最近の日本では、人命の尊重が一番の関心になり、TVニュースで大々的に取り上げられています。しかし、思春期には、人生とは何か、を悩んでいた紅顔の美少年が、60も過ぎると、余命の20年より、死んだら何処へ行くのか。を考えるようになります。
大量に定年を迎える団塊の世代も、おいおいこの悩みに直面し、きっと社会問題になると思いますが、TVでは、人命の尊重つまり現世(生きている人)の利益を言うばかりで、死んだら行くであろう来世の話は取り上げません。死んだら無になる。と虚無を言う人もいますが、大方は死んだら天国か地獄へ行くのだろうな、とぼんやり考えていても心の中では不安を膨らませています。
宗教対立がテロや戦争を起こしたり、ダ・ビンチコードのように、宗教問題がエンターテイメントになる昨今ですから、次の流行は死後の問題が面白くなるぞ、と、TVは特番を組んで、天国や地獄のイメージを放映したりするのでしょうか。
今は、深夜や早朝の宗教番組で重々しく語らたれたりするのですが、昔に建てられた仏教寺院やキリスト教会、イスラムのモスクの様子、そして絵に描かれた天国や地獄のイメージからは、荘厳ではあっても、小声で話す、暗く沈む重々しさはありません。昔は、布教とは、オペラ観劇のようであったのかもしれません。天国や極楽は、デズニーランドより楽しく、言葉に尽くせぬ豪華絢爛であったのだろうと想像されます。これから行く世界ですから、美しく華やかなボンボヤージュでなければ誰も行きたくないのは、今日でも同じことと思います。
でも、昔の人は上手くやっていたのに現代人は逃げている、この死後の問題をどう解決したら良いのでしょうか。どうしたら気持ちよく天国や極楽に旅立てるのでしょうか。地獄に堕ちる可能性だってあるのです。そして来世に生まれ変わるとして、その先の地球が今のままでは地球温暖化などという恐ろしい予想があって、どうも心許ないのです。
現代人に決定的に欠けているのは、想像力と直感と言われます。
先回からのお話しで、それは「言語的思考」のせいではないかと考えましたが、確かに、来世や天国、極楽、地獄は言葉にあっても、それは何かと語ると、綴る言葉の間からこぼれ落ちてしまうものの一つです。
現世の生活のみを考えるのであれば、「言語的思考」は実に優れたツールなのですが、死後の世界など、範囲を超えたものには全く役に立たないらしく、問題解決のためには新たな機能と性能を持つツールを探すしかないように思います。
現代の人類の閉塞感行き詰まり感、つまり漠然とした不安には、科学や思想哲学そして宗教も同様に役に立たなくなっているようで、新しい、人間のためのツールを開発しなければならなくなっているようです。
野町和嘉の写真をご覧ください。
(C)Copyright 2005 Kazuyoshi Nomachi. All Rights Reserved.
チベットで今も行われている、五体投地です。尺取り虫の歩みで功徳をつめば、来世には地獄や餓鬼にではなく、人間界に生まれてこれる。このように激しく、祈り求めなければ手に入らないのが、天国、極楽、人間であると考える人々が地球上にはいます。受験勉強で死力を尽くし、良い会社に入る資格を得ようとする者もいます。どうせ死力を尽くすなら、来世と現世、五体投地の方が得なように思うのですが…。現代の日本人とは、自分は死なないと思っている人種のようです。生まれ変わって再び日本人であるとは決まっていないのに…。
野町和嘉「写真」オフィシャルホームページ
大量に定年を迎える団塊の世代も、おいおいこの悩みに直面し、きっと社会問題になると思いますが、TVでは、人命の尊重つまり現世(生きている人)の利益を言うばかりで、死んだら行くであろう来世の話は取り上げません。死んだら無になる。と虚無を言う人もいますが、大方は死んだら天国か地獄へ行くのだろうな、とぼんやり考えていても心の中では不安を膨らませています。
宗教対立がテロや戦争を起こしたり、ダ・ビンチコードのように、宗教問題がエンターテイメントになる昨今ですから、次の流行は死後の問題が面白くなるぞ、と、TVは特番を組んで、天国や地獄のイメージを放映したりするのでしょうか。
今は、深夜や早朝の宗教番組で重々しく語らたれたりするのですが、昔に建てられた仏教寺院やキリスト教会、イスラムのモスクの様子、そして絵に描かれた天国や地獄のイメージからは、荘厳ではあっても、小声で話す、暗く沈む重々しさはありません。昔は、布教とは、オペラ観劇のようであったのかもしれません。天国や極楽は、デズニーランドより楽しく、言葉に尽くせぬ豪華絢爛であったのだろうと想像されます。これから行く世界ですから、美しく華やかなボンボヤージュでなければ誰も行きたくないのは、今日でも同じことと思います。
でも、昔の人は上手くやっていたのに現代人は逃げている、この死後の問題をどう解決したら良いのでしょうか。どうしたら気持ちよく天国や極楽に旅立てるのでしょうか。地獄に堕ちる可能性だってあるのです。そして来世に生まれ変わるとして、その先の地球が今のままでは地球温暖化などという恐ろしい予想があって、どうも心許ないのです。
現代人に決定的に欠けているのは、想像力と直感と言われます。
先回からのお話しで、それは「言語的思考」のせいではないかと考えましたが、確かに、来世や天国、極楽、地獄は言葉にあっても、それは何かと語ると、綴る言葉の間からこぼれ落ちてしまうものの一つです。
現世の生活のみを考えるのであれば、「言語的思考」は実に優れたツールなのですが、死後の世界など、範囲を超えたものには全く役に立たないらしく、問題解決のためには新たな機能と性能を持つツールを探すしかないように思います。
現代の人類の閉塞感行き詰まり感、つまり漠然とした不安には、科学や思想哲学そして宗教も同様に役に立たなくなっているようで、新しい、人間のためのツールを開発しなければならなくなっているようです。
野町和嘉の写真をご覧ください。
(C)Copyright 2005 Kazuyoshi Nomachi. All Rights Reserved.
チベットで今も行われている、五体投地です。尺取り虫の歩みで功徳をつめば、来世には地獄や餓鬼にではなく、人間界に生まれてこれる。このように激しく、祈り求めなければ手に入らないのが、天国、極楽、人間であると考える人々が地球上にはいます。受験勉強で死力を尽くし、良い会社に入る資格を得ようとする者もいます。どうせ死力を尽くすなら、来世と現世、五体投地の方が得なように思うのですが…。現代の日本人とは、自分は死なないと思っている人種のようです。生まれ変わって再び日本人であるとは決まっていないのに…。
野町和嘉「写真」オフィシャルホームページ