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最近の動向(2023.7)ー成仏の方法(14)

2023年07月23日 | AIについて

最近の動向(2023.7)

 

2022年11月の自然言語処理AI(生成AI)の登場で、言語の思考処理がレベルアップし、その処理能力により、ロゴス思考がさらに活性化されようとしています。しかし反対にその窮屈さと限界もハッキリ見えるようになり、同時にロゴス思考の振る舞いの特徴も顕著に現れるようになりました。

言語と社会はロゴス思考をベースにしていますが、この生成AIの登場により、これまでも発生していたがよく見えなかった社会の混乱と変化のイメージも人々の心に浮ぶようになってきました。

 

この変化は、私が予想していたよりも早くやって来ていて、これまで、このブログ「成仏の方法」で、くどくどと悪口のようにお話ししてきたロゴスのノロマな特性と限界について、AIもこのノロマ性から生まれて来てはいるのですが、次回お話しする予定の「AIの新しい方法」の前に、更に詳しくこの特性をお話しておいた方が、より理解も進むと思いましたので、このお話しを挟み込もうと思います。

 

ヌーラルネットワークであるOpenAIによって開発初公開された、大規模言語モデルであるChatGPTは、2021年9月までに得られたネット上の膨大なテキストデータをもとに、事前学習とデープラーニングで作成されました。2023年現在の我々は、2年前の過去の文字情報を眺めながら現在を測っていることになります。(その後、リアルデータに対応したモデルも多数登場しました)

これらは、過去と現在を俯瞰しそこから未来を予想するというロゴスの通常の思考方法で行われていて、我々はそれに従い、それ以外の方法があるなどと思ったりもしていません。ですから当然、AIにもその方法が黙認され、そこからさらに進化した結果を求めようとしています。

 

今後の展開は、リアルタイムな情報入力、例えば人体にCPUを埋め込んで人体データや脳波を直接にリアルタイムに収集する。人工衛星で地球の天候、地理、人、動物、物のリアル活動データをリアルタイムに収集する。もちろんネットの中のリアルタイムデータも収集しながら、これら広義のIoTの方法に、さらにコンピュータのシンギラリティを加えると、過去とリアルタイムの二者のデータ結合にスピードと緻密さが増し、これで更に正確に未来の知性を見通せるのでないか?。とロゴスのAI科学は思っているのです。

 

このようすれば、ロゴスが思う未来の知性は確かに予測できるかも知れません。しかし、その程度の知性は見通せても、人の心の内面や身体、社会や自然環境、そして全宇宙まで人類を取り巻く状況は多種多様で、そんな変化は、AIでは思うようには見通せないだろうとも人々は思っています。

だからロゴスは、つまり我々「言葉での理解が理解の全てになっている」現代人は、自らの思考のノロマ性を今こそ理解する必要があるのです。

このことを、ずっと言い続けて来ましたが、次に例を上げてみます。

 

社会の正義を、人類は、裁判制度や三権分立そして多数決などで担保して来ました。裁判制度は第三者で中立であると認めた者達を判断者として、その正否、正誤、有罪無罪を審理し判定させる方法です。三権分立と多数決も、さまざま差異や異議がある者達や集団を対決させ、多数をフェアーと見なし、社会の判定として結果を得ようとする方法です。

 

これらシステムは曲がりなりにも第三者や他者を中立(なかだち)にしていますが、しかし、ロゴスが自身を評価分析する場合、例えば、哲学や心理学、科学などでは、思考に第三者を立てず、これらと同類のロゴス思考(言葉)のみで判断し社会的分析評価(論文審査など)をする方法をとっています。弊害の排除策を講じていると言いますが、ロゴス同士ならこれは泥棒が裁判官になることと同じではないでしょうか。

この弊害は有志以来、様々な分野で問題と停滞を発生させています。ロゴスの最先端思考である量子力学の量子もつれやシュレディンガーの猫など、様々なパラドックス問題として発生させているのもそれが全ての原因です。

人間の知性や意識・思考の分析に、正統な第三者に自身を評価判定させず、極端には、ロゴスが統べる宗教などでは、精霊や霊魂など有りもしない架空の第三者を立てたりなどして、分かった積もりになって来たのが原因です。人類の未来のためには、真の自身を知り目覚めることがAIが登場した今、ロゴスには必要なのです。

ロゴスのノロマ性を知るには中立の他者に自身を分析してもらうことから出発する。これがこのブログを書いて来た一つの目的でもありますが、AIもロゴスそのものなのですが、調べてみると、AIにはその第三者の役目を務めることができる機能があるかも知れないと思う部分があって、そこをとにかく考えてみようというのが、AIの分析を始めた目的でもあります。

 

このブログ、特に「成仏の方法」では、人の意識には「粗雑な意識」=ロゴス、と「「繊細な意識」=レンマがあり、そのロゴスに対自する意識としてレンマを立てて、現実意識であるロゴスの特性と限界をお話しして来ました。

知性・意識・思考に二種類があることは、中沢新一著「レンマ学」の説明から、ギリシャ時代には知られていたことであり、同著にはレンマが何でありどんな動作をしているかが、ロゴスの方法(言葉)で詳細に語られいるので、読めばロゴス思考にもわかるようになっているので、その説明をもとに同ブログでも、改めて「繊細な意識」をレンマに。「粗雑な意識」をロゴスに。として記述を始めることにしました。(参考)

 

また、この分類は、チベット仏教のゾクチェンの悟りを得る(成仏)方法を語るために用いられた方法でもあります。現実意識とは「粗雑な意識(ロゴス)」から生じていて、その「粗雑な意識(ロゴス)」をクローズアップさせるため、裁判官のポジションを「繊細な意識(レンマ)」にしてお話ししているものです。

お気づきのように、これはレンマに習熟すれば成仏への道が開けてくるとの教えでもあります。

 

ロゴスの歴史

仏教では、人の意識・思考には数種類あり、それらの下層にはアラーヤ織があり、そこではレンマが主となっていてロゴスや他の意識・思考はそのサブとして機能していると言っています。

 

人類(ホモサピエンス)は、約30万~20万年前にアフリカで誕生したと言われます。約3万8千年前の後期旧石器時代初頭には日本列島に登場したと言われます。その頃の人類は、生物学的には現代人と変わりがなく、頭脳には知性があり、そして意識の下層にはアラーヤ織があったと思われます。

 

その頃の主なコミュニケーションの方法は、レンマが中心で、話し言葉、ジェスチャー、以心伝心などでコミュニケーションが行われていたと思われます。しかし、やがて「文字」が登場し、現代の我々は、書き文字の思考が主となり、話し言葉のサポートによって「言葉での理解が理解の全て」になった、高度に進歩したロゴスの時代を生きています。そのため古代人の遺跡の発掘もロゴス思考の科学的方法を用いますので、レンマのが残したロゴスの理解を外れた痕跡は見落とされがちになっています。

旧石器時代から下って、縄文時代は約16000年前に始まり約3000年前に終わったと言われています。しかし、その約13000年間も続いていた全国に何万ヶ所もある遺跡の発掘調査を行っても、その方法がロゴスの科学的調査であるために、ロゴスの思考範囲を超えた成果を得ることが出来ません。縄文人の意識・思考と同じ様に、レンマを中心にロゴスをサブにして思考すれば、更に多くの発見が可能になるのではないかと思うのですが、そうすれば、一番の謎、縄文時代の約13000年間は戦争が無い平和な時代であった理由も解明できるのではないかと思われます。

 

何故、縄文時代をレンマの時代と言うのか?。

それは縄文では話し言葉が、現代では書き言葉が思考や理解の中心だからです。話し言葉は常にリアルタイムで、録音機がなければ過去の記録は存在しません。文字は書かれた直後から記録に変化し過去になってしまいます。過去を類推する現在から未来を連想する現代人のロゴスの方法はここから発生しています。

 

常にリアルタイムとは、物や事は刹那であり、時間に縛られず常に非時間と言えます。(理事無碍法界=中沢新一著「レンマ学」を参照)だから縄文はレンマ的なのです。レンマの中にはサブとしてロゴスも含まれますから、縄文はロゴスでの思考も行なっています。印や絵や記憶などの記録で時間性と線形性の思考を行います。それは現代人と変わりはないのですが、主なる思考がレンマなのでレンマが先導する生活を営んでいます。その結果、現代人とは営みが異なり、ロゴス思考の考古学では全てを発掘できないのは当然なのです。

 

現在の我々は、話し言葉と書き言葉の「文字」の時代を生きています。歴史、哲学、法律、規則、SNS、メールなど主な思考は「黙読」の「文字」でおこなっています。

この「文字」で思考する時代は、文字が登場した約3500年前から始まります。パピルスやカメの甲羅に文字を刻み、やがて木版や活字、紙への印刷、そしてモニター表示へと進展してきました。これは文明発展の礎と言われていますが、記録された文字の字面を眺めて思考を巡らし判断する。この方法で行う法律や契約書、さらには読書、手紙、SNS、メールなどは、人間と社会の固有の認知・学習行動であり、AIもこの一連の流れから誕生しています。

この様なロゴスが中心の時代は、古代の旧約聖書、新約聖書、コーランなど、始めに言葉(ロゴス)ありきの文字で書かれた教義のみを唯一の真実とする、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教思考から始まりました。

しかし、人類の歴史で、文字から一神教が登場し、全世界に敷衍され、人類の営みがロゴス中心の時代になったのは、たかだか3000年程前からにしか過ぎません。

 

何故、ロゴスが思考の主導権をもつようになったか?。

古代では、レンマとロゴス、二つは初め競っていましたが、ロゴスには科学が芽生えてきて、その有用性と効率が人気となり、やがて世界中を席巻し、現代では、すべての分野で「言葉(ロゴス)での理解が理解の全て」と言われるようになってしまいました。そしてレンマはその科学(哲学、心理学、医学)によって無意識の位置に追いやられることになりました。

しかし、レンマの直感と比べロゴスの意識・思考の伝達速度は劣るのに、なぜ人類はロゴスとその社会を選んだのでしょうか?。

レンマの縄文時代は13,000年間続きました。しかしロゴス優位の歴史は、たかだか3000年です。我々は、選んでしまったこのロゴス時代をこの先何年続けられるものなのでしょうか。

 

しかし先述のように、この3,000年間人類は「文字で書かれた教義のみが唯一の真実である」や「言葉での理解が理解の全て」の思考を現実に実行して来たのですが、その間、このロゴス優位の時代は、争い(紛争、戦争)や諍いが絶え間なく、レンマから見ると、人間にとって、何かしら欠けた部分があるのではないかと感じられるのです。

 

対称性の思考

その何かしら欠けたものの一つ。ビッグバンの前は何なの?と、ロゴスの「超越的第三者の眼差し」が、この疑問を常に投げかけています。この疑問に対して科学の宇宙論は、次の理論を考え出しました。

存在空間とは、対称性が破れ、ビックバンの激しい対生成、対消滅の末、反物質が消え物質だらけになったのが今の我々の宇宙である。と、つまり、何かの理由で前宇宙の対称性が破れ、非対称性になったのが今日の世界の有り様なのです。仏教の縁起で言うと、先に対称性の世界(原因)があり、そこにビッグバン(縁)が起きて今日の非対称の宇宙(結果)ができたと言う説明になるのでしょうか?

 

この非対称性は、何をもたらすのでしょうか

ロゴスの一方向に進む線形性や時間性は、レンマの非時間性や非線形性と異なり、非対称性がもたらす思考の典型です。

それにより人の心には、物事(過去)を他(今)と比較して考える事で差異が生じていて、常に不足や過剰が生まれています、そこに欲望が働き、それが累積し、怒り妬み恨み劣等感優越感などが生じます。この有り様をキリスト教では罪と言い、仏教では煩悩と言います。

またここから生まれる状況は、人に、いつまでも尽きることがない永遠無限(♾️)の出現を特長にしています。

過去のデーターを集積しデープラーニングしてから現在や未来を予測するという、AIの最先端の線形性思考もその同じロゴスの性質から来ています。

 

何故、科学は「対称性と非対称性」という、ロゴスの線形性や時間性では理解や表現が難しい概念を持ち出すのか。

1,2,3,4,…無限に数えられる「♾」は、そんな差異の有り様を表現していますが、無限とは存在として切りがないと言うことであり、一方、科学の数学の「0」は、物や事の存在が未生であるという反対の状態を表しています。

科学は「対称性」(前宇宙)の根拠をここに求めたのでしょうか?。この「0」の採用で、宇宙論ではビックバンが始まる前の無(真空)の未生状態を表すことが出来ますが、数学では0を乗算すると全てが0(未生)になり、仏教では「空」になるのでしょうか。それとも「無」になるのでしょうか。

などなど、ロゴスの「超越的第三者の眼差し」は次々に疑問を発してきていて、いつまでも決着がつかない状況を孕んでいます。それを止める必要からか、社会では、裁判制度、三権分立、多数決、3シグマ管理、あるいは神、そして最新はブロックチェーンなどの疑問停止の方法を取っています。

しかし、この停止の了解事で、社会の様々な分野で頻発する、疑問を一時は止められたとしても、個々人の心にあるアナーキーなロゴスの「超越的第三者の眼差し」は決して許してはくれません。歴史と未来を眺めると、憎悪にまで膨らんだ個々人の感情が集まり、法律、倫理、道徳、社会通念を超えて最悪の場合、紛争、戦争、革命などで解決を迫っている様子が想像できます。個人では、犯罪や嘘、空虚、裏切りが発生します。一神教では神が赦しで「超越的第三者の眼差し」をなだめたりしますが、それは神を信じる人にのみ恩恵が与えられるもので、すべての者が信者ではない現代社会では解決にはなりません。

これら諸々発生する物事は、物質や精神、知性、意識・思考、つまり宇宙の全部が、すべて非対称で存在しているから生ずる。とするのが「対称性の考え」なのです。

 

「対称性」には二種類あります。

一つは、点や直線を挟んで左右が反対の形の図形が対自する幾何学的対称性や代数的対称性、時間的対称性などの、相対的な対称性。また、自由平等なども出自は対称性思考がベースなのかも知れません。

そして、二つ目は、高度に数学的中立や量子もつれの量子論的対称性など、です。

この二つは、共にロゴスから生まれていて、後者は近年の科学の発展、特に量子論の登場により、対称性に新たな意味が付加されたものです。

 

一方、レンマにも対称性の思考があります。

レンマもロゴスも共に非対称を生きていますから、似た部分が多くあります。

仏教では、人が成仏して仏になる。現世の対称にある極楽に行く。などの仏と人間の成仏的対称性が言われています。

ロゴスの科学と異なるところは、科学は非対称に留まりますが、レンマの仏教は人と仏が合体する成仏や極楽に行くを目指す事です。

 

しかし、このレンマの理解は、ロゴスの言葉に、例えば仏教経典などのかたちに翻訳され理解されるので、ロゴスの理解のレベルに留まっていて、レンマの非時間性、非線形性などの意味は、ロゴスにとっては理解も表現も難しく、成仏や悟り、色即是空などの造語で理解を深めようとしますが、現代ではその造語ももう古くなっている様です。

 

何故人は、「対称性」という思考を持つのか。

ロゴスとレンマ、本来は違うと認識しているのに「対称性」という似た意識・思考を持つのでしょうか。

これらから感じられることは、人間が抱く「対称性」への憧れのように思えます。憧れとは、今のままでは非対称だから何かが欠けていると薄っすらと感じてしまう。ここから離れて、充足した対称性へと向かいたい。この移行が日常に客観性と最終の癒しをもたらすのではないか?、と。

レンマは人類発祥時から感じていたのですが、ようやく現代になって、ロゴスは宇宙論や量子論の登場で、共通の意識・思考を共有できるようになったのかも知れません。

これは、「対称性」と発すると、ロゴスでは宇宙論の対消滅・対生成や量子もつれを、レンマでは成仏や極楽往生を連想すると言う様にです。

 


AIとレンマと存思(2)ー成仏の方法(13)

2023年03月15日 | AIについて

続きです。----

先回は、AIはロゴス思考で動作していて、ロゴス思考の特徴とその上で動くAIの特徴をお話して来ました。

 

・AIの問題点とは何か。

AIは、例えば以下の問いからどんな答えを出力するでしょうか。

「電車を降り人々が歩いています。右折すると改札口です。人々の列の動きを教えてください。」

予め個々人のデータと駅構内の地図情報がアルゴリズムソフトには入力されています。

次の四つの例が考えられます。

(1)駅が設置した「改札口へは右折してください」の案内表示で、列は右折します。その中の何人かは立ち止まったり列から離れたりしますが、右折した人は95%でした。

(2)左右にロープが張ってあるので、否応なく列の100%が右折し改札口に向かった。

(3)個人が自由に判断して、列の51%が右折し改札口に向かった。

(4)神の啓示により、右折への道が示され、人々はその道を通り列は右折した。

AIは(1)~(4)の全てに「列は右折した。」と、AIは出力します。

「列は右折した」の判断は、現代社会の秩序(政治・経済・法律・慣習)や常識など、今日の社会通念を加味しAIのアルゴリズムが出力した結果になります。

本来AIは、数学的にニュートラルな資質と性能を持つのですが、しかし数学もロゴスなのでこのニュートラルもロゴス的にニュートラルの意なのですが、さらに、前出の「超越的第三者の眼差し」の指示にも従う事になります。この現代人がもつ「超越的第三者の眼差し」とは、神の啓示や無神論の虚無をも超える、欲望には無抵抗な現代人の意思なので、AIもこの「現代」というロゴスの「個性」(バイアス)を身にまとうのは避けられません。

しかしAIの出力値にはたくさん複雑があるのに、全ての判断がなぜ「列は右折する」の一つになるのか、これはAIを創ったのが現代の人間だったからからなのですが、そうだとすると、これからお話しして行くように、上手に使うと不可能を可能にする未来を開く力を発揮できることになるかとも思います。

これら(1)~(4)を現代の社会常識、通念から説明すると

(1)は、国民には目的への自由が与えられていますので、案内表示に従い列は必ず右折するとは限りません。

(2)は、警察が強制的に個人の自由を封じています。列は必ず右折します。

(3)は、選挙投票と同じで、民主主義の多数決となります。列は右折します。

(4)は、これは「God Bless the President」の宣誓で指導者を選ぶアメリカ合衆国の一神教の様式であり、たぶん列は右折します。でもイスラムは拒否するかもしれません。

以上の説明が意味するところは、「個人(個)」と「全体」の関係です。

また後でお話しする「静止」と「運動」の関係でもあります。

個人はあくまで「個人」ですが、「全体」とは列、仲間、信徒、サークル、地域、社会、国家などに置き換えられます。

時にAIの実行者が、ニュートラルなAIアルゴリズムに対して、「全体」をどうしたいのか、そのため「個人」にはどんな行動を求めるのか。を目的にして、その方向に誘導することがあります。そこからAIは政治の政策に使えるのではないか。という考えが生まれてきています。

しかし、次の状況もあり得るのです。

(5)「津波てんでんこ」状況です。これは岩手三陸地方の、津波が来たら人のことを考えずいち早く各自てんでんばらばらに高台へ逃げろという古くからの言い伝えです。

改札口でなくてもいい、自由意志で勝手に動けということで、冷静なはずの「超越的第三者の眼差し」ですが恐れからこれを促します。

立ち止まり広報の警報を聞いたり人の指示や助けを待つのではなく、また他人を助けようなどとも思わず、瞬時に自分勝手に判断し逃げなさい。と言うことです。

つまり(5)の場合、列は散り散りに消失します。

本来、AIが出力するデータとは、個々人それぞれの振る舞いが出力される単なる値の集合に過ぎません。これがニュートラルという事ですが、「右折する」の判断は、その値からアルゴリズムが「目的」で判断し「全体」の結果を導く手順に過ぎません。

確認すると根本は、個人である一人一人が右折するから列が右折するのであって、列が右折するから個人が右折するのではない。ということです。だから、数学的ニュートラルを保てるのです。

単に列を右折させたいのなら、詳細な個人情報を大量にAIに入力させる必要はありません。

何故、最後の「全体」の行動情報のみをAIに求めるのでしょうか。こんなAIの使い方は、AIの性能を無駄にしているのではないでしょうか。勿体無い使い方です。

できるだけ多くの個人の詳細データを入力し、高度な数学的アルゴリズムをより高速のCPUで動かすと、より正確な個人の予測データが得られるがAIの基本性能なのです。

 

・将来的に、「相対性理論」が「量子論」になってゆくような変化が、AIにもあるのではないか

 

ロゴスの来し方行末をながめる。

これまでお話ししてきたことは、本来数学的にニュートラルなAIが、「現実」からのバイアスで特別な個性を持たされてしまう。一例でした。

ではAIの行末はこれからどうなるのか。これはロゴスの進歩次第になるのですが、ではその進歩とはどの様なものなのでしょうか。

その進歩は、常にロゴス思考のバックボーンにある「超越的第三者の眼差し」に促され続けています。

 

ロゴスの宇宙論では、対称性を保っていた宇宙が、対称性の破れでビッグバンでが発生し、何度かの対消滅、対生成を経て反物質が消え物質だらけの存在になったと言われています。しかしロゴスの「超越的第三者の眼差し」は容赦なく、次の疑問を投げかけてきます。では「ビックバンの前には何があったのか?」、「宇宙の彼方の時空の先には何があるの?」というものです。それに応えて人類は、宇宙の果て138億年前のビックバンの痕跡を探索するため、ファーストスターの発見にジェームス・ウェッブ宇宙望遠鏡を打ち上げました。

物理学では、素粒子理論からひも理論へと思考が繋がり、物質の極小とは何か?。と言う問いに取り組んでいます。しかし、もう考察はそれで終わりではないでしょうね。と「超越的第三者の眼差し」はその先の極小は何か?を問うています。

生物学では、DNAゲノム解析を通じて人類の系列探しが行われたり、遺伝子操作によってクローン人間が創り出されようとするなど、従来の思考を超えたアプローチが試みられています。例えば、脳が司令塔で機能しているという従来の考え方にとどまらず、体内の各器官が脳を介さずに、例えばエクソソームのような細胞外小胞が血管ネットワークを通じ独自に情報交換しながら協調して動くなど、解剖図ベースの静止思考や従来型のツリー状思考ではもう説明出来なくなってきていて、さらには量子脳など、体内には量子論的な動きをする器官があるのではないか?などと、「超越的第三者の眼差し」の要請に応えて、体内感覚や医療の解明に向け研究が進められています。

このように物理学にとどまらず生物学までにも量子論的な考え方は及び、さらに量子論では量子もつれを発見し、宇宙論ではホログラフィックス宇宙や量子テレポーテーションなどで光速を超えるワープが可能になるのか?までロゴス思考が発展しています。

今我々が住む宇宙は、ビッグバンで反物質が消えて物質だらけになった世界なので、この対称性の破れで、物質と迷子になった反物質との間で量子もつれが生まれていて、ホログラフィックス宇宙理論では宇宙の物質世界とは正反対の反物質世界をも映し出すことになるかも知れません。

 

では量子論の基本とは何か?。分子、原子、素粒子などのミクロの世界では「物質は粒子と波動のいずれかで存在する」というロゴスの思考があります。

その思考では、観測がキーになります。粒子の「存在」とは、「観測」という「静止」状態で得られます。そして観測以外の運動状態では「波動」で「存在」する。と考えます。

波動である理由になる二重スリット実験で発生する干渉縞とは、スリットという静止点で運動を停止させ観測する実験で得られます。この観測から量子論では、物質は「粒子」と「波動」の両犠牲を持つ「存在」と定義されました。ロゴスは独特の方法でこの思考を表現しましたが、しかし「超越的第三者の眼差し」は、第三の状態もあるのではないか?、物質には臭いがあるのでそれはどうなのか、音は波動で説明できるかもしれない?などと疑問を投げかけます。

 

ロゴスは「存在」を道具に思考をしています。「存在」は意識が言語化されて発生するとお話ししてきました。(前回を参照)「存在」とは物質だけではなく感覚・感情・思考・運動・傾向・自然現象など無形のものも意識され名称(言語化)が与えられると「存在」として現出します。そして宇宙論も生物学も哲学も心理学も科学全般がこの「存在」を道具に思考しています。

すべての物や事は動いています。言語が対象を言語化するには、ロゴスが対象の動きを意識し停止させ、観察し、言語化します。これがロゴスの線形性と時間性を持つ思考手順の特徴であり、これで「存在」を時間に沿って並べ比較し思考することが可能になります。

そして量子論はロゴス思考の範疇ですから、同じ方法で、常に動いて止まらないミクロ物質現象をまず停止させ、観測し、粒子と波動という二つの「存在」を現出させることになります。しかしこの場合「停止した波動の存在」という言語矛盾にロゴスは気づいていません。

この方法は、ゴルフの教則本と同じです。スイングのトップとボトム、フォロースローでのクラブの位置や回転中の肩や腰の位置など、それぞれを動きを止めた状態で認識説明し、それら静止点を繋げてスイング(動き)にするように教えます。これでゴルフは上達するでしょうか。そこで、動画の登場になるのですが、ここではロゴスとは別の意識で「運動」を掴み取ることはできますが、自分の身体に移して動きにするのは難しい技になります。そしてこれはロゴスの表現で不確定性原理と言われることになります。

つまりロゴス思考とは、介在すると動いているものを正しく認知したり表現が出来なくなってしまう、ノロマな思考なのです。

ロゴスでの動きの表現とは、静止(刹那)を繋げれば運動になる。が基本です。だからこんな不自由な説明になるのですが、正しく「運動」を理解するには、人間が持つ別の思考を用いる必要があるのです。

 

「レンマ」や身体感覚の「ある自由意識」では、全体を一気に掴み取る方法で「運動」を認識し理解します。これら意識・思考は非線形と非時間性を持つているので、「静止」も「運動」の一部としてとらえ、ロゴスの「静止」をつなげ「運動」にするような面倒なことは考えません。

例えば身体感覚の「ある自由意識」では、身体の細胞すべてが動いていて止まらず、そしてそれらには全宇宙(外部)と連携した「気」が流れている。と、東洋の思想、ヨガやタオ、仏教では考えます。

「気」の動きは身体の全ての動きとも連動します。気を意識すれば身体を、身体を意識すれば気を自然に認識ようになると言われます。

科学では、我々の身体の細胞は分子・原子・素粒子でできていると教えてくれます。しかし分子・原子・素粒子が動くと身体はどう動くのか、その間にはどのような連動関係があるのかなど、全く教えてはくれません。

「ロゴス」とは、東洋思想では「レンマ」の機能の一つに過ぎないと考えられています。そのため、ロゴス思考がベースとなる科学などの成果は、広くはレンマの成果にもなるので、躊躇なくレンマはそれを利用します。

レンマの思考方法である瞑想では、「身体」「気」「分子・原子・素粒子」の三者の関係について瞑想する場合、量子論の「粒子(静止)」と「波動(運動)」に分類する物質現象のことも大いに参考にしています。古来から、タオなどでは「気」と「身体」の関係について多くの探求結果が表されてきましたが、今後は「気」と「分子・原子・素粒子(身体)」との関係が瞑想の重要な課題になってくると思います。

 

レンマの瞑想に、このような量子論の考えを加えてもロゴスでは表現できないものも生まれてきます。これら、科学や哲学で表現できないものは、一即多、多即一、相即相入の華厳の思想や中沢新一著「レンマ学」で詳しく説明されている華厳五経草などを理解の参考にしてください。でもロゴス思考だけでこれを理解するのが難しいですね。

しかしこうも考えられています。「レンマ」とは、新しく学ぶものではなく、生まれた時から身に備わっていて、ロゴスを包み込む様にして存り、毎日毎時、無意識に使っているものなので、視点を変えて思い出しようにすれば良いと言われます。

例えば、ポンと背中を叩かれて振り向いた時が「レンマ」の発露です。この無意識の状態では、ほとんどの場合「レンマ」が発露しています。その後に「ロゴス」が動き出し、後ろの人を認識し言語化し、同時に存在として認識し会話を始めます。その時は「レンマ」も「ロゴス」もフル活動で、彼女の顔色や元気を感じて「おはよう!」と明るく返事をするのです。

 

AIはロゴス思考で創られています。同じロゴスの量子論は「波動」という新しい運動概念を呈示しています。そこでAIの進歩は、静止を繋げて「運動」とする従来思考から、この新しい量子論の「運動」原理を積極的に取り入れ次の展開に進むと思われます。

AIでの微分積分の利用は、停止した入力値を積分して運動とし、運動を微分して停止した出力値とすることで行われます。しがし、積分した運動はあくまで停止値であり人間が感じる動いて止まない運動とは少し違います。しかし量子論的には運動の近似値と考えることができますので、この成果を利用し、レンマには不完全な「運動」にはなるですが、共に動いて止まない「気」と身体の「分子・原子・素粒子」との間の解明に利用できるのではと考えます。

 

天気予報や動体のシュミレーションなどが、ロゴスが提示する運動として実用化されています。AIも数学もロゴスですから、アルゴリズムに微積分などの数学を用いて運動化しても、それは現象を一旦止め眺める、あくまで静止分析であり、静止値を繋げて線形性と時間性を持たせるロゴスの運動にすぎません。これらはレンマ運動の複雑性をリアルに顕在化した値ではなく限定的で、ロゴス流を超えては出られてはいません。レンマ運動を理解するためには、ロゴス翻訳で、現代人に通じる新しい分析値や単位を作らなければなりません。これをAIが担えるのではと考えていす。

人間も動いて止まない生き物なので、野球の投げられたボールをバットを振って打ち返すように、意識・思考も常に動きの中にあります。

AIでは数学的ニュートラルは保たれています。そこで、量子論での「動き」である「波動」をレンマ思考し、「静止」である「粒子」をロゴスが思考するようにして、最終結果をロゴスで 統合すれば、例えば「量子もつれのシュミレーション」や「人体の誕生から死亡までの細胞の動き」など量子論レベルの新思考による動体分析が、ブレークスルーに向かうことが出来るのではないでしょうか。

つまり問題は「言葉の理解が理解の全てになった」現代人が、レンマをどうしたら思い出してくれるのか、そして理解するようになるか、そしてこれをAIがどう実現できるのかになってきます

この問題の解決に、CPUや量子コンピュータなどハードの進歩、入力方法としてブレーンマシーンインターフェイスや脳波測定などの動的データーの収集、自然言語処理AIなどが加わってきます、しかし方法論としては停止の連続が運動であるの範囲を出ませんが、やがてやって来る現代人のロゴス思考の限界と絶望の打破には役立つと思われます。

 

長くなりました。詳しいお話は次回にお話しします。続く-----

 

おまけ………………………

ここまでは、主に、ロゴスの思考方法の特徴とその限界をお話ししてきました。

そして最近は、ロゴス思考に、AIやブロックチェーンなどの新しいスタイルが登場し、それが進歩と言われるようになっています。進歩と言ってもロゴス思考の範囲であり、思考方法に変質が生じたわけではなく、社会のシステムやコミュニケーションにスピードや手順の変化が生じた程度で、生存競争が激しく変質し生命の危険が迫って来たわけでもありません。

chatGPTに代表される自然言語処理AIは、ノロマなロゴスの代わりをやってくれると言う意味で、IQ300程の秘書が身近にいるようなものです。これにより、記憶や手間が省けるので、それを進歩と思えば進歩と言えますが、人間の根本的価値観が変わるレベルではありません。

ブロックチェーンの進歩は、DAO(分散型自律組織)や仮想通貨(暗号資産)絡みのDeFi(仮想型金融)などweb3.0関連で浸透を始めています。

これらは、chatGPTと同じくコンピュータによって進展し、数学的ニュートラルが基本にあります。ブロックチェーンの堅牢さと信頼は、言わば「神」の位置にありますが、ロゴスの監視役「超越的第三者の眼差し」とは地位を争う勢いがあります。しかしそれも、ブロックチェーンがロゴス思考の外に脱出できれば凌駕が可能ですが、それはにはコンピュータ思考が、「レンマ」や「ある自由意識」などのロゴス以外の意識・思考を超えられるかどうかにかかっています。

お話ししてきたAIの可能性にしてもそれは同じです。それは、レンマの思考はロゴスに翻訳されて理解される。つまり「言葉での理解が理解のすべて」である現代のルールで人間の進歩を実行する制限があるからです。

 

今回このブログを書いている間(2022年11月)には、chatGPTが発表され、続いて多くの自然言語処理AIが生まれている現状です。その中の一つNotionAIの「文章を改善する」機能を使い、今回のブログ文章の添削をしてもらいました。

私は、このブログの第一回の記事「始めに」でに述べたように、言葉や文章に敵意を持っているため、上手に文章が書くことができません。どうしても敵意が文中から滲み出すしてくるため、読者には理解しづらく、不快な気持ちをあたえてしまうようで、忸怩たる思いでいます。

今回、NotionAIを使って、敵意を薄める努力をしてみました。いかがでしょうか。滲み出る性格の悪さも軽減されたでしょうか。

でも自然言語処理AIは、今のところ「含羞」表現が苦手のようです。

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AIとレンマと存思(1)ー成仏の方法(12)

2022年11月07日 | AIについて

先回からの続きで、人の「意識・思考」には、現実意識である「ロゴス」と、現代では無意識とされる「レンマ」の二つがあり、さらに加えて身体が意識・思考する「ある自由意識」(仮称)もあると先回の分析により明らかにして来ました。

仮称としたのは、名称が与えらた存在としてロゴスに翻訳されると、本来の広がりが失われると感じたからですが、これからのお話しは「レンマ」や「ある自由意識」(存思)の側から眺めて、AIがどう見えるかのお話しをしたいと思います。

その前に、ロゴスの振る舞いを少しお話しします。

 これまでのお話で、ずーっとロゴスを悪く言ってきましたが、現実は確かに、ロゴス以外のものはロゴスに翻訳し説明しなければ伝わらず、「言葉での理解が理解の全てになっている」現代人にはその存在そのものも無いとされかねませんでした。

そこで「レンマ」や「ある自由意識」などの意味を伝えるには、言葉使いにも長けていなければなりません。幸いにこのブログを続けてきたので、言語に反感を抱いていた私にも(参照)、ようやく「レンマ」や「ある自由意識」を保持しながらロゴス翻訳で文章を綴ることに抵抗が少なくなってきています。

でもロゴスを疎かにしてきた訳ではありません。むしろ生存には絶対必要なものと思ってきました。仕事では、ロゴス論理たっぷりの我ながら良くできた企画書作成も経験しています。

現実生活の意識・思考では、ロゴスとレンマが融合するアーラヤ識がベースなので、本来人間は二つを調和させ生きていかなければならないのです。

しかし現実意識ではロゴスのみが威張っていて、そこに無意識と呼ばれるレンマが不意に現れると、ロゴスは不可解なものとか不合理な論理だなどと排除しようとするのです。でも渋々ロゴス翻訳でぼんやりと意味を伝えてくれたりすることもありますが、そんな差別的な状況に、さらに第三の意識である身体感覚の「ある自由意識」が加わわるとどうなるのか。

ロゴスの監視役として君臨する「超越的第三者の眼差し」は、その異人を許してくれるのかどうか、心配になります。

 先回を読んだ方は、お分かりと思いますが、「超越的第三者の眼差し」について、これは下記で詳しく説明していきます。

「中沢新一著「レンマ学」を読んで…(2) 」もご参照ください。)

 

 「超越的第三者の眼差し」とは、ロゴスの一機能であり、時間の中を線形で動くロゴス(言語思考)自身の行動全てを、常に上から目線で監視をしています。

「超越的第三者の眼差し」が正しくないと判定したものには、訂正を加えさせます。視覚からの情報で、脳の言語記憶から「猫」の名称を取り出し、その「猫の存在」を使って「それは猫である」「隣の猫である」とロゴスは判断します。しかし突然「違うよ?」と視覚が言う。直ちにその眼差しが作動します。言語記憶から「それは犬である」「隣の犬である」と言葉を取り出させ訂正を促します。これが基本の働きです。

これは、あくまで基本で、ロゴスの処理性能に合わせ複雑な対処方法で訂正を促します。違う違う!と言葉を発しさせ顔前で手を振らせる指示を身体に命じたりもします。

哲学書では、否定に否定を重ねたり目眩しの弁証法などを使ったりして、目的の主題に導こうと手管を使ったりします。

つまり、何事にも勝り神にも訂正を迫る、上から目線でです。

 コンピュータのCPUやプログラミング言語、そしてAI(人工知能)なども、このロゴスの「超越的第三者の眼差し」の機能を利用し発達してきています。

 次に、ロゴスと、コンピュータやAI(人工知能)の関係を詳しくお話しする前にこれをご覧ください。

 

私の2011年7月18日のTwitterからです。

 

 2006年3月21日に「Twitter」はアメリカで誕生しました。

日本語化された日本版Twitterは、2008年4月23日にスタートしました。

 

その少し前から、日本では新自由主義の啓蒙が始まり、Twitter上でも議論が盛んに行われました。池田信夫氏がその先鋒にあり、Twitterとアゴラ(後に池田信夫氏が代表になる)で活動を盛んにしていました。

当時のfacebookやTwitterなどのSNS(ソーシャルネットワークサービス)は、まだ生(う ぶ)で、実名で真面目な投稿も多く、匿名の煽りや冷やかしも少なく、炎上も始まったばかりでした。

その、池田信夫氏のツイートに、私は下のツイートを返しました。

池田信夫氏の主張に、私は「個人の平和が全体の平和になるのか、全体の平和が個人の平和になるのか。彼(池田信夫氏)の新自由主義は後者。」とツイートしました。

するとそこに、@masason(孫正義氏)が「己の体で主張できるほどその説を信じていますか?」とRTして来ました。このようにこの時代Twitterは誰もが真面目でおおらかでした。

しかしこの問いに、私は答えませんでした。身体のことを言葉で表現することの難しさ、そして、精神(心)のことは、心理学や哲学のスタイルでロゴス流(西洋流)に言葉で語ることは出来るが、身体のことをそんなありふれた言葉で語ればそれで済むのか?の思いに気づいたからです。

これを契機に、人生の終りに一番知りたい疑問、私のブログ「死んだらどうなるのかでこのことをさらに深く考えることになりました。

そしてそれは現在の「成仏の方法」に至りましたが、ようやく先回「身体の意識・思考」で身体のお話にたどり着くことになりました。

 

今日(2022年11月現在)、孫正義氏はソフトバンクグループを率い、新たな転進として、世界中のAIベンチャー約450社に投資をして、彼らの未来実現へのサポートを始めています。

実体経済とは連動しなくなった金融バブルが崩壊を始めていて、次の体制に移ろうとしています。ソフトバンクは既存ルールでの投資事業が今期(2022.6月期)3兆円という莫大な損益を計上し企業の毀損が止まりません。しかし社会の産業は止まることを許されず次のルールのもとで産業の糧である投資活動が求められています。

その復活に賭け孫正義氏は、AI事業への投資バックアップに余命を賭する覚悟で望んでいるようです。

そこで、@masason(孫正義氏)の「己の体で主張できるほどその説を信じていますか?」のRTが気になってきます。孫正義氏のAIへのビジョンは知り得ていませんが、その問いには、私がAIに思う事をお話ししてRTにしたいと思います。

 

これからのお話しは、先回やそれ以前の私の思考がベースになっていますので、その内容を再度説明しながら行きたいと思います。

詳しくは、中沢新一著「レンマ学」を読んで…(1)を、難しければ(2)から、そして先回の、成仏の方法(11)ー身体の意識・思考をお読みください。

 

では、本題に入ります。

 

「AI(人工知能)について」です。

 

分かりやすくお話しするために、先に概略をお話ししてから進みたいと思います。

 

・AIとは何か、どんなアルゴリズムで動いているのか。

 

・「超越的第三者の眼差し」は、AIとどう関係しているのか。

 

・データの生成、選択。AIへの入力の方法

 

・AIの問題点とは何か。

 

・将来的に、「相対性理論」が「量子論」になってゆくような変化が、AIにもあるのではないか。

 

・「ロゴス」以外の意識・思考例えば、「レンマ」や「ある自由意識」との関係は。

 

・AIは何を目指すことになるのか。

 

などを順にお話ししてゆきます。

 

では始めます。先ず

・AIとは何か、どんなアルゴリズムで動いているのか。

 

AIの実行には…

1.コンピュータのハードとOSプログラミングの作成と設定

2.AIアルゴリズムとそのプログラミングソフトの作成。

3.学習(言語)データーの生成、収集、分類。そして入力。

4.AIソフトを作動させ、値を出力。

…などが行われます。

 

そしてこれらを運用する基本思考には、「ロゴス」が使われ、例外は許されません。

AIは、キリスト教社会である西欧文明の思考から生まれました。

キリスト教、イスラム教などの一神教は「初めに言葉ありき」で始まります。

そこでは聖書やコーランなどの「言葉で語られる真理のみが真理のすべて」となっていて、その他の思考を歴史が排除し洗練を深め社会は現代に至っています。

つまり言葉が実行原理となる「ロゴス」のみが思考の方法となり、その環境で宗教も哲学も科学も生まれ発展し全世界に浸透して来ました。そしてアジアなど必ずしも全てがそうではなかった社会でもつまり全地球の人間社会では、今日「言葉での理解が理解のすべてである」が社会のルールになっています。

そんなロゴス環境をベースにして、先端科学からコンピューターが生まれ、そこにAIが生まれました。これらの進歩は「ロゴス思考」をさらに強固にし将来社会の発展を担うことが期待されています。

 

「ロゴス」は時間性と線形性を持ちます。AIも同じ時間性と線形性をもつニューロン→シナプスの脳の伝達構造を真似て動きます。コンピュータのCPUとプログラミングも同じく0と1の言語情報を時間に沿って並べ順番に処理されます。

しかし一方、「レンマ」は全体を一気に直感で掴み取り非線形性で非因果律性を持っています。そして「ある自由意識」も身体感覚で意識・思考し基本的には非時間性と非線形性で動きます。そうするとこの二つは線形性と時間性では動作しないことになるので、脳の働きではないということになるのでしょうか。

それとも脳にはそれらを動かす別の動作機能が隠れているのでしょうか。

頭脳のニューロンは1000億個~2000億個あると言われます。もしもコンピュータのニューロンにあたるCPUの数をそこまで増やせば、時間性や線形性を超えて、コンピュータ上に「レンマ」や「ある意識」が現れることになるのでしょうか。

前にお話ししたエクソソームという、血管のネットワークを通じ身体器官の間で情報をやり取りをするコミュニケーション物質があります。この顆粒状物質により、脳を介さずに身体器官同士が独自に働く事実が医学で発見されています。ロゴスである医学では十分に研究は進んでいませんが、例えば「レンマ」や「ある自由意識」とは、エクソソーム仕様のものが体内にあり協働して生まれてくる未知の意識・思考なのではないでしょうか。

レンマとは、「一即多、多即一、相即相入」の華厳の思想や、あるいは空海の即身成仏義にある「重々帝網を即身と名ずく」の「重々帝網」の思想などで、そして「ある自由意識」とは、「存思意識」の言葉で、それら姿をロゴスは説明するのですが、ロゴスファミリーであるAI(人工知能)はこのことに関心はあるのでしょうか。しかしそんなものがあるなど気づきもしていないようなのです。

こう考えるとAIは見たこともない目新しいものなどではなく、ロゴスの単なる進化形思考と理解できます。だから作動するアルゴリズムには「ロゴス」の個性の数々が色濃く反映されることになります。

 

・「超越的第三者の眼差し」は、AIとどう関係しているのか。

 

「超越的第三者の眼差し」は、ロゴス思考の機能の一つです。ロゴスが動作している間、それは常に上から目線で監視役を務めています。

例えば科学の歴史では、「相対性理論」の不完全さに対して「量子論」の発生をロゴスに促しました。そして一つの対応を終えると、ただちに次の新しい「超越的第三者の眼差し」がその上位に発生してきて、この「量子論」の不完全さを言いつのり、次の新しい対応を促します。このべき算のように繰り返す眼差しを科学発展の基本原理などと言たりしますが、これは一方、物事に終わりはない。ということであり、寿命という終わりがある人間には残酷な原理になっています。

「超越的第三者の眼差し」は、このように常に現実意識の中に「部屋の中の象」状態で存在しています。AIで頭が良いという基準は、こちらの能力が高いことを言い、記憶力や処理能力に優れているというIQ的頭脳は、コンピュータのCPUの性能であり、まもなくシンギラリティで凌駕されることになっています。

しかし、日々の思考の間、我々はこの「超越的第三者の眼差し」の存在を自覚認識しているでしょうか。「レンマ」思考の側から眺めると、ロゴスの個性がよく見えます。言葉にサポートされ時間の中を線形性で動くロゴス思考の間中「部屋の中の象」のようにしてこの「超越的第三者の眼差し」が常に目を光らせているのが良く分かります。

 

この「超越的第三者の眼差し」の原理を使い、AIは作動しています。

AIのアルゴリズムは、この原理実現のための設計図になります。

ロゴス思考が細部にまで漏れずに及び、AIは作動しています。

 

AIの、機械学習、ニューラルネットワーク、ディープランニングなどは、脳のニューロン→シナプスの情報処理構造を真似て改良を続ければ脳の機能の全てが再現コピーできて、やがてそれを上まれるようになるという予想のもと設計されています。そしてその道程とは「超越的第三者の眼差し」の監視があれば、AIの進化がロゴス思考の進化に、さらに人類の進化にまで続くという楽天的な希望に基づいています。

 

・データの生成、選択、AIへの入力の方法

 

AIは文字データの入力から始まります。文字データとは、ロゴスが思考に用いる「存在」に相当します。「存在」は言語思考の二項分類(選択=暗いがあるから明るいが存在する)で生成され、ロゴスはその「存在」を単位に思考をしています。

先回を参照ください。

そしてAIの動作も、その「存在」を様々操作し「新しい値の存在」を得る作業に他なりません。

 

「日差しが眩しいのでブラインドを下ろした」。

この「無意識」の動きは、ロゴスの意識からではありません。

この動きの後にロゴスは、日差し、眩しい、ブラインド、下ろす、など、予め「存在」として記憶されていた言葉を脳の言語記憶の中から取り出し、文字に表現できる「存在」として意識上に生成します。そしてその生成を現実意識の思考単位にしてロゴスは思考を開始します。例えば、「天気が良くなってきたなあ。」などと呟く現実意識です。

つまり、呟く以前、無意識の状態では、まだ言葉(ロゴス)は無く「存在」も未生なのです。

 

AIはこれまで「超越的第三者の眼差し」の指導で、「無意識」の「存在」を感じたことは無かったのでしょうか。同じ意識の仲間なのに一括りに「無意識」と名付け無縁なものとして「レンマ」や「ある自由意識」のことを考えようともしなかったのでしょうか。入力データの候補としては考えなかったのでしょうか。

コンピューターはその「存在」を0と1のコンピュータ言語に翻訳して動作します。しかし0と1では「レンマ」の直感は働きません。ロゴスとレンマが協働して働くアーラヤ織が現実意識の基礎にあるのに、ロゴスはレンマを排除しこれを進歩と言うことにしたのでしょうか。

もしAIに、この「無意識」を認知できるシステムが可能になったら、ギリシャ文明以降のロゴス主導の西洋文明を変えることになるかも知れません。

科学はロゴスの優れた下僕であり、そのファミリーの数字や数学思考もやはり「無意識」とは無縁の関係にあります。アルキメデスのお風呂場でのひらめき、比重の発見は無意識の功績のようにも思うのですが…

このようにAIは、無意識とは無縁を貫き、ロゴスの言葉でラベリングされた言葉の「存在」のみを入力することが最善と考えるようになります。

しかし言葉は、「存在」を指差す指であり、単なる情報であり「リアル」ではありません。だから「言葉」を眺めたり切り刻んでも、例えば「月」の文字を真剣に眺めても、そこからは月(リアル)の新しい謎は発見できません。

ですから、AIのアルゴリズムで、入力値(言葉)をシャフルし新しい値が出で来たと思っても、ロゴス的人間がこれまでに発見してきたこと以上に、その出力に謎はありません。ただ、その結果により謎(リアル)発見へのモチベーションが出てきて、新しい価値が生まれたと感じるに過ぎません。

「レンマ」や「ある自由意識」から見ると、AIからはそんなレベルの値が出力されているように見えるのです。

ではそこから、ロゴス的人間にはどのようなモチベーションが促されるのでしょうか。

例えばそれは、量子論では観察者が観察をして初めて存在の値が決定しますが、そんな価値の発生から思考のスタートが促されることに似ています。

 

少し長くなりました。今回はここまで。次回は、AIの分析をさらに深め問題とその解決をお話ししたいと思います。