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未来からタイムマシンに乗って、一瞬に出てきたところが、ニューヨーク5番街でなくて、サハラ砂漠のド真ん中とすると、サハラを知ることとは、コンクリートのビルディングと、砂漠の砂を比較することであり、コンクリートのビルディングが砂になるには、自然の力を頼るしかないが、しかし、砂をビルディングにするのは人間の得意技である。乱暴に言えば、この得意技を分析すれば、人類とは何か、が分かることになる。と言いました。
サハラには、そのビルディングが砂になったと同じような、歴史(記憶)があります。
タッシリ・ナジェールと呼ばれるサハラ中央部山岳の岩陰には、サハラが豊かな草原に覆われていた、紀元前7000年前からの、当時の暮らしを描いた無数の岩壁画が残されています。
タッシリ・ナジェールの岩壁画について、野町和嘉は次のように語っています。
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「緑のサハラの証人たち」
現在、乾きの極地であるサハラは、今から7000年前、豊かな草原に覆われていた。サハラには当時の暮らしを描いた無数の岩壁画が残されている。なかでもタッシリ・ナジェールと呼ばれるサハラ中央部山岳の岩陰には、5000年以上にわたって描き続けられてきた何千という壁画があり、それらはサハラの歴史を探る貴重な記録となっている。
私はタッシリ・ナジェールを4度訪れているが、1978年には、ガイド、ラクダ引きたちと共に岩陰に野営しながら、約1カ月に渡って山中をくまなく歩いた。タッシリ・ナジェールとは、トゥアレグ族の言葉で“川のある台地”を意味しているが、現在は深くえぐられた涸河(ワディ)が縦横に走る、およそ水とは無縁の死の台地である。平均標高1500メートルの広い台地上には、深い浸食を受けた砂岩の列柱があちこちに林立している。砂岩の基部は太古の水の浸食で大きくえぐられており、先史人たちにとって格好の住み家であった。壁画はその岩陰に描かれている。
壁画のモチーフは、紀元前7000年ごろ最初に住みついた狩猟民の暮らしや儀礼が最も古く、その後に来た牛牧民たちが描き続けた無数の牛の絵が大半を占めている。そして乾燥化がさらに進行して登場した、馬に牽かせた戦車の時代、さらに紀元前後から始まるラクダの時代と、およそ5000年に渡っている。なかでもタッシリの暮らしが全盛期であった牛牧民たちの壁画の中には、現代画家にも匹敵する見事なデッサン力を発揮したものも少なくない。だが環境が厳しくなるにしたがってアートの質は明らかに低下してゆく。
環境の変化に伴って、タッシリ・ナジェールの住人たちはまったく入れ替わっているにもかかわらず、これほど長期に渡って描き続けてきた目的は何だったのだろうか。作品の一部は明らかに信仰対象として描かれた神々であるが、大半は装飾であったと思われる。そして絵が大切に扱われていたと思われるのは、居住空間であった岩陰の壁画に、煙によって煤けて消えた絵が見られなかったことである。
私は、深い沈黙に覆われた岩陰の回廊を、壁画を捜して終日撮影に没頭し、夜は古代人同然に、岩陰で寝袋にくるまり満天の星空を仰ぎながら寝た。その昔、夜の回廊には牛の鳴き声が響き渡っていたのであろう。ふもとのオアシスで大量に買い込んできたフランスパンは、石のように硬くなっていたが、砕いてスープで戻し奇妙なお粥にして食いつないでいた。水は飲み水以外、顔と手を洗うのに使えるのはカップ1杯切りであったが、季節は11月、台地上は涼しく乾き切っており、身体の汚れはさほど気にはならなかった。終日抜けるような青空のもと、わたしは充実していた。生あるものすべてが滅び去った極限の地で、数千年の時間を超えて息づいている紛れもない人間の記録と一人向き合い、撮影を続けながら、自分は荒地願望症なのだとつくづく思い知った。
「異次元の大地へ」高知新聞社刊より
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岩壁画を残した人々は、紀元前8000年頃から、緑の草原に覆われサハラに定着し、狩猟には弓矢、石斧や石の鏃を生産、家畜の飼育をしていた。紀元前4000年前から乾燥化が始まり、紀元前2000年には今のような砂漠になったと言われます。
簡単に古代人類の歴史を辿ると、氷河期は1万年前に終わり、紀元前8000年~は、人類が狩猟、牧畜、農耕を始める新石器時代になります。紀元前4000年にはエジプト各地に都市国家が成立を始め、エジプト初期王朝は、紀元前3150年~紀元前2686年に区分されています。
こうしてみると、人類の文明が発生する時代に、サハラでは、人類の歴史が終わりを迎えていたことになります。つまり、人間の営みの比喩である「ビルディング」が、「砂」になって行く何万年もの歴史(記憶)を、サハラは経験していたことになります。
何故こんなお話しをするかというと、哲学、思想、宗教は、これまで人間中心に書かれていて、無機物の動向にはさほど気をとめていないと思われるからです。科学の進歩により、暮らしが豊かになり、その代償として地球温暖化が進み、結果、人類が住みにくい環境になってしまう。と、科学が警鐘を鳴らしています。人類には恐ろしい予想ですが、とすると、仏教の輪廻で生まれ変わると、生まれ出てきた所が恐ろしい地球ということになってしまいます。
砂が草地やビルディングに、そしてまた砂にもどってゆく循環が、無機物の輪廻であるとすると、有機物である人間の輪廻としっかり結びついていますので、その長い時間や変化のリズム、感覚、その有り様について、科学だけでなく、哲学や宗教も深く考えなければならないと思います。死後に行くと言われる天国や極楽が、自動車やパソコンもないビジョンとして語られ、行きたくないと思う以上に、異常気象の地球には輪廻して生まれ変わりたくないと思ってしまいます。
サハラ砂漠にあって、自然の死の相貌を感じるとすれば、それがサハラの歴史の記憶ではないかと思います。人間の歴史ではなく、砂や岩、青空と太陽、月と星空が主役となる、無機物の歴史(記憶)なのです。その中にいると、砂をビルディング変えようとする(あるいは、岩壁に象の絵を描き残そうとする)人類の根元的な意志も確認できます。つまり、宇宙のビッグバンが限りなく未来に遠ざかる運動であると同じように、未来へ方向性を持った行為が人類の生きる証であり希望であること。それが善への漸近線上にあれば、大いにめでたいと言うことになります。
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野町和嘉「写真」オフィシャルホームページ