そう・・・
先日新聞を読んでたんだけど、日本の取り巻く環境がかなり変わってきていることに驚いたのっ!
その記事の内容は・・・
Aさん(25)は故郷の沖縄を離れ、3月からベトナムのホーチミンの旅行会社で働き始めた。
ベトナムで働くことを決めたのは中国留学から戻った昨年春、沖縄で見た光景がきっかけだ。
観光の仕事を探したが、案内所も免税店も日本語が堪能な中国人が働き、自分が入り込む余地がないように見えた。
沖縄県は2012年秋にシンガポールや中国などアジア諸国に29歳以下の若者を派遣し、3ヶ月間のインターンシップを通じ、現地で仕事を見つけてもらう狙いだ。
20~24歳の県内失業率は14%と全国の約9%よりも一段と深刻なため、海外に活路を求めた。
『沖縄は将来の日本の縮図だ。』インターンを支援する那覇市の人材会社社長は指摘する。
台頭する新興国の人々は好条件の職を貪欲に求め、日本にも来る。
あるIT企業の社長は、『中国人もインド人も数ヶ月で日本の新聞を読むようになる言葉の壁はない』と力説する。
ま、この後も続くのだが、この記事の見出しに・・・
『ライバルは世界の同輩』
とあった・・・。
出稼ぎに日本にやって来る外国人はよく目にしていたが、いよいよ日本人が出稼ぎに行く時代になったのか・・・。しかも先進国に住むんでいるのに、新興国の人に仕事を奪われて・・・
ま、奪われてと書いてしまうと語弊が生じるかもしれないが、結局は就職する枠がなくなり、海外の新興国へシフトという形になっている現状。
この記事の続きに・・・
意識を変えるべきなのは若者だけではない。内閣府によると学校を出た子供と同居する60歳以上の親の過半数が、この生活費の面倒を見ている。
『子供に弁当を作るのはやめましょう。』 法政大学は4月、新入生の保護者向けに就職説明会を開いた。
子供の就活を援助しようと学校や企業に電話をかける親が増えているからだ。
キャリアセンター長は、
「まずは親が子供から自立して」と諭すように話した。
とあった。
このような恵まれすぎた環境が、これから益々広がっていくだろうグローバル社会の中、新興国からやってくる、もしくは世界に出た時に接する新興国同世代のライバルには太刀打ちできない!と言っているように思えた。
目前では、被災地を復興させていくのに人手が足りなく・・・
そして復興地に労働力が流れていくから、関東などの他地区の土木・建設業などに人が集まらなくて計画が遅れ気味と聞く・・・。
外食産業でも人手が足りなくて、最低賃金が上がってきているとも聞く中・・・
仕事がないから海外に出稼ぎに行くという現状は想像しにくいかもしれない・・・。
しかし・・・
3年後、5年後、10年後のスパンで物事を見ると・・・
こういう可能性って大いにあるのでは・・・ と思う。
私は20代に入った時、発展途上国に行き・・・
これからヒットするだろうと思う業種の仕事を立ち上げ、がむしゃらに頑張り・・・
50代ではもう仕事をしなくてもお金が入ってくる・・・ ような生活がしたいと思っていた。(笑)
なので、新興国に行くことに対して、気を付けていないと危険だとは思ってはいたが、『行きたくない!』という思いは全くなく、むしろ行きたかったのだ・・・。 ← この頃、母親はもう他界しており、行くことに対してそれほど心配する人もいなかったしね。
しかし、発展途上国に行くことはなく、40代が見えてきた今・・・
今の生活を捨てて、今から全くゼロの状態で行くことに対してはやはり厳しく思うようになった。 ← 会社が向こうにあるとかなら大丈夫。
本当に、日本で仕事がなくなった場合は、真っ先に行くと思う。 向こうの企業が私を使ってくれるかどうかは別として・・・。
では、今、自分にできることは?
今の会社からクビにされないよう、そして会社からもっと必要とされる人となれるよう、もっとやれること学ぶことがあるので、今すぐ結果が出なくてもコツコツと頑張る行動を取ることだと思う。 ← 現状では40代前の転職はよほどの専門知識や技術を持っていないと、今の条件での再就職はかなり厳しいと思う。
コツコツ頑張っていれば、それが多少なりともキャリアになり・・・
会社を離れなくならなくなった時、そのコツコツと頑張って貯めたキャリアは絶対に生きてくると思う・・・。 海外に行ったとしても・・・。
なので・・・
来週から、もっと頑張っていこう~ と思うキャラメルマンであった・・・。
今の仕事が出来なくなり、転職したとしたら・・・ 今の半分の給料くらいになっちゃうんだろうな~。いや、ひょっとしたらそれ以下かもっ!(汗)
会社のために頑張るより、自分の為に仕事頑張んなくっちゃっ!!