味深く鳥瞰したいモノです。

 そう、もうひとつ思い浮かんだのが、“幸福” って22画の見栄っ張りの内部破綻数なんですよね。 簡単に申しますと、理想主義者で大口は叩くけれども、自分自身の足元が伴わず、表面は豪奢を装うけれども家は借金で火の車、といった感じになります。

 ですが、幾度の失敗にもヘコたれず、忍耐強く理想(Ideal)を現実に引き降ろす事ができる人間にとっては、この数は大吉数とも働きます。 その事はひふみ神示やケイシー・リーディングの述べるカバラ数秘学に述べられています。

 ひふみ神示のいちばん最初の帖は

【ひふみ神示 〔上つ巻・第一帖〕】

 ニニ(ふじ)は晴れたり、日本晴れ。 神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはつきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通うして呉れよ。・・・・・・・

 

【魂の進化】

 神秘的な三対の詩篇、第117篇、第118篇、第119篇を書いたのも、おそらく彼(メルキゼデク)である。 117篇は、詩篇の中でも最も短いものであり、119篇は最も長いものである。 119篇は、おそらくメルキゼデクがアブラハムに与えたと思われる古代ヘブライ語のアルファベット22文字に基づいて、22段から成っている。 22段のそれぞれは、8節からなる。

 この二つの間におさまった118篇を見ると、私たちの目はその第8節と第22節に向けられる。 第8節は人間に信をおくよりも、髪を信じた方が良いと簡潔に説いている。

 みなみに数霊術によれば “22” という数字はキリスト(救世主)を顕す重要な数字である。 また、ヨハネの黙示録は正確に22章404節からなる(404は主要数44に圧縮できる)。

 

~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~ 

 上記にありますように、1000ページ近くあるひふみ神示の冒頭に “二二(ふじ)” という言葉が出てきますし、ケイシー・リーディングの述べる数秘学でも ゛22” という数は、基数の “2” の分裂数に加え、基数圧縮により “22=2+2=4” という 「イメージ(想像)と水」 を司る海王星(Neptune)に帰結します。

 そして、イエス・キリストが私たちと同じ肉体を纏って誕生されたのが紀元前7年で、海王星支配のPisces(魚座・双魚宮)の時代が始まったのが紀元前160年で、その時代の終りは2160年後のAD2000年でした。 そして、西暦2000年から約2160年間に渡り、“今” の意識している私たちの時代である天王星(Uranus)支配の水瓶座(Aquarius)の時代に入っています。 その数は神聖数である “7(Seven)”。

 この寸分違わぬ神の経綸・計画性には、思わず唸らされます。 完璧な計画に基づいて地球の大きな運命は展開してる。 

 ケイシー・リーディングや神智学、そして占星学を研究していると、その事を身をもって教えられます。

 時折、ひとり心の内奥で思わず 「スゴイ!!」 と唸らされます。

 

 本当は昨日の続きを書こうと思いましたが、本日の身近な水道管破裂により、少しばかり脱線した思い付きアップになってしまいました。

 ちょっと忙しので本日はこれにて失礼します。

 それは皆様良い週末を!

 Have a nice Doomes  Day!?

 

 


数秘学について(169)

2012-02-02 19:39:04 | 占星学・数秘学

 易(Mutable)と不易(Immutable)

 その見極めとそれ等の法則にひとヒネりする宇宙の意志。 そして私たちの自由意思との関係。

 それが “今” の私の研究課題となっています。 ドコまで行っても答えは出ない、いえむしろ答えは遠ざかる、言い換えれば成長していくでしょうが、それでも決して終わりのないゴールを目指して私たちは日々進むしかない。

 と、ケツをボリボリ搔きつつ、エロ動画を見つつ考えています。

注:今となっては貴重な大森英桜先生の姓名学講座の光景です。この時から私の運命は大きく動き出しました。

 さて本日もカルく呟いたところで、本題に入りたいと思います。

 私たちは日々無意識のうちに様々な周期によって支配されています。

 その中でも最も身近にあるのが “一週間(Week)” ではないでしょうか? まーサーヴィス業の方でしたらあまり土日休みはありませんが、とりあえずは日本の大企業、特に金融関係の企業(銀行、証券会社等)や大部分の公務員が土日休みを基本としていますから、そこを中心に現在の日本の企業は動いていると思います。 

 人にもよりますが、現在の日本のサラリーマン的な感覚で仕事をしていたら、土日で休みボケしつつ、まず気だるい月曜日から始まって、水曜日あたりでちょっと疲れてきて 「早く土曜日が来んかなー」 と思いつつ、なんとか金曜まで頑張って、やっと土日休み・・・という感覚ぐらいで、一週間のサイクル(周期)が繰り返されていないでしょうか?

 では何故、この ”一週間(Week)” という周期は7日間(7Day)で、その配列は

【日(Sunday)→月(Monday)→火(Tuesday)→水(Wednesday)→木(Thursday)→金(Friday)→土(Saturday)】

 になっているのだろう?と考えた事がある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 私は昔は、この手の問題が思い浮かんでもあまり深く考えず 「まー誰かが考えたんだろう」 ぐらいにしか考えていませんでした。 考えたって特に、学校の宿題でもない限り点数になるワケでもありませんし、何か得になるワケでもありません。

 ですから、そういったあまりにも社会の常識として定着している問題が思い浮かんでも、すぐに意識の表層を流れ去って行っていました。 

 ですが、いつの頃からか忘れましたが、この私たちの日常生活の中にあまりにも当たり前に定着しているモノゴトを改めて考えるようになっていました。 

 一ヶ月はなんで12ヶ月間で、1月(January)は31日で、2月(February)は28日(閏年は29日)で、三月は・・・といった、あまりにも私たちの日常生活に当たり前にとけ込んでいる習慣を 「ナゼそうなんだ??」 と考えるようになりました。 

 本当はその手の問題をいちばん考えなくてはならない小・中学生の頃の方が、受験に不向きな記憶力が貧弱でしたから、考える時間も余裕もなく、テキトーに受け流していましたね。

 今の年齢(40歳代)になって、逆にこの手の当たり前の問題をじっくりと考え直すようになったのは、私自身不思議でなりません。 何故なんでしょうね。

 ま、それはともかく、話を本題の方に進めたいと思います。

 が、疲れたので寝ます。

 オヤスミなさい。 

 続く・・・

 


数秘学について(168)・・・だと思います。

2012-01-30 19:35:03 | 占星学・数秘学

 あーチンコがカユイ。Byトノ君

 

 さて、どうでもいい思い付きですが、日本人の節句である “七・五・三” って、ひふみ神示によりますと ”三・五・七” が正しい順番のようです。 ひとつ抜粋してみますと、

 

【ひふみ神示 〔下つ巻・第七帖〕】

 この神示読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、しかし、無理には引っ張って呉れるなよ。 この神は信者集めて喜ぶような神ではないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のようなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。 一二三祝詞するときは、神の息に合はせて宣れよ、神の息に合はすのは三五七・三五七に切って宣れよ。 しまいだけ節長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。 天津祝詞の神ともこの方申すぞ。 七月十九日、十二㋹

 とあります。

 “節句” つまりひとつのモノゴトの節目・変わり目ですが、興味深いことに総て “3と5と7” という奇数です。 まーそこまで深く考える必要もないのでしょうが、数霊を長年にわたり研究している人間としては 「ナゼ?」 と考えないこともありまあせん。

 で、ついでにもう一つひふみ神示より 「3・5・7」 に関して抜粋してみたいと思います。

 

【ひふみ神示 〔黄金の巻・第十三帖〕】

 神示はちつとも違はん。 違ふと思ふことあつたら己の心顧みよ。 その心曇つてゐるのであるぞ。 めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。 めぐりなくなれば神が有難いのぢや。 人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。 神が人間になつて働くのぞ。 判りたか。 新しき神国が生れるまでめぐりばかりがうようよと、昔したことばかり恋しがつてゐるが、そんなこと何時までもつづかんぞ。 三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。 皆仲よう相談し合つて力合せて進め進め。 弥栄えるぞ。 二つに分れるぞ。 三つに分れるぞ。 分れて元に納まる仕組。 結構結構。 理解大切。 理解結構。 思考しなければこれからは何も出来んぞ。 拝み合ふことは理解し合ふことぞ。 手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。 何故に、心の手合せんのぢや。 心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢや。 サトルことぢや。 苦しんで苦しんで苦しみ抜いて得たことは楽に得たことぢや。 その楽に得たことのみ自分の身につくのぢや。 血ぢや。 肉ぢや。 かのととり。 一二十

 

 様々な職業の修行時代によく 「石の上にも3年」 とか使われますが、ひとつの節目となる年数のようです。 私も板前やっていたので上の兄さん(先輩)からも 『どんなに苦しくてもとりあえず三年食らいついてみろ。 辞めるならそれからにしろ』 と言われていました。

 結局、この板前の経験がアメリカの永住権を取るのに役立ち、現在の私の様々な分野のモノの考え方や行動に役立っています。 あのまま渡米せず、日本に居て大森先生からだけ教わっていても、今のような多角的な視点や考え方は決して出来なかったでしょう。

 ところで、『3・5・7』 という数字を総て足し合わせてみますと興味深い数字が導き出されます。

 【357】=3+5+7=15=1+5=6

 と、ゆーことで ”6” という基数が導き出されます。

 で、次にひふみ【123】という数を足し合わせますと、

 【123】=1+2+3=6

 と、ゆーことでこちらも同じく “6” とゆー数が導き出されます。

 そう、この数は数秘学、占星学では “愛と美と平和・調和” の神Venusを意味します。 数秘学を扱う者は、その表面に出てこない、裏に隠された意味を見出さなくては、その本質は理解出来ません。

 それにしてもつくづくひふみ神示とカバラ数秘学の共通項には驚かされます。 そうそう、余談ですが、この15という数は、姓名学でも本能(七)と大脳(八)をバランスさせた智慧ある人間を意味する最大の幸運数であり、また大安定を意味する数でもあります。 

 この事は下の数字の配列に現れています。 

       2  9  4

       7  5  3

       6  1  8

 上・下・左右、斜め、どの角度から足し合わせても ”15” という数になります。 

 私の知人の占星学の先生が言っていましたが、愛と美と調和の女神Venusを意味する “6” になる霊数パターンは3つあり(6、15、24日)、その中でも奇数(1)と奇数(5)の組み合わせである ”15” という数が最もその金星としての権能を発揮する、仰っていました。

  と、いいますのも、奇数が能動的(Positive)、偶数(Negative)が受動的だからです。 この事は、ケイシー・リーディングだけでなく、ひふみ神示にも全く同様の事が述べられています。 奇数こそが本質的なモノだと。

 このように、本質的(神理)なモノゴトを追求していくと、磁石が自ずとある方向を指すようにひとつの方向を指し示してくれます。 

 続く・・・

 

注:JK(じょしこーせー・17歳)誕生日のSibelleちゃん&お母様のGraceさん✩(In Virginia Beach)

 

注:JD(女子大生・19歳)当時のSibelleちゃん&Graceさん★(In原宿)

 

その他エロエロ…、じゃなくってモロモロ☆彡


数秘学について(167)

2012-01-28 12:39:51 | 占星学・数秘学

 本日は、ひじきレンコンニャクと小豆カボチャと塩昆布を作りつつ、写真の処理をしつつ、包丁を研ぎつつ、車を洗いつつ、ブログを書いています。

 先日新車から2回目のオイル交換(約4700km)をしました。 昔バイクに乗っている時はいつも自分で3000km毎にオイル交換していましたが、今は車屋に任せています。 もうそろそろしたらオイル交換も自分でやろうかなーと思っています。 バイクのメンテやっていて思いましたが、やっぱり自分の体を使って身につけた事って多少カンはニブっても残っていますし、他にも応用が利きます。

 でも、これから電気自動車(EV)になるとオイル交換も無くなるのですねー。ラクといえば楽ですが、オイルエンジンを主とした人間としては少しさみしくもあります。  

 そういえば、ケイシー・リーディングの療法ってオイルを用いたモノが多いんですよね。 オイルマッサージを筆頭にヒマシ油パック、原油療法etc...

 ケイシーによりますと、”キリスト” という意味には “油を注がれた人” という意味があるようです。 そしてヒマシ油の別名はパーマ・クリスト〔Palm Chist(キリストの御手)〕といいます。

 さて、思い付きをカルく呟いたところで本題に入りたいと思います。

 現在数秘学のコーナーで ”7(Seven)” という基数について、ケイシー・リーディングをベースにいろいろと思い付きを書き連ねていますが、今度はひふみ神示より “七” という数霊に関して ”Key” となる帖をアップしてみたいと思います。

 こちらは、基数でも更に根本となる数 “一と二” を合わせた “三” という数に関して述べられています。  つまり、根本の原理=ひふみ(一二三)神示、です。

 少し蛇足ですが、ひふみ(一二三)を足し合わせますと、一+二+三=六(6・Six)となり、占星・数秘学では愛と美と調和の神Venus、またの名を堕天使ルシファーとなります。 

 この数(6)は、奇数と偶数の要素をバランス良く含んだ数で、その支配星座の一つであるLibra(天秤座)そのものの意味になります。  

 そう、余談ですが、金星(Venus)は東京とかの大都市部のイルミネーション下で、肉眼で見ることができる数少ない星です。 イルミネーション(Illumination(電飾))といって思い出すのが、ユダヤの秘密結社イルミナティ(Illuminati)。 

 彼らの拝している神は悪魔王サタン、またの名を堕天使ルシファー。 それは人間の欲望渦巻く都市部でもゆいいつ明るい光輝を放つ明けの明星。

 最近、自分の短い人生を振り返ってみても、モノゴトってよく構成されているよなーと感じます。

【ひふみ神示 〔富士=普字の巻・第九帖〕】

 神界は七つに分かれているぞ天つ国三つ、地の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分かれてゐるぞ。 今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世になるのぞ。

 この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のような腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。

 いよいよ地獄の三段目に入るから、そこ覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出てくるのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。 何事も洗濯第一。 八月の十八日、㋹の一二㋹

 

 続く・・・

 下の写真は2002年エジプト・イスラエル放浪の時のものです。 全部フィルムカメラ(contax T-2)でしたから、帰って来て現像してみたら手ブレや露出不足等も沢山あり、構図等の失敗も沢山あります。 がしかし、これらは失敗作も含めて総て私が自分自身で歩いて、見て、現地の人たちと触れ合って撮って来た写真ですから、作品としてよりも私が見てきた世界を見るという視点でご覧ください。

 


数秘学について(166)

2012-01-25 19:56:33 | 占星学・数秘学

 最近の私のブログアップの中心的キーワードは、天王星(Uranus)、7(Seven)、循環(Rotary)&螺旋(Spiral)、水瓶座(Aquarius)、等でしょうか。 

 で、Rotary(循環)と7(Seven)といって思い出すのが、やはりMAZDAのRX-7ですね。 先日、ロータリーエンジンの生産中止が発表されとても残念でしたが、ですが、これだけ燃費や排ガスの問題が厳しくなると仕方がないのでしょう。 企業もいくら面白い、オリジナルなモノを造っても、マーケットで受け入れらなければ滅んでいくしかありませんから。

 ですが、私の中の車史の中で最も印象に残っている車の一台です、セブンは。 機会があれば一回ぐららい所有してみたいと思っていました。 渡米した際に中古のセブンを買おうかなーとも思ったのですが、当時渡米したばかりでただでさえ保険料が高いのに、スポーツ車はさらにバカ高いので止められました。

  普通のカローラ(コンパクトカー)クラスのフルカバードで半年で約1400ドルぐらいもしました。 当時のレートで16万円ぐらいになります。 これで恐らくRX-7クラスののスポーツ車だったら20万円は超えたでしょう。

 ここで少し興味深いのが、“マツダ” って日本語のカタカナ会社名では大凶数の10画と良くないのに、英字では逆に最大の幸運数15画になります。 つまり大凶と大吉という両極端を暗示しているんですよねー。

 あと、日本の主要な自動車会社って、日本語の正式会社名はだいたい大吉数なんですが、英字になるとマツダとは逆に大凶数になる例が多いような気がします。 

 果たしてその主軸はドコで、今後どぉなっていくのか、数霊を扱う者として興味深く観察したいと思います。

 あと、ひふみ神示の予言どおり、この超円高に負けて大部分の日本企業が生産の海外移転を余儀なくされてきています。 今後コレにTPPなんかも加わり、国内の資本主義に基づいた生産業は、農業も含めてボロボロになって行くでしょう。 

 そして今後更に、様々な複合的な要因が合わさり、一時期は第二次世界大戦による敗戦以上のドン底にまで叩き落とされ、そしてそれを耐え凌いで残った人間たちで新しい国が創造される。 表面上はどんなに悲惨に見える状況に叩き落とされようとも、最後には必ず勝つ(復活する)。

 そんなニュアンスが読み取れます。 

 今回の震災で沖縄に移住した私の友人たちは、その事を直感的に理解している数少ない人たちでした。

 今は離れていますが、目指す先(理想)は同じなので、天の時が満ちれば、いつの日かまた協力する日が来ると思います。 

 さて、カルく本日の呟きを述べたところで、本題に入りたいと思います。

 ここで、7(Seven)に関してケイシー・リーディングより抜粋してみますと、 

【7(Seven)】 

〔R5751-1〕:As does SEVEN signify the SPIRITUAL forces, as are seen in all the ritualistic orders of any nature; as seen in the dividing up of conditions, whether they be of the forces in nature or those that react to the sensual forces of man in any character.

〔R281‐1〕:Seven is the spiritual number.

〔R261‐15〕:Seven is the spiritual number

 このように、7(Seven)という数について、各リーディングに共通するキーワードとして 『Spiritual Number(霊的数)』 と述べられています。 もう少し解りやすく書くなら、理論を超えた答えを引き出す ”直感力” に近いニュアンスかも知れません。

 そして、この天王星のもう一つの特徴として “予測の付かない行動” というのがあります。 そう、ここで前回アップした “常に移り変わるモノ(易)” と ”決して変わる事のない宇宙の絶対法則(不易)” の関係が大きく関わってきます。 

 宇宙というモノが誕生してから、思考(イメージ)の現実化(創造)の法則というモノは、今の世まで決して変わる事はない。 そしてまた、思考が現実化(物質化)したモノはいつか必ず崩壊する。 これもまた法則。

 じゃーなんで、どうやってこの法則をイジるのか? 

 もちろんその高度の領域を私如きが言葉で説明できるモノではありませんが、しかし、この事に関してひふみ神示が、比較的解り易く述べていてくれるので、そちらを抜粋してみたいと思います。

【ひふみ神示 〔黄金の巻・第三十帖〕】

 一四三〇一四三〇、改心結構ぞ。 道知るのみでは何にもならん。 道味はへよ、歩めよ、大神の道には正邪ないぞ。 善悪ないぞ。 人の世にうつりて正と見え邪と見えるのぢや。 人の道へうつる時は曇りただけのレンズ通すのぢや。 レンズ通してもの見ると逆立するぞ。 神に善と悪あるやうに人の心にうつるのぢや。 レンズ外せよ。 レンズ外すとは神示読むことぞ。 無き地獄、人が生むぞ。 罪ぞ。 曲ぞ。 今迄は影の守護であつたが岩戸ひらいて表の守護となり、裏表揃うた守護になりたら、まことの守護ぞ。 悪も善も、もう隠れるところ無くなるぞ。 かのととり。 一二十

~~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~~

 コメントしようと思いましたが、疲れたので寝ます。

 読み直すのがキツいので、乱筆乱文にて失礼します。

 オヤスミなさいZz… 

 続く・・・

 

 

 

 


数秘学について(164)

2012-01-23 19:44:42 | 占星学・数秘学

 まーこちらに関しても様々な角度からの見解があるので、必ずしも正しいワケではありませんが、ひとつの考え方として参考とされてみて下さい。

 “7(Seven)” という数は、個人の人生に応用すると次のような現れ方をするようです。

第1期(0~7歳):幼児期

第2期(7~14歳):小児期。個人的な責任感。善悪の意識的な識別が始まる。

第3期(14~21歳):思春期。

第4期(21~28歳):完全な成長の達成。

第5期(28~35歳):発展へ沿った一里塚。

第6期(35~42歳):反作用、変化、危機に特徴付けられる。

第7期(42~49歳):第6期の「危機」の期間の調整が続く。 これは再建、回復、休養の時期。50年目に始まる新しいサイクルのための準備期間。

 と、こんな具合になります。 この “7“ という期間とサイクルの組み合わせで、個々のゆっくりとした進化が行われるようです。

 さて、問題は人間は歳を重ねたからといって必ずしも賢くなれるワケではないということです。 それは日々のTVやネットのニュースをご覧になれば自明の理です。

 じゃー何のためのサイクルなんだ?と言いたくなります。 これじゃー進化のためのサイクルの意味が殆どないじゃないか、と。 日々自分自身と格闘している私もそう思います。 ですが、それをすべて他人のせいにしてしまってはあまりにもカッコ悪い。

 そうスグに出来なくても、少なくとも自分でその原因・理由を考えなくてはならない。 

 で、いくつかケイシーのリーディングをピックアップしてみます。

〔R281-41〕:『だが、解剖学者や精神の想像の所産だと思いたがる人々には見い出せない肉体的な接点がある。 それでも、体内には、チャネルがあり、導管があり、腺があり、生活、動き、思考、存在において行われる各種の働きがあるのは分かっているのだ。

 多くの人々の中では、それらは眠っていて、多くは退化してしまっている。 それは何故か? 使わないし、働かせないからだ! 本能的欲望、放縦等の願望だけが上辺を取り繕ってたり、こういった方面に能力を使い果たしたために、最も偉大な活動のために自分が与えられているそれらの能力を濫用または誤用してしまった人の霊的人生においてそうであるように、それらの器官はただの廃物になるのだ。』

〔R1427‐1〕:『願望を満たしていくうちに、これらは習慣性のものになる。 薬物やアルコールが体に影響を及ぼすやり方で、意志を弱め、そうして霊的真実の現れと欲望の物質的な充足との間の協調を弱めるのだ』

〔R3287‐2〕:『この体は足の不自由な状態に慣れているので、他の習慣を形成することによってその習慣を自分で破るまでは足の不自由な状態を続けるだろう。 習慣を破るのは他の習慣を形成することによってだ。 私たちは皆、これをやっている。 この体もそうだ。 建設的に考えなさい。 それらの障害を体から無くしたければ、建設的でありながら、私たちが示唆したkとおを続けなさい。』

〔R281‐41〕:『悪が根を下ろしている当面の間は、それは、習慣とか傾向とか意図とか呼ばれる作用を構成する。 だから、各人の目的、目標、願望からそれらを排除することが必要だ』

 

 まー他にも採り上げれば色々とありますが、ここでのカギは ”意志力(Will、Intention)” です。 意志力に勝るどんな占星学的アスペクトやカルマの影響も存在しない。 そうリーディングは断言しています。 人間に与えられた自由意思に基づく意志力。 それが個々をどんな世界へ導かれるかを左右します。

 そして、“意志力” を司るのが7つのチャクラのうち甲状腺(Thyroid gland)で、支配している惑星が極端と霊能力を司る天王星(Uranus)で、支配している星座がAquarius(水瓶座・宝瓶宮)、その支配期間がAD2000~AD4160年までです。 

 そうです。

 私たちは ”今” この始まりの真っ只中にいるのです。 故に意志力を意識した意志の強化が求められているのです。 どちらへ向かうかは総て貴方次第。

 しかし、ケイシー・リーディングはこうも述べています。 極端は愛によって中庸に導かれる、と。

 ここで興味深いネタが思い浮かびました。 “愛(あい)” という読みは、言霊学より ”藍(あい)” に通じます。 藍色を司るのは愛と美と調和の神Venus(金星)です。

 こうやって様々な角度からひとつのモノゴトを研究してると、姓名学だけでなく、日本の言霊って本当に面白いなーと思わされます。

 続く・・・

 

 

   

   


我(Self)の“今”を考える

2012-01-22 20:57:56 | 占星学・数秘学

 昨日、包丁を研ぎましたが、中研でやり始めてやっと刃毀れが直ってきました。 やっぱり手抜きはダメですね。 改めて教えられた事件でした。

  残りの人生を賭した理想の一つとして 『総てのモノゴトを忍耐強く、丁寧に繋いでいく』 を掲げていますから、車の運転と同様に日々の魂の進化のツールとしようと思っています。    

 さて本題に入りたいと思います。 

 日々、毎日のメディアでは様々な問題が採り上げられていますが、しかし、ケイシー・リーディングや神智学に共通している人類の根源的 罪(Guilty)、それは 【Self(我)】。

 個々の魂が、個々のモノ(欲望)を求めるようになった。 それが現在の混沌とした世界の現状の原因である、と。 戦争やエネルギー問題、金融危機、民族間・宗教間対立、etc... も所詮はそれらの派生に過ぎない、と。

 では、この “Self” 日本語に訳すと “我” ですが、『我儘・自我が強い・我欲etc...』 基本あまりいい意味はありませんよね。

 そこでこの問題を数秘学の面から読み解いてみようと思い、まずこの “Self” をカバラ数秘学と易の数秘学の両方の角度で分析してみますと、

 ”Self”=1+5+3+6=15=1+5=6 

 で、非常に興味深い事に ”6(Six)” という愛と美と調和の神 “金星(Venus)” に辿り着きます。 この金星(Venus)は、その性質がPositiveに出ますと、『優しさ、愛情、美しいモノに対する鑑賞力、友情、社交性、穏やかな言葉遣い、芸術的才能、気さく、率直、愛される性格、若々しさ、性的魅力etc...』 になり、その性質が反対にNegativeに出ますと、『怠惰な性格、美を悪用したルーズな異性関係、肉欲的、官能的、無頓着等』 になるようです。 

 ですから、言霊学からも “6(Six)” は “Sex” にも照応し、性に対応します。

 そして、次にこれを日本の英字姓名学で分析してみますと、

 【Self=1+2+1+2=6】

 ということで、非常に興味深いことに、偶然か必然か、カバラ数秘学と全く同じ結果(数霊)が導き出されるのです。 こちらの姓名学における意味は、植物に例えられる優しい天啓的・女性的・保守的大吉数です。 16画と共に女の子にあったら良い数の代表的なモノです。

 さて、次にこの ”我” という漢字を易をベースとした熊崎式の姓名学で観て見ますと、【我】:七画の多少頑固な我が強いオリジナルな面もある中吉数、となっています。

 ”我” という漢字と組み合わさったモノとして代表的なものは、

【自我】〔13画〕:アイディア・オリジナル・戦略方面の大吉数。

【個我】〔17画〕:権威・権力・暴力・頑固・意志強固な吉凶混交数。

【我欲】〔18画〕:忍耐つよく堅実にモノゴトを推し進める中吉数。 多少我が強く出やすい面あり。

 ですが、反対に自我欲を超えたより多くの人たちの為に役立つような欲 【大我】になると興味深いことに10画の崩壊数の大凶数になるのです。 上の3つの代表的な【我】は、ネガティヴな意味のわりには吉数なのに対し、反対のポジティヴな意味なのに数霊は大凶数・・・。

 これはナゼ?

 と考えました。 ここで興味深いのが、同じ大凶数である十画の単体漢字に【神・家・株・氣・花・体・旅・鬼】等が並んでいます。 その中でも最も興味深いのが【神】という漢字です。 

 日本人だとこの漢字を使うのは、宗教色が強くなるので忌避ける方もいらっしゃるかも知れませんが、しかし、それでも世界の歴史に名を遺すような偉大な哲学者は、総てこの “神” という、この世を創造された存在を明言しています。 この概念なしに、宇宙の創造と運行は説明が出来ないと。

 それなのに大凶数の十画??

 と考えていたら、その答えはひふみ神示が与えてくれました。 

 どういう事かと申しますと、“十” という漢字は筆勢で見たら2画ですが、しかし、この数霊波動は10画になります。 ですが、この漢字をよくよく観察していますと興味深い面が観得てくるのです。

 それは、“十” の縦棒(|)は天と人間のつながりを暗示し、横棒(一)は個人と他の人、動植物とのつながりを示している、とひふみ神示に記されています。 つまり、“天と地と人” の三才関係を簡潔に表している漢字なのです。

 そして、カバラ数秘学では “10(Ten)” という画数は基数圧縮で 「10=1+0=1」 ということで、崩壊から再び “1(One・Beginning)” に戻ることを暗示しています。 つまり、人間が思考して物質化したエーテル(Ether)が、その生命力(イメージ力)を使い果たして崩壊して、再び元のエーテルに戻って、新しい思考に使われることを示してるのです。

 崩壊のサイクルは新たな始まりを暗示しているというのはこのためなのです。

 現在の日本を代表とする世界の置かれている状況も同じ視点で読み解けます。 原発もそうですし、金融問題・エネルギー問題もそう。 そして宗教・民族間対立も今迄の世の中を形成してきたイメージ(想像)がそのエネルギーを使い果たし、つまり古い価値観が崩壊し、新しいイメージ(想像)で築かれた “何か” が降りて(創造されて)来ているのです。

 しかし、その何かというのは恐らく普通の方では予測できないでしょう。 と言いますのは、AD2000年から始まった天王星支配の水瓶座(Aquarius)の時代は、想像(イメージ)を創造(Creative)するユダヤ賢者でも予測がつかない現実を招き降ろす時代だからです。

 それはケイシー・リーディングや神智学だけでなく、ひふみ神示にも記されています。 天と地の間にレンズがあると思えば理解しやすいと述べられています。 

 では、ナゼそうなるのか?

 それは人間の思い上がりを挫くため。

 人間なんて、所詮は自分の堅実な努力や運で結果が思い通りになっている時に、それ以上の存在なんて考えることはしません。 自分の実力だ、と考えるのが大半です。

 しかし、それまでそのやり方でうまく行っていた方法が突然予測もしない結果が出てくるようになって初めて

 「なぜ・・・? 今までこのやり方でやっていてほとんど間違いがなかったのに・・・」

 と考えるようになるからです。 

 それをこれから2000年以上の長きに渡って人類の大半に繰り返し、繰り返し体験させ身をもって教え込むのが、この天王星支配の水瓶座の役割です。

 コレが私が様々な哲学書や占星学を研究して得た、一つの答えです。 もちろん全部が全部正しいワケではないでしょうが、それでも自分の頭で考え抜いた答えは大切にしたいと思っています。

 それでぇあ、また新たな一週間サイクルを創造して行きましょう。

 オヤスミなさい。 

 


数秘学について(163)

2012-01-22 09:32:03 | 占星学・数秘学

 私たち人間は、基本である一日というサイクルに支配され、更に一週間というもう一つ上のサイクル、更に一ヶ月、一年というサイクルに支配されつつ、日々過ごしています。 その中に各個それぞれの習慣を形成していると思います。

 なかなか身に付かないのが善習(体操、瞑想、勉強etc...)で、なかなか脱する事が出来ないのが悪習(アルコール、甘いもの、ギャンブル、etc...)だと思います。 

 ある意味、人類を循環(Rotary)ではなく、螺旋(Spiral)の進化へ導くのは、極端な天才でも偉大な業績でもなく、日々の小さな善習(霊の果実)の積み重ねであるというニュアンスが、ケイシーのリーディングから読み取れます。

 では、どうすれば悪習を断ち切り、善習へ変えていけるのか?

 そのためには人間という生き物を論理的に識る事が何より大切な事となります。 直感(Intution・右脳)はもちろん重要ですが、しかし、地球三次元に生活している限り、やはりある程度の一般大衆に共通するような論理性(左脳)も大切となります。 要はどちらにも偏らないバランスが肝要となります。 一部のメデイアに洗脳されやすい人は、直感に関する本を読むとスグに 『人間は直感ダー!』 と考える人が出てきますが、

 「極端に走らないこと」

 コレは全ての人類哲学に共通して述べられている、太陽系というひとつのサイクルを終えるための重要な考え方です。 

 ここでひとつ、目には顕著にはみえませんが、個々の人間の内世界に関わる重要な “区切り” という意味での、人間の一生に関するサイクルについて考えてみたいと思います。 以前から書いていますが、”7” という神聖数に関わる数秘学的サイクルです。

 ・一週間の七曜日(日・月・火・水・木・金・土)。

 ・七つのチャクラ(性腺・ライデッヒ集腺・副腎・胸腺・甲状腺・松果腺・脳下垂体)

 ・七色(赤・橙・黄・緑・藍・青・紫)

 ・七音(ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ)

  等ですが、これら身近に存在している “7(Seven)” という数を支配している、より大きな ”7” というサイクルが人体の7年周期です。 同じ “7“ という数字で方向性は同じでも、ある意味、全く異なる数でもあります。

 この考え方は、発生学に通じるモノがあるかも知れません。 同じ方向性なんですけど、別モノ。

 マクロバイオティクスでも、病気を治す際にはこの“何科(動物・植物)” という考え方がカギとなる事が多いです。 人間(サル科)、トラ(ネコ科)、狼(イヌ科)、等に対して、大根(アブラナ科)、ゴボウ(キク科)、etc...

 この考え方はマクロビオティックで蓄積した肉毒を溶かす際、どの種類(科)の肉には、どの科(種類)の野菜がよりその毒を溶かしやすいのか、そしてその量はどれぐらいが最も効果的なのか?という理論に基づいています。

 そこら辺に蔓延る健康食品や健康法のような、売らんもがな商法のように盲滅法にやっているワケではありません。 自分で考え、試してみて、失敗したならまた自分で考える。 ある意味、試行錯誤の毎日になります。 一回、劇的に効いたからといって、それが同じ病気に対して次回も必ずしも効くとは限らないのです。

 一人の独立した自由な人間を創り上げる。 

 それがマクロビオティックの創始者であられた桜沢如一先生がマクロビオティックを広めた目的でした。 まー脱線も沢山あったようですが。

 話を戻しまして、ですが、病気治しとなると、やはりソレを見極めるには大森英桜先生のように長年の経験の蓄積に基づいた直感が肝要となります。 理論に基づかない直感は当てずっぽうという、と仰っていました。 右脳と左脳のバランス。

 しかし、もうこの意味を理解できる人間は殆どいなくなってしまったと、お亡くなりになる前の講義の席で仰っていました。 

 ちょっと脱線してしまったので、次のアップで悪習を断つ方法を考えてみたいと思います。

 あるいみ、昨年の震災もその一つです。 

 日本人が戦後からユダヤ・アメリカ主導で蓄積させられてきた資本主義経済という悪習を断つための。

 続く・・・

 

  

  

 

 


数秘学について(162)(+本日のつぶやきJan/18/'12)

2012-01-18 19:47:27 | 占星学・数秘学

 本日は、自転車のパンク修理をやりました。 珍しい前後同時パンクだったのですが、前輪はマニュアル通りチューブ外して、水に浸けてパンクの位置を探して、乾かして、サンドペーパーで磨いて、接着剤付けて、チューブの切れ端付けて、で、何とかすんなり直りました。

 ですが、最近私が掲げているモットーに 「丁寧をつなぐ」 というのがあるのですが、後輪のパンク位置は、まさにそれを試されるようなとこにパンクがありました。 それは、チューブのウッズバルブのトコが多少錆びてゴムと離れていたのです。

 ここまでのレベルなら、今までの私でしたら、全体的な劣化も考えてチューブを交換した方が早いと、チューブだけ買って来て交換するのですが、しかし、今回の件は何となく、モノゴトを安直にせず、忍耐強く、丁寧につなぐという、自ら掲げた目標に対するStepping-Stoneだと直感して、チューブの切れっ端やら、セメダインやら、ハンダゴテやらで、そのつなぎ目を塞いでみました。

 しかし、なかなか上手くいかず、試行錯誤のうえ、チューブの切れっ端にセメダインをたっぷり塗って帰って来ました。 果たして明日上手く付いているか?楽しみです。

 もともと10年以上バイク乗っていたのでそこで得た修理経験がありますし、壊れたものを直すというのも結構好きなので、それなりに楽しんでやっています。

 さて、本日の呟きはコレぐらいにしまして、本題に入りたいと思います。

 私が “13(Thirteen)” といって思い出すのが、13日の金曜日以外には、矢張り ”ゴルゴ13" でしょう。 更に私が “ゴルゴ13” といって思い出すのが、アメリカの寿司屋のオーナー大嶋の親分です。 約2年タダで下宿させてもらいましたが、カワイイ家主のトノくんもセットで私の一生の記憶に残った経験でした。

 まーそれはともかく、ケイシーの数秘学に関する基数展開は、1~9、そしてフタ桁は “10(Ten)”、11(Eleven)、12(Twelve)” ぐらいまで、大きな意味が述べられています。

 8. ONE is the beginning, to be sure. Before ONE is nothing. After ONE is nothing, if all be IN ONE - as ONE God, ONE Son, ONE Spirit. This, then, the ESSENCE of ALL force, ALL manners of energies. All activities EMANATE from the ONE.

9. TWO - the COMBINATION, and begins a division of the whole, or the One. While TWO makes for strength, it ALSO makes for weakness. This is ILLUSTRATED in that of your music, of your paintings, of your metals, of WHATEVER element we may consider!

10. THREE - again a combination of One and Two; this making for strength, making for - in division - that ability of Two AGAINST One, or One against Two. In THIS strength is seen, as in the Godhead, and is as a greater strength in the whole of combinations.

11. Again, in FOUR, we find that of a division - and while a beauty in strength, in the divisions also makes for the greater weakness - as may be illustrated as in the combinations seen in metal, or numbers, or music, or color.

12. FIVE - as seen, a change - as may be seen in a comparison of any of the forces outlined.

13. SIX - again makes for the BEAUTY and the symmetrical forces of ALL NUMBERS, making for strength;

14. As does SEVEN signify the SPIRITUAL forces, as are seen in all the ritualistic orders of any nature; as seen in the dividing up of conditions, whether they be of the forces in nature or those that react to the sensual forces of man in any character.

15. EIGHT - again showing that combination in strength, also a combination in weakness;

16. NINE making for the COMPLETENESS in numbers; yet showing not the strength as of Ten, nor yet the weakness as of Eight, yet making for that termination in the FORCES in natural ORDER of things that come as a change imminent in the life.

17. In TEN we have those of the completeness as of numbers, and a strength as is found in FEW; yet these are as a combination in the forces as are manifest.

18. In ELEVEN is again seen those of the BEAUTY of numbers, yet that weakness as was signified by those of the betrayal in the numbers.

19. TWELVE as a FINISHED product, as is given in all forces in nature; as was given in all forces as combined to those of the ritualistic forms, those of the mystic forces, those of the numbers as related to those of a combination; for as of the voices of TWELVE requiring Twenty to even drown same, or to overcome same. The same as may be seen in all of the forces in nature. TWELVE combined forces brought those strengths into the world as of [were] necessary for a replenishing of same.

~~~~~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~

 数秘学に関するリーディングは大部分が “1(One)~10(Ten)” までで、いくつか11(Eleven)と12(Twelve)に関してもあります。 その中で、数少ないそれ以外の数として、前回最後に採り上げた ”13(Thirteen)” に関するモノがありました。

 Thirteen numerologically becomes very much in the same position as Saturn does astrologically - or Uranus. These become either very good or very bad. But, as we have indicated respecting numerological or astrological or environmental or hereditary influences in the activities of an individual, they are rather signs; and should be used as same rather than DEPENDED upon as being that which BRINGS this or that into the experience! Rather does number thirteen indicate that such and such changes are ever within the reach of the entity, or that opportunities are constantly presenting themselves; and they must be weighed in the balance of that which is set within the mental self as a standard - from the moral, the mental and the spiritual aspects of the entity's activities.

 ここで、私がいちばん興味深かったのが、“13(Thirteen)” という数に関して、対応する惑星がSaturn(土星)、もしくはUranus(天王星)だったということでしょうか。

 数秘学で ”13” という数を圧縮したら、「13=1+3=4」 という事で、海王星(Neptune)になるのです。 これでは論理的に一致しません。 

 さて、ナゼなんだろう・・・

 ここから、この数秘学という、一見すると十何個しかない単純な数字の、奥深い深遠な領域に入って行かねばなりませんでした。

 続く・・・たぶん